【4-23】 帝国宰相

【第4章 登場人物】

https://kakuyomu.jp/works/16817330657005975533/episodes/16818023213408306965

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 五大陸七大海に覇を唱える帝国。


 その都・ターラは、うららかな春光に包まれていた。


 帝都は第7城壁から先の深淵部――そこには森が広がっている。それは手つかずの自然物ではなく、木々や小川や池が計算のうえ配された人工物であった。


 同じ帝国本土でも、ここからはるか北方の諸都市では、急速に工業化が進んでいる。工場という工場、煙突という煙突から立ち昇る黒煙・煤煙が空を覆い、パイプというパイプから吐き出される汚水・濁水が河川を満たしていた。


 だが、それらの存在を忘れるほど、この都心では青空がひろがり緑があふれている。煤煙で肺を病み、泥水で身体を麻痺させた庶民の溢れる諸都市とは、ここは別天地であった。



 木々を抜けると、丘の先まで芝生が続いている。緑の絨毯を南北に貫くは馬車専用の石畳であろう。その幅は車両がゆうに5台は並走できるほどのゆとりがあった。


 馬車道を進み丘上に抜けると、大きな噴水に出くわす。


 澄んだ一番水を惜しげもなく噴き上げる石造りの獅子――その視線の先に、青天を背負う巨大な建造物が姿を現した。



 帝国権力の総本山・宰相府である。


 天文学的な数の煉瓦を用いて造られたそれは、4層構造だ。だが、1層あたりの天井高は恐ろしくゆとりがある。


 東西にわたる煉瓦の壁面は、建物から相当離れなければ、全容を視界に収めることができない。帝都には4層以上の建物は多くあったが、総じてここまで大規模かつ豪壮なものは他に例がない。



 最上階中央の宰相執務室では、ネムグラン=オーラム元帥が、報告官たちの読み上げる国内外の情勢に福耳を傾けていた。豪奢な椅子に恰幅の良い体を大儀そうに沈めながら。


「……以降、掃討戦に移りましたが、グラナダ艦隊の船足は速く、アンクラ王国艦隊は追撃を諦め、王都・アマディスへ針路を採ったとのこと……」


 ネムグランは傍らのティーカップを手に取る。従卒の淹れた紅茶をすすりながら、執務前に各種報告を聞くのが、帝国で位人臣を極めた男の日課であった。


「……とするよう、通達を出しております。続いてシャノン地区の水害の件ですが、上流の区域では断続的に降雨が続いており、復興の目処は立っておりません」


 室内には、すがすがしい朝陽が差しこんでいる。分厚い天板デスクの片隅に飾られた写真立てでは、淡い金髪の美少女――愛娘・コナリイ=オーラムが、二ッとほほ笑んでいる。


「天候が回復し水位が下がり次第、ただちに堤防の修復に取りかからせます。被災民への援助物資については、既に今年度の予算を大幅に超えており……」



 帝国暦386年3月23日の朝も、報告は軍事面から内政面まで――ケリイ湾沖での艦隊戦から、シャノン地区での水害まで――多岐にわたっていた。


【世界地図】 航跡の舞台 ブレギア国編 第4章追記

https://kakuyomu.jp/users/FuminoriAkiyama/news/16818093075431061948



 ケリイ湾には、アンクラ王国を支援すべく、帝国海軍も艦隊を派遣していたが、開戦に間に合わなかった。ベルファスト岬沖で民間船舶を避ける際に、味方艦同士で衝突事故を起こしたため、艦隊の集結に予定よりも多くの日数を要してしまったのだ。


 中央航路が時化しけのため、沿岸航路に客船・輸送船が集中しているとの注意をエリス軍港管制室が打電している。それを受電していながら、帝国旗艦の幕僚たちが軽視したために生じた事故であった。


 シャノン地区の洪水は、流域の領主たちがわずかな人夫供出をいやがり、治水を担う施工業者を改めたことが被害の拡大につながっている。


 堤防の脆弱箇所や、流域の浚渫しゅんせつポイントについて、新旧施工業者間で申し送りがなされなかったのだろう。仕事を奪った側・奪われた側、双方の複雑な心情がうかがえた。



 最後に、ブレギア軍草原の蛮族の動静について報告が及ぶ。


「3月20日、ザブリク城塞陥落の報を受け、ビレー中将率いる援軍先鋒はノーアトゥーンに向けて引き揚げを開始しました。同23日、アトロン大将の中軍も備えを解かずして、それに続いています」

 アトロン老将が隙を見せずに整然と引き揚げたくだりには、報告官も帝国人として誇らしく思う。


 だが、打ち捨てられ、隙だらけとなった村落は――。

「ブレギア軍はザブリク城下になだれ込み、放火に及んでおります」


【地図】ヴァナヘイム ブレギア国境 航跡 第2部 第4章

https://kakuyomu.jp/users/FuminoriAkiyama/news/16818023214098219345



 東の窓からの朝陽が逆光となり、帝国宰相の眉間の皺を強調する。


 海戦も洪水も蛮族対策も――どれもこれも帝国は後手を踏んでいた。


 報告官が己の職務を可能な限り早く放棄したいと願うほど、今朝の宰相閣下の御機嫌は悪そうである。


「折からの西風にあおられたため、延焼被害は甚大となっております。街の8割が焼かれ、家屋を失った民衆は万を超えるとのことです――」


【4-22】 ザブリクの3日囲い 下

https://kakuyomu.jp/works/16817330657005975533/episodes/16817330667105127375



 ネムグランが受け皿の上へ乱暴に置くや、ベリーク産の白磁のカップがヒステリックな音を奏でる。


 報告官は思わず後ずさった。しかし、宰相室の赤い絨毯は弾力よく沈み、金糸と銀糸で巧みになされた刺繍に己の足もからめとられたような錯覚に陥る。


 それでも、彼は平衡感覚を失いながら、この朝も職務を完遂したのだった。しかし、その日の昼過ぎまで、自身の言動について記憶が曖昧になってしまう。


 絶対権力者の側に務める心労たるや、筆舌に尽くしがたいのだ。






【作者からのお願い】

この先も「航跡」は続いていきます。


帝国最高の権力者の登場に驚かれた方、🔖や⭐️評価をお願いいたします

👉👉👉https://kakuyomu.jp/works/16817330657005975533


ネムグランたちの乗った船の推進力となりますので、何卒、よろしくお願い申し上げます🚢



【予 告】

次回、「正義の勝利」お楽しみに。


様々な集会では、帝国の掲げる「正義の勝利」に対する不平不満が勇ましく叫ばれたが、その議論は劣悪な労働環境に移り、明日食べるパンについての不満にいつも帰結した。


つまり、生命の維持に支障をきたしはじめたがゆえに、人々は政治的不満を叫びだしたのだ。


帝国軍をさんざん悩ませた英雄・アルベルト=ミーミルの人気は、どこの集会所でも絶大であった。帝国軍が、ミーミルの身柄を確保できていないことは、「『正義の勝利』セレモニー」でも明らかになっている。

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