幻翼の星乙女《アストライア》 Prophet
澪標 みお
花火の夜
「えー、夏休み中は事故や事件に巻き込まれないよう、くれぐれも気をつけて――」
担任の話もそこそこにホームルームが終わったその瞬間、生徒たちは椅子を鳴らして一斉に立ち上がった。
「終わったー!」
「待ちに待った!」
「夏休みきたーっ!」
浮かれ気分の喧噪に包まれる教室。二週間の試験期間からようやく解放されたのだから当然のことで、わたしも浮かれているうちの一人には違いない。
「さっそく遊びいかない?」
「行く行く!」
「じゃあどこ行く? あたしはこの前オープンした駅前のカフェがオススメなんだけど」
「私はカラオケで歌いまくりたいなぁ。ストレス溜まりまくってるし」
「じゃあどっちも行こっか!」
でもわたしは、ただ浮かれているわけではなかった。
男子も女子もはしゃいでいるなか、教室の窓際後ろの席にいるわたしからみてちょうど対角線上。教室の入り口近くの席を立って、静かに荷物を片付けている彼女。
「
藍色の長い髪が揺れ、ほっそりした白い首筋が覗く。楚々としていながら、どこかミステリアスで近づきがたい。最近のわたしは、そんな彼女の一挙手一投足に目を奪われるばかりで。
「……愛衣? 大丈夫?」
「……え? あっ、大丈夫大丈夫!」
確かに、わたしの心は浮かれている。ろくに話したこともない学級委員長の少女を、これから遊びに誘うのだから。
***
奥多摩の山々に響く花火の音。夜風に撫でられる肌が火照っているのは、露天風呂を上がって間もないせいか、それとも八月らしい熱気の残滓がまだ漂っているせいか。
「綺麗ですね、神代さん」
「ええ。――その、
「な、なんですか?」
綺麗ですね、というのは、眼前の夜空を彩ってやまない千発の花々のことで。だけど、もっと綺麗な
「私たち、クラスメートなんですから……敬語やめません? それに、苗字じゃなくて……」
「そ、そうだよねっ。えっと――夏純、さん」
「……呼び捨てにしてもいい? 愛衣」
クールな彼女の白い頬は色とりどりに染まっていて、仄かな朱色を見て取ることはできなくて。意を決したわたしは、無防備な手をさり気なく取った。
「……っ」
ひときわ大きな花が咲き、彼女の手がわたしの手をぎゅっと握り返してくる。柔らかな肌は意外なほど汗ばんでいて、それはわたしも同じだった。お世辞にも良い感触とは言えないけれど、それで構わない。ずっと、こうしたかったから。
「あ、暑いね……夏純」
「……そうね」
浴衣の襟元を緩めた彼女の、ちらりと覗いた胸元から思わず目を逸らす。身体の熱を感じているのは、どうやらわたしだけじゃないみたいだった。
この部屋で一緒に花火を見るはずだったいつもの三人は、急に彼氏ができたとか言って全くの同時にドタキャンしてきたけれど、いくら問い詰めても証拠写真を送ってくれなかった。わたしの抱くこの想いは、
でもとにかく、こうして彼女と二人きりになれた。
この時間が、ずっとずっと続けばいいのに――。
「愛衣ってずいぶん大胆なのね」
「――えっ?」
「手を繋ぎながらそう言われると、流石に照れるわ」
「も、もしかして……聞こえてた……?」
「それはもうはっきりと。ずっとずっと、私と一緒にいたいってね?」
「あーあー、聞こえないーっ」
花火大会も終盤に差し掛かり、鮮やかな花々がフィナーレとばかりに夜空を埋め尽くす。鳴り響き続ける重音に身体の奥が震えるなか、それは現れた。
空高く燦然と輝く、まるで太陽のような――そして太陽よりも遥かに巨大な、花火を掻き消すほど眩しい光。
「何だろうね、あれ……」
「さあ。人工衛星でも落ちてくるんじゃないかしら」
「流石にここには落ちてこないよね!?」
「大丈夫、普通は大気圏で燃え尽きるもの」
「普通は、って……なんかフラグっぽいんだけど……」
思わず手を強く握ったわたしのポニーテールをするりと
「ピンク色の髪、不良っぽいって思っていたけれど……こうして見ると可愛くて素敵ね」
「えへへ、そうかな?」
「そうよ」
このときのわたしたちはまだ知らない。
突然現れたこの光こそ、人類の終わりの始まりだということを。
そしてわたしが、夏純に命を救われることを。
「やっぱりわたし、ずっとこうしていたい」
「奇遇ね。私もよ」
永遠の平穏がありえないということは、歴史の教科書を開けば分かることだ。永遠の戦争も、永遠の平和もない。だから、永遠の幸福などない。幸せな時間はいつか終わってしまう。
でも、いつか終わってしまうからこそ、幸せというものがあるのだろう。
夏純とずっと幸せでいたい――わたしがこのときそう強く願ったからこそ、いまのわたしは幸せなんだ。
〈了〉
幻翼の星乙女《アストライア》 Prophet 澪標 みお @pikoma
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