幼馴染は髪を結う ~二人っきりの勉強会~

蒼田

君が適任なのだよ

「……化学おちえて」

「お前勉強できるんじゃなかったのかよ」

「化学は除く! 」


 夏休み前、ショートパンツにタンクトップという女子とは思えない姿で幼馴染桃瀬ももせ優心ゆうみがやって来た。

 学校では解いている髪は纏められてポニーテールとなっている。

 気落ちしているせいかポニーテールもしゅんとなっているきがするのは俺の目が悪いからだと思いたい。

 

 彼女は学校では才色兼備で通っているはずなのだが、少し泣きそうな顔をし大事そうに教科書を抱えて「化学を教えて」ときた。

 暗い顔をする彼女の顔を少し覗き込み一先ず家に上がるように提案する。


「流石ボクのパートナーだぜ! 」


 さっきのどんよりとした雰囲気はどこへやら、元気いっぱいに返事をし、靴を脱ぎ、俺よりも先に俺の部屋へと上がっていく。

 その様子に呆れながらも俺は台所へと向かう。


 彼女の様子だと前にやった期末テストの結果が悪かったのだろう。

 化学、と指定してきた辺り彼女の苦手分野は化学とわかる。ここで「実は国語でした。テヘ♪」とか言ったら一発殴ってやる。


 学校内では清楚系で通っている彼女は実はやんちゃ。

 このくらいのいたずらはやってもおかしくない。

 しかし教科書を持って来ていることから考えると本当に勉強をしに来たことだけはわかるので、台所で適当にお菓子を見繕ってジュースをコップに入れる。

 オレンジの液体を零さないようゆっくりと盆に置き、冷蔵庫を閉めて二階へ向かった。


 両親は共働きだ。

 運悪く二人共休日出勤。

 意図せずして今この家には俺と優心の二人だけという状態になってしまっているのだが、甘い流れになる事を期待してはいけない。

 今まで二人っきりになることはあったが、甘い雰囲気の「あ」の字も出てこなかった。


 彼女の格好にドキリとすることはある。

 容姿も美少女のそれだから余計に、だ。

 ボーイッシュ美少女の無防備な姿をみてときめかない思春期男子がいるのならば見て見たい。


 幼馴染と言っても俺と優心は長い時間離れ離れになっていた。

 それもあってか俺の彼女に対する免疫力は少なく、彼女の行動にドキリとすることはある。

 だけど何故かな。それを上回る残念さを出す彼女を見ていると甘い雰囲気にならないのだ。


 はぁ、と軽く溜息をつきながらいつもと同じ足取りでゆっくりと階段を登る。

 少し入れすぎたかな、と半ば後悔しながら揺れるストローを見て零さないように扉の前に立った。


「優心はいるぞ」


 自分の部屋に向かって何を言っているのだか、と心の中で自虐しながら扉を開ける。

 ゆっくりと開いた扉の向こうを見ると――。


「……何やってんだ」

エロ本お宝探し」


 扉側にお尻を突き出しベットの下を探っている優心がいた。


「この前もやっただろ? 」

「短期間で増える可能性もあるでしょ? 」

「んなわけあるか」


 探し終わったのか体をぐるんと回してカーペットの上に転がる彼女。

 色々とはだけており目のやりどころに困るからやめてほしい。

 少し顔に熱を持つのを感じながら丸机に向かう。

 お盆を置いて下に敷物をし、僅かに揺れるストローを見ながらコップを置くとすでに水滴がついていた。


「ボクがいない間にオタク趣味に走ったカイ君だ。ほんの僅かな期間に急激な進化を遂げる可能性も無きにしも非ず」

「それは進化なのか? 」

「進化と捉えるか、退化と捉えるかはその人の視点によりけりだからボクには何も言えないね」

「いや今さっき進化っていったじゃないか」

「そんな昔のことは忘れたよ。ジョニー」

「誰だジョニーって」


 いつも名前が変わる謎の外国人男性にツッコミを入れながら「勉強するんじゃなかったのか」と優心にいう。

 すると思い出したかのようにカーペットから飛びあがり机の前までやって来た。


「で化学だっけ」

「イエス」

「何故に英語? 」

「……カイ君。実は君に言わないといけない事があるの」

「なに急に深刻そうな雰囲気をだしてんの?! 」

「ボク実は……帰国子女なの! 」

「嘘をつけ幼馴染。中学時代を知らないが少なくとも優心が外国に行ったという情報はない」

「ボクの巧みな情報工作に騙されたね」

「……あの後母さんに聞いたんだが、連絡のやり取りをしていたみたいじゃないか」

「それがいつ国内から発信されたものと誤認した? 」

「通信料金」

「ボクを打ち負かすとは……。これがレベル五のカイ君か」

「因みに上限は? 」

「レベル百」

「俺よわっ! って、勉強! 」


 俺の言葉に「へぇい」とやる気のない返事を上げて胡坐あぐらをかきながら参考書を机の上に置く優心。

 しかしそこに重要な物がない。


「……教えるのは良いが前のテスト結果は? 流石にどこで失点しているかわからないと教えるにも教えることが出来ないぞ? 」

「ふふふ……。カイ君。ボクを舐めてもらったら困る」

「どういうことだ? 」

「化学に関しては……すべてわからない! 」

「堂々と言うことか」


 溜息をつきながら、ポニーテールを揺らし拳を上げる優心を見る。

 

 俺の記憶が確かならばテスト結果が出た時色んな科目の自慢をしてきたのを覚えている。

 思い返せばその時化学は無かった。

 あれが伏線になるとはと思いながらも「これ、どうしようか」と考える。


「選択問題と記述、どっちをやらかした? 」


 俺がそういうとすっと目を細めた。

 何だ? と訝しんでいると机に手をつきゆっくりと立ち上がる。

 そのままスタスタスタと窓際まで行くと立ち止まり、そしてくるりと俺の方を向いた。


「どっちだと思う? ワトソン君」

「教えんぞ」

「冗談だよ。ごめんってば! 」

「なら真面目にやれ」

「えええーーー」

「いやそこは嫌がるなよ」


 口を開け全力で嫌がる。

 淑女とは思えないようなその行動に苦笑しながらも「早くしろ」と促した。

 渋々と言った感じで机について優心は俺の正面に座る。

 そして俺達の勉強会が始まった。


 ★


「すいへいりーべ? 」

「語呂からかよ! いやまぁいい。わからないのなら今のうちに覚えるんだ」

「水兵さんリーベ港にあるボクの船にのるの? 」

「船持ってんかい」

「おじいちゃんがね」

「マジか」


 くだらないやり取りをしながらも一先ず語呂を覚えさせる。

 自力で全てを覚える人もいるが今回は常套手段ということで語呂合わせから。


 彼女が勉強に来ているのは何も期末テストの結果が悪いからだけではない。

 結果が悪いだけなら夏休みという膨大な時間を使ってゆっくりと勉強すれば良いだけなのだが、俺達が通う高校では赤点をとった生徒は夏休み前に再テストがある。

 そしてその再テストでも赤点になると、夏休みが勉強で埋め尽くされるという地獄が待っているわけで。

 彼女はそれを回避しに来たのだ。

 しかし——。


「再テの赤点回避なら他のやつでもよかったんじゃないか? 俺よりも頭いい奴クラスに幾らでもいるし」

「確かにそうだけどカイ君ほどの適任者はいないよ」

「そうか? 」

「うん。アニメを見て化学や歴史を勉強し常に百点をとるカイ君なら、クラスメイトよりも適任だ」

「……そこの二つをつなげて「適任」と判断できる論理的な回答を願う」

「感性で生きるボクに無茶を言う」

「黙れ成績優秀者」

「ただし化学は除く」


 全く、とぼやきながらも優心に教えて行く。

 モル数の計算は基本的には算数だから後回しでもいい。最初に出るこれだがつまづく人はここで躓く。そして化学に対する苦手意識を植え付けられて後に響くのはよくある事。その意味でも後回し。これを外したからと言って三十点なくすようなこともないだろうし、優先順位は低い。

 あと炎色反応は語呂合わせ。

 有機反応の理論武装をしたら大体が終わった。

 

「……やるじゃないか、カイ君。このボクに化学をわからせるなんて」

「その記憶力で今まで化学が苦手だった方が不思議だ」

「モル数で躓いてね」


 俺がそれに納得していると優心は顔だけコップに近付け唇を尖らせ「ちゅー」っとストローを吸った。

 みるみるオレンジジュースが無くなっているが、みずみずしさを増した彼女の唇に少し見惚れてしまう。

 邪念を取り払うため人工甘味料の構造式を思い出していると、優心がにやぁとした笑みを浮かべるのがわかった。


「ボクの美しさに見惚れてたね? 」

「はっ。誰が」

「分かってる、分かってる。カイ君も一応男の子だもんね」


 そう言いながら小さなどら焼きを口に入れる。

 あまり大きくない口にそれが収まり、閉じると優心の白い顔が急に朗らかになった。


「あまぁぁぁい! 」

「そりゃお菓子だし」

「カイ君を弄って食べるお菓子ほど美味しいものはないよ! 」


 何気に最低発言する優心。


「疲れた脳に染みわたるぅぅ! 」


 かなり疲れていたようだ、満悦と言った表情をしている。

 顔に両手を当てて体をくねらせ味をかみしめているようだ。


 淑女失格な自称淑女の姿を見ながら少し微笑み、俺もジュースに口をつけてどら焼きを口にする。

 今日のどら焼きはいつもよりも甘く感じられた。

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