【4-27】 ここらで、ブレギアの小僧の鼻をへし折るか

【第4章 登場人物】

https://kakuyomu.jp/works/16817330657005975533/episodes/16818023213408306965

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 帝国軍合同戦略会議は、間延びした空気に包まれはじめていた。


 脂の塊のような息子が、自らの手柄を誇るような報告など、ネムグランにとってはどうでもいい話だった。それがだらだらと20分も続く。


 ――論点を押さえて話すことができんのか。

 右手で頬杖をついたネムグランは舌打ちを繰り返し、義理の息子に対する嫌悪感を全身で表わすようになっていく。


 その様子は、進行役のマクアークをはじめ周囲の重臣たちにも伝わっていき、彼らは次第にオーラム父子の顔を交互に見比べはじめた。


 しまいには、この大広間でそれに気が付いていないのは、アルイル本人だけになった。本筋の報告が終わっても、いつまでも気持ち良さそうに枝葉末節を口にしている。


 帝国宰相嫡男アルイルは、セラ=レイスとその一党が立案・実行した作戦の報告を通じて、軍記物語か何かのように酔いしれていく。しまいには、全て己が手掛けたものと思考回路が倒錯してしまったのである。


「……というわけでございまして、つきましては、ん?な、なんだ」


 脇に控えていたターン=ブリクリウ大将が、主人の袖を引きを中断させる。テーブルクロスには、宰相嫡男の唾液の飛沫が小さな染みを作っていた。



「で、我が軍の損害はいかほどだ」

 ネムグランは、好意のかけらもない声で息子を問いただした。


 不意に重低音の響きにさらされるや、アルイルは動揺し硬直した。


 このは、物心がついた時から父親が苦手のようだ。威厳と尊厳の塊のような父の声を浴び、彼は思考言論に支障が出るほどあがってしまった。


「え、えー、そ、そ、それについてはですね……」

 この程度の質問であれば、傅役もりやく・ブリクリウの用意した万全な資料のなかに解答がある。だが、狼狽し頭のなかが空白となったアルイルは、吃音を起こすばかりであった。


 肥満した息子は、資料を1枚1枚乱雑に確認しているが、父の求める数字が見つからないようだ。記載があるのに視界に入ってこないのかもしれない。


 額から大粒の汗が流れ落ちる。


 先ほどまでの鈍感ぶりは、微塵も感じられなかった。否、あえて己の感覚を鈍らせ、に逃避したのも、恐ろしい父親から目を逸らせたい――その一心から来たものかもしれなかった。


 落ち着きを失った肥満体に、痩身の傅役が再び近づく。整髪油で黒々と固めた頭部を近づけ、賢しらげに耳打ちし、そっと紙片を手渡す。


「な、7,800です、7,800名の死者を出しました」

 アルイルは紙片の数字を読み上げるだけであった。


 ネムグランは、ひときわ大きく舌打ちして眼を閉じた。それが狼狽するだけの嫡男に対してなのか、7,800もの損害を出した現場の首脳部に対してなのかは、この広間の者たちには判断がつきかねた。



 7,800名のうち、その9割はくだんのセラ=レイスが先任参謀に返り咲く前に命が尽きていた――そうした事情をネムグランは把握している。


 死者だけでなく、兵士としての役目を果たせなくなった重傷者も含めれば、その数は3倍近くにのぼることだろう。


 それだけの数の兵を1人前に育てるには、膨大な月日と費用を要することについて、軍人出身の宰相は心得ていた。だからこそ、この数字の重みも分からぬ低能な息子が不愉快でならないのだ。


 ――小賢しい助言ばかりしおって。

 ネムグランは、狐面の傅役を一瞥いちべつする。死傷者ではなく死者だけの数で総数を抑えようとするなど片腹痛い。


 最近の狐面は、東岸領だけでは満足せず、この帝国本土にまで触手を伸ばしつつある。シャノン地区の洪水についても、ブリクリウ派閥の業者が安価な請負料で堤防補修業を奪ったことによる混乱が、引き金となっていた。


【4-23】 帝国宰相

https://kakuyomu.jp/works/16817330657005975533/episodes/16817330662345786997



 しかし、この絶対権力者にとって、兵卒の命は数で把握すべきものであった。


 冷淡な彼の思考回路は、その程度の損害であれば、帝国本土の兵力で埋めることは十分に可能であると、にわかに弾きだした。


 予想以上の損害を生じたとはいえ、ヴァナヘイム国は消し去ることができた。これで、イーストコノート大陸東方への進出路が開けたのである。


 次に狙うは、シイナ国の肥沃な土地に潤沢な市場マーケット、それに豊かな鉱物だ。


【世界地図】 航跡の舞台 ブレギア国編 第4章追記

https://kakuyomu.jp/users/FuminoriAkiyama/news/16818093075431061948



 だが、その前に――旧ヴァナヘイム領の先、草原の蛮族どもの傍若無人ぶりが目にあまった。


 国境付近という辺境地区とはいえ、エルドフリーム以下、複数の城塞砦を奪われ続けている。


 また、併合したばかりとはいえ、帝国領となった都市に火を放たれ、万を超える民が住む家を失った。これらを放置していては、帝国の威信に関わる。



「……ここらで、ブレギアの小僧の鼻をへし折るか」

 帝国宰相は独語した。まだ落ち着きを取り戻さない肉塊我が子などに目もくれず。


 ネムグランは、花見にでも行くような気軽さで述べたが、大広間の者たちの間にたちまち緊張が走った。



 こうして、帝国軍によるブレギア討伐作戦が発令されたのである。





【作者からのお願い】

この先も「航跡」は続いていきます。


帝国がガチでブレギア領侵攻を決しました。この先の展開が気になる方、

総大将は誰が任命されるのかと気になる方、

🔖や⭐️評価をお願いいたします

👉👉👉https://kakuyomu.jp/works/16817330657005975533


ネムグランたちの乗った船の推進力となりますので、何卒、よろしくお願い申し上げます🚢



【予 告】

次回、「ブレギア領侵攻の総大将は」お楽しみに。


大広間には、アルイル=オーラムだけが残っていた。


ブレギア攻略を任されなかった帝国宰相嫡男は、一方の肩を落とし呆然と立ち尽くしている。頭髪は大いに乱れたままであった。


乱暴にページを繰った資料は皺だらけとなり、さらに大粒の汗を吸った紙は変色していた。


巨大な柱時計が正午を告げる。鐘の音は、いつまでも室内に鳴り響いていた。

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