153,決着
……誰もが呆然と、錯乱したウォルターが消え去るのを眺めていた。
会場はしん――と静まりかえっていた。
壇上にいる家臣たちも、異端審問会も、騎士団も、そして聴衆も――誰も何も一声さえ発しなかった。
ただ突然のことに呆気に取られていただけだ。
……その中で、シャノンだけはウォルターが消えていった方を静かに眺めていた。
それはどこか悲しそうにも見えたし、無表情なようにも見えた。なんとも言えない表情だったが……ただ、少なくともそこには〝敵〟を打ち倒したという喜びは一切なかった。それだけは確実だった。
「……あー、今からここにいる人間たちに一つ話したいことがある」
シャノンは気を取り直して、ウォルターの代わりに壇上に立った。魔術道具が、彼の声を広場全体に届ける。
それを止めようとする者は誰もいなかった。
「一つ、昔話をしたい。これは百年以上前――人魔大戦が起こるよりも前の世界の話だ。いまここで、その世界のことを知っている人間は一人でもいるだろうか?」
誰もが「いったい何の話だ?」と首を傾げていた。
それを見たシャノンは一つ頷いてから続けた。
「まぁほとんどの人間は知らないだろう。人魔大戦を契機に、それまでの歴史は全て都合よくねじ曲げられてしまったからな。今となっては、もう誰も、かつて人間と魔族が共存していた世界があったことなんて知りもしないだろう。だがな、そういう時代が――かつてこの世界には本当にあったんだ。人間と魔族が、友達みたいに手を取り合っていた時代が。
しかし、それは人魔大戦の勃発と同時に全て変わってしまった。その時からオレたちはお互いに〝敵〟になってしまった。あの戦争はそもそも人間側が仕掛けた戦争だった。今ではまるで全て魔王メガロスが諸悪の根源みたいにされてしまっているが……それも事実じゃない。むしろ、魔王メガロスはあの戦争を止めようとしていた。先に仕掛けたのは人間側だった。と言っても、すぐには信じられないだろうが……そのことを示す歴史的な証拠はある」
誰もがただ呆然とシャノンの話を聞いていた。
ただ、ほとんどの人間の反応は「いったい何を言ってるんだ、こいつは?」というものだった。
それはそうだろう。
現代の歴史認識では、あの大戦は魔王メガロスが一方的に仕掛けた戦争ということになっているのだ。もちろん、魔族たちはメガロスに進んで従った。ようするに戦争を仕掛けてきたのは魔族だ。魔族こそが悪いのである。それを今さら「先に仕掛けたのは人間だった」と言われても、すぐに受け入れて納得できるはずもなかった。
もちろん、それはシャノンも分かっている。
すぐに受け入れられるような話ではない。
でも、まずは声を上げることから始めなければならないのだ。
黙ったままでいては――それこそ、本当にいつまで経っても何も変わらないし、変えられないのだから。
「それと今じゃ〝勇者〟と呼ばれているブルーノだが……これも残念ながら事実じゃない。本当に〝勇者〟と呼ばれた人間は他にいた。ブルーノはその功績を横取りしただけだ。
……なんて言っても、これもまぁ誰も信じられないだろう。何を言ってるんだろうこいつは、とみんな思っていることだろう。なぜオレにそんなことが分かるのかって言われれば……それは、オレ自身がその〝本物〟の勇者の生まれ変わりだからだ。今からその証拠を見せよう」
そう言うと、シャノンはおもむろに壇上から降りて、そのまま歩き出した。
誰もが遠巻きに眺めている中、シャノンは広場にあったブルーノの巨大な銅像の前に立った。
別人かと思うくらい美化されたブルーノが、聖剣を掲げている銅像だ。この国ではよく見る肖像画とまったく同じポーズである。
その前で、シャノンは静かに剣を上段に構えた。
「……ブルーノ。これで全部終わりにしよう。お前の〝嘘〟は――今日ここで、全部終わりだ」
ぐっ、とシャノンが手に力を込め、聖剣にありったけの魔力を送り込んだ。
すると、嵐のような光の奔流が現れた。
本当に突然、竜巻でも起こったかと見紛うような光景だった。
それはどう見ても人智を超えた光景だった。
突然のことに群衆がパニックになってもおかしくなかったが、なぜか誰も逃げだそうとしなかった。
と言うのも、ただ動けなかったのだ。
目の前の光景があまりにも美しく――神々しすぎて、誰もその場から動けなかったのである。
「はああああああああああぁぁぁぁ――ッッッッ!!!!!!」
シャノンが思いきり剣を振るう。
ありったけの魔力の奔流が竜巻のような暴風となり、ブルーノの銅像に襲いかかる。
光の渦はあっという間に銅像を粉々に粉砕した。
だが、それだけでは到底収まらない。
暴れ狂う渦はそのまま、真っ直ぐに広場を縦断した。
もちろん、その方角に誰も人はない。それが分かっているからシャノンも思いきり〝力〟を解き放ったのだ。
後に残されたのは、まるで人智を超えた巨大な爪痕だけだった。
それはシャノンが人為らざる存在だと示すには、十分過ぎる光景だった。
その光景を見た多くの人間は、みな同じ言葉を頭に思い描いていた。
それは子供の頃に聞かされる英雄譚の一節だ。
恐ろしい魔王を、たった一撃で粉砕する気高き光。
そう――それこそが〝勇者〟だ。
シャノンがいま見せた光は、大勢の人々に子供の頃に聞かされ、思い描いていた通りの姿そのものだった。
「……ふう、まぁこんなもんだな」
シャノンは非常に満足した顔だった。
それから、背後を振り返ってこう問いかけた。
「で、誰かオレが新しい王になるのに異義のあるやついる? もしいるのなら、今なら受け付けるが……」
もちろん誰も異義の声など上げなかった。そもそもみんな開いた口が塞がっていない状態だ。そもそも声が出せるわけもなかった。
「そうか。じゃ、そういうことで」
シャノンは頷いて、これで話は決まったとばかりに歩き出した。
向かったのは……もちろん、自分のことを待ってくれている人のところだ。
μβψ
「悪い、待たせたな」
……なんて、ヴァージルはまるで軽い用事でも済ませてきたみたいにわたしに言った。
傍にいるヨハンやアンジェリカでさえ、すぐには声が出せない様子だった。
なので、わたしが代わりに言っておいた。
「……阿呆。やり過ぎだ」
「え? そうか? これでもちょっと手加減したけどな……だって最終決戦の時はもっと派手だっただろ?」
「それは確かにそうだが――」
そう言いかけた時、ようやくアンジェリカとヨハンの二人が動き出した。
「ちょ、シャノン!? 何だいまのは!? あんなのはもう一級魔術兵器だぞ!? どんな威力だ!?」
「す、すごいです殿下!! あれが聖剣の本当の力なんですね!? そりゃ魔王だって吹っ飛んじゃいますよね!! すごいすごい!!」
二人の反応は実に対称的だった。単純に兵器としての威力に怖れ
「まぁ落ち着けって、お前ら。見たかったらそのうちまた見せてやるから」
「え!? 本当ですか!? やったー!」
「いやもう見せなくていいよ!? 単純に怖いから!?」
「それよりちょっとどいてくれ。オレは今から大事な話をしなきゃならねえんだ」
そう言いつつ、ヴァージルは二人を押しのけて再びわたしの前に立った。
その時、わたしは思わず身体がふらついてしまった。
でも、ヴァージルがすぐにわたしの身体を抱きとめてくれた。
ついそのまま身を任せそうになってしまったが――わたしは我に返って、すぐに身体を離した。
「ま、待て! わたしにもうこれ以上優しくするな!」
「は? 何でだよ?」
「な、何でって……そんなの、頼りたくなってしまうからに決まっているだろう」
わたしはなるべく、ヴァージルの姿から目を逸らした。
そうしなければ、自分からしがみついてしまいそうだったからだ。
……でも、それはダメだ。
わたしにはそんな資格ないのだ。
あれだけ大勢の命を奪った元凶が、都合良く誰かに頼るなんて――そんなこと、絶対にあってはならないのだ。
わたしは死ななければならない。
わたしは苦しまなければならない。
だって、そうでなければ、彼らが許してくれるわけがないのだ。
わたしのせいで死んだ、あの大戦の大勢の犠牲者たちが――
「ミオ」
ヴァージルの手がそっとわたしの頬に触れた。
そんなに大した力ではなかった。
でも、わたしはそのわずかな力に、どうしても抗えなかった。
ヴァージルはどこまでも真っ直ぐにわたしのことを見ていた。
「もうお前が苦しむ必要なんて無い」
「で、でも……」
「でももクソもあるか。そもそも別にお前は何も悪くねえんだ。それでもお前のことを悪いなんていうやつがいたら……そんな連中は、オレがまとめて全部吹っ飛ばしてやる。例え相手が〝神〟だろうが〝運命〟だろうが関係ない」
「や、やめろ……やめてくれ……」
そんな優しいこと言わないでくれ。
そんなこと言われてしまったら、また縋り付きたくなってしまう。
何もかも捨てて――お前と一緒にいることだけを望んでしまう。
ダメなんだ。
わたしはそんなこと望んだらダメなんだ。
だって、わたしは、ちゃんと苦しむために生まれ変わったんだから。
然るべき罰を受けるためにこうして生まれ変わったんだから。
なのに、幸せなんかになってしまったら――
「いいや、やめない。オレはもう、絶対にこの手を離さない。離してたまるもんか」
ヴァージルがわたしの手を握る。
その温かさは、わたしがずっと望み焦がれてきたものだった。
ずっとこうしたかった。
ずっとこの時が来るのを待っていた。
……もう、こんな時、二度と来ないと思っていたのに。
ダメだ。
もう、無理だ。
わたしは――この手を、もう離せない。
「ミオ、いまここで、約束を果たそう。本当の意味で」
ヴァージルはおもむろに、あの約束の意思を取りだして見せた。
それを見たわたしも、自分の石を取りだした。
ヴァージルがわたしに向かって石を差し出す。
わたしはちょっとだけ躊躇ったけど……その断面に、ぴったりと自分の石を重ね合わせた。
わたしたちは、ようやく――百年越しの〝約束〟を果たしたのだった。
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