エピローグ

最終話 君が描く物語で幸せになりたい。

 *


「……こっ、ここは……っ!」

 目が覚めると、見覚えのある病室があった。窓ガラスに反射する僕の顔は、高校生というよりかは老け込んでいて、ここが現実世界であることを教えてくれた。

「……戻った、のか」


 現実味がある背景も、無機質なこの空間も、空っぽな僕も、何もかも、元通りだ。

 ……いや、今までの出来事は全部僕の夢で、もしかしたら何もかも気のせいだったのかもしれないとか、一瞬思ったりもした。けど、そんな思いはすぐに破られることになる。


 意味もなく辺りを見渡すと、ベッドの側にある棚に、慣れ親しんだ文字で「つがゆうへ」と書かれた一通の角型二号の封筒と、最後のつもりで買ったチューリップグラスの入った包み、僕のスマホがあるのが目についた。


「……夢じゃ、なかったってことか」

 続いて恐る恐る、封筒を開けると、漫画の原稿用紙が入っていた。それもついさっきまで、僕が過ごしていた世界の、漫画だ。


 食い入るように、僕は原稿をめくっていく。平井さんも、榎戸君も、酒々井さんも、小岩君も、もちろん、自らを登場人物にした笑菜も、ページのなかで高校生活を過ごしている。ただ、漫画のなかに、僕の姿はない。それ以上に、気になったのは。


「……台詞が、一切ない?」

 吹き出しに、入るべきキャラの言葉や状況説明が、何ひとつ書かれていなかった。それは、平井さんと榎戸君の章、酒々井さんと小岩君の章でも、どれも同じだったし、笑菜の言う通り、全ての章が未完だった。彼らの問題は、何ひとつ解決していないままだった。

 不可解な気持ちになりつつも笑菜の漫画を読み続けると、やがて最後のページにたどり着く。


「……どういうこと?」

 結局、全てのページで、文字という文字が書かれなかった。首を捻り、ラストのページをめくると、すると、

「……っ!」

 卒業式の日、笑菜が描いた黒板アートが、そこには描かれていた。両脇に咲く桜の木も、真ん中に立つ少女も、何もかも同じで、しかし、


 君が描く物語で幸せになりたい。


 初めて登場した、台詞がそれだった。

「……なんだよ、なんでだよっ」

 自然と、想いは溢れてきた。熱いものが、こみあげてくる。


「なんで、僕なんかを、必要としたんだよっ……」

 原稿を持つ手も、震えてしまう。

「そんなの、そんなの……っ! 反則じゃないか……!」


 言ってしまえば、この漫画そのものが、手紙になっていたんだ。僕に、もう一度創作をして欲しいっていう、メッセージを込めた。

 笑菜からの、最後の手紙。

 別に、文字だけがストーリーを示すだなんて横暴なことを言うつもりはない。でも、それでも、文字を書かないってことが、あまりにも分かりやすかったんだ。


 もし仮に、僕が漫画の世界に行くなんて経験をしなくても、笑菜の想いを伝えられるように。

 そして、ページの片隅にそっと書かれた、笑菜のペンネームの、菅田ゆすく。けど、ここに限っては、なぜかその後ろにローマ字表記されたものと、一言のメッセージが記されていて。


 Sugata-yusuku 巻き込んじゃって、ごめんね。

 その文字列を見て、少しの間思考を巡らせると、僕の体に電流が走る。

「……こ、これっ……!」


 並び替えたら、僕の名前になるんじゃ……。

 間違いない。笑菜が、こんなことを偶然で起こすわけがない。このペンネームは、彼女がプロとして連載を始めるにあたってつけたものだった。

 それは、つまり僕が笑菜と創作に対して距離を取ろうとした時期。


「……なんだよこれ、なんだよ……! これ……!」

 最初っから、笑菜は僕に伝えようとしていたんだ。

 僕に、筆をまた執って欲しいって。

 なのに、僕はそれに気づくこともせず、気づこうともせず。


 涙が、止まらない。真っ白なベッドに、布団に、ポツポツと染みが広がっていく。

「……ぁぁぁ! なんで、なんで、僕のほうだったんだよ……!」

 僕のいる病室から声がすることに気づいたのか、看護師さんが慌ただしく駆けつけてきては、先生を呼ぶ。ただ、看護師さんも、僕が手にしていたものを目にして、その意味を察してくれたのか、特に咎めることはせず、そのままにしておいてくれた。

 涙が枯れたのは、それからいつのことだっただろうか。もう、覚えてすらいない。


 ****


 いつも、君は僕の一歩先を進んでいた。それは、歩いていたり、ちょっとだけ小走りだったり、あるいは置いて行かれそうになるくらいの速さで走っていたり。

 そんな彼女の背中を、僕はいつも追いかけていた。


 ちっぽけなパソコンの画面と、原稿用紙、あるいはタブレットの液晶で、僕らは繋がっていた。それは、夢か、あるいは恋と見間違う時間だったかもしれない。

 でも、君の言うように、そんな単純な言葉では表現できないくらい、僕らの関係は腐っても切れないまさに腐れ縁だった。


 君が残した一方的な約束を叶えるのに、何年かかっただろう。あるいは、まだ叶っていないのかもしれない。無茶振りを平気でする君のことだから、空の向こうで「んー、まだまだかなー、つがゆう」とか言っているのかもしれない。


「……でも、もう、いいよね?」

 約束から、何年経っただろう。もう、正確な数すら、わからないくらい、長い時間が経ってしまった。その間も、色々なことがあった。

 必死だった。彼女の願いを叶えるために、とにかく必死だった。


 人生ってやつは、もしかしたら必死になれる量が人それぞれに決まっていて、その量を使いきると……とかそんな馬鹿なことを考えたり。だから、よく言われるみたいに高校や大学の数年間は密度が濃く一瞬で過ぎてしまうんだろう。そして、その一瞬の時間を、青春と呼ぶんだ。


 いわば、あれからの僕は、君が命がけで与えようとしてくれた「三回目の青春」ってものを送らせてもらったのかもしれない。

「……あっという間だったよ……」

 けれど、その三回目の青春も、もう、終わりみたいだ。

「……やれるだけのことは、やったよ、僕は……」

 規則正しい機械音が、やがて遠くのものになっていき、薄らいだ視界もぼやけていって、そして──


「──あっ、つがゆう、やっと来たよー。もう、待ちくたびれたー」

「……あの、今度はどの世界に連れて来られたんですか? 僕」

「え? 今度は正真正銘の天国かな? もー、つがゆう長生きしちゃうからさ、私首をながーくして待ってたんだからー」

「そ、そんなこと言われても……」


「うん。知ってる。頑張ってくれたんだよね、自分のために。いくらでも待ったよ。それで、つがゆうが幸せなら、何年何十年でも」

「ご期待には添えたでしょうか、僕は」

「…………。期待以上、だったよ。つがゆう」

「そっか。それなら、良かった……」

「……ありがとう。それ以外に、言葉が出てこないや、わたし」


 そう呟いたのち、浮かべた笑菜の満面の笑みを見て、僕はようやく、君の願いを叶えることができたんだって、実感することができたんだ。それと同時に、


「さっ。せっかく天国でも会えたんだから、こっちの世界でも気張って漫画描いてこー」

「……う、嘘でしょ……?」

「だって、つがゆうがいない間、漫画になるような話の種、たくさん温めたんだよー? 形にしないともったいないってー」


 まだまだ腐れ縁の彼女との時間は、終わることをしなさそうということにも、気づいたんだ。

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【改稿版】君が描く物語で幸せになりたい。 白石 幸知 @shiroishi_tomo

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