第6話 婚約破棄された令嬢と吸血鬼の皇子 前編

「お久しぶりです。ジョージ=フォスター伯爵閣下」

「余計な肩書きは不要じゃ。ギルネード殿。久しぶりじゃのう」


 ジョージの家に一人の客人がやってきたのは、たこ焼きパーティーが終わってから一週間後のことだった。

 その青年は玄関に入ると深くかぶっていたフードを脱いだ。

 そこに現れたのは黒い髪、紫色の瞳、フレームのない眼鏡をかけた美青年だった。

 それまで猫の姿でジョージの足元にいたアクラは人型に戻り、訝しげな表情を浮かべた。


「兄貴、何の用だよ?」


 青年の名は、ギルネードメルソン。

 本名が長いため、家族や友人からはギルネードと呼ばれている。ちなみに魔族には名字というものがない。

 彼はアクラントにとって年の離れた異母兄であった。



「アクラ、私はちょっとばかり亡命しにきた」

「は!?」

「冗談だ。でも逃げてきたのは本当だ。父上と母上が結婚しろってうるさくてな」

「兄貴も適齢期だもんな。縁談も来ているんだろ?」

「来るには来るが、どうも彼女たちを伴侶として見られなくてな。あ、これ見合い相手たちの似顔絵」


 魔界でも政略結婚は多いが、末端の王子であるギルネードとアクラントは特に決まった婚約者もおらず、ぽろぽろと縁談が来るくらいだった。

 葉書ほどの紙に肖像画を描いて、裏には釣り書きを書くのだとか。

 

(まぁ日本でいう見合い写真のようなものじゃな……どれどれ、どんな女性かのう)


 ジョージは興味深そうにギルネードに送られてきたという見合い絵を覗く。

 そこに移っているのは頭が牛の女性、ドレスを着たゴリラ、スカートをはいたクマなど、バラエティ豊かな絵が並んでいた。


「……ギルネード殿、これは動物園でも写生したのかのう」

「失礼なことを言わないでください。彼女たちも立派な魔族ですよ。ただ、少しばかり魔物寄りな容貌をした者が多いのです」

「お主やアクラのような人の姿をした者はおらんのか?」

「もちろんいますが、人と同じ姿の魔族で適齢期の女性はあまり多くないです」

「魔族は儂らと違って長命じゃから、出生率も少ないと言うてたな」

「ええ。私自身、まだ結婚する気持ちにはなれないというのが本音で……」



 そう言ってふう、とため息をつくギルネードに、ジョージはやや怪訝そうな表情をうかべる。

 

「お主、あまり顔色が良くないのう。また食事もせずに研究に没頭しておったのじゃろ?」

「ははは……薬草のことになるとつい夢中になって。今日、ここに来たのも、ある植物についてローズ殿に尋ねたいことがあって来たのです」

「見合いから逃げてきたんじゃねえのかよ」


 牛の顔をした令嬢の写真をじとーと見ながら尋ねるアクラントに、ギルネードは肩をすくめる。


「理由の半分は見合いから逃れる為だが、もう半分は研究の為だ。魔界は去年、風邪が猛威を振るい亡くなった者も多い。春になり今は温暖な気候なので流行は止まっているけれど、次の冬が来たらまた流行する可能性が高い。私は一刻も早く、魔族にも効く風邪薬を完成させ……」


 バタンッッ!!


 台詞がぴたりと止まったかと思いきや、ギルネードは突然その場に倒れてしまった。

 白目を剥いて、ぴくりとも動かない兄にアクラントは怒鳴りつける。


「いきなり燃料切れ起こすな! 馬鹿兄貴」

「ギルネード殿は吸血鬼じゃからのう。人間界の日差しにやられたのじゃろう」


 丁度焼きたてのたこ焼きがのった皿を持ってきたローズは、その様子を見て目を丸くする。


「あらまぁ、せっかく一緒にたこやきを食べようと思ったのに。ギルちゃんの分はまた後で作りましょうかね」


 魔界を統率する魔王には、正妻の他にも愛妾がいる。

 アクラントは猫獣人を母に持つ第十王子。

 ギルネードは吸血鬼を母に持つ第八王子だった。

 吸血鬼は人間と同じような食事もするが、生物の生き血を糧にしている。そして太陽の光にとてつもなく弱い。

 故に、燃料切れの機械のように急に動かなくなることがあるのだ。


 アクラントは兄を両手で抱えて運び、客間のベッドの上に寝かせる。

 魔族は人間族よりも腕力があるため、大人一人横抱きに運ぶくらいはわけないのだが、それでも二階の寝室まで運ぶのはやや疲れる。

 アクラントはふうっと息を吐いてから猫の姿に戻り、窓の外へ出ると一休みすべく、日当たりの良い屋根の上で寝るのであった。


◇・◇・◇


 ギルネードとアクラントが眠っている最中、ジョージとローズの長女である公爵夫人、エマ=クリストフが娘のセリカを連れてやってきた。

 薬師であるセリカは、貴族の女性が着るようなドレスではなく、フードマントにドレスワンピースという宮廷薬師の制服を着用していた。

 しかし令嬢としての嗜みは心得ており、祖父母であるジョージとローズに向かって優雅な淑女の礼カーテシーをする。


「ご機嫌麗しゅう、お祖父様、お祖母様」

「おお、久しく見ぬ間にまた愛らしくなったのう。セリカは」


 セリカは目立つような美人ではないが、その笑顔は背景に花が咲くような可愛らしさに溢れている。

 ジョージとローズは目に入れても痛くないくらい可愛い孫娘の笑顔に頬がゆるみっぱなしであった。


「今日はお祖父様の前世のお話を聞きたく、参りましたの」


 息子であるイーサンと娘であるエマには前世の記憶が蘇ったことを手紙で知らせている。

 娘であるエマには【恵麻】、孫であるセリカには【芹香】という漢字の名前を書いた色紙を送っていた。

 特にセリカは漢字のことをもっと知りたい、と手紙に書くほど色紙の文字に興味を示したという。


「その前世の記憶をたよりに、この前たこやきを作ってみたのじゃ」

「タコヤキ、ですか?」

 

 首を傾げるセリカ。

 エマも聞いたことがない食べ物の名前に不思議そうな表情を浮かべた。


「お主らもたこ焼きパーティーに誘いたかったのじゃが、あの時は隣国へ行っていたからのう」

「ごめんなさい。せっかくお誘いいただいたのに。ちょうど家族旅行していた所でしたから」



 申し訳なさそうな表情を浮かべるエマに、ローズはたこ焼きがのった細長い皿をテーブルの上に置いた。

 エマとセリカは目を輝かせ、その料理をまじまじと見る。

 

「まぁ、丸くて可愛い!」とセリカ。

「それに何だかいいにおいがしますわ」とエマ。


 二人はピックに刺さったたこやきを手に取り、ゆっくりと口に入れる。

 あつあつ、とろとろな、たこ焼きにハフハフ言わせながらも、女性二人の目はさらに輝きを増す。

 セリカはたこ焼きを一つ食べ終えると一度お茶を飲んでから、ふうっと息を吐いて母親であるエマの方を見た。


「お母さま、この食べ物とても美味しいですっ!」

「本当に。でもどうしてかしら? 今まで食べたことがない味なのに、どこか懐かしいですわ」


 エマの言葉を聞き、ジョージは(おや……?)と思う。

 

(たこ焼きが懐かしいとな……エマの前世も、もしかして日本人じゃったのかもしれんのう)


 本当は思い出していないだけで、自分と同じように日本人の生まれ変わりというのはローズ以外にもいるのかもしれない。

 セリカは興味津々といった表情でジョージとローズに尋ねる。


「この食べ物はどうやって作ったのですか?」 

「簡単じゃよ。材料は小麦粉とだし汁とタコとネギとキャベツ、あと揚げ玉という小麦の粒を揚げたものを、くぼみのある鉄板に入れて焼くのじゃ。ローズさんがソースを作ってくれなかったら出来なかったことじゃの」

「ソースを作るのはとても大変でしたけど、本当に作った甲斐がありましたねぇ」


 セリカはそんな祖父母達の話を熱心に聞いていた。

 その様子にエマは一瞬だけ複雑な表情を浮かべた。

 ジョージはそんな娘の微妙な表情に気づき、訝しげな顔になるのであった。


「そういえば、アクラちゃんは今日はいないのですか?」


 セリカはここに遊びに来るたびに猫姿のアクラントの事をよく可愛がっていた。

 アクラントもまたセリカのことは姉か妹のように思っているようで、特に抵抗することなく大人しく撫でられていた。

  

「おう、そうじゃった。少し前に魔界からお客さんが来たのじゃが、日光に弱くて倒れてしもうたのじゃ。アクラに寝室まで運んで貰ったのじゃが、セリカ、ちょっと様子を見にいってくれんかのう」

「まぁ、それは大変ですね。もうお祖父様が手を尽くしているとは思いますが、念のため治癒魔法をかけておきますわ」

「そうじゃの。セリカの治癒魔法の腕は儂よりも上じゃからの」


 ◇・◇・◇


 

『ほら、あれが第八王子のギルネード様よ』

『噂通り美しい方ね』

『ねぇ、あなた声かけてみなさいよ』

『嫌よ、だって吸血鬼って伴侶の血を吸うんでしょ? しかも吸われた相手は吸血鬼になるって』

『じゃあ魔王様も?』

『魔王様は吸血鬼の女性を妾にしているようですが、持っている力が強大すぎて吸血化しないそうよ』

  


 魔王の第八王子として生まれた自分は、父親と母親をかけて二で割ったような美貌に恵まれていた。

 多くの者は自分の容姿を褒め称えてくれたものだが、それ以上のものはない。

 魔族の中でも吸血族はとても恐れられている存在だった。たまに社交界に参加しても遠巻きに見られるだけ。

 同じ吸血族の女性は末端の王子である自分には見向きもしない。魔王の新たな愛妾になることを望むか、王太子候補である上の兄の妻になることを望んでいる者が殆どだ。

 見合い写真は来るものの、いずれも社交界で自分を恐れていた令嬢ばかり。結婚してもうまくいかないことは目に見えている。

 それに研究に没頭するあまり、家庭を顧みない自分自身も容易に想像がつく。自分はそもそも結婚に向いていないのだ。

 今は、それよりも一刻も早く風邪の特効薬を作らないといけない。

 

 一刻も早く……。


 

 ふと目を覚ますと、ぼんやりした視界に若い女性の姿がうつった。

 彼女は安堵した表情を浮かべ、自分の額に手をあてる。


「良かった……気が付いたのですね?」


 凛とした声。

 だけど、こちらを気遣う温かみのある声でもあった。

 女性はまっすぐ伸びた銀色の髪、青い瞳、白い肌にはそばかすがあった。

 ぱっと見た目華やかではないが、よく見たら整った顔立ちをしている。着飾れば今よりさらに美しくなるような気がした。

 彼女は掌をギルネードの額に当てる。


「少しまだ熱があるみたいですね……」

「あ……」


 ドクンッと胸が高鳴る。

 そして女性の白い首筋に自然と目がいく。


(駄目だ……衝動的になっては)


 思った以上に日差しが強すぎたのか、身体はかなりのダメージを受けている。

 その為かいつもに増して血液を欲しているのだ。

 しかしどんなに飢餓状態でも、今までは理性で抑えつけて何とか我慢していた。

 目の前にどんなに美味しそうな獲物がいたとしても、衝動的になったりはしなかったのに。

 高鳴る胸を押さえつけるかのように胸に手を当てギルネードは訴えた。

 

「す……すみません……私から離れて……」

「どうしたのですか? とても辛そうですね……今、治癒魔法をかけますから」


 女性はギルネードの言葉がよく聞き取れなかったようで、苦しそうな姿を見て彼の胸に手をあてる。


治癒魔キュアヒー……」


 治癒魔法の呪文を唱えようとするが、呪文が言い終わる前にギルネードは女性を抱きしめていた。


「ど……どうしたのですか!? 何を」

「すまない」


 ギルネードは女性の首筋に口づけた。

 そんな場所に口づけをされたことがない彼女は驚きのあまり、反射的にびくんっと身体を震わせた。

 その反応にギルネードの消えかかった理性が蘇る。


「私から逃げるんだ……」

「ど、どうして」

「私は君の血を欲している……このままだと……」


 ギルネードは抱擁を緩める。

 何度か息をついて、心を落ち着かせようとするが、胸の高鳴りは止まらない。

 日差しのダメージにより、立っているのも辛い。

 今すぐ血をすすれば身体は回復し力も漲る。

 目の前にいる女性は心身共に清らかな女性なのだろう。男の吸血鬼が欲するのは綺麗な心と体を持つ乙女だ。

 そういった女性はとても美味しそうな血のにおいがするのだ。

 ギルネードの額に汗が浮かぶ。

 もう一度深呼吸をして心を落ち着かせようとした時、女性は何故かギルネードの背中に手を回した。


「辛いのでしょう? 私の血でよければ召し上がってくださいませ」

「何を……」

「私は役に立たない人間ですから。今苦しんでいるあなたのお役に立てたらとても嬉しいです」


 そう言ってぎゅっと抱きついてきた女性に、ギルネードは理性を失った。

 華奢な身体を抱きしめ、そして白い首筋に口づけると、そこに牙を立てたのであった。


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