第4話 なみだ味ドロップ


「ママぁ、ぼく、クルマのおもちゃがほしい」

「もうすぐ誕生日でしょ?もう少し待って」

「やだよぉ、今ほしい!」

バス停に立つ駄々っ子と母親の隣を早足で通り過ぎる。

 風の冷たい冬、遅刻ギリギリのわたしはふと昔を思い出していた。


 12歳の誕生日突然現れた少年がまた突然に消えたあの日から5年の月日が流れた。

 高校3年生、受験を目前に控えている。


 まだ、彼の声さえ頭の中に瑞々しく残っていた。


 脳裏に灼きつくまぶしい姿を思い出し、ふぅっと息を落としたとき、誰かに服の裾を引っ張られた。

「ぅえっ!?」

くるり振り向くと、さっきのバス停にいった少年がほほ笑んでいた。―――だれかを思い出す優しい笑顔だった。

「おねぇさん、おとしたよ」

そういう彼の小さな手元にはソーダ味の飴玉が握られていた。

「あっ」

慌てて鞄を見ると、飴玉を入れている瓶のフタがすこしゆるんで中身がこぼれていた。

 ラビィが置いていったガラス瓶。今は色んな味の飴玉をいれて、ある意味わたしのお守り代わりだった。ちゃんと閉めたつもりだったんだけど――…

「ありがとう」

しゃがんで目線を合わせた。くりくりと大きな目をしていて、とても愛らしい。

 彼は自身の小さな手ににぎられた飴玉を見て、にこりと笑った。

「なみだ味だねぇ」

  どくんっ

心臓が、大きく跳ねる、音がした。


 母親が慌てて我が子の間違いを指摘する。

「あぁ、ごめんなさい!この子ったらどういうわけかソーダ味を『なみだ味』って言うんです」

随分焦った声色で彼の肩を引く母親は、身内以外に間違いを晒すのが恥ずかしい様子だった。

 しかしわたしの眼前には、あの日、ラビィを連れ去った金色の風が吹いていた。


「―――…っふ」

気付けばなみだがすべり落ちていた。

 突然顔を腕にうずめたわたしを見て、母子ともに「だいじょうぶですか!?」と慌てた様子で手を伸ばしてくれた。

 なみだをぬぐって顔をあげる。「ごめんなさい」と謝った。

「知人と…重なりまして」

ほほ笑む。少年も一緒にほほ笑んだ。

「あっ、そういえば」

言いつつ鞄をまさぐる。

「さっきお話聞いちゃったんですけど、ボク、誕生日なんだよね?」

「こっちは落としちゃったからアレだけど」、つぶやきながら小さな手のひらに乗る飴玉をそっと取り、ガラス瓶からメーカーは違うが同じソーダ味の飴玉を出した。

美味しいよ」

開いたままの手のひらにちょこんと乗せた。少年は「しってる」と笑った。母親は恥ずかしそうに顔を赤らめていた。――からかったつもりはなかったのだけれど。

 そっと立ち上がる。スカートに付いた塵を軽くはたいた。

「じゃあ、またいつか感想教えてね」

お母さんが後ろで頭を下げる。私も軽く会釈し、踵を返した。


「あっ…―――」

少年の小さな声がして振り向く。それと同時に風が吹いた。

「おねぇさん、なまえ、なんていうの?」

「え?」

彼は少年らしく明るく笑った。

「いつか『感想』いうんでしょ?」

その真剣な眼がすこし可笑しくて、すごく嬉しかった。

「相原…優歌ユウカっ!ボクは?」

にこっとほほ笑む。――間違いなく、あの妖精の見せる優しい笑顔だった。

高橋たかはし来枇らび!」

息がつまる。またなみだがあふれてきたけれど、笑顔で隠した。

「わかった、ラビくん」

大きく手を振った。

「待ってるよ!」

彼も同じように手を振る。短い腕で、一生懸命。

「うん!またね、ユウカ―――!」

お母さんがたしなめる声が聞こえる。

 久しぶりに聞いたわたしを呼ぶ声は、記憶よりずっと幼く、瑞々しかった。



*** *** ***



 それから、私が就いたお菓子メーカーの面接に、ソーダ味の飴玉を「お守りだ」と握りしめた青年がやってくるのは、まだずぅっと先のこと―――――。

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なみだ味ドロップ 榎木扇海 @senmi_enoki-15

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