後日談~ツタンカアメンの独り言~
あなたを想うこの気持ちを、どんな言葉で表せばいいだろう。
病に伏した父、アクエンアテン王の死が間近に見えた、十年前のあの日の夜。私は、松明の灯りが揺らぐ冷たい廊下の片隅で、独り俯いていた。
混乱を極める国を背負うには、私はあまりに幼く頼りなく。明日への不安と恐怖が、目に映る全ての物に宿っていた。そのザラついた景色を遮るように私の前に跪いたあなたは、私の手を取り、こう言った。
「殿下の恐怖を私にお預け下さい」と。
「私が道を作ります」と。
「例えアケトアテン*1がケメト*2の地から消えようとも、あなたの居場所は、決して無くさせはしない」と。
その大きな掌を私の胸に押し当て、微笑んだ。そんなあなたの
あなたは異例のぺル・アア*3だ。
幼い私や私の姉達の代わりに、ケメトを統べる者の象徴――その冠を、大神官の手を借りる事なく自ら頭におさめた。
民からの歓声も、神殿や貴族らからの祝福も無い日常の風景の中、たった一人で陽の光の下に歩み出てゆく孤独な即位。しかし、私の前を通り過ぎる時にくれた静かな笑みと、その広い背中は、最盛期のアケトアテンとともに燦然と輝いていた父王よりも、名工が形作ったどんな太陽神の象徴よりも、まぶしく見えた。
あなたは私の光であり、道しるべであり、勇気だった。
私は弱かったけれど、あなたがいる事が、明日に立ち向かう力をくれた。
あなたの様になりたいと願った。
神の子ではなく、王者でもなく、ただ、ケメトとそこに住まう人々に尽くす一人の人間としてのあなたの生き様に、心から憧れた。
ケメトの混乱は、父が始めた宗教改革の成れの果てだ。加えて女子供ばかりの王家は、民衆に見放される寸前だった。
私達とは
実際、あなたが生み出したのは私の道でも、居場所でもない。私の未来。ケメトの未来。民の未来。そして、神々の未来だ。この世の全ては、ここワセト*4の宮殿から砂漠の砂粒一つに至るまで、あなたが描いた未来の中に存在している。
今あなたは、安息の世にいるのだろうか。それとも、神々に功績を讃えられ、あなたが好きだった
星になったのならば、こうやって窓辺から夜空に向かって手を伸ばしている私の姿が見えているのだろうか。
都の灯りを水面に映しているナイル川の輝きが、見えているのだろうか。あなたが築いた礎の上に栄えているこの国の賑わいが、聞こえているのだろうか。
あいも変わらず、私は杖が手放せない。斜めに
けれど、私は大きくなったよ。あなたから医術を学んだ彼に幾度も命を救われながら、時には涙を拭かれながら、肩を支えられながら、今日、十九回目の誕生日を迎えた。もう誰も、私が玉座に座ることに不満を言わない。
あなたのいない歳月は、体だけでなく私の心も成長させたけれども、あなたを失った悲しみは、まるで癒えない。
私は、あなたの死に顔を知らない。遺品も持たない。だから、ただもう二度と会えないという事実だけが、私を支配し続ける。
逞しくなったこの両手で、あなたの両手を包みこみたい。
あの日、私を力づけてくれたあなたのように、今度は私からあなたに微笑みかけたい。
私と同じだけ歳をとったあなたと向かい合い、かつてのあなたの苦しみを、
この
あなたが、生きていたならば。
あなたを想うと、色んな感情が胸を満たす。
私を生かしてくれた感謝の気持ちと。
あまりに突然に先立った事への怒りと悲しみと。
幼い頃、あなたに縋ってばかりだった罪悪感と。
あなたを失った、喪失感と。
それら全部を抱いたまま、あなたに会えない日々をも愛おしむ事ができたなら。
ケメトの明日をくれたあなた。
強い私をくれたあなた。
幻の賢王、スメンクカーラー。
「――レイ。私の中にある一生分の敬愛を、お前に捧げるよ」
~完~
ツタンカアメンのミイラの年齢は、十九歳前後と推定されています。
死因は特定されていませんが、現在はマラリア感染による死亡説が有力です。
*1 アケトアテン:アマルナ時代の都。アクエンアテンの治世下で栄えた。
*2 ケメト:エジプト
*3 ぺル・アア:ファラオ。古代エジプトの王
*4 ワセト:アマルナ時代を終えた遷都先。テーベ。アマルナ時代の前まではエジプトの都だった。
ネフェル・シュマトは歌う みかみ @mikamisan
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