遺影_8
美術室に戻ると夕方の西陽が部屋に差し込み、適温になっていた。絵の具を塗った面が机を汚さないように立てておいた木枠はもうすでに乾いているようだ。木枠を組み立て裏板をボンドで取り付けた。つけすぎたボンドが木と木の間から押し出されはみ出た。それを人差し指の腹で拭って、親指をくっ付けては離す。待つのを我慢できずに裏板を触ってみると木枠からずれるように動いた。位置を調整し直し、再び待った。
先生は自分の作業が終わったのか、大小の細いヘラをエプロンと同じデニム生地の布に巻いていた。
「先生、名前なんて言うんですか?」
「美術科の
「坂東先生、僕は、帰ります。ありがとうございました」
「はい、お疲れ様でした」
「先生、気持ちの良い遺影ってあると思いますか?」
「死んでほしい人の遺影だと僕は思うよ。死んでほしいって言うと
もう帰るとは言ったけれど、僕は美術室にしばらく居座り考えていた。無くなって欲しいもの。けれど遺影は人の写真が入るものだ。人が入らなければ僕が作ったのは遺影ではなくなってしまう。僕が美術室を出るまで坂東先生は、布巾で机を拭いていたけれど、カラフルな絵の具の汚れはどれだけ拭っても取れそうになかった。
額縁は完成した。あとは写真を入れてプラスチック板を上から取り付ければ本物の遺影になる。揺らさないように胸の前で袋の下を支えて校舎の階段を下りた。校門から校舎を振り返ると六時になる頃だった。通学路を足早に帰って、団地の入り口の坂を登る途中、引っ越し業者のトラックが一台、僕の横をすぎて行った。団地の棟に囲まれた花壇のある中庭を通り抜けて五号棟の入り口に入る。家に帰るとリュックも置かずに、廊下の途中の洗面所にいた母に話しかけた。
「お母さん、百円欲しいんだけど」
「何に使うの? お小遣いは? もうなくなったの?」
「コンビニでコピー機使いたいから」
母はエプロンで手を拭きながらリビングに戻り財布を取り出し僕に百円を渡してくれた。
「その袋は何?」いつの間にかハリと光沢を失い、木片の角でぼこぼこと膨れた手提げ袋を見て母は
「あとで全部説明するし、謝る」僕はそれだけ言って黙った。
リュックを置いて鍵と財布だけをポケットに入れた。家の引き出しを探る。小学生までの成績表などが入っている、その下敷きになるようにして目当てのものがあった。中学生になる時に撮った証明写真の余りだった。財布に入れ、手提げ袋を持ったまま、団地を飛び出した。再び学校を目指す。その途中にある海沿いのコンビニに行き、雑誌コーナーの隣にあるコピー機に向かう。昔
コンビニを出て、学校に向かって走った。今からすることを考えると、身体中の筋肉がむず痒くなって走る以外なかった。校門は昨日と同じく人が一人通れるスペースを残していた。身体を横にねじるように滑り込ませ、教室に向かう。昇降口にスパイクを残したまま、上靴は履かなかった。
三階に上がるとまだ廊下の電気は点いていた。もう教室が施錠されてしまったのではないかと思ったけれど、ドアはすんなりと開いた。教室のちょうど真ん中から少し黒板側にずれた僕の机。一ヶ月来ないだけで随分懐かしい。もしかしたら、明日には席替えになるかもしれない。椅子に腰を下ろし、袋の中から真っ黒の遺影を取り出す。袋の中に絵の具がうっすら付いていた。裏板のところに僕の白黒写真を入れる。サイズが少し小さかったから、指にボンドを少し取り板に塗って、ちょうど真ん中に来るように付けた。上からプラスチックの板を
写真を入れて僕の机に立ててみるけれど、うまく立たなかった。背もたれのように後ろにつけた木が滑ってしまう。ボンドで机につけてやろうと思った。ゆっくり手を離すとボンドの粘り気で机に留まった。明日の朝、どうなってしまうのか予想がつかなかった。
教室の外はちょうど太陽が沈み切るところだった。いつも見る国道沿いの日没とは違って、陽は防砂林ではなく海原に吸い込まれて、必死に抵抗し暴れるようにオレンジの光が揺れていた。辺り一面が暗く沈んでいくまで景色を眺めていた。海から目を離すと、美術室の部屋の明かりはまだ点いていて、暗い校舎に
遺影 ニシダ(ラランド) @RRNDNISHIDA
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます