宝珠山戦⑪:見続けて来た背中

 静かな拍手の中で、選手たちが開始線に戻る。宝珠山の応援は基本的に物静かだ。みな一様に姿勢を正して陣に座っているだけで、コート上の選手に声を掛けることはしない。あるのは、宝珠山の旗が挙がった際の乱れぬ拍手だけだ。

 名門校ということもあり品性の情操教育の賜物であるが、それが逆に威圧感を放つ。対戦相手からすれば、強豪校の持つ「勝って当然」の空気を見せつけている気分だ。

「二本目!」

 主審の掛け声で、千菊は再び上段の構えを取る。正眼からそのまま竹刀を振り上げただけの立ち姿は、左諸手の上段よりも「これから打ち付ける」という無言の重圧が感じられる。

 肩や、日葵の方もリードを奪われたとはいえ、仕切り直しのおかげでいくらか平静を取り戻していた。試合をイーブンに戻すために、目の前の上段を攻略しなければならないのはもちろんのことだが、それ以上に今は「何の役に入るか」の方が大事である。

(追い詰められたおかげで、求められてる働きは分かりやすくなった気がする……逆境を乗り越えて、チームを勝利に導くような心強さを)

 一勝一敗二分のチーム勝敗で、決勝リーグの駒を先に進めるためにはここで勝つしかない。左沢産業戦の時と違い、「ここは任せて先に行け!」な孤高の強者を演じても仕方がない。勝って、みんなが待つ陣に戻らなければならないのだ。

(『勝って当然ですから』……いや、天才型はちょっと。『みんなの想いに答えるために』……いやいや、そこまでの大層な覚悟も)

 頭の中でぐるぐると考えながら、彼女はふと、ある結論に至る。

(最後の最後に勝って帰って来るって……それ、主人公だよね)

 ぞっと背中が冷え切った。この「演じる剣道」は、気の弱い彼女にとってひとつの活路ではあったが、だからと言って全くもって自分がそうだとは思わない「主人公のような自分」を演じるだなんて、イメージがわかないのだ。

 主人公を支えるわき役ならば、なんだって演じてみせるのに。

(劣勢になっても、まだ迷いがあるか。北澤日葵は、そこまでの剣士なのか?)

 狼狽える日葵に対して、千菊は上段の爆発力を活かして攻勢に出る。取り返されるのを恐れずに強気に出るのは、リードを奪ったものの強みだ。それも含めてお手本のような剣道なのだろうが、世の多くの剣士がそうやって勝利を収めているからこそ『手本』となるのだ。

 圧されていることは日葵も理解している。このまま押し切られるのがマズイことも。

(とにかく、思いついたのをやってみるしかいないか……)

 腹をくくって、構え直しのタイミングで「役」に入る。

 まずは定番な主人公像――諦め悪く、どこまでも食らいつく青い剣士。

(む……覚悟を決めたか)

 防戦から一転、攻めの姿勢を見せ始めた日葵を前に、千菊は警戒を強める。流石に、このまま相手がやられっぱなしになるとは思っていなかったが、実際に勝利に貪欲になる様を見せられると意識せざるを得ない。

 しかしながら日葵の動きは、どこか諦めの悪いヤケクソじみた気配を感じる。

(ヤケを起こしたか?)

(ううん……なんだかちょっと違う)

 日葵もまた、心の中で首をかしげる。そもそも、イメージしていた「諦めの悪い主人公」と何かが違う気がした。そういうキャラはだいたい、諦めないなりに勝利へのビジョンを持っているものだ。

 今の自分は、単に悪あがきをしているだけである。

(別のキャラクター像を考えよう……)

 それから手に替え品を変え、思いつく限りの役に入ってみるが、どれも千菊の上段を崩すには至らない。

(なんだ、何を狙っている? 意図が読めないぞ)

 トライ&エラーだけが積み重なっていくものの、不幸中の幸いか、千菊をかく乱するという意味ではひと役買っているようだ。はじめは単にヤケクソになったとも感じていた千菊だったが、纏う空気も攻め方もコロコロ変わるので、日葵の心中が全く見えなくなってしまっていた。

 もっとも、だとしたら最後まで自分の剣道を貫き通すのみだ。堂々と上段に構え、力強い一刀で敵をねじ伏せる。

(どれも通用しない……!)

 千菊に態勢を立て直され、日葵は歯がゆさで唇を噛む。思いつく限りのどんな役に入っても、千菊を上回ることができない。口惜しむべきは、自分の想像力の無さだ。

(私の想像力じゃ、南斎さんを越えられない……今の私には、これしかないのに)

 気持ちだけが焦っていく。どうすれば、この大一番の勝負で力を発揮できるのか。いったい、誰の役に入れば――

(主人公……強い剣士……それって、私にとっては――)

 ふと、日葵の脳裏にひとりの姿が思い浮かぶ。改めて考えれば、彼女にとって逆境に挑む主人公――最強の剣士とは、たったひとりを置いて他に居ない。

 下手を打てば、これがラストチャンス。退路を断たれた状況で、改めて腹をくくった。

(……なんだ?)

 おもむろに千菊が狼狽える。それまで上段に構えていた日葵が、突然、中段――正眼の構えに竹刀を降ろしたのだ。

(このムーブ、確か個人戦での秋保鈴音の……いや、違う。彼女が纏う空気は何だ……?)

 息を飲み、警戒するように後ずさる。踏み込んだらやられる。どういう手段かは分からないが、そう思わせるだけのプレッシャーを日葵は放っていた。

(いきなり、纏う気配が全国クラスの剣士のそれに変わった……いや、その素質はずっと感じていたが、それにしても……どこかで)

 日葵は、警戒を強める千菊を前に、呼吸を整える。いや、「この役になりきろう」と思ったら自然とそうなっていた。


 ――〝彼女〟が弱腰になったところを見たことが無い。

 ――〝彼女〟が呼吸を乱されたところを見たことが無い。


 そして――〝彼女〟を弱いと思ったことが、一度もない。


 中段に構えた日葵は、柔らかなステップで流れるように間合いを詰める。千菊の上段など全く恐れていない様子で、堂々と懐へと入り込んでいく。

(動きが良くなった……いや、動きが見えなくなった? まるでこちらの意表――いや、呼吸を盗んでいるかのような)

 思った時には遅かった。一瞬、時間が跳んだのかと思うような感覚。目の前にいたはずの千菊が消えたかと思えば、遅れてドウを撃ち抜かれた衝撃が走る。

「ドウあり!」

「えっ……あっ……おおっ!?」

 試合にかぶりついていたあこや南の応援陣も、何が起きたのかよく分からずに、拍手のタイミングを逃してつんのめる。起きたことだけを言葉にすれば、「棒立ちの南斎千菊を相手に」「真っすぐ打ったドウが綺麗に決まった」。

 技を放った日葵も、時間を置いて白い旗が挙がっているのに気づいて、溜まっていた呼気を一気に吐き出す。同時に大量の汗が全身から噴き出して、たいした運動もしていないのに、肺を鷲掴みにされたように呼吸が荒れ果てる。

「今の……〝縮地カッコカリ〟?」

 言葉を飲む鈴音の脳裏で、試合場の日葵の姿に、たったひとりの剣士の幻影が重なった。彼女にとって、唯一無二の剣士である須和黒江はライバルであり目標だ。ならば、最も尊敬する剣士は誰か。

 問われれば、日葵の背格好とは似ても似つかない、小さな巨人の背中が思い浮かぶ。


 日葵が何を思って試合をしていたか知る人は居なくとも、〝彼女〟――八乙女穂波が、日葵の人生の中で最も逆境に強く、主人公らしい存在であることを疑う人間は、あこや南高校にひとりも居ないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

咲けよ、散れども。 咲樂 @369sakura39

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ