第10話
長い、長い、
悪夢を、見ているようだった。
気が付くと、窓の外には朝日が昇っていた。真っ白な朝焼けに戸惑いを覚え、それが見慣れない窓とカーテンの与える違和感であることに気付く。
次いで、全身が酷く痛む事に気が付いた。軽く揺すると、薄皮を剥がして鑢掛けされたような痛みを覚える。
包帯でぐるぐる巻きにされている。俺は全身に火傷を負い、病院のベッドに寝かされていた。
すうすうと、規則正しい寝息がする。視線を下ろすと、ベッドの脇に磯川が蹲って寝ていた。恐る恐る揺すり起こすと、目をまん丸に見開いた後、思い切り抱きつかれた。火傷した全身に激痛が走り、思わず漏れた悲鳴を聞きつけて看護師さんも慌てて来てくれた。
どうやら俺は、燃え広がる家のリビングで気絶していたらしい。海での一件以来音沙汰がないのを気にした磯川が、家が火事になっているのを見つけ、慌てて緊急連絡をしたのだとか。
「じゃあ、俺の家は……」
「跡形もなく焼けたよ。警察の調べでは、タチの悪い放火魔だね。君を後ろから殴りつけた後、部屋中に油を蒔いて火を点けたらしい……心当たりはあるかい? 当時の事を、何か覚えていたりは?」
「いえ……すみません。よく、分かりません」
「ふむ……とにかく、隣の子には感謝するんだね。この子が救助を待たずに助けに入っていなければ、絶対に間に合わなかったよ」
そう説明してくれる医者の声を、俺はどこか夢見心地で聞いていた。自分がここにいる事を、未だに信じ切れない。
病院内は清らかな静寂に満ちていて、空調が効いているお陰で、うだるような暑さもない。
窓の外からは、俺の部屋から見る景色によく似た、青空の下のだだっ広い田園が広がっている。まるで代わり映えのしない、つまらない景色の筈なのに、どうしてか、涙が出る程綺麗に感じる。
診察が終わり先生が退室しても、磯川は隣にいた。目を向けると、気まずげに顔を逸らすけれど、ベッド脇の丸椅子に座ったまま、動こうとはしない。
少し注視すれば、彼女の身体のあちこちが擦れ、手に包帯が巻かれている事に気付く。
「磯川が、助けてくれたのか」
「別に、当然の事をしただけよ。せっかくの夏祭りなのに連絡すらつかないから、気になっただけ」
「打ち上げ花火、見逃しちゃったよな。ごめんな」
「別に……」
火傷した指をそわそわと動かして、磯川は何度も迷ってから、聞いた。
「ねえ……六花ちゃんは?」
「消えた」
「……死んじゃったの?」
「違うよ。俺を置いて、いなくなったんだ」
「……どこへ?」
「俺も、分からない……けど生きてるよ。どっか別の、知らない場所で」
そう言う他になかった。余りにも不鮮明な言葉は、けれど不思議な説得力を伴って、俺の腹の内にすとんと落ちた。
色々と、思う事がある。
俺のせいで六花は消えた。俺が六花の影を、”くろぬろ”なる者に奪わせてしまった。
思い返す日々の中で、俺は余りに情けなく、臆病で、何もかもから逃げ続け、変わる事を最後まで恐れていた。
──色々ありがとね。がんばれ、明良
けれど……何よりも鮮明に思い出せるのは、鮮やかな閃光で彩られた、あの優しい激励で。
彼女の顔は、今まで何をくよくよ悩んでいたんだろうと馬鹿らしくなる程に、あっけらかんとしていて。
自然と鼻から空気が抜け、笑みが零れた。自由で間の抜けた、かつて六花がそうしたような、吹っ切れた笑み。
吸い込んだ空気の、水田の稲と泥の混ざった青臭いにおいに、やっと地面を踏みしめたような気分にさせられた。
「磯川。退院したら、お詫びさせてくれないかな。打ち上げ花火を見損ねた分の、弁償」
「弁償って……どうやって?」
「袋詰めの安いやつしか買えないけど、それを一緒にやろう。どっかの砂浜で、二人で」
「え……? ちょ、一緒って……え? え?」
「あ。それと、今度勉強教えてくれないか? 今からでも、受験って間に合うかな」
「ど、どうしたの月宮君。医者志望に勉強教えろとか、皮肉? それとも新手のイジメ?」
「はは……今度、いろいろ打ち明けるよ」
顔を真っ赤にして狼狽える磯川に、また頬が吊り上がる。
にひひっと、何とも意地悪な笑いがこぼれ出た。
前を向くには足りないが、過去に手を振る程度はできる、久しぶりの笑い声。
それでも十分、夏の快晴には良く映えた。
(了)
影踏み六花 澱介エイド @orisuke-aid
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