151,公開処刑

 ……手枷を引っ張られて、わたしは無理矢理馬車から降ろされた。

 これまでずっと地下にいた目に、地上の光がまるで突き刺さるように降りそそいでくる。

 相変わらず目はほとんど見えないが、光を感じることくらいはできるので、とにかく眩しかった。

 そのことに思わず立ち止まっていると、再び思いきり手枷が引っ張られた。

「何を立ち止まっている!? さっさと歩けッ!」

「あ――」

 いまのわたしには、その力に踏ん張るだけの余力も残っていなかった。

 足の爪が全部剥がされていたというのもあって、本当に踏ん張りが効かなかった。

 わたしはその場に思いきり、頭から倒れてしまった。

 鈍い音がして、視界が暗転した。ただでさえぼんやりしていた視界が、余計に輪郭を失ったように思えた。

「この愚図が! さっさと立て!」

 男が苛立ったようにわたしを引っ張った。わたしは死にかけの犬みたいに、鎖で引っ張られて無理矢理起こされた。

 ようやく自分の足で立って――そこで、わたしはようやく気付いた。

 そこに広がっていた光景は、まさに〝死者の世界ニヴルヘイム〟に相応しいものだった。

 わたしが行く道の左右に、それはもう夥しい数の亡者たちが溢れていたのだ。

 いや、実際はそうでないのかもしれない。

 だが、いまのわたしのほぼ視力を失った目には、目の前の光景はあの〝悪夢〟とまったく同じ物にしか見えなかった。

『この女が先日の襲撃事件の首謀者だッ!! 諸君、見た目に惑わされてはならないッ!! こいつは人間のフリをしいるだけで、凶悪な魔族なのだッ!! こいつがあの襲撃事件を起こし、大勢の人々の命を奪ったのだッ!!』

 どこからともなくそんな声が聞こえた。

 すると、周囲の空気が一変した。

 殺気だ。

 凄まじい殺気が満ちるのを感じた。

 次の瞬間、そこかしこから怒号と怨嗟が聞こえ始めた。

「死ねッ!!」

「邪悪な魔族めッ!!」

「お前らのせいでどれだけ人間が苦しんだと思ってやがるッ!!」

「返してよッ! わたしの子供を返してよッ!!」

「全部お前のせいだッ!!」

 ……本当に、凄まじい怨嗟だった。

 けれど、わたしがこの光景を見るのは、これが初めてではない。

 これは今まで、悪夢で何度も見てきた光景そのものだった。


 ――死ね。

 ――死ね。

 ――全部お前のせいだ。

 ――お前があの戦争を止めなかったから、我々は死んだのだ。


 〝声〟が聞こえてくる。

 その声がかつて夢で聞いていたものなのか、それともいま実際に聞こえているものなのか、その区別はもうわたしにはつかなかった。

 けれど、一つだけ分かるのは――彼らの怨嗟は、何一つ間違っていないということだ。

 ……ああ、そうだ。

 全部わたしが悪いんだ。

 お前たちが苦しんでいるのは全部、わたしのせいなんだ。

 わたしが戦争を止めてさえいれば、こんなことにはならなかったはずなのに。


 ――そうだ。

 ――全てはお前のせいだ。

 ――死ね。

 ――死ね。

 ――苦しんで死ね。


 足元から〝黒い手〟が這い出してきて、わたしの身体に纏わり付き始めた。

 それを見たわたしは――むしろ、

 ……ああ、やっとか。

 お前たちはやっと、

 これはわたし自身が望んでいたことだった。

 これでようやく、わたしはちゃんと苦しむことができる。

 もうこれ以上、他の誰にも迷惑をかけないで済む。

 わたしの罪を――わたしの命で、贖うことができる。

「死ねッ!!」

 怒号と共に何かが飛んできて、わたしの頭に当たった。

 多分、石か何かだろうと思う。

 それでわたしはまた地面に倒れてしまった。

「う、くぅ……」

 起き上がろうと地面に手を突くが、力が入らない。手にも爪がないせいか、どれだけ踏ん張ろうとしてもうまく力が入らないのだ。

 その時、わたしは自分が泣いていることに気が付いた。

「おいおい、今さら怖くなったのか? ふん、強がっていても所詮はガキだったか」

 あのヘル何とかいう男のせせら笑うような声が聞こえた。あれだけ強がって見栄を張っていたわたしが泣いているのを見て、さぞ胸がすくような思いをしていることだろう。声色でそれがよく分かった。

 でも、わたしは別に怖くて泣いているのではなかった。

 ……わたしはただ、自分が不甲斐なくて泣いているのだ。

 どうしてわたしなんかが〝魔王〟になってしまったのだろう。

 わたしなんかが〝魔王〟にならなかったら、これだけ大勢の人が不幸にならずに済んだはずなのに。

「……ごめん、ごめんなさい。わたしのせいで、みんな――」

「ははは! ばぁーか! 今さら謝って済むわけねえだろうが!! もう何もかも遅いんだよ!! ひゃはは!!」

「く、うぅ……」

 泣いても意味なんてない。

 謝っても意味なんてない。

 それでも、わたしは自分で自分の涙を止めることができなかった。

「……ねえ、お姉ちゃん。大丈夫?」

「……え?」

 怒号や怨嗟が響き渡る中で、不意にそれとは違う声がした。

 小さな女の子の声だ。

 わたしの目にはちゃんと見えなかったけれど……確かに、目の前に女の子の気配と輪郭があった。

「あん? な、なんだこのガキは? どこから入ってきた?」

「こら、何してるの!」

 母親のような声がして、すぐに目の前から子供の気配が消えた。

「魔族に近寄っちゃダメよ! とっても危険なんだから!」

「違うよお母さん、あのお姉ちゃんはわたしたちを助けてくれたんだよ!」

「そんなわけないでしょ! ほら、こっちに来なさい!」

「こら、勝手に通路に入るな! 早く出て行け!」

「すいません!」

 男が親子をわたしの近くから追いやった。

 わたしは半ば呆然としていた。

 ……今の子は、もしかしてあの襲撃事件の時の子供だろうか?

 そうか。あの親子は助かったのか。なら良かった。旦那の方はどうなったのだろうか。そっちも助かっているといいが。


 ――お前に誰かを救うことは出来ない。

 ――お前に出来るのは、死ぬ相手を変えることだけだ。


 不意に、あの〝影〟の言葉も甦った。

 ……ああ、そうか。そうだったな。別にわたしがあの親子の命を救ったわけではなかった。

 そもそも、あの事件だってわたしの存在が招いたものだ。

 この死を引き寄せる疫病神のわたしが。

 結局、わたしは誰も救ってなどいない。あいつの言うとおり、死ぬ相手を変えただけだ。

「おら、ちんたらするな! さっさと立て!!」

「うぐ……ッ!?」

 手枷を思い切り引っ張られた。

 わたしは再び立ち上がり、ずるずると足を引きずって歩き始める。

 わたしが一歩進めば進むごとに、次から次へと〝黒い手〟がまとわりついてくる。

 怨嗟は鳴り止まない。

 ……ああ、もうすぐだ。

 もうすぐ、わたしは然るべき罰を受けられる。

 これをあと何百万回――いや、何千万回繰り返せば、わたしは自分の罪を贖うことができるだろう?

 途方もない時間がかかるだろう。

 でも、それでいいのだ。

 これはわたしが受けるべき罰なのだから。

 他の誰も関係ない。

 特にあいつは。

 あいつだけは。

「……ヴァージル、せめてお前は、幸せになってくれ」

「呼んだか?」

「――え?」

 あり得ないはずの声がした。

 思わず振り向くと――そこに、姿


 μβψ


 最初は信じられなかった。

 だって、

 わたしがよく知っているシャノンの姿ではなく、在りし日のヴァージルがそこに立っていたのである。

 その姿は、かつてわたしと戦った青年の時のヴァージルだ。

 本当にあの時のままの姿で、あいつがそこに立っていた。

「……なん、で?」

 幻覚かと思った。

 でも、幻覚にしてはやけにはっきりと見えた。

 他の全てはおぼろげにしか見えないのに……ヴァージルの姿だけ、本当にはっきりとわたしの目には見えていたのだ。

 ヴァージルは当然のようにずんずんとわたしに近寄ってきた。

「き、貴様!? シャノン・アシュクロフト!? いつの間に現れた!?」

 慌てた声を出したのはわたしを引っ張っていたヘル何とかだ。

 それを聞いた時、わたしは困惑した。

 わたしが見ているヴァージルは、どうやらわたしだけが見ている幻覚ではなかったようなのだ。しかも、他の人間にはちゃんとシャノンの姿に見えているらしい。

「馬鹿め、正体を現したな! ここでとっ捕まえてやる!!」

「――うるせえ、ちょっと黙れ」

「え? ぐはぁッ!?!?」

 物凄く鈍い音がした。

 恐らく男が殴り飛ばされたのだろう。男が持っていた鎖が地面に落ちる音がした。

「てめぇは後で徹底的に殺す。それまでそこでのびてろ」

 とんでもなくドスの効いた低い声だった。

 突然のことにわたしがただ呆然としていると、途端にヴァージルは顔色を変えてわたしに近寄ってきた。

「ミオ、大丈夫か!? ごめん、来るのが遅くなんて……本当にごめんッ! こんな、こんな酷いこと――誰がお前をこんな目に遭わせた!? ヘルムートか!? くそ、後で絶対に同じ目に遭わせてやる――ッ!」

「……なん、で。お前がここに……?」

 わたしはまだ目の前の光景が信じられなかった。

 まだ幻覚なのではないか、という思いが強かった。

 でも、わたしに触れるヴァージルの肌から伝わる感覚は、偽物にしては随分と温かかった。

 ヴァージルはわたしのことを真っ直ぐに見ていた。

「もちろん、お前を助けに来た」

「た、助けにって……わ、わたしはお前を裏切ったんだぞ? なのに何で……」

「裏切ったっていうなら、あんな申し訳なさそうな声で謝るんじゃねえよ。演技なのがバレバレだろうが」

「で、でも……でも……」

「エリカーッ!!」

 その時、他にも聞き覚えのある声が響いた。

 アンジェリカだ。

 彼女の気配がわたしに抱きついてくるのが分かった。でも、その顔ははっきりと分からなかった。気配でそうだと分かるだけだ。わたしの視界にはっきりと姿を捉えることが出来ているのは、やっぱりヴァージルだけだ。

「エリカ、ごめんね来るのが遅くなって! 本当にごめん!」

「アンジェリカ……なんでお前まで……?」

 アンジェリカはわたしにしがみついてわんわん泣いていた。

 状況が飲み込めなかったが……あまりにもアンジェリカがやかましいので、わたしは思わずちょっと笑ってしまっていた。

「うー、何で笑うのよ!?」

「いや、すまん。お前があまりにも泣き喚くものだから、つい……」

「そりゃ泣くわよ! あんたが生きてて嬉しいし、でもこんなにボロボロで腹立つし悲しいし――とにかくまた会えて良かった! うえーん!」

「分かった分かった、分かったから。ほらそんなに泣くな」

 ついアンジェリカを抱きしめて子供のようにあやしてしまった。

 その時、さらに多くの気配が慌ただしくわたしの傍に近寄ってくるのが分かった。

「ちょ、シャノン!? 勝手に飛び出さないでくれないか!? 危険だろう!?」

「悪い、ヨハン。もう我慢できなかった」

「まぁそれは仕方ないけど……」

「……ヨハン?」

 ヨハンの声だった。

 ということは他の気配は騎士団の連中だろうか。

 わたしの周囲に、わたしに対する敵意を持たない人間たちが集まっているのが分かった。

 あれだけ向けられていたわたしへの憎悪が、一気に薄らいでいくのが分かった。壁となった者達が、それを防いでくれているのだ。

「エリカさん、立ってください」

 ヨハンに手を掴まれ、わたしは立ち上がる。身体はアンジェリカが支えてくれていた。

「……エリカさん。僕があなたに剣を向けたこと、謝ってすむようなことではありませんが……本当に申し訳ありませんでした」

「……なぜ、お前がそれをわたしに謝るのだ?」

 急に謝罪された。

 わたしは完全に面食らってしまった。

 だって、わたしは実際にシャノンをこの手で殺そうとしたのだ。

 ヨハンがわたしに剣を向けたのはむしろ当然のことだろう。

 だが、ヨハンの声からはさらに後悔が滲み出していた。

「それは僕があなたの真意を見抜けなかったからです。みんなに言われて、僕は初めてそのことに気付きました。あなたがシャノンのことを守ろうとしていたということを……本当に申し訳ありませんでした」

「い、いや、別に謝らんでも……」

「ミオ」

 その名を呼ばれて、わたしはハッとした。

 その名でわたしを呼ぶのは――世界で一人だけだ。

 前世でも。

 今世でも。

 世界に、たった一人だけなのだ。

 やはりいまのわたしには、他の人間の姿はよく見えない。

 でも、そこに立つヴァージルの姿だけは、本当にはっきりと見えていた。

「悪いが、少しそこで待っていてくれないか。ケリをつけてくる」

「ケリを……? あっ!?」

 その時、わたしは気付いた。

 ヴァージルの足元から、あの〝黒い手〟が無数に這い出していたのだ。

 わたしは焦った。

「ま、待てヴァージル!? もうわたしに関わるのはやめろ!? お前まで巻き込まれるぞ!?」

 そう言っている間にも〝黒い手〟は次から次へとヴァージルに絡みついていく。

 思わず叫んでいた。

「もうやめろッ!! やめてくれッ!! そいつは関係ないッ!! そいつは関係ないんだッ!! もうわたしから誰も奪わないでくれッ!! 頼むから――」

「大丈夫だ、ミオ」

「……え?」

「オレは、大丈夫だ」

 ……ヴァージルはそう言うと、腰の下げていた剣を抜き払った。

 すると、光が溢れた。

 その途端、ヴァージルの足に絡みついていた〝黒い手〟は一瞬で消え去ってしまった。

 光に灼かれて、影は跡形もなく、一つ残らず消え失せた。

 わたしはその光景をただ呆然と眺めていた。

 いや、ヴァージルだけじゃない。

 わたし自身に纏わり付いていた〝黒い手〟も、みんな消えてしまっていたのだ。

 ……本当に、何が起こったのか分からない。ただ目の前の光景が信じられなかった。

「ミオ、これを持っていてくれないか」

「……え? こ、これは」

 ヴァージルが差し出したものを受け取る。

 それはただの石ころだった。

 本当に何でもないただのクズ魔石だ。

 かつて、ゲネティラのどこにでも落ちていた、ただの石ころである。

 でも、その感触はわたしにそってはとても特別なものだった。

 ……だってこれは、わたしがかつて、何十年もずっと肌身離さず持っていた〝宝物〟だったのだから。

「ま、待て。どうして〝これ〟がここにある?」

「それは再会の誓いだ」

 そう言いながら、ヴァージルはもう一つの欠片をわたしに見せた。

「必ず戻る。だからそれまで、そこで待っていてくれ」

「……ヴァージル」

「ヨハン、アンジェリカ、少しの間そいつのことを頼む」

「任せろ」

「任せてください、殿下」

 ヴァージルは頷くと、わたしたちに背を向けて、真っ直ぐに歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る