幼馴染と、踏みだす一歩

 放課後の教室。

 俺はようやく用事を片付け終えて――

時間を確認すると、思ったより遅くなったな、と荷物を纏め始める。


「あ、シュウちゃん……もう、いいの?」


まだ居残っている俺に付き添う形で、自分の席で待っていた女子生徒が、声をかけてくる。


 長谷川 はせがわ七海 ななみ

俺のクラスメイトで、物心ついたころからの付き合いがある、幼馴染、というやつだ。

 いろいろあって、高校に入学してから、一時期疎遠になっていた時期も、あったのだが。

何の因果か、こうしてまた、何かと一緒にいる様になった。


「あー、七海悪い……思ったより、随分時間食っちまった。

まあ、とりあえず、大丈夫……の筈だ」


ふう、と息を吐いて、彼女に向き合って、学生鞄を肩にかけ、立ち上がる。


「待ってもらって、悪かったな。

じゃあ、そろそろ準備も済んだし、帰るか?」


「気にしないで。私が、好きでやってる事だから。

うん……それじゃ、行こっか」


 俺の言葉に苦笑しながら、七海もまた、学生鞄を手に立ち上がる。


 もう、半年近く経つのだろうか。

こいつと――またゼロから、やり直すと、決めてから。


 初めのうちは、随分とぎこちなく、思うように言葉も出て来なかったものだが……

気が付けば随分と昔の様に、気安く話せる様にはなったものだ、と思う。


 ――って……ああ。


「あれ、シュウちゃん……どうかした?」


「いや七海……髪の毛に何かついてる。

ああ、糸くずだな、これ。

取ってやるから動くなよ」


「えっ、あっ……」


 手を伸ばし、七海の髪についた糸くずを取る。

その際に掠める形で触れてしまった、彼女の頬がやや熱を帯びていたのは……気付かないふりをした。


「――悪い、くすぐったかったか?

でも、ちゃんと取れたから、ほら」


「……ううん、シュウちゃん、ありがとう。

じゃあ、電車の時間、遅れちゃうし、そろそろ学校、出ないと――」


 糸くずを摘まみ上げて、掲げる俺に、頬を微かに紅く染めたまま、七海はそっぽを向いた。

流石に、彼女のこれが風邪とか、病気の類によるものではないことくらいは、わかっている。

……わかっては、いるのだ。


 半ば、熱に浮かされる様に……

なあ、と彼女に声をかけようとしたその時、がらり、と二人きりだった教室のドアが開く。


ドアの向こう側にいたのは、これまた同じクラスの男子生徒の、空木か。

今更戻ってくるとは……忘れ物でもしたのだろうか。


 事ある毎にやかましく騒ぐ男で、周りからは憎めないお調子者、と言った立ち位置で通っている。

俺個人としては、あまり関わりを持ちたい相手では、ないのだが。

 何というか、随分とタイミングが悪い時に来るものだ。

相手が相手だけに、余計なことまで思い出しそうになる。


 頭によぎるのはまだ、七海と再びかかわりを持つことになってから、ほどない頃の記憶。

 昼休みの校舎の裏で、偶然盗み聞く形になってしまった……

空木が七海への告白した現場に、出くわした時の事だ。


 今、思い返してみれば、だが……

多分、空木の眼からは俺が煮え切らない男だ、とでも映っていたんだろう。

 俺への悪罵を交えながら、なぜ自分と付き合ってくれないのか、と訴える空木に

七海は、目を逸らさずに、声音に僅かな怒気を宿して、答えを返していた。


『……私の事は、何を言われたって仕方がないと思うよ。

シュウちゃんと積み重ねてきた時間と信頼を、裏切ってしまったのは、事実だから。

まだ、はっきり面と向かって好きだって言う事なんて、許されないだろうけど。

それでも、いつか許してもらえたらって、その時は――今度こそ、ずっと一緒にいれたらって、そう、思うんだ。

だから、貴方の気持ちには応えられない、ごめんなさい』


 ――そうして、ただ単純に七海が頭を下げ、空木を振ってお終い、とはならなかった。

何故かと言えば、この直後に、俺の存在に気付かれたことで……

 憤りのまま、こちらに食ってかかってきた空木に、売り言葉に買い言葉で返し、少々派手な言い合いとなったからだ。


 ……まだ、七海と再び関りを持つことに、迷いのようなものを持っていた頃の話だ。


 この時、半端な態度をとるならば……七海から離れろと迫る空木に、

どうしようもない苛立ちを覚えて、反射的に『お前の知った事か』と返し、口火を切ってしまったのは……

振り返ってみれば、俺にも何かしらの未練があった、と言う事だったのだろうか。


 俺とて、一度は、あいつを見限って、忘れる事を選んだというのに。


 まあ……結局、俺も大人ぶったところで、ただのガキでしかなかった、という事か。

分かっているつもりではあったが、それが本当につもりでしかなかったのは、この時からの半年近い期間で嫌と言う程思い知らされた。


 あまり愉快ではない記憶に埋没していた所為で、憂鬱になり……

はあ、とため息をついてから、今現在の空木のいる方向に視線を向ける。


 あいつは、こちらと目が合った瞬間から、血相を変えて……

何やら気まずそうな調子で、自分の机からノートなり何なりを回収すると、

そそくさと教室から出て行った。


 まあ、あれだけ派手に騒いだ挙句、盛大にフラれた相手と出くわして

おまけに、その時にボロカスに罵った相手と、一緒にいる所を見れば……居たたまれなくもなるか。

 泡を食ったような表情は、あの時の空木の反応とそっくりで、

何というか、当時の自分を思い出してしまい、妙にこそばゆい。


「えっと、シュウちゃん。さっき、空木君が入ってくる前なんだけど……

何か言いかけてなかった?」


「……いや、気のせいだろ。もう、いいから帰ろうぜ」


 空木の事については……随分前のことだし、今更話を蒸し返しても仕方がない。

何となしに口にしかけた何かを、言葉にする機会を逃した事も、いいと思うことにしよう。


 一度、深く深呼吸して気分を切り替えてから……

空けられたままのドアから、七海と共に教室を出る事にした。





「沙羅……あれ、長谷川と反尾じゃね?」


「ありゃー、ほんとだねーかずっちゃん。

ななちゃん、反尾君、今帰りー?いつもより、ちょっと遅い時間だねー」


 教室から出て、七海と一緒に廊下を歩いているところに、声がかかる。

聞き覚えのある声に、視線を向けると、二人組の女子生徒の姿があった。


「あ、宮内先輩、京山先輩、お疲れ様です」


「どうも、俺の用事で七海に付き合わせちゃいまして。

お二人は、どうしたんです?」


 どちらも、よく見知った顔。この半年の間に、随分と世話になった人達だ。


「わたし達、春休みが明けたら、四月からは受験生だからねー。

だから、進路関係で、ちょーっとね?」


 一人は、妙に間延びした様な、特徴的な喋り方をした、

腰まで伸ばした髪と合わせて人形の様に整った容姿が目を引く、小学生と見紛うくらいの、小柄な女の子。


 宮内 みやうち 沙羅さら先輩。


 銀髪碧眼の白い肌は、外国の血が入っているものによるらしいが、日本で生まれて育った、正真正銘の日本人との事。

 更に言うなら、実年齢は俺達の一つ上、つまり上級生だ。

留学生でも、飛び級でもない、と冗談めかして、笑いながら自己紹介をしてくれた時の事は、よく覚えている。


 多分、七海にとっては、恩人、という事になるんだろう。

何故なら――あの男の本性を義母のコネを使って、調べ上げ、告発したのは、この人だからだ。

 動機は、彼女の親友の目を覚まさせたかったから、らしい。

俺も多少は関わりはしたが、どれほどの助けになったのやら。


 更に言うなら、この半年の間で、色々な人と出会うきっかけをくれた人、でもある。


 ――いつかの、震えるような声音で、彼女が悔いる様に告げて来た言葉を思い出す。


『ななちゃんが間に合ったのは、偶々……タイミングが良かっただけ。

アイツが目をつけてた娘達の素性を伏せたのだって、わたしが後ろめたかったから。

もっと、もっとうまく立ち回れてたら……皆傷つかなくて済む未来も、あったんじゃないかって。

全部終わってからななちゃんに声をかけたのだって、わたしの勝手な罪悪感を紛らわせたかったからなの。

ごめんね……こんな、先輩で』


 この人が動き始めなければ、きっと……多くの人間が、あのクズに泣かされたままだった。

いや、何れは勝手に破滅していたのかもしれないが、それでも今よりずっと酷いことになっていた筈だ。

感謝こそすれ、謝られるようなことなど何もない。


 だから。その時は、自責の念が籠った宮内先輩の言葉に……

ありがとうございました、と七海と二人で一緒に、返したのだ。


 ただ、宮内先輩が……ぽろぽろ涙をこぼして泣き始めた時には、どうしたものか困ったものだが。


「……ま、時期が時期だし、進路相談とか説明会とか、最近多くてさ。

アンタらもぼーっとしてると、一年なんてあっという間だからね。

気はつけておいた方がいいんじゃない?」


 もう一人は、すらりとした体つきの、黒のショートヘアの女性。

猫を思わせる切れ長の目で……美人系寄りの大人びた顔立ち。

宮内先輩とは中学時代からの付き合いだそうで、この二人が同い年だと言われた時は、正直混乱したものだ。


 京山きょうやま 和美かずみ先輩。


 素っ気ないというか、クールな立ち振る舞いだが、何かと面倒見の良い人で

成績も常に上位をキープしている、才色兼備の二年生。


 一時期、あの男――葛谷の『本命彼女』だった事で

口さがない連中に影口を叩かれていたせいで、大分荒れていた時期もあったが、今ではこの調子だ。


 ――多分、宮内先輩と和解できたことが大きかったんだろうな、と言うのは、流石に俺でもわかる。


『アレの本性が学校中に知れ渡ってから、結構、心配するふりして陰て笑ってた奴とか、いたんだけどさ。

それを、沙羅がマジで怒って咎めてくれてたって聞いた時は……

もう、正直合わせる顔がないな、って思ったよ。とっくに見限られてるもんだとばっかり、思ってたからさ。

いやまあ……だから、沙羅ともう一度、話をする切欠をくれたことは、感謝してる。

その、反尾もさ、いや……』


 結局、この時京山先輩は、最後、なんでもねーや、と言葉を濁していたが、多分……

どちらにせよ、俺の方も後悔しない選択を、と言いたかったんだろう、と思う。

宮内先輩と和解するまで――ずっと、京山先輩が自分の愚かさを後悔しつづけていたのは、傍から見ていても痛々しい程だったから。


 二人がお互いに和解したがっていたが、罪悪感でその為の一歩が踏み出せずにいたのは、付き合いの浅い俺でもわかった。

だから、その機会を作る助けになれたというのなら――

きっと、それは間違いではなかったと、信じたい。


 「大学受験ですか……

まあ、確かに俺らも、そろそろ真面目に考えておくべきなんでしょうけど」


「そだねー、正直わたしは、今のバイト先に就職とかも考えてたんだけど……

選択肢は多いほうがいいからって、所長と、義母さんがねー?

とりあえず、かずっちゃんと同じ大学行けたらなーって思ってるんだけど」


「沙羅の成績なら、よっぽどヘマしなきゃ、十分行けるでしょ。

っていうかさ、反尾もちょっとずつだけど、学力上がってるじゃん。

こないだのテストでも、結構順位あがってたみたいだし。

……最近、長谷川とちょくちょく一緒に勉強『も』してるんでしょ?」


 京山先輩の言葉に、ええまあ、と返しながら横目で七海の方を見ると、顔を赤く染めて俯いている。

改めて口に出されると、気恥ずかしいものがあるのだろう。

 まあ、俺も人の事は、言えないんだが。


「えっと、はい。できれば私も、シュウちゃんと一緒の大学に行けたらなって。

だから、それで、私の方から誘ったんですけど……」


「いや、俺の方もそろそろ本腰入れてやらないと拙いかな、とは思ってたからな。

だから、その、何だ……最近は、いろいろ、助かってる」


 こめかみを指で揉みほぐすようにしてから、ふう、と息を吐いて、京山先輩は

何処か自嘲するように、言葉を返してくれた。


「……ま、仲良くやれてるようなら何よりだよ。

あたしが言えた義理でも、ないけどさ」


 「かずっちゃん、まぁたネガネガしてるー……

あ、二人とも、電車の時間、そろそろじゃない?

呼び止めちゃってごめんね」


 京山先輩を窘めながらの、宮内先輩よりの指摘に、スマホを確認すると、確かにもういい時間だ。

この辺で切り上げたほうが良さそうだ。


「いえ、すいません。それじゃまた明日――って、明日は休みか。

とにかく、また、来週以降、時間がある時にでも、また」


「うん、二人共、ばいばーい!」


「……じゃ、またね」


 笑顔で手を振ってくれた、宮内先輩と……

素っ気ない調子で片手を上げて見送ってくれた京山先輩の別れの挨拶に会釈で返して。

 気持ち、急いだほうがいいかな、と歩くペースを、隣の七海を置き去りにしない程度に引き上げて、一緒に廊下を進む。


 しかしまあ……進路に、大学受験か。

いい加減、覚悟は決めておくべきなんだろうか。





「……行ったか。あの調子だとまだ時間がかかるかな」


 二人の事を見送った後――

そう簡単に踏ん切りがつくもんでもねーだろうけど、とぼやくかずっちゃんに

わたしは、苦笑しながら返す。


「そうかなー?結構、頑張ってると思うけどねー。

ななちゃんも、反尾君も。

特に反尾君は、最初に声かけた時とか酷かったもん」


 あいつの……葛谷の化けの皮を剥ぐのを手伝って欲しいと告げたときのわたしに、酷く、醒めきった表情で、興味ないです、と返してきたときの事を考えると……

よくも、ここまで持ち直せたものだと思う。


「それ……アレがやらかした事、調べたときの事言ってる?」


 かずっちゃんは、葛谷が退学になった後も、かなりしつこく付きまとわれたこともあって、あの男の事は、名前を呼ぶ事さえ汚らわしいとばかりに、アレ呼ばわりだ。

まあ、気持ちは、分かりすぎる程わかるのだけど。


「調べたって言うかねー?

前にも言ったけど、わたしは義母さんのコネ使って、所長に話持っていっただけだから。

実際、あそこまで詳しく調べたりとか、わたしだと無理だったかな」


 もっとも、今現在アルバイトと言う形で世話になってから、改めて感じるけど――

所長と同僚の人たちは、優しくはあっても……決して、甘くはない。


 調査結果を悪用されないように、受ける相手は、選ぶ、とはっきり、常日頃から言っているくらいだ。

……まあ探偵業というか、調査の仕事は、副業みたいなものだからというのも、あるんだろうけど。


 だから……当時、初対面だった、わたしみたいな小娘に、義母さんへの義理立てだけで、ろくでもない屑相手とはいえ、一人の人間を社会的に抹殺出来るだけのものを、ぽん、と渡してくれるほど、脇が甘い筈もなく。


 何やかんやで、ごたついていた仕事が片付き、ようやく一息つけた時に……

なぜあの時、依頼を受けてくれたのか、と所長に訊ねたことがあったのだけど。

あの人は苦笑しながら、こう答えてくれた。


『青臭い子供の、威勢だけの啖呵だったが――まあ悪くはなかったから、かね。

あれをいじけてるだけ、だのいう奴もいるかもしれんが。

……男の子の意地って奴を、見せてもらったからな。

あのくらいの年なら、むしろ大したもんだと思うよ』


 どこか、眩しいものを見るような口調で語る、あの人の姿を見て、こう思ったものだ。


 ……多分、だけど。

反尾君があの時、あそこにいなかったら、今ほど、上手い形で纏まらなかったんじゃないだろうか、と。


 そういった意味では、わたしは彼に借りがある。

まあ――当人は、もう、気にも留めてもいないのだろうけど。


「……できたら、わたしとしては、上手くいって欲しい、かなー、って。

この半年近い間に……、助けたり、助けられたり、まきこんだり、まきこまれたり。

見て見ぬふりで流しちゃうには、ちょーっと、いろいろ関りすぎたからねー」


 かずっちゃんは、あー、と気怠そうな声音で……

それでいて何処か、感慨深げに口元を緩めた。


「そうか、あれからまだ半年経ってないんだっけ。

……まあ、沙羅が言う事も、わからないでもないけどさ。

ただ、あたしは……アレのせいで、暫くはそういうのはいいか、ってしか思えないから」

 

 ぼそりと、ふられちまったし、とこぼした、最後の一言は、聞こえないふりをして。

そっか、と返し――そのまま、廊下のあの二人が出て言った方向に視線を向ける。


 結局、最後にどうなるかは彼ら自身が決める事であって

周りがどうこう言うようなことじゃ、ないんだろうと思うけど。


 それでも、少しづつ、少しづつ……

自分の至らない、醜く薄っぺらい部分と向き合って、成長しようと足掻く、彼女の姿を。

 出会いを重ね、視野を広げ、努力を重ねて……

抱えていたものを乗り越えて、大きくなろうとする、彼の姿を。


 わたしは、わたし達は……半年足らずの、少しの間だけど、見てきたから。

だから、ほんのちょっとだけ、応援させて欲しい。


――頑張れ、二人とも。





「それでさ……ねえ、知ってる?シュウちゃん。

お母さんから聞いたんだけどね。

入院してた駄菓子屋のおばあさん、退院できたんだって。

ただ、お店の方は、やっぱり閉めたまま……再開はできないみたいだけど」


「ああ、まあ……あの婆さんも、もう年だしなあ。

またいつ倒れるか、分からないしな。

それに、後を継ぐ人もいないみたいだし……仕方ないか」


 あの駄菓子屋、最後に、一回くらいは行けたらよかったんだが、とぼやく俺に……

少し、寂しそうに微笑んで、そうだね、と返してくる七海。

 あれから無事、電車の時間には間に合って――

到着した駅から、いつもの様に、俺達は二人で話しながら、帰り道を歩いている。


 心なしか、足取りが早くなってしまうのは、まだ、肌寒さが残る時期のせいだろうか。

七海を置いていかないように、意識してペースを緩めようと努めて、ふと、立ち止まる。


「あ……そういえば、ここも、大分寂しくなっちゃったね。

とうとう、ブランコも撤去されちゃったんだっけ」


「でも、たまーに休みの日とかに覗くと、親子連れの子供とかが走り回ってたりしてるぜ。

まあきんきん声が響くからって……

近所の爺さんがやかましいとか喚いて、運動禁止って案も出たらしいんだけどな」

 

 そこは、家から数分とかからない場所にある、近所の公園だ。

七海が言ったように、老朽化によりかつてあった全ての遊具が撤去されはしたが……

色々な意味で、俺達には懐かしく……何かと縁のある場所でもある。

 やはり、ここにしようか。

何時までも引き伸ばしていても、仕方がない。


「なあ、七海、その、ちょっとここ、寄ってかないか?

話したいことが……あるんだ」


「……うん、いいよ、シュウちゃん。わたしも、そんな気分だったんだ」


 足取りを揃え、公園に入ると、膨らみ始めた桜のつぼみに気付き、視線を取られる。

もう、そんな時期になったか。


「あとひと月もしたら、桜が咲き始める季節なんだね……」

  

「まあ、もうそろそろ二月になるしな。

……そこ、座ろうぜ」


いつものことではあるが、この時間帯、周りに人気はない。

俺達は二人並んで、静まり返った公園のベンチに腰掛ける。

預けられた体重に、ぎしりときしむ感触は、相変わらず頼りのないものだ。


「……それでシュウちゃん。話って、何かな?」


「ああ……うん、改まって、話すのも何なんだが……」


 今更ながら、緊張が心臓がばくばくと跳ねていくのを感じる。

あの時、教室を出る前に、勢いのままに口に出せてしまえば、良かったのだが。


 この半年にも満たない期間が、俺に……

いや、俺達にとって、長かったのか、短かったのかは、わからない。


 ――けれど、色々な事が、あったんだ。


『修二君、私からは、何も言わないし、言えないわ。

多分……意味が、ないから。あの子は、それだけの事を、してしまったと思う。

本当に無理だというのなら、断ってもらっても構わない。

でも、それでも、どうか――もう一度だけ話を聞いてあげてくれないかしら。

あの子の事をどうするか、決める機会を、もう一度だけ、ちょうだい』


 切っ掛けをくれた人がいた。


『多分、今の貴方は、本当に興味が持てないんだと思う。

それでも……わたしに、力を貸してくれないかな。

今なにもしないで……後悔、したくないんだ。

笑ってくれて、構わないけど』


 手を差し伸べてくれた人がいた。


『けじめとはよく言ったもんだよ。

別に、君が背負い込むようなことでもないと思うがな。

だがまあ――話はわかった。とりあえずその依頼、受けるとしようか』


 欺瞞を暴いてくれた人がいた。


『大人ぶるのも結構ですが……

後数年もしないうちに、貴方は嫌でも本当の大人にならなくてはいけません。

今くらいは、もう少し、肩の力を抜いてもいいんじゃないかと思いますよ』


 助言をくれた人がいた。


『受け売りだし、人の事を言えた義理でもないがな。

……男が決めた覚悟を、クソ野郎が訳知り顔でゲラゲラ哂ってるんじゃねえよ。

虫酸が、走る』


 過ちから一歩踏み出した――己の矜持を、見せてくれた人がいた。


 様々な人たちに出会い、泣き、怒り、笑って。

俺はようやく――前に進む決意ができたから。

だから、一歩だけ、踏みだしてみようと思う。

俺が、俺自身の意志で、七海こいつに伝えるべきことを。


 ……随分と、青臭いプライドの為に、

遠回りをしたものだが、それも、悪くないと、今では思える。


「――七海。俺と、付き合ってくれないか?」


「え、シュウ、ちゃん、それ、って……」


「……男女交際的な意味で、何だが」


 言葉の意味がすぐには飲み込めなかったのか、呆然と……

目を見開いたまま固まった七海に、もし嫌だったら、

と口にしかけると、彼女は声を張り上げて、それを遮ってきた。


「違う、嫌じゃない!あれから……いっぱい、いっぱい、大事にしてくれて……

やっぱり、一緒に、いたいなって、思って……

でも、がまんしなきゃって。だって、わたし、いちど、うらぎった、のに……

なのに、まだ、シュウちゃんに、何も、返せてない……

わたしに、そんな事、いって、貰える、資格、なんて……まだ……」


「まあ、半年前はボロクソ言ったからな……でも本気だよ。

俺は、今、七海の事が好きだよ、それが理由じゃ駄目か?」


 俯いて、支離滅裂な言葉で、震える彼女に、苦笑いを浮かべつつ、隣から抱きしめる。

そのまま、いつかのように髪をすくように頭を撫でると、

七海は、俺に身を預ける様に、身体を擦り寄せつつ、顔を上げて、涙をこぼしながらも……笑顔を作ろうしていた。


「……ずるいよ、シュウちゃん。

そんなこと、言われたら、もう……我慢できない……

私も、……好き、だよ。ずっと前から、大好き」


「……そっか。俺も好きだよ」


「……うん、でも、本当に、いいのかな。

シュウちゃんなら、京山先輩とか、もっと、いい人とつき……ぁ」


ぎゅうと、七海を抱きしめる腕に、少しだけ力を籠めると、口を閉ざす彼女。


「……お前がいいんだ。

これ以上言わせるなよ、割と小っ恥ずかしい台詞を吐いてる自覚はあるんだぞ。

正直、顔から火が出そうなんだが」


「……うん、うんっ!」


 七海は勢いのままに、ちゅう、と俺の唇に、自分の薄桃色のそれを重ねて、泣き腫らした顔で、笑う。

柔らかく、仄かに温かい感触が、余韻として残る。


「えへ、シュウちゃんのキス、もらっちゃった」


 ――瞬間、頭が茹ったように、くらっとくる。

努めて、意識はしないようにて来たけれど……もう、いいだろう。


 ああ、くそ、こいつ、やっぱり可愛いな。


「……覚悟は、決めてたつもりだったんだが。なんか、照れるなこれ」


「ふふ……そうだね。それに……ちょっとだけ、しょっぱいかな?」


 ぺろりと唇を舐めて、舌を出す七海に、思わず頬が熱くなるのを感じながら、

そりゃ、これだけ泣いてりゃな、と恥ずかしさを誤魔化すように、ぼやく。


「……ねえ、シュウちゃん」


「……何だよ?」


「私、頑張るから、これからも、シュウちゃんと、ずっと一緒にいられるように。

だから――いつか、私を、貴方のお嫁さんにしてください」


 七海が――決意を込めて、俺に告げたその言葉は、きっと、心からのものなのだろう。


 ――ただ、俺達は、まだ若い。

今、この瞬間の気持ちが、ずっと続く保証もない。

ずっと続いて来た関係であっても、壊れるとき壊れるのだという事は――嫌と言う程、よくわかっている。


 何処かでまた躓く事もあるかもしれないし、また間違えるかもしれない。

それは七海に限った話ではなく――或いは、俺であっても、そうなのだろう。

 

 ……おそらく、そうなれば、今度こそ、俺は、こいつを――


 けれど。今は、未来の可能性に怯えていては……

まず最初の一歩を踏み出さなければ、何も始まらないと、知っているから。

だから、その七海の言葉と、真っすぐな眼差しを、逸らすことなく受け止めてから頷いた。


 まあ、その為に何をすればいいか、というのは、まだぼんやりとしていて、わからない。

高校生活だって、あと二年は残っているし、大学受験に就職、そしてそれ以降も。

人生には、乗り越えなけれなならないハードルは山ほどあるんだろう。


 その手始めに、って訳でもないが、差し当たっては――


「また、桜が咲いたころに、二人でここに見に来ないか?」


そう言って、今度はこちらから、七海に口づけをする。

二度目に重ねた時間は、先程よりも少し長く、その唇の味は――今度は少し、仄かに甘い。


「――うん、絶対、見に来ようね、約束だから!」


 唇を離し、彼女が再び浮かべた笑顔は――こちらが見惚れてしまうくらい、綺麗なものだった。


 まあ、とりあえずは、恋人になった七海と一緒に、少しづつでも、進んでいこうと思う。

新しく築き直した道の上で、ようやく、俺達は、最初の一歩を踏み出すことが、できたのだから。

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幼馴染はクソ女 金平糖二式 @konpeitou2

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