第4話

 君はベッドで眠っていた。眠るにはまだ早い時間とも言えたが、そういった常識が全く意味をなさないことは、その安らかで深い寝息が明確に物語っていた。そう、君は、なにかと「明確に物語る」のが得意なんだよね、と思い出し、僕はベッドの横の床に腰掛けた。


 話をしたいかというと、そういうことについてはいろいろ考えたはずだったけれど、ここに来てしまえば、もうすべてどうでもいいことになっていた。その変化は予想していなかったわけではないけれど、やはり実際に受け入れて馴染むのには、少し時間はかかった。


 それにしても、なんで「どうでもいいこと」なんだろう? と僕は自問してみる。それは、ゼロであるということではない。そうではなく、物事の大小の問題なのだ。もちろん、小さなことは、誤解やら、腹が立つことやらもあったけれど、そんなことは、例えてみれば、湖に落ちた小石のようなものだ。波紋が立って、ただ、それだけ。湖の水に抱かれてしまえば、小石はもう湖の一部。ただの"過去の記憶"に過ぎない。

 そして、僕は、苦笑する。本当は、抱かれたのは、僕だったのかな、と。恋とか、愛とか、それすら、湖に投げ込まれた、ちょっとばかり大きめの石にすぎなかった、のかもしれない。

 ごめんね、と、つぶやこうとして、僕は、それはやめた。

 反対に、ありがとう、と発することも考えたが、それも重すぎて場違いだ。  そういうことではなく、ただ「無」でいい。

 僕は床に座り、ベッドにもたれて、その後ろには、君がいて、そういえばずっと前から、君は、そこにいた、と考えた。

 呼吸をする僕たちは、ここで絶対的に生きていた。

 今日、僕が断言できるのは、唯一、それだけだ。


「ねえ、今、何時?」

 彼女の声。

 僕は暗い部屋の中で、声を聞き、受け取る。

「大丈夫。もう少し寝ててもいいよ。約束の時間までは、まだ少しある」

「ほんとに?」

 懐かしい声。石炭の匂いが古い記憶とリンクするように。

「ああ。だって約束の時間を決めるのは、学校の先生とかじゃなくて、僕たち、自身なんだから」

「強引ね」

「そうでもないさ」

「夢を見ていたの」

「怖い夢?」

「うんん。そうでもない」


 僕は、夢の内容について質問するべきだろうか、と考えた。いや、そもそも夢ではないものを語ることに、意味なんてあるのだろうか? この現実も十分に夢みたいなものではないのだろうか?


「前の公園、雪で白くてきれいだった。ピュアな空気だった。古い街並みは、石炭の匂いで、少し悲しくなった。街は衰退気味だけど、ネオンは明るく灯っていた」

「なにもかも、大切なものね」

「え?」

「生活は、人の、宝石」


 薄いガラスが、カランと落下して割れたような、彼女の透明な言葉に僕は突き刺された。

 ああ、痛い。


 僕は、やはりここに来てよかった。

 言葉に刺されて血が流れることは、怖くない。むしろそれ以上の何を望んだらいいのか、何を望むべきなのか、わからない。

 音のない部屋の、饒舌さばかりに、涙が流れる。


 ああ、そうだった。

 彼女は少女。

 夜の雪は、美しい。

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明かりがないまま、約束の時間 林川そら @hayashikawa

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