第7話 婚約破棄された令嬢と吸血鬼の皇子 中編

「婚約破棄!? セリカが」

「そうなんですの。セリカは第一王子の婚約者として、幼い頃から真面目に王妃教育を受けてきたのですが」

「あの子のことじゃからそうじゃろうのう」


 夜になってもずっと薬学の本を読んでいた孫の横顔を思い出し、ふう、と息を吐くジョージ。

 あれからたこ焼きを食べた後、エマはこちらに目配せを送った。

 二人だけで大切な話がしたい、という意図をくみ取ったジョージは娘と二人きりで話すために書斎へ移動した。


「ですが、この前の夜会の時、第一王子が宣言したのです。セリカとの婚約破棄を。そして男爵令嬢であるコネリアを新たな婚約者にする、と」

「何と……王室が決めた婚約を破棄するとは。第一王子も随分と愚かなことをしたものじゃのう」

「ええ、全く。第一王子曰く、運命の愛を見つけたそうですわ」

「…………運命の愛のう」


 目を線のように細め、遠い目をするジョージ。

 現国王が若い時、全く同じことを言っていたのを思い出したのだ。


『ジョージ、俺は運命の愛に目覚めた! 彼女を王妃として迎えようと思う』

『ジョージ、俺は運命の愛を見つけた! 彼女を第一側妃として迎えようと思う』

『ジョージ、俺は運命の愛が何か分かったぞ! 彼女こそ本物だ! 第二側妃に迎えようと思う』

『ジョージ、俺は今まで運命の愛というものを勘違いしていたようだ。彼女こそ……(以下略)』



 現国王の若かりし頃を思い出したジョージはげんなりした表情になる。

 第一王子の性格は父親に似てしまったようだ。


「………はてさて。第一王子はあと何回運命の愛とやらを語るのかのう」

「お父様?」

「いや、婚約破棄になって良かったわい。あのまま結婚してもセリカが苦労するのが目に見えとる」

「ですが、元婚約者の第一王子がセリカにムール国王子の側妃になるように迫っているのです」

「第一王子が何故次の相手まで決めるのじゃ?」


 怪訝な表情を浮かべるジョージに、エマが苦々しい表情を浮かべた。


「コネリア令嬢がそれを強く望んでいるようなのです。自分達だけが幸せになるのはいけないからという最もらしい理由を言っていますが、邪魔なセリカを遠くにやりたいのだと思っています。ムール国の王子は既に何人もの妃がいて、とても女癖が悪いと評判です。そんな人の元に嫁がせようだなんて、もう嫌がらせとしか思えません」


 ジョージは不快そうに眉を寄せる。

 王室が決めた婚姻を勝手に破棄した挙げ句に、次の縁談まで勝手に決めるとは。

 第一王子は既に国王にでもなったつもりなのであろうか? しかも男爵令嬢まで既に自分は王室の一員だと思っているようだ。

 ただ王室としては、ムール王国は大きな国ではないが資源豊かな国だ。王子の婚約破棄の件とは別に、ハマグリット王国としては縁を結んでおきたい国ではある。

 何かしらの利権と引き換えにセリカを差し出す可能性はある。


「私は何とかしてこの縁談を断ろうと思っているのですが、セリカ自身、婚約破棄された以上この国にはいられないから、ムール王国へ行くと聞かなくて……」


 エマが悩まし気にため息を吐いた時、廊下からばたばたと足音が聞こえてきた。

 何事かとジョージが眉を寄せた時、部屋の扉が勢いよく開かれた。 

 そこには頬を紅潮させたギルネードがセリカと共に部屋に入ってきた。

 ギルネードは開口一番に言った。


「ジョージ殿、貴殿の孫娘を私にください!」

「ふぉ!?」


 素っ頓狂な声が飛び出たジョージに、ギルネードはその場に座り込み、地面に額がつくぐらい深々と頭を下げた。

 魔族が土下座をした!?

 ジョージはまじまじとギルネードを見て問いかける。


「孫娘をくださいとは、どういうことじゃ? ギルネード殿」

「私はセリカ=クリストフ公爵令嬢を我が妻に迎えたいと思っています」

「待て……待つのじゃ!! 何故、そんな話になったのじゃ!? お主等、たった今出会ったばかりじゃろう!?」

「申し訳ありませんっっっ!! それは彼女があまりにも美味しそうで……いえ、美しかったので。いつもなら飢餓状態に陥っても我慢できたのです。ですがセリカ殿はその……心の清らかさが顔にも滲み出た美しさで、恐らく私は一目惚れをしてしまったのだと思います。だから我慢できずにその……」

「何と、セリカの血を吸うたのか!?」



 ジョージが素っ頓狂な声を上げた。

 確かにセリカの首筋には吸血鬼が噛んだであろう二つの穴が刻まれていた。

 そして。


「お母様……あの……」


 セリカが何かを喋ろうと口を開いた時、キラッと何かが光っているのが見えた。よく見ると犬歯だった部分が牙に変わっている。

 吸血鬼に血を吸われた者は、吸血鬼になってしまうのだ。

 エマはカッと目を見開き、ギルネードに向かって指を指した。



炎蛇召喚えんだしょうかん



 次の瞬間、エマの背後の壁に魔法陣が描かれ炎の形をしたいくつもの炎の蛇が現れた。

 蛇たちはギルネードに向かって飛びかかる。攻撃することはなかったがギルネードの周りにまとわりつき顔を近づけ、威嚇するかのように牙を剥いている。

 憤怒の顔をしたエマは震えた声でジョージに問いかける。


「……お父様、この方はどんな方なのです?」

「その……魔族の第八王子じゃ」

「魔族の……ということは、あの魔王の息子ということですか? 魔族はまた人間と戦争を起こしたい、というのでしょうか?」


 エマの怒りに呼応するかのようにいくつもの炎の蛇たちもギルネードに牙を向けている。

 ギルネード自身は顔色一つ変えずに、真剣な眼差しをエマに向けていた。

 ジョージは顔を蒼白にし、手を広げ娘の前に立ちはだかる。

 


「エマ、待て! 落ち着くのじゃ!!」

「これが落ち着いていられますか!! この男、セリカの血を吸ったのですよ!? しかもセリカは吸血鬼化しているじゃありませんか!!」

「だからといって火は良くないぞ。家が火事になるわい」

「お父様の家は屋根から家具まで強固な魔法防御で守られているから大丈夫じゃありませんか!!」


 二十年前の魔族の大戦では蛇の姿をした炎の精霊、炎蛇を操っていたエマ。

 戦争が終わってからは宮廷召喚士を引退したが、その実力はまだ衰えていないようであった。

 その時セリカは母親からかばうようにギルネードに抱きついた。

 エマは驚きに目を見張る。彼女がぱちんと指を鳴らすとギルネードを威嚇していた蛇たちの姿が幻のように消えた。

 セリカは震えた声で母親に告げる。


「申し訳ありません。お母様。私は……ギルネード様を拒めませんでした」 

「セリカ、どういうことなの? あなた達の間に何があったの?」


 セリカはギルネードから離れぬまま、ぽつりぽつりと、つい先程の出来事を話し始めたのであった。


 ◇・◇・◇


 時は遡り一時間前。

 ひとしきりセリカの血を吸い、理性を取り戻したギルネードは跪き深々と頭を下げた。

 

「私は取り返しの付かないことをしてしまった……何とお詫びをして良いか」

「元気になって良かったです。お祖父様の大切なお客様ですもの。何かあったら大変ですから」

「お祖父様?」

「申し遅れました。私、ジョージ=フォスターの孫、セリカ=クリストフと申します」


 淑女の礼カーテシーをし、落ち着いた口調で挨拶をするセリカにギルネードは目を見張る。


「な、何と、あのジョージ殿の孫娘」


 ギルネードはまじまじとセリカを見る。

 そういえばどことなく顔はローズに似ている。銀色の髪はジョージ、そして青い瞳はローズから受け継いだのであろう。

 ギルネードもまた胸に手を当て軽く頭を下げた。


「私はエンドグリム王国第八王子のギルネードだ」

「エンドグリムと言えば魔界最大の王国であり、魔王陛下が統治されている国ですね」

「ああ、その通りだ」


 頷くギルネードにセリカは青い目を輝かせ声を弾ませた。


「魔界にはまだまだ未知の植物が沢山生息しているという話を聞いたことがあります。いつか私も行ってみたいと思っているのです」

「セリカ殿は植物に興味が?」


 首を傾げ尋ねてくるギルネードに、それまで少し興奮気味に話していたセリカはハッと我に返り俯いた。


「へ、変な女だと思いましたよね? 令嬢が植物に興味を示すなんて」

「いや、そんなことは。セリカ殿は植物に詳しいのか?」

「はい、薬師ですから。多少であれば」 

「丁度ピピル草のことで聞きたいことがあったんだ。ピピル草を使った風邪薬を作ろうと思っているのだが、他の薬草と調合するとその効果が薄れてしまうんだ」

「そうですね……ピピル草はあまり他の薬と調合して使わないですよね」


 じっとこちらをを見詰めてくるギルネードと目を合わせるのが恥ずかしいセリカは、視線を床に向けたまま答える。

 しかしギルネードは構わず話を続ける。


「私は魔族にも効く風邪薬を作りたいと思っている。出来れば平民でも手に入れやすく、常備しやすい風邪薬を作りたくて」


 真剣に訴えるギルネードの言葉に、それまで恥ずかしがっていたセリカは目を見張りギルネードの顔を見た。


「とても素晴らしい考えです。病は弱い立場の方が最初に犠牲になってしまいますからね。人間界では平民の方でも比較的買いやすい風邪薬はありますが……」

「ああ、一度持ち帰って飲んでみたのだが、人間界で売られている薬は魔族には効かないんだ。だから魔族にも効く薬を私は開発したい」

「まぁ、そうなのですね!! 私も何かお手伝いできたらいいのですが……」


 目を輝かせ、声を弾ませるセリカだったが、途中でハッと我に返り、どこか悲しそうに俯いた。


「……ご、ごめんなさい。出しゃばったことを」

「出しゃばる? 今のどこが出しゃばっているんだ?」

「で……でも、私が薬の研究に興味を持ち、あなたの研究を手伝いたいとか言うのは、凄く図々しい申し出だと思って」

「何を言っているんだ? 何故、そんなに引け目を感じているんだ?」

「同じ薬師の方々に言われていましたから。令嬢はこんなことする必要はない、これは女の仕事じゃないと」

「そんなことはない。薬の研究に男も女もない。私はむしろ嬉しかったくらいだ。研究を手伝いたいと言ってくれる君の気持ちが」



 思わぬ言葉にセリカは驚きに目を見張るが、ハッと我に返り、ぶんぶんと首を横に振って悲しそうに言った。


「そんな風に言われたの、身内以外ではあなたが初めてです。元婚約者は、薬師の仕事をしている私を快く思っていませんでしたし」

「元婚約者?」


 首を傾げるギルネードに、セリカは目を伏せ一度呼吸をしてから淡々とした口調で話し始めた。



「もう人間界では噂が広まっていると思いますのでお話ししますが、私は第一王子のオズモンド殿下と婚約していました。ですがつい先日、王子から婚約破棄を言い渡されてしまいました」

「……」 

「元々婚約者の方と接する時間が殆どなかったのです。私は薬師としての仕事や公務、王妃教育もあり、ずっと時間に追われておりました。婚約者の方からせっかくお誘い頂いても、忙しくてなかなか応じられませんでした」

「公務? お父上の手伝いをしているのか?」

「い……いえ……オズモンド殿下は事務作業が苦手なので、彼が目を通す書類も私が目を通したり、諸外国への書状なども代筆させて頂いたりしていました」

「……」

「やがて殿下は他の令嬢に心を奪われてしまい……真実の愛を見つけた今、私とは婚約できないと仰せになったのです」



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