152,〝本物〟

(きたッ!! きたきたきたきたきたッ!!!! 本当に現れやがったッ!!!!)

 ……いまこの瞬間を、誰よりも歓喜で迎えているのは間違いなくウォルターだった。

 急遽、この公開処刑を行うことにしたのは、シャノンを釣るための餌だった。

 女がどうしても口を割らないというのであれば、ならばシャノンの方を動かそうと企んだのだ。

 と言っても、本当にシャノンが動くという保証はなかった。かなり賭けの要素が強かったが……ウォルターはその賭けに見事勝利したのだ。

(馬鹿めッ!! こうして公衆の面前で〝魔族〟を助けに来たお前はもはや逆賊――いや、国賊だッ!! もはや言い訳は不可能ッ!! これでおれの勝利は確定したも同然だッ!!)

 勝利を確信したウォルターは即座に叫んだ。

「貴様ら、そこの逆賊を取り囲めッ!!」

 それは警備に当たっている異端審問会への指示だった。

 長官であるヘルムートは気絶していてまったく使い物にならなかったが、他の人間たちは慌てたように動き始めた。

 エリカ・エインワーズの周囲は騎士団が守るように取り囲んでいる。そのさらに周囲を、異端審問会の兵士たちがぐるりと取り囲んだ。

 突然のことに、広場に集っていた民衆たちは慌てて退避していた。この突然始まった事態がただの演出なのかそうでないのか、大勢の人間はその判断が付かない様子で、遠巻きにこの様子を眺めている。

 数は圧倒的に異端審問会が勝っていた。

 彼らも自分たちが優位だと認識しているのだろう。顔こそ見えないが、態度から見て余裕があるのが分かった。

 だが、

「……どれ、我が輩たちも征くとするか」

 後方から、テディが率いる騎士団が一斉に姿を見せると、彼らは途端に怯んだ様子を見せた。

「な――テディ・マギルまで!?」

「まさか騎士団全員が結集してるのか!?」

 ヨハンたちを取り囲んでいた異端審問会の兵士たちは、すぐ怖じ気づいたようになってしまった。テディ一人だけでも凄まじい威圧感だというのに、周囲にはさらに殺気だった隊長クラスの人間たちが勢揃いしているのだ。所詮は焼き付け刃の準軍事組織でしかない異端審問会と、純然たる軍事組織である騎士団とでは、とてもではないが気迫の度合いが違っていた。

 ……しかし、その様子を見ても、ウォルターはまったく焦ってなどいなかった。

 むしろ、まずます自分の思惑通りに事が運んでいることに喝采を上げていた。

(ははははッ!! 馬鹿め、ご丁寧に騎士団まで動かして来てくれるとはなッ!! 対外的に見ればこれはどう足掻いても〝クーデター〟だ。今日の式典には諸外国の来賓も多く来ている……誰の目に見ても、シャノンは力尽くで王位を奪おうとしているようにしか見えない。その上、あの魔族の女を助けたとなれば、どちらに〝正義〟があるのかは火を見るよりも明らか――この勝負、やはりおれの勝ちだッ!!)

 背後の混乱をよそに、シャノンはゆっくりとウォルターのところへと近づいてくる。

「止まれ!! それ以上近寄ると実力行使に出るぞ!!」

 もちろん、ウォルターを守るために異端審問会たちの兵士も動いたが、

「――どけ」

 シャノンが一言そう言うだけで、兵士たちはみなぴたりと動けなくなってしまっていた。まるで蛇に睨まれた蛙のようだ。

 そのまま、シャノンは悠然と壇上に上がってきて、ウォルターの目の前に立った。

 ウォルターは何もかもが思惑通り過ぎて、思わず笑ってしまっていた。

「どうしたのだ、シャノン? 随分と物騒な歓迎じゃないか。それとも、まさかとは思うが今さら王位が欲しくなったとでもいうのか?」

「ええ、その通りです兄上。申し訳ありませんが、王位はオレが貰う受けます」

「ははは! 貴様は本当に愚かだな、シャノン! もう何もかも遅いわ! 戴剣の儀式は終わった! すでにおれが新しい王なのだ! ふはははッ!!」

「いえ、残念ですがそれはまだ決まっていません」

「……なに?」

 シャノンはおもむろに、自分が持っていた剣を掲げて見せた。

 それを見た周囲からはどよめきが上がった。

 それはどう見ても、聖剣グラムだったからだ。

 もちろん、聖剣グラムはすでにウォルターが持っている。

 目の前の事態に、家臣たちも困惑した様子を見せた。

「ど、どういうことだ? 聖剣が二本だと?」

「なぜ聖剣が二本あるのだ?」

「これはいったいどういう――」

「静まれッ!!」

 浮き足立つ家臣たちを、ウォルターは一喝した。

 ウォルターはあくまでも余裕を崩さなかった。

「おいおい、シャノン。まさかそんな偽物までわざわざ用意してきたのか? 随分とご苦労なことだな」

 ウォルターがわざとらしく大きめな声で言うと、周囲の人間たちも納得したような顔を見せた。確かに、この場ではどう考えてもシャノンが持ってきた方が偽物だ。本物はすでに儀式で使用されているのだから。

 ウォルター自身、それはシャノンのつまらない小道具だと高を括って笑っていた。

「父上、この愚弟に言ってやってください。もうすでに王位は決まっているのだから無駄な足掻きはするな――とね」

 と、ウォルターは余裕たっぷりにそう言った。

 ここでアルフレッドがはっきりと「王位はウォルターに譲った」と言えば、何もかも終わる話だ。シャノンの行き当たりばったりの計画などうまくいくはずがない。

 ……だが。

「……父上? どうされたのですか?」

 アルフレッドは何も言わなかった。

 さすがにウォルターが訝しんでいると――なぜか、アルフレッドの懐疑的な目が自分に向けられていることに気付いた。

 そこで初めて、ウォルターは戸惑った。なぜ、父がそんな顔で自分を見ているのか本当に分からなかったからだ。

「……ウォルター。一つ訊ねたい。これは本当に〝薬〟なのだろうか?」

「――」

 急なことだった。

 アルフレッドは突然、小さな袋を取りだして見せ、そんなことを言い出したのだ。

 もちろん、その場にいるほとんどの人間には何のことか分からない。

 動揺を見せているのはウォルターだけだった。

 ウォルターはハッと我に返ったように口を開いた。

「な、何を仰っているのですか、父上。それはわたしが父上のために用意した薬で――」

「この薬の成分を調べさせた。すると、これは人体に害があるものだと分かった」

「だ、誰に調べさせたのですか? その者は嘘を吐いています! ちゃんと宮廷医師に調べさせた方が――」

「その宮廷医師が自白したよ。お前に脅されて、これが薬だと嘘を吐けと言われた――とな」

「――」

 ウォルターは何とも言えない表情のままで固まってしまった。

 一瞬、目が泳いだが……その目がシャノンを捉えて止まった。

 シャノンは別に笑ったわけでも何でもなかった。ただじっとウォルターを見返していただけだ。

 それでも、なぜかウォルターには分かった。

 アルフレッドに毒のことを吹き込んだのは、きっとこの男に違いないと。

「ち、父上!? まさかとは思いますがシャノンに何か吹き込まれたのですか!? ダメです、この男を信用してはなりません! こいつは馬鹿の能無しです! それは父上自身がよくご存知でしょう!? 今までこの馬鹿のせいでどれだけ迷惑をかけられてきたか!? それを忘れたわけではありますまい!?」

「……確かにそうだ。だが、お前がわたしにずっと嘘を吐いて毒を飲ませ続けて来たというのもまた事実だ。なぁ、ウォルターよ。教えてくれないか。わたしはいったい、どちらを信用すれば良いのだ……?」

 アルフレッドは切実な顔で問いかけた。

 それはまだ、ウォルターのことを信じたいと思っているようにも見えた。嘘なら嘘とはっきり言ってくれと。

 アルフレッドは実に凡庸な男だった。とても王になるような器ではなかった。そんな彼が頼れるのは息子であるウォルターしかいなかったのだ。

 アルフレッドの顔には、王としての威厳など何も無かった。ただ、信頼していた息子に裏切られたのかもしれない――そのことに気付いて悲痛な顔をしている哀れな人の親がそこにいるだけだった。

「ぐ、ぬう――!?」

 ウォルターは何も言えなかった。

 父から目を逸らし、代わりにシャノンを睨みつけた。

「シャノン、姑息な手を使いおって!! そうまでして王位が欲しいか!? このおれのことを貶めてまで!?」

「貶める? オレにはそんなつもりは毛頭ありませんよ、兄上」

 シャノンは静かに自らに聖剣を構えた。

 それを見たウォルターは狼狽えた。

「な、何のつもりだ?」

「何のつもりって、もちろん白黒をはっきりさせるだけのことです」

「だから、何をはっきりさせるというのだ!?」

「どちらが〝本物〟なのか――ですよ」

「ほ、本物だとぉ……?」

「そうです。聖剣の正当後継者がこの国の王に選ばれると言うのであれば……今この場で、大勢が見ている前で決着をつけましょう」

「ふ、ふざけるな!? 決着などとうについている!! 新しい王はおれだッ!! 貴様が今さら出しゃばってきたところで何の意味もないわッ!!」

「新しい王? そんな偽物の聖剣で新しい王を名乗るんですか、兄上は?」

「この聖剣が本物だッ!! この聖剣こそがッ!! 貴様の偽物の聖剣など取るに足らぬわッ!!」

 ウォルターは自らの聖剣を掲げて見せた。

 確かに、何も知らなければ素晴らしい剣に見えることだろう。贋作とはいえ、これを作り上げた人間も相当な魔術師だったに違いない。

 だが――〝本物〟の前では、見せかけだけの美しさなどただのハリボテも同然だった。

「……兄上。〝本物〟とはこういうことですよ」

「え?」

 今度はシャノンが聖剣を掲げた。

 すると、本当にまばゆい光が辺り一帯を埋め尽くした。

 シャノンが少し魔力を込めただけで、グラムの白銀は驚くほど美しい光を放ったのだ。

 その光は誰の目に見ても圧倒的だった。

 隣にいたウォルターの姿など、一瞬で見えなくなってしまうほどに。

 もちろん、ウォルター自身もその様子をただ呆然と眺めていた。

 シャノンが込める魔力量を減らすと、光もすぐに収まった。

 けれど、その眩い光はすでに誰の目にもしっかりと刻まれていた。

「……な、何だそれは?」

「これが〝本物〟ですよ、兄上」

「う、嘘だ。そんなことあり得ない……だって、おれの持っている聖剣こそが本物で――」

 震える手で、ウォルターは自分が握りしめている聖剣を見やった。

 ……その途端、彼はこう思ってしまったのだ。

 ――みすぼらしい。

 と。

 さっきの美しい光を放つ剣と比べて、自分が持っている剣が、とてもみすぼらしく見えてしまった。

 もちろんすぐにハッとした。

 そんなことはあり得ないと、自らに芽生えた気持ち事大きく振り払った。

「ふ、ふざけるなッ!! そんなことがあってたまるかッ!! おれが偽物で、お前が〝本物〟だとぉ……ッ!? そんな馬鹿げたことがあってたまるものかぁッ!?」

 ウォルターは剣を振りかざし、叫びながらシャノンに斬りかかっていった。

 彼も剣術は決して素人ではない。あらゆる学問と同じように、幼い頃から厳しい剣術の稽古もこなしてきたのだ。

(このおれがシャノンに劣っているところなど一つもありはしないッ!! そんなものあってはならないのだッ!! でなければおれは、おれは――ッ!!)

 がむしゃらに斬りかかった。

 それは十分、見事な太刀筋と言えるものだっただろう。

 ……ただ、その程度では到底〝本物〟に叶うはずなどなかった。

「――ウォルター、これでケリをつけよう」

「……え?」

 ……ウォルターは、生まれて初めて〝死〟を見せられた。

 何も見えなかった。

 しばらくしてから、彼はようやく自分が尻もちをついていることに気が付いた。

(……な、何だ? いったい何が……?)

 そこでふと、彼はようやく気付いた。

 自分が持っていた聖剣が真っ二つになっていたことに。

「……せ、聖剣が」

「大丈夫か、ウォルター?」

 その時、目の前に手が差し出された。

 シャノンだった。

 シャノンが自分に向かって手を差し伸べている。

 その様子を、ウォルターはただ呆然と見ていた。

 ……そして、彼はついうっかり、その手を掴んでしまいそうになった。

 もちろん、直前で気付いた。

 気付いて、愕然とした。

(……待て? おれは、いま何をしようとした? こいつの手を取ろうとしたのか? このおれが? この愚弟の手を?)

 その瞬間、色んな思い出が脳裏を駆け巡った。

 長年に渡って積み重なっていったシャノンへの恨み。

 それは小さな事の積み重ねだった。

 一つ一つは大したことがないことで、とても些細なことだったが、それが山のように積み重なっていまのウォルターの人格を形成していた。

 ……だが、その一つ一つを取り払っていくと、最終的に現れたのは子供の頃の自分の姿だった。

 子供の頃の彼には誰も味方がいなかった。

 彼は独りぼっちだった。

 そんな彼が欲していたのは――ただ、手を差し伸べてくれる誰かの存在だった。

 この時、ようやく気付いたのだ。

 彼はただ――誰かに、こうして手を差し伸べて欲しかっただけなのだ。

 もし。

 もし仮に、あと10年早くシャノンがこうしていれば。

 この兄弟は、手を取り合ってこの国を大きくしていったかもしれない。

 ……もちろん、そんな未来はもうどこにもないのだが。

「ふ、ふざけるなああああああああああああああああああッッッ!!!!!」

 ウォルターはシャノンの手を振り払うと、その場から逃げるように走り出してしまった。

 みなの前から姿が消えるその瞬間まで、ウォルターはひたすら罵詈雑言を喚き散らしていた。

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