第17話【大陸の向こう側】

 王国南方には王国唯一にして、大陸でも十指に入る巨大な港湾がある。かつてから農業国として大国であった王国は、大陸の飢饉と食への欲求を満たすべく巨大な港を持つに至った。白亜の煉瓦と石畳がつづく港町は、今日もにぎわっている。

 活気と熱気がつつむ港には、ここ十数年で増えた貿易船が三隻入港していた。交易証人であるオクトは彼ら異邦人に恐る恐る声をかけた。


「どうですかね。移民の質は」

「まあまあダナ。悪くハなイ」


 オクトは内心で野蛮人がと罵った。船舶は大陸産より遥かに劣後しており、彼らの身に纏う服装や文化の欠片も眼中にないものである。しかし悲惨に襲われる大陸から別の大陸へと移りたいと願う、同胞は多かった。たとえ野蛮な国家であったとしても。


「その、男児も優秀なものはおりますが」

「男二興味ハない。女と子だけトいう契約を結んでイル。男は絶対に乗せナイ」


 彼らが移住に出した条件は女子供だけの移送であった。男は貿易船に乗ることも叶わず、また勝手に渡航した際には焼き殺すと述べている。同胞の女子供の美しさを彼らは価値として見出し、結果として大陸から逃れる者は美しい者が優先された。


「デは、私は、船二行く」


 交易証書を受け取った異邦人の船長がオクトの元から去っていく。彼が消えたあとも終始にこやかだったオクトであるが、交易組合に戻った途端、同僚たちを前にして木製椅子を蹴飛ばした。


「調子に乗りよって、野蛮人が! 見え透いた色欲で金を貪ることしか眼中にないのか!」


 港町には移住を希望するも待たされている大陸人で溢れている。日に日に悪化していく治安と環境は愛着ある故郷を壊そうとしていた。それも女子供しか船には乗せないというのだから、街には痩せこけて目を血走らせる男しかいない。所詮は異教徒だと見下していたが我慢の限界は近づいていた。


「どうしたオクト。また連中関連か?」

「あいつら! 処女だけ受け入れる悪魔が! ついに金と宝石まで要求してきた!」

「本当か? だとすれば舐められたものだ」


 同僚たちは次第に一つのテーブルを囲んで異大陸の悪口を述べていった。異教徒で野蛮人というだけでも万死に値するというのに、彼らは己の価値に気づいたうえで殊勝な態度をとってきた。


「次の貿易船は拒もう。我々は下等な民族ではない。誉れある一族として交渉する義務がある」

「そうだ。あんな奴らの言う事など端から聞く必要などなかったのだ。焼き討ちしてしまえばいい」

「だが貴族様や商人たちにはどう言い訳する。あれだけ融通されたのだ。いまさら逃げる船はありませんというのか。次に討たれるのは我らだぞ」


 船舶組合には多額の献金と賄賂が流れている。金持ちは異教徒に頭を下げてでも妻や子どもを安全地帯に逃がそうとしている。だからこそ、この不毛な取引を続ける必要があった。


「前提からおかしいのだ。われらは異大陸の何も知らない。行ったことも、帰ってきた者も見たことがない。どのような扱いを受けているかさえ、確認する手段がないのだ。理想郷などと奴らは謳っているが、ならばなぜ我らは海を渡れない?」


 男の言った言葉に口を噤んだ。実際に船は女子供を乗せて行くだけで、誰一人として帰ってきたことなどない。王侯貴族が訪問に伺おうとしたが彼らは必死に拒みつづけ、処女だけを受け入れる器になっている。どのような文明が繁栄しているかなど、書籍にすら書いていない。謎に包まれた商人こそが彼らの真実なのだ。


「領主に上奏しよう。もう逃げる場所などない。愛する子らを失うくらいなら、この美しい港で朽ち果てたほうがマシである」


 オクトはその日のうちに文書を認めた。皆が協力して実態や価格変動などの情報を作成した。小さな行動であるが、いつかは大波となって大陸の目を覚ますために、彼らは日夜書きつづけた。

 ――不審死が相次いだのはこの頃からである。


「おかしい。この三日間で五人の交易証人が暗殺されている。なにかの陰謀があるに違いない」


 彼らは完成した文書を見つめながら、誰もが口にしない言葉に黙ったままでいた。利する者などいないはずだが、仮定の話でしかない。


「そういえばオクト。最近妙に羽振りがいいな」

「……私を疑っているのか? 発案者は私だぞ」

「だが野蛮人を担当して、多額の金を受け取っているのもお前のはずだ。違うか?」

「馬鹿なことを言うな。金と情は別だ。金はすべて保管してある。欲しいなら幾らでもやる。あんな薄汚れた金など持っていても不安でしかない」

「どうだか。実際にはきちんと使って、子のために蓄えているだけではないのか」


 疑い始めれば止まることはなかった。矛先はオクトから皆へと向いていき、ついには移住を願う商人や貴族の名前まで挙げられた。組合に疑惑が向くのも当然であった。受付嬢や出入りする人夫に対して金を握らせて、異邦人たちの悪口を流すように伝えたが、不審死は途絶えることなく続いた。


「もう待ち切れない。領主に届けよう」

「待て。犯人が見つかっていない今、行動を起こすのは危険だ。一度燃やしてしまおう。その紙は呪われている。これ以上死人を増やす気か?」

「馬鹿め。増やさないために領主の庇護下にはいるのだ。我らは暗殺に負けてたまるものか」

「ならば勝手に行けオクト。俺は降りるぞ」


 同僚のなかでも仲の良かった友人が離れていく。だがこれで正解なのだとオクトは言い聞かせる。たとえ自分が死んでも意思は受け継がれるだろう。自分の友人を信じてオクトは馬車に乗った。

 まだ明るい時間帯。馬車は止まった。


「さあ。誰が犯人か見ようじゃないか」


 馬車に閉じこもるオクトに彼らは手出しをしてこなかった。待っていても矢は飛んでこない。その余暇が思考を回転させていった。


「馬車が止まったのは御者が討たれたからだ、ならば何を戸惑う必要がある。この路地で襲うことが相手の損に繋がるのか、だとすれば御者が討たれたことに説明がつかない。奴は、誰だ?」


 オクトは扉の取手に手をかけた。ここを開けば待っているのは死だろう。だが馬車の中で待っていても死ぬことに変わりはない。彼は隠し持ってきた魔物の革を身に付けて、外へと飛び出した。


「ここは。そうか、犯人は――」


 身体に衝撃が貫いた。右から襲ってきた巨大な質量にオクトは吹き飛ばされる。石畳を転がりながら木箱を壊した。


「仕留めたか」


 奴が去っていく。犯人が去っていく。彼は馬車のなかに乗り込んで御者とともに領主の館の方へと走っていった。文書はもう取り戻せないだろう。

 だが一つ過ちがあるとすれば、


「賭けに勝ったみたいだ」


 オクトはまだ生きていた。額から血を流しながら複製した文書を懐から取り出す。そして犯人の名前を書こうとして――

 首からナイフが生えた。


「はへっ。金持ちを殺したぞ。これで俺も薄汚い街とはおさらばだ! はっははははは!」


 彼は信じられず目を動かした。そこにいたのは単なる浮浪者である。どこかで拾った薄汚いナイフを握り締めて、薬物中毒者特有の甘い臭いを漂わせていた。彼の頬に涙が伝っていく。


「こ、ろ、す。こ、ろ……」


 一つの屍が港街に倒れた。不審死などこの治安の悪い街ではよくあることである。それが偶々、交易証人だったというだけなのだ。オクトは犯人の姿を思い浮かべながら、生に終止符を打った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

戦略級英雄の討伐論 犬山テツヤ @inuyama0109

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画