05 ethernet
「着いた……」
混乱の中を抜け、少年はついに糸の垂れてきたところへたどり着いた。
「何本かの、それぞれちがう色の、細い糸が……」
そのそれぞれの細い糸を
このような「糸」でおこなうことは――
「通信?」
「貴方の言っていた、
新たな通信は、新たな来訪者を意味する。
連動して、共通の生活様式や行動様式をなぞらない。
「……そうか、だから僕が来た時に、街の周囲に誰もいなかったのか」
建物を建てているとき、街の周囲にも、アスファルトを採取する人たち、それを運ぶ人たちがいた。
それがいないのは、逃げたからだ。
「そういう来訪者に対して、天から使わされたのが、わたし。わたしの役割は、貴方に共通言語をなじませること」
貴方は、言語の坩堝とでもいうべき国から来た、初めての人。
イィサにそう言われて、少年は、外来語をそのまま取り込むという母国語のあり様を思い出した。
「でも、案に相違して、貴方は共通言語になじんだ。様式にも慣れつつあった」
しかし、少年の母国語が外来語を取り込みつつも常に変化を遂げているように、少年の視点も定まらず、ついに
「そうすると、わたしも、誤魔化すことはできない」
そこまでの「設定」が与えられていなかった、とも言える。
イィサは嘘はつかなかったものの(「自分の考え」として、ちがう可能性を示したことは、嘘にはならない)、天は破綻を認識した。
「どうも、やめることにしたらしい」
「やめる」
「あの建物――塔もじきに崩れる。糸は――気づいた者だけが、のがれるための、手段」
天は共通言語という実験をしたかった。
そういう、目的を持っていた。
だがそれが、少年の来訪によって、破綻が訪れた。
少なくとも、破綻の可能性を見出した。
「共通の言語を用いて、人が――人々が、どれだけのことをなしえるか。天はそれを知りたかった」
共通の言語は、共通の生活様式を生み、共通の行動様式をもたらす。
その果てに、いったい何ほどのことができるのか。
天はそのために、ネット上にその場を−−その街を構築した。
あとは、ネット上にさりげなくそこへ導くように仕向ける。
各種言語、それぞれを話す人を。
実験は、大体うまくいった。
イィサが教え(といっても、彼女と話すと、自然と共通言語を話すようになる)、人々は互いの意思疎通をスムーズにしていった。
そして天は、ひとつの目標を与えた――塔を。
人々が役割分担して建てているその塔は、高くなった。
天を摩するばかりの高さ。
だが、そこへ少年が来訪し……。
「貴方の母国語は特殊だった。だけど、それを避けては通れないと天は判断し……」
「共通言語を身につけても、周囲への関心を示した」
「そう」
そこから、実験の破綻につながると、安全側に判断した天は、糸を垂らし、少年や人々に、
「だけど、大多数の人々は、共通言語とそれが織りなすこの街から出たくない様子」
やはり、人間というのは、慣れに弱い。しかも、共通言語という便利なツールを失いたくないとすれば、なおさらだろう。
少年が、糸をつかむ。
「それをそのまま登っていけば、元の世界へのルートに繋がる」
「ありがとう。でも、君は?」
「わたしは……」
そこまで言いかけたところで、塔の崩落が始まった。
行け、とイィサが鋭く叫ぶと、糸はするすると上昇を始めた。
まるで、誰かに引っ張られるようだ。
そう感じたのも束の間、少年は一瞬でイィサを視認できるぎりぎりの高さにいた。
「イィサ!」
その呼びかけが、届くという保証はない。
だが,少年は、力の限り、叫んだ。
「また来る! また、ここに来るから!」
君をここから連れ出す、とまでは言えなかった。
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*
――長い長い夢を見ていたような気がする。
少年が目を覚ますと、目の前の端末の画面はすでにブラックアウトしており、今となっては古典ともいえるスクリーンセーバーが動いていた。
「…………」
少年が無言で体を起こすと、足に何か引っかかった。
「
乱雑に置かれたLANケーブルが、足元にのたくっていた。
そうか。
これが。
少年が手を伸ばしてLANケーブルをつまみ上げる。
そのケーブルはカバーがスケルトンという特殊な仕様で、カバー内の線が、よく見えた。
「
そういえば、LANケーブルのLANは、local area networkという正式名称だ。
たしか、その通信規格は。
「ethernet……」
少年は端末を操作した。
眠ってしまう直前まで何をしていたかを思い出すために。
そして少年は、あるサイトにたどりつく。
「Migdal Babel」
それは、ラテン語で「バベルの塔」を意味した。
【了】
繋ぐ糸の色を教えて 四谷軒 @gyro
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