第8話 婚約破棄された令嬢と吸血鬼の皇子 後編
「待て待て待て! 何なんだ、それは!? 自分がすべきことを君にさせておいて感謝どころか、他の女性に走るとは……」
「いえ、私が至らなかったせいです……薬師の仕事も辞めれば良かったのに、私の薬を必要としている方たちのことを思うと辞められなくて……」
「君の薬を必要としている人がいる事は素晴らしいことだ。それだけ優れた薬をつくっていたのだろう?」
「そんなことは……」
セリカは首を横に振るが、優秀な薬師だったローズの孫娘なら、かなりの腕前だった可能性が高い。
同じ薬師たちがセリカに「令嬢はそんなことをする必要がない」と言っていたのも、彼女の能力を妬ましく思っていたのではないだろうか。
セリカは俯き、泣きたくなる気持ちを堪えながら話を続けた。
「多くの貴族からは私は王子の心をつなぎ止める事もできない役立たずだと言われました。だから役に立たない私が、あなたのお役に立てたことはとても嬉しく思っています」
そう言ってにこやかに笑うセリカにギルネードは首を横に振る。
一体誰が彼女を役立たずだと抜かしたのか。
目の前にいたら殺してやりたい、と思った。
いや、それよりも、もっと最悪なのは自分だ。
衝動を抑えることができず、セリカの血を吸って吸血鬼化させてしまったのだ。
ただでさえ彼女は傷心だったのに。
「すまない……私に血を吸われたことで君は吸血鬼になってしまった」
「吸血鬼……つまり魔族になってしまったのですか? 私は」
「そういうことだ」
セリカは自分の掌を見たり、肌に触れてみたりするがこれといった変化は感じない。
いや……ただ、口の中に少し違和感は感じる。
横に三面鏡があるので、少し口を開けて見て見ると、犬歯の部分が牙に変わっているのが分かった。
血を吸われていた時、気が遠のいていたから記憶にはないのだが、その間に身体に変化が生じていたのだろう。
ギルネードはセリカの両肩に手を置いて真剣な眼差しを向けた。
「この責任は私が取る。 君を妻として娶り、生涯大切にする」
「つ……妻……つまり結婚、ということですか?」
かぁぁぁっと顔を真っ赤にするセリカに、ギルネードも自分で言って恥ずかしくなったのか顔を赤くする。
「こんな年上だと嫌か……君より二百歳以上離れているからな」
「い、いえ……魔族の方は人の基準とは違いますし、年の差は気にならないのですが、でも人間である私が魔界に行くのは魔族の皆様はあまり良い顔をしないのでは?」
「その点なら心配いらない。君はもはや私と同じ眷属だ。元人間だった吸血鬼も多くいる」
真剣な眼差しを向けてくるギルネードに、セリカは胸が高鳴るのを感じた。
二百歳以上年上だというが見た目は自分より少し年上にしか見えない。
艶やかな黒い髪、アメシストを思わせる紫色の瞳、そして端整な顔は見たこともないくらい美しく、絵物語に出てくるかのよう。
だが今はときめく気持ちを隅に置かなければならない。
心を落ち着かせる為に胸に手を当てたセリカは、ギルネードに言った。
「お気持ちは嬉しいのですが……私はオズモンド殿下が紹介した新たな相手と会わないといけないのです」
「元婚約者が紹介した相手?」
「私はムール王国の王子と会い、そのままあちらへ嫁ぐことになっているのです」
「そうしろ、と元婚約者が言ったのか?」
「はい……コネリア令嬢の強い希望もあって」
「……」
「多くの方達の前で婚約破棄を言い渡された私には、もう居場所もありませんし、お父様とお母様にも迷惑をかけたくないと思いましたので、いっそ他国へ嫁ごうと決めたのです」
セリカの身の上話は聞けば聞くほど腸が煮えくり返るものであった。
ムール王国といえば魔界でも噂されるほど王族が好色で有名だ。ハーレムとよばれる後宮には多くの妃達が住んでおり、女達の間でも権力争いが絶えないのだとか。
詳しい理由は分からないが、第一王子とその恋人である男爵令嬢は、セリカを遠くへ追いやり、さらに嫌がらせとして最悪の相手と娶せようとしているのだ。
「ムール王国には私の方から事情を伝えることにする。君が魔族になったと分かったら、向こうも手出しは出来なくなるだろう。我らとは違い、人間の王族は魔族を娶ることを忌避しているからな」
「ですがオズモンド殿下は快く思わないかもしれません……私はともかく実家まで不敬罪に問われたら」
セリカが一番心配しているのはそこなのだろう。
もしかしたら第一王子に脅されているのかもしれない。従わないと家族共々罪に問う、とでも言ったのではないだろうか?
「王子に君の結婚を決める権限はないと思うのだが?」
「はい。ですが国王陛下も乗り気なのです。ムール国とは縁をつなげておきたいと思っているようなので。ムール王国の王子も私との婚姻を強く望んでいるらしく」
ギルネードは唇を噛む。
こうして見るとセリカは美しい女性だ。
それでいて王子の代わりに公務をこなしていたくらいだから、実務にも長けているのだろう。
ムール王国の王子はセリカのそういった能力にも惚れ込んだのかもしれない。
もしかしたら婚約破棄云々とは別に、何かしらの利権が絡んでいるのかもしれない。セリカを欲するムール王国の王子と、男爵令嬢に恋するオズモンド王子の利害が一致し、またハマグリット王国にとってもそれは悪い話ではなかったのだろう。
「両国にどんな思惑があるのか知らないが、我が国を敵に回してまで君に婚姻を迫ることはないはずだ。人間界の小国など、いつでも地図上から消すことは出来るからな」
とても紳士的な口調だが言っていることはやはり魔王の息子なのだな、と思うセリカ。
しかし不思議とこの青年が怖いとは思わなかった。
ハマグリット王国もムール王国も、エンドグリム帝国の十分の一の大きさしかないので、ギルネードから言わせたら確かに小国なのだろう。
そしてエンドグリムを敵に回すということは、再び魔族と人間との戦争を望むに等しいことでもある。
ハマグリット王国もムール王国も魔族と戦争を起こしてまで婚姻を勧めるとは思えない。
「父上も尊敬してやまない大賢者様の孫娘となれば、皆は喜んで迎え入れてくれると思うよ」
「お、お祖父様って魔王陛下に尊敬されているのですか?」
目を白黒させるセリカ。
確かに魔族の王子であるアクラントもジョージを慕って一緒に暮らしているし、今、ギルネードがここを訪れているのもそういう理由なのだろうけれど、魔王までジョージのことを慕っているとは思ってもみなかった。
ギルネードはセリカをそっと抱き寄せた。
セリカは胸がドキドキしすぎて目が回る思いだった。
(婚約者にも抱き寄せられたことなんかなかったのに……どうしよう? 初めて会った男の人なのに)
「改めて言おう。私が責任を取る。妻として生涯大事にする。君以外の妻は娶らないし、君だけを愛するから」
「そんな約束しても良いのですか? 私とあなたは今日合ったばっかりでお互いのことをまだ何も知らないではありませんか」
そういうものの、出会ってから五年経つ元婚約者である王子のことも、何も知らなかったな、と思うセリカ。
政略結婚というのはそういうものだ。中には結婚するまでお互いの顔すら知らないこともあるくらいなのだから。
「お互いのことはこれから確かめ合えばいい……」
「ギルネード様……」
◇・◇・◇
「私は風邪薬を研究しているギルネード様の考えにとても共感して、彼と一緒に薬の研究をしたいと思いました。魔界の国民を思う彼を支えたいと思ったのです。彼ほど立派で素敵な男性はきっといないと思っています」
「セリカ……」
吸血鬼は、本人が意識せずともその色香で相手を魅了する。
セリカもこの吸血鬼に魅了された可能性はあるが、しかしそれ以上にギルネードの研究に感銘を受けたのが大きかったようだ。
「お母様、私はギルネード様と共に魔界へ行きたいです」
「……」
セリカは子供の頃から家族に願い事を言ったことがなかった。
子供であれば多少の我が儘を言っても良かったのに。
いつも自分よりも家族や周囲の者に気遣うような子だった。
そんなセリカが初めて自分に願い事をしたのだ。
その願いを快く叶えたい気持ちはあるが、それでもエマは問わずにはいられなかった。
「魔族の皇子の元に嫁ぐことになるのよ? 怖くはないの?」
「何人もの愛人がいるどこかの国の王子の愛人になるよりは、全然怖くないですわ」
「……そうだったわね。ここにいてもあなたが幸せになるとは限らないわよね」
何とも複雑な表情を浮かべるエマに、ジョージはふうっと息を吐く。
先程まで見合いから逃げていたギルネードが、まさか自分の孫娘に思いを寄せるとは。
吸血鬼に噛まれた者は吸血鬼になる。
セリカの見た目はぱっと見ただけだと分かりづらいが、よく見れば首筋に刻まれた二つの穴、そしてそばかすが綺麗になくなり、肌の色が前よりもさらに白くなっていた。
複雑な気持ちではあったが、ギルネードと目が合うと嬉しそうに笑う孫の笑顔を見たら、
そんな気持ちは瞬時に吹っ飛び、素直に祝福しても良いような気がした。
(それに吸血鬼になってもセリカは愛らしいしのう)
孫がどんな姿になろうと、ジョージにとっては可愛い孫であることには変わりはなかった。
そこにローズがあつあつのたこ焼きを乗せたお皿を持ってきて、テーブルの上に置いた。
「とりあえず、冷めないうちに食べましょう。アクラちゃんも人間の姿に戻ってたべましょう?」
そう言ってローテーブルの下をのぞき込むローズ。
いつの間にか猫の姿をしたアクラがテーブルの下で丸くなっていたのであった。
(まさか兄貴がセリカを嫁にするなんてな。大賢者の孫娘連れて帰って来たって聞いたら
◇・◇・◇
「セリカ、本当に後悔はしないのね」
「はい、お母さま」
「それがあなたの選んだ道なのであれば、私はもう何も言わないわ。母親としてあなたの幸せを願い祝福するわ」
「ありがとうございます。お母さま」
エマは娘とともにそんな会話をしながら、ひたすらたこ焼きを食べていた。
アクラントとギルネードの魔族の王子たちも、はふはふ言わせながらたこやきを食べている。
エマはたこ焼きを刺していたピックをギルネードに突きつけて言った。
「ギルネード、娘を泣かせたら魔界を火の海に変えますからね」
「はい。必ずやセリカ殿を幸せにしてみせます。セリカ殿が不幸になった時は、この命でもって償います」
真剣に答えるギルネードであるが、整った唇の端にはソースがついたままだった。
それが妙におかしくてエマは思わず吹き出す。
「ふふふ……あなたの命なんていらないけど、いい覚悟ね。気に入ったわ」
先程までギルネードに怒り狂っていたエマだが、娘の想いを聞き、そしてギルネードの並々ならぬ覚悟を聞いて考えを改めたようだった。
「心配しなくても大丈夫よ。エマ。ギルちゃんはとても真面目で誠実な方だから。きっとセリカのことも幸せにしてくれるわよ」
ローズはニコニコ笑って娘の肩を叩く。
そんな母親の言葉に今までどこか険しい表情だったエマの表情は和らぐ。
「お母様がそう仰るのであれば」
「セリカはあなたに似て男性を見る目があると思うわ」
「お母様ったら」
そんな母娘のやりとりにふとジョージは若かりし頃のローズと幼いエマが楽しそうに一緒に料理を作っていた時のことを思い出す。
ローズの言う通り、エマは昔から人を見る目があった。
周囲の友人たちは賢い子ばかりだったし、夫である公爵は目立った美男子ではないが聡明で、家族思いな男だ。
エマは一男二女に恵まれ幸せな結婚生活を送っている。
セリカは母親であるエマに似たのだろう。
血を吸われて吸血鬼化したとはいえ、最終的に自分の意志でギルネードと一緒になることを選択したセリカは、本当に人(魔族)を見る目がある。
ギルネードは魔族の王子の中でも真面目だし、薬の研究にも真摯に取り組んでいる青年だ。
だから勉強熱心なセリカとは気が合ったのだろう。風邪薬の研究も二人で熱心に取り組んでくれそうだ。
あの第一王子より何倍もいい男である。
ジョージは娘と同様、孫であるセリカも幸せであってほしいと願わずにはいられなかった。
◇・◇・◇
「お母様、お祖父様、お祖母様、急に魔界へ旅立つことになってごめんなさい。体が吸血鬼だから、日差しが強い人間の世界だと暮らしにくいみたいなの」
セリカはギルネードに血を吸われたことで吸血鬼化してしまった。
見た目は人とは変わらないが、喋るときちらっと小さな牙が見える。
けれども曇りのない娘の笑顔を見てエマもまた微笑んだ。
「お父様には私から事情を話しておくわ。あの人はあなたの判断を信じるわよ」
「ありがとうございます、お母様」
「あやうく脂ぎった王子の愛人になる所だったし、ギルネードの存在はあなたにとって救いの手だったのかもしれないわね」
母親の言葉にギルネードに寄り添うセリカは少し不安そうに尋ねた。
「私が魔界へ行くことで、お父様とお母様がお咎めを受けなければ良いのですが」
「そんな心配しなくていいわよ。馬鹿王子が私達を罪に問う前に、私達が王子を廃嫡させるわよ。それだけの力がクリストフ家にはあるのよ」
エマの言葉にジョージも同意するように頷く。
セリカの父はハマグリット王国の全軍を統率する軍務大臣である。そして叔父は皆殺しの伯爵と呼ばれるイーサン=フォスターだ。この二人にそっぽ向かれたら、王国軍は確実に混乱し、弱体化する。特にイーサン=フォスターは、その名前だけで国力になる程、人間界にも魔界にも恐れられている存在なのだ。
(いざとなったら儂も国家機密をネタに脅すことぐらい出来るしのう……王室を揺るがす秘密事項は掃いて捨てるほどあるからの)
ふぉっふぉっふぉっと密かに笑い声を漏らすジョージの笑顔はいつになく黒かった。
セリカは寂しそうな表情を浮かべているローズの元に歩み寄り両手を握って言った。
「時々こっちにも遊びに来ますから」
「元気でね、セリカ。いつでも遊びに来れば良いのよ」
ローズは涙ぐみながら、セリカの手を握り返した。
ジョージはそんな妻の背中をさすりながら言った。
「うむ、ギルネード殿と一緒にいつでも遊びに来ると良いぞ。今日のような昼じゃなく、夜に来たらええ。儂は夜型老人じゃからの」
「ありがとうございます」
セリカの嬉しそうな笑みを見て、ジョージも目に涙を浮かべうんうんと頷く。セリカが幸せになるのは喜ばしいが、やはり可愛い孫が遠くへ行ってしまうのは寂しかった。
それでも最後は笑顔を浮かべ、ジョージは先程急いで書いた色紙をセリカに手渡した。
「セリカとギルネード殿の幸せを願って」
色紙には【夫婦円満】と書かれた四文字が書かれていた。
婚約破棄された令嬢と吸血鬼の皇子 完
転生じいちゃんの日常~前世を思い出したのじゃが、どうしたものかのう~ 秋作 @nanokano
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