ヒマリノ世界〜竜の国から〜
加藤ゆたか
ヒマリとユイナ
「どうしてって? あなた才能無いのよ。魔力ゼロ。この前の子とは違う。私は無意味なことはしないの。」
「そんな……。」
それでは話が違う。
ヒマリはそう言いかけて口をつぐんだ。
魔女マリーが鋭い眼光でヒマリを睨み付けていたからだ。
「今後の試練の内容は変えるわ。私の大切な時間を、こう何度も邪魔されたら堪らないから。」
マリーはそれだけ言うとヒマリたちをその場に残し、根城としている塔の奥へと消えた。あとに残された『マリーの従順なシモベ』と呼ばれていた美男子が、ヒマリたちを丁寧なしぐさで、しかし有無を言わさない態度で出口へと案内しようとする。
従うしかなかった。魔女マリーの魔法の前では竜族の男、アースクラウンでも敵わないと言われていた。マリーを従わせられるのはただ一人、ダリアの王ケイエンだけ。
それに……。
「私、魔力ゼロだって……。ははは。どうしよ?」
ヒマリはどうしたらいいかわからず、アースクラウンの顔をうかがうように聞いた。ここで食い下がっても、無理なものは無理なのかもしれない。魔力がなければ魔法は使えないのだ。それは異世界転移してきたヒマリにも想像がついた。
「くそっ、マリーの野郎。」
ヒマリの目に映ったアースクラウンは怒りを必死に抑えている様子だった。手にはマリーから受け取った『ケイエンへの請求書』が握られていたが、アースクラウンの握力でぐちゃぐちゃに潰されている。きっと普段の彼の姿を知らなければ恐怖で震えあがっていただろう。人間の姿を借りていても隠しきれない迫力が竜族にはある。
アースクラウンはフーフーという荒い息を何度か繰り返し、やっと落ち着いたところでヒマリに言った。
「悪かったな、ヒマリ。お前は確かに試練をクリアしたのに。」
「ううん。大丈夫。」
アースクラウンのヒマリを見る瞳は一転して優しい。
それは最初からそうだった。自分を助けてくれたあの時から。
「いったん帰るぞ。いいか?」
「うん。」
アースクラウンがその姿を大きな黄色い竜に変える。これがアースクラウンの本来の姿である。
ヒマリはアースクラウンの背に乗った。ヒマリの周囲を風が包む。この風はアースクラウンの魔法だった。ヒマリを振り落とさないようにと配慮してくれたものだ。
空高く飛び上がったアースクラウンの背からは遠くの山まで見通せた。さっきまでいた魔女マリーの塔に、これから向かう小国ダリアの町並みも一望できる。
ここは自分のいた世界とは何もかも違う。本当に異世界に来たのだ。ヒマリの頬はなぜか興奮で朱に染まっていた。魔法が得られなかったのは残念だけど、きっとなんとかなる。ヒマリは望みを手放してはいなかった。
◇
ヒマリが寄宿学校に戻ると、ミサを筆頭に同年代の少女たちがすぐに集まってきてヒマリを囲んだ。
「おかえり。ヒマリ。」
「ただいま。ミサ。」
「私たち、ヒマリの無事を聖女様に祈ってたのよ。」
「ほんと!? ありがとう。」
寄宿学校の少女たちはヒマリが魔女マリーの試練から無事に戻ってこられるように祈ってくれていたのだ。ヒマリは嬉しい気持ちになって、やっと緊張の糸を解くことができた。
ヒマリの無事を確認した少女たちは安堵し喜んだが、マリーの試練の結果を聞くと「ああ……」と一同に落胆の声を漏らした。
「残念だったね、ヒマリちゃん。」
「うん。ガッカリしたけど、しょうがないって思うことにするよ。」
「でも、魔女マリーなんて私、恐ろしくて。ヒマリちゃん、勇気あるね。」
「確かに恐かったけど、アースクラウンもいたし。」
またヒマリの言葉に少女たちがざわめいた。
「アースクラウン! 王宮のドラゴンね! すごい!」
「ねえ、ヒマリちゃんってもしかして王族の関係者?」
「そりゃそうよ。普通はマリーの試練なんて受けられないもの。」
「それじゃあ、ユイナちゃんも?」
「え? え? え?」
彼女らの話は思いもしない方向に脱線してきてヒマリは答えに困った。異世界転移のことは話せない。では、自分は何者だと説明できるのだろうか? 少女たちは一様に興味津々という目でヒマリを見てくる。
「ほら、みんな。ヒマリが困ってるでしょ。疲れてるんだから休ませてあげて。」
何も答えられないヒマリに、ミサが助け船を出してくれた。そこで強制解散となり、少女たちは各々の部屋に戻っていった。
みんなが部屋に戻るまで睨みを利かせてくれていたミサにヒマリが声をかける。
「ありがとう、ミサ。」
「ううん。ヒマリには助けてもらったし当然。」
ミサにはあの時のアースクラウンとの会話を聞かれている。だからミサはヒマリがこの世界の人間じゃないことに感づいているかもしれない。ミサにだけは話してもいいかどうか、アースクラウンに相談してみようとヒマリは思った。危険なことには巻き込みたくないが、ミサに嘘はつきたくなかった。
「やっぱりユイナは特別ね。」
「そうだね……。」
ミサは知らないことだが、ユイナもヒマリと同じく創成の魔法使いの魔法により異世界転移させられた少女で、ヒマリよりも一ヶ月ばかり早くこの世界にやってきていた。
ヒマリがこの世界に来る前、ユイナはヒマリと同じく魔女マリーの試練を受けて合格し魔法を授かっている。
「あー、私も魔法欲しかったなぁ……。」
「私もヒマリなら魔法が使えるようになるって絶対思ってたよ。っていうか、とっくに使えるんだと思ってた。だってバビューンってさ、あの時のヒマリはカッコよかったし。」
「ふふふ。なあに、バビューンって?」
「ええ? ほら、こうやってこうしてたでしょ!」
ミサが腕を振って変なポーズをしてみせる。
あれれ、そんなことしてたっけ?
あの時のヒマリはただ夢中になって魔物をかわし、落ちていた石を拾って投げただけだ。ただ、それが元の世界のヒマリでは考えられないほどの俊敏性と、プロ野球選手でも出せないようなスピードと正確性での投石であっただけで。
ヒマリ自身だってあれが魔法じゃないなんて未だに信じられない。でもヒマリの魔力はゼロ。魔女マリーにははっきりそう言われてしまった。
「今日はゆっくり休んで。」
「うん。」
ミサが帰るとヒマリは自室でやっと落ち着いた。この寄宿学校は各個人ごとに部屋が分かれている。一人の静かな時間は、否応なしにヒマリに家族のことを考えさせる。この世界に来てまだ一週間なのに、ヒマリはもう家族に会いたくてしょうがなくなっていた。ヒマリたちを元の世界に帰そうと尽力してくれているアースクラウンやドラゴンプリンスたちの手前、人前ではそういう気持ちは出さないように我慢していたが……。
ヒマリは落ち込む気持ちを振り払い、これからのことを考えようと思った。
幸い、この異世界に来てから、以前よりも前向きになっているとヒマリは感じていた。心の余裕は無いけれど、やるべきことは目の前に提示されている。まずは創成の魔法使いを追跡するのだ。
でも、それはアースクラウンにはまだ言っていない。きっと心配するに決まっているし。本人たちはおおっぴらには言わないが、アースクラウンはいわゆるヒマリの監視役だ。異世界から来た自分たちに自由に行動する権利は与えられていない。それはヒマリも理解していた。
◇
ミサたちが学校の授業を受けている間、ヒマリは暇をもて余していた。
この世界の文字も知識も持ち合わせていないヒマリは授業を受けられないし、他の少女たちに変な疑念を抱かせたくもないという配慮である。あくまで、ヒマリはここに匿われているだけだった。
「でもこれってユイナちゃんと二人きりで話すチャンスだ。」
おそらくユイナもヒマリと同じ境遇。この敷地内のどこかにいるに違いない。
ヒマリはひょいっとジャンプして寄宿学校の塀の上に飛び乗った。きっと今のヒマリなら体育の授業で一番の成績が取れるし、もしかしたらオリンピック選手にだって勝てるかもしれなかった。体育でいつも足手まといだったことを思い起こせば信じられないことだ。この異世界に来て明らかにヒマリの身体能力は上がっていた。怪我もすぐ治る。
ユイナの居場所を見つける方法は考えてあった。
「ロック! いるんでしょ!? 出てきて!」
監視役のアースクラウン自身は寄宿学校に入れないが、ヒマリを目の届かないところにおいておくとは思えなかった。ということはアースクラウンの代わりにヒマリを見ている存在がいるはず。実際に何度か視線を感じることはあった。ロックはアースクラウンの眷属の小ドラゴンで、最初にアースクラウンから紹介を受けている。あれはロックに私のことを覚えさせる意味合いもあったのだ。
ヒマリがロックの名前を呼ぶと、案の定、キーキーという鳴き声を出してロックが寄ってきた。ロックは小型犬くらいの大きさだ。姿を見せたということは、アースクラウンはバレた時のことまでロックに指示していたに違いない。
「アースクラウンは私が子供だと思ってるんだ。」
ヒマリが少しムッとすると、ロックは小首をかしげるようなしぐさをした。まあ、今はユイナの居場所が先だ。
「ロック。ユイナちゃんのいるところ、わかる? 案内してほしいの。」
わかったと言うようにまたキーと鳴いたロックが飛び上がった。
ヒマリは地面に投影されたロックの影を追う。ロックはヒマリがついてこれているか確認しながら飛んでいた。小さいドラゴンといえど頭のいい子だ。せっかくだからロックとも仲良くなりたいな。ヒマリはそんなことを考えながらユイナの元へと進んだ。
ユイナは一人、寄宿学校の敷地の外れで杖を構えていた。
「ユイナちゃん。ここにいたの。」
「……ああ。あなたね。」
「もう。探したんだから。」
「どうして? 何か用があったの?」
「いや、用っていうか。ちょっと話をしたくって。だって、私たち異世界転移した仲間じゃん。」
「仲間って? 私とあなたが?」
ユイナは持っていた杖を振り、魔法で作った空気のコップに水を注ぐとそのまま口を付けた。
「いいなぁ。すごい便利そう。」
「そうよ。っていうか、魔法がなかったら不便すぎる。」
「たしかにそうだよねえ。」
この世界で魔法を使えるのは異種族だけ。普通の人間は使えない。例外は魔女マリーで、それ故にマリーは魔女と呼ばれていると聞いた。
くわしくは教えてもらっていない。だが、マリーは昔、大罪を犯したらしい。それ以来あの塔に幽閉されている。マリーはダリアの王ケイエンとの契約で、才能ある者が訪れ試練を乗り越えたなら、その者に魔法を与えなければならなかった。それが魔女マリーの贖罪。しかし、試練を乗り越えて魔法を手にした人間はまだユイナしかいない。
魔法を手に入れられなかった今、ヒマリは目的を遂げるために仲間を欲していた。できれば魔法が使える仲間を。
あまりユイナとの会話が盛り上がらないので、ヒマリはユイナに本題を切り出した。
「あのさ、ユイナちゃんは元の世界に帰りたくならない?」
「帰る?」
「そう。ドラゴンプリンスから聞いてない? 創成の魔法使いを見つけて——」
「私は帰りたくない。」
「えぇ?」
「だって魔法だよ? 元の世界じゃありえなかった。私はここで魔法を極めたい。」
「たしかに。それはそうかもだけど……。」
「用ってそれ?」
それだけ言うとユイナはまた杖に向かって集中しはじめた。ユイナはヒマリが異世界転移する前からずっと、魔法の鍛錬に明け暮れているらしかった。
うーん。帰りたくないのでは、そもそもヒマリとユイナは同じ目的を持てていない。ユイナを仲間に入れるのは無理なのか? いや……。
「ユイナちゃん。私は元の世界に帰りたいの。」
「それで?」
「ユイナちゃんの魔法を貸してほしい。私と一緒に創成の魔法使いを探して!」
こうなったら真っ向勝負しかない。本音をぶつけて、それでダメなら諦めよう。ヒマリはユイナの目を真剣に見る。
「……創成の魔法使いはドラゴンプリンスたちが探しているはず。」
「でも私が動かないといけない気がするの。」
「私にメリットがないじゃない。」
「魔法をたくさん使えるよ。きっと練習になるよ。私も実験台とかになるし。」
「何それ。」
「たとえば、人探しの魔法とか、検知の魔法とか、使ったことある? 探し物が具体的にあった方がいいんじゃない?」
「……でも、竜族たちに隠れて行動するのは無理じゃない?」
「あ、それならほら、ロックとはさっき友達になったから。黙っていてくれるよね、ロック?」
ロックがキーと鳴いて応える。それがイエスなのかノーなのかはヒマリにはわからなかった。
「でも……。」
「ああ、それならこれはどう? 私とユイナちゃんで勝負する。私が勝ったらユイナちゃんは私と友達になって私の計画に協力する。ユイナちゃんが勝ったら私はユイナちゃんの言うことをひとつ何でも聞くよ。」
「それこそ私に何のメリットもないじゃない。」
「ええ? そうかな?」
ふぅとユイナがため息をついた。このままヒマリを相手にしていても時間ばかりが過ぎてしまうだろう。
「何の勝負をするかは私が決めてもいい? それならやってもいいよ。」
「うん、それでいいよ! どんな勝負?」
ユイナは思案した。魔法に関する勝負なら魔法を使えないヒマリに勝ち目はない。だが、最初から勝負にならない内容では勝負と言えるのか? ヒマリが納得しない可能性もある。そうなると、公平のように見えて、実はユイナの有利になる内容を提示したい。
「……あの木に先に触れた方が勝ち。」
ユイナは少し離れたところに一本立っている木を指差した。ちょうど五十メートルくらいの距離がある。
「いいよ!」
今のヒマリの身体能力なら徒競走には負けない自信があった。きっとユイナは魔法を使うだろうが、自分にも勝てる余地があるとヒマリは思った。
「それじゃあ、スタートの合図はロックの鳴き声で。」
ヒマリは位置についた。隣のユイナも前傾になっているが杖が背後の地面を向いている。きっとユイナは魔法で飛ぶつもりなのだろう。
ロックがパタパタと飛んで、ゴールの木の枝に止まった。もうすぐスタートだ。
ロックが翼を広げる。
キーッ!!
ロックの鳴き声が響き渡り、ヒマリは地面を蹴った。
と同時にユイナが魔法を使い、ものすごい速さでヒマリを抜いてゴールの木めがけて飛んでいった。
「風の精霊よ、力を貸して!」
遅れてユイナの巻き起こした風がヒマリの横を吹き抜ける。
「速い! 負ける!」
ヒマリがそう思った瞬間ゴールの木の周りの地面が盛り上がり、見る見るうちにゴールの木は上へ上へと上がっていった。地面が壁のようになって、茶色い土が露わになり、ボロボロと崩れ落ちる。
「危ない! ユイナちゃん!」
「きゃあ!?」
勢いを止められなかったユイナが地面の壁へぶつかり、そのまま地面ごと上に持ちあげられてしまった。
ロックが遙か高い場所でキーキーと鳴き続けている。
「これ、ロックがやってるの!? ロックの魔法!?」
それよりユイナちゃんを助けなきゃ。ヒマリはゴールの木ではなくユイナに向かって走った。足に力を入れて飛び上がり、トントントンと山を駆け上がる。
「ユイナちゃん、大丈夫?」
「うぅ。目の前がチカチカする……。」
「頭ぶつけたの!?」
「ううん、大丈夫……。」
しかし、ユイナはフラフラとしていてとても大丈夫そうには見えなかった。このままユイナを置いておけないし、でもロックを放っておいたら寄宿学校にも被害が出てしまうかもしれない。盛り上がる地面の範囲はどんどん広がっているようだった。
「ユイナちゃん。私の背中に捕まって。」
「うん……。」
このままユイナを背負ってロックのところまでいくしかない。
ヒマリはユイナを背負ったまま、ロックのいる木を目指して走った。
「ロック! いい加減にして!」
キーっとロックが返事をする。だが、ロックの言葉の意味はヒマリにはわからない。
ヒマリがようやくロックのいる木まで辿り着くと、山の盛り上がりは収まり、ロックがまた一言鳴いてヒマリのところまで降りてきた。
「まさか、私を勝たせようとしたの?」
キーっとロックがまた鳴いた。
「バカ。そんなこと頼んでないし、ユイナちゃんが怪我しちゃったんだよ? バカ!」
ロックが小首をかしげるようなしぐさをする。
「ごめん、ユイナちゃん。私のせいで……。」
「……あなたのせいじゃない。あなたに悪気がなかったのはわかってる。私を置いてゴールを目指せばよかったのに、私をおぶっていったんだから。」
「ユイナちゃん。」
「でも、勝負は勝負。」
「え? あっ!」
気付くとユイナはゴールの木に触れていた。ヒマリよりも先に。
「これで私の勝ち。何でも言うこと聞いてくれるのよね?」
「あ、うん……。」
ユイナはヒマリに杖を向けて言った。
「それならヒマリ。私の計画に協力して。私のために創成の魔法使いを探すの。ドラゴンプリンスよりも先に。」
「ええ!?」
「それから、私のことはこれからユイナと呼ぶこと。ちゃん付けしないで。」
「わかったよ。……ユイナ。」
ユイナがヒマリに笑顔を向ける。ユイナのこんな顔をヒマリは初めて見た。それはまるでイタズラを思いついた少年のような笑顔だった。
元の世界に帰りたくないはずのユイナが創成の魔法使いを探す理由はいったい何なのだろうか? この時のヒマリにはまだ想像もできなかった。
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