エピローグ

故郷

 ……あれから、この国は大きく変わり始めた。

 いや、この国だけじゃない。世界中がとんでもない速さで大きく変わり始めた。

 世界の盟主という立場にあるアシュクロフト王国が『魔族との融和』という目標を掲げたことによって、これまでの世界はそのままではいられなくなってしまったというわけだ。

 世界はいま真っ二つに割れている。

 それは人魔大戦、引いては魔族に対する人々の認識のことだ。

 あの後、王位についたヴァージルはアンジェリカたちが回収してきた資料を大々的に世界に公表した。

 それを精緻な造り物だという人間ももちろんいれば、これは間違いなく歴史的に価値があるものだと言って信用する人間もいた。

 まぁ結局、証拠があろうがなかろうが、人というのは自分が信じたいものを信じる生き物だ。この論争が止むことは、まぁしばらくのところはないだろう。

 まぁ世界のごたごたはそれくらいにして、ひとまずわたしのことに話を移そう。

 何か知らんが、わたしは今のところまだ生きている。

 ……いや、一時期は冗談抜きで本当に死にかけた。身体が弱っていたところにあれだけの仕打ちをされて、感染症にかかってわりと冗談抜きで生死を彷徨った。

 あ、これ死ぬな――と、あの時は正直思った。

 でも、なんか死ななかった。

 どうして死ななかったのかは自分でもやっぱりよく分からない。

 そもそもわたし自身の見立てでは、魔力が回復してくるにつれて勝手に死ぬはずだったのだ。

 あれだけ魔法を使いまくったせいで、わたしの中にある魔力を制御するための回路みたいなのはボロボロになってしまった。再び身体に魔力が満ちてくれば、それを制御する術がない。故に、わたしは勝手に死ぬはずだった。

 ……でも、そうはならなかった。

 というのも、そもそも魔力が回復しなかったのだ。

 わたしの魔力は極大魔法を使った時点でほぼ尽きた。その後も何やらちまちまと魔力を使ったが、それで完全に底を突いた。

 そうしたら、そのままになってしまった。わたしの器は、相変わらずほぼ空っぽという状態だ。

 理由は分からない。

 多分、ある程度はあるんだと思う。でも、それは人間の一般人レベルとそう変わらない量になってしまっているので、人体にはまったく影響がない――のだろう。多分。知らんけど。

 ようするに、いまのわたしは魔法が一切使えない状態だった。

 ……じゃあ、いまのわたしは〝何〟なのだろう?

 ……人間?

 ……魔族?

 色々考えてみたが、はっきりとした答えは自分でも分からなかった。

 あの日以来、わたしは〝悪夢〟を見ることもなくなり、身の回りに〝黒い手〟が現れることもなくなった。

 がいったいどうなったのか。それについても、わたしには分からない。ヴァージルの聖剣から放たれた光で全てが消え失せてから、一度もわたしの前には現れていないのだ。もしかして彼らがわたしのことを許してくれたのか――なんて、もちろんそんな都合の良いことは考えていない。だって、わたしはまだ償うべき罰を全て受けていないのだから。

 ……本当に、何もかも分からないことばかりだ。

 とにかく色んな変化があった。

 その中で、人から見たらきっととてもささやかだろうけど、でもわたしにとってはとても大きな変化が一つあった。

 それは……あいつと〝結婚〟したことだ。


 μβψ


 わたしたちはとある場所までやって来ていた。

 そこはあの〝約束の丘〟だった。

「……おい、ちょっと待てヴァージル。そんなに先に行くな」

「おいおい、この程度でへばったのか、ミオ? あの頃とはまるで真逆だな」

 ヴァージルが笑うように言った。

 と言っても、姿

 わたしは命だけは何とか助かったが、視力をほぼ完全に失ってしまったのだ。だから、今はわずかに光を感じる程度しかできなくなっている。

 と言っても、あまりに日常生活に支障はなかった。というのも、周囲にある魔力の気配を感じていれば、普通に生活するくらいなら何の問題もないからである。もちろん一人で歩けるし料理も出来る。料理も出来る。はい、とても大事なことなので二度言いました。

 ただ、いまのわたしにもヴァージルの姿はもう見えていなかった。

 ……多分、あれは何かの奇跡みたいな出来事だったんだろう。

 あの時、わたしには確かに在りし日のヴァージルの姿がこの目で見えていた。他の何も見えない中で、ヴァージルの姿だけはっきりと見えていたのだ。

 今はもうそんなことはなかったが……まぁ別に構わない。目で見ることはできなくても、こうして傍にいて手を繋ぐことが出来る。それ以上、わたしが望むものなんてあるわけがなかった。

 ただ――そう、一つだけ。

 一つだけ、わたしには目が見えていないことで口惜しいと思っていることがある。

 それは――

「……あの、父上? 母上? ミオとかヴァージルって誰のことですか?」

 息子、マルクのことだった。

 わたしたちはお互いにギクリとして、思わず顔を見合わせていた。(目見えてないけど)

「え? い、いやぁ? 何だろうな? 聞き間違いじゃないか? なぁ、エリカ?」

「ほほほ、そうですね。きっと聞き間違いね。ねえ、シャノン?」

 わたしたちは下手くそな芝居で笑って誤魔化した。

 ……しまった。お互いを〝昔〟の名前で呼び合うのはもうやめようってマルクが生まれた頃に約束したんだった。うっかりしていた。

 懐かしい場所に来ていたせいか、わたしもシャノンも、本当に自然にかつての名前で呼び合ってしまっていたようだ。

 ……ううむ、気をつけなくては。

「……? なんか二人とも変じゃないですか?」

「ははは。マルク、いいか? いずれ王を継ぐ男が、そんな細かいこと気にしてちゃダメだぞ?」

 シャノンが適当な感じで誤魔化した。

 マルクはどこか納得していない気配だが、それ以上は何も言わなかった。マルクは聡明で利口だから、きっと何となく察したに違いない。

 ……そう、わたしが一つだけ口惜しいと思っていること。それはマルクの姿をちゃんとこの目で見たことがない、ということだ。

 気配で輪郭や背格好は分かるのだが、ちゃんとした容姿までは把握できない。

 ……はあ、残念だ。それだけが本当に口惜しい。わたしとヴァージル――じゃなかった。シャノンの子供が可愛くないわけないのだ。絶対に素晴らしく可愛いに決まっている。ああ、でも実際にそれを目にしたら興奮し過ぎておかしくなってしまうかもな。ある意味今のままでちょうどいいのかもしれないな……。←親馬鹿

「ていうか今日はどうしてわざわざこんなところに来たんですか? 休暇を過ごすなら他にもいくらでも避暑地なんてあると思うんですけど……ここって20年位前まで魔石の採掘場だったところですよね?」

「ええ、そうね、マルク。でもね、それはほんの20年前のことよ。それよりずっと昔はね――ここに、お母さんの〝故郷〟があったのよ?」

「え? 母上の? どういうことですか?」

「おい、見えてきたぞ」

 どうやら頂上が見えてきたらしい。

 シャノンがわたしの手を引っ張る。

 わたしはもう片方の手で、マルクの手を引いて頂上を目指した。


 μβψ


「わぁ、すごい! 綺麗ですね!」

 マルクが感嘆の声を出した。

 わたしもその横に立ち、流れる風に身を晒した。

 心地よい風が流れていくのを感じた。

 ……ああ、懐かしい。

 自然とそういう気持ちが溢れてきた。

「でも、山ばっかりで何もないですね……って、あれ? は、母上? どうされたんですか?」

「え?」

 マルクに言われて、わたしはようやく気付いた。

 わたしは――泣いていたのだ。

「ど、どうしたんですか、母上? どこか痛いところでも?」

「……そうね。痛いと言えば痛いかも知れないわね。胸の辺りが」

「胸が!? た、大変です父上!? 母上が胸が痛いそうです!?」

「……見えているのか?」

 慌てるマルクと違って、シャノンの声はとても穏やかだった。

 わたしはその声に、思わず何度も頷いていた。

「……ええ、見えています。わたしの目には、はっきりと見えています」

 ……そう、わたしには見えていたのだ。

 この目はもう見えない。光をわずかに感じることしかできない。

 それでも、わたしは在りし日の〝故郷ゲネティラ〟の光景が、はっきりと見えていたのだ。

 かつてここに存在したはずの街。

 きっと、今は何も無いのだろう。

 でも、あったのだ。

 ここに確かに、わたしたちが暮らした〝故郷〟が。

 あの時の光景は、今も鮮明に心の中にある。

 例え世界のどこになくても、ここには確かにあるのだ。

 あの頃の、黄金色の思い出と共に。

 ……いつか。

 いつか必ず、ここにもう一度〝故郷〟を作ろう。

 それはマルコシアスとの約束でもあるし、わたしに出来る精一杯のへの贖罪でもある。

 ……わたしが生み出してしまった、巨大な歴史のに飲み込まれた大勢の命。あんな悲しいことが決して再び起きないようにするには、このを消し去ってしまわなければならない。失ったものは戻ってはこない。だからわたしは、これから生まれてくる全ての命に幸せになって欲しいと願っている。その願いを精一杯叶えることが、への贖罪になるのだと信じている。

 人間と魔族の融和なんて、ただの夢物語だって大勢の人間が思っているだろう。

 ……でも、いつか絶対、やりとげてみせる。

 わたし一人では到底不可能だろう。

 でも――みんなと一緒なら、きっと出来るはずだ。

 ……かつて、ここに仲の良い男の子と女の子がいた。

 あの時は二人だった。

 でも、いまは三人だ。

「……母上」

「大丈夫よ、マルク。わたしは大丈夫……さ、三人で手を繋ぎましょう。マルクがわたしの手を握ってくれていたら、わたしも安心できるわ」

「分かりました、母上」

 わたしとシャノンは、マルクを挟んで三人で手を繋いだ。

 こうやってちょっとずつ手を繋ぐ相手を増やしていけば――いつかきっと、あの頃の光景が戻ってくるはずだ。

 この小さな輪が、いつかとてつもなく大きな輪になって、この壊れてしまった世界を繋ぎ直してくれるに違いない。今すぐには無理でも――きっと、いつか必ず。

 わたしは、そのことを信じている。

 風がわたしたちの間を吹き抜けていった。

 その時、わたしは確かに聞いたのだ。

 かつてここにあったはずの、当たり前の風景こえを――


 ――ねえ、待ってよミオ!

 ――おい、早く来いヴァージル! 置いていくぞ!


 μβψ


 ……この地に再び〝ゲネティラ〟という名の国が生まれるのは、これからまだ百年ほど先のことである。

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