コンタクトレンズ式彼女

月瀬澪

コンタクトレンズ式彼女


 俺は彼女を選べる。



 こんなこと言うと、浮気性と罵倒されるかもしれないが、至って大真面目だ。浮気したことなんて一度だって無いし、二股だってかけたこともない。健全な交際である。要するに、付き合う相手が途切れないのだ。


 俺は自分で言うのもなんだが、小学校の頃からテストの成績も良かったし、流行りのスポーツは人並み以上にできた。何よりも顔面が草食系だから、女性に安心感を与えられたのかもしれない。だから、彼女には不自由しなかったし、求めればいつでも誰かがそばにいた。


 別に、自分のことを特別だなんて思ったことは無い。常に彼女という存在が隣にいること。ただそれだけのことを、俺の人生で普遍的なことであると捉えていただけにすぎない。

 


 社会人になって自由にお金が使えるようになると、それが加速した。特定の女性と交際する期間が短くなっていくのと同時に、彼女が欲しいと言う渇望に対して、目薬をさすように生活の潤いを求め続けた。



 大学を卒業して最初に付き合ったのは、ヒデミという清楚系女子だった。彼女は目が悪く、ツーウィークのコンタクトレンズを付けていた。俺も昔から眼鏡を手放せなかったから、視力が悪いことの不便さに対して親近感を覚えていた。ヒデミは毎晩、レンズを外す前にしっかりと手を洗い、洗浄液にきちんとレンズを浸して眠りについていた。彼女の清楚が潔癖なんだとわかったのは、二週間過ぎてからだった。きちんと手入れをしないと、ツーウィークのレンズは目の奥でゴロゴロとしてくる。彼女は石鹸の香りを指から漂わせながら教えてくれた。俺は彼女と一緒にいることが苦痛になった。毎晩、清潔さに対して気を遣わなきゃいけないことが、だんだんと億劫になってきた。俺に清楚系女子は似合わないことがわかった。と言うか、十四日もの間、同じ女性といることが苦痛で仕方がないと思うようになってしまった。



 それからの俺は、まさにワンナイトラブよろしく、様々な女性と交際をするようになった。



 行きつけの居酒屋で働いていた活発な女性。大学の頃にサークルで一緒だった可愛らしい後輩。会社の取引先にいる美人受付け嬢。ワンデーは気軽だ。次の朝には新しい出会いを求めることができて新鮮だったし、何より手入れなどしなくとも、常に清潔なのだ。彼女なんて、使い捨てで良い。



 ギャル系で美容師のタエコという女性は、俺の髪型を流行りのアイドルっぽくした後、美とは何かを教えてくれた。草食系の顔でも、お金をかければカッコいい男へ変身できることを知った。「似合いますよ」とタエコは笑って俺の髪を指で弄んでいた。その夜には一緒にホテルへ行ったが、次の朝には彼女と連絡を取らなくなった。




 そうやって、毎日のように彼女をとっかえひっかえしていたある時。



「彼女と言う定義をしないと、アンタは寂しさを埋められないの? 可哀そうな男」



 日本人形に似た容姿のケイコから蔑みの言葉をぶつけられた。どこで知り合ったか覚えていないが、見た目がタイプだったから、出会った瞬間に付き合ってと告白した。彼女の言葉に、ぴしゃりと、頬をぶたれたような衝撃を受けた。そもそも付き合うってなんだ。彼女ってなんだ。生まれて初めて俺は、誰かと付き合うとはなんなのかを考えるようになった。


 同時に俺の見える世界が変わってしまった。正確に言うと、どの女性を見ても、誰もが同じに見えてしまうのだ。容姿も性格も趣味も嗜好も、その全てが俺と釣り合わない。選べる彼女が世界から忽然と姿を消してしまった。


 

 俺の目がおかしくなってしまったのか。不安に思って眼科へ行くと、



「うーん。目の異常は特に認められませんけど。眼圧も正常ですし」俺のまぶたを親指でぐりぐりしながら、医者がそう告げた。「いい歳なんですから、少し落ち着いてはいかがでしょうか」



 診察を終え外へ出ると、イチョウの枯葉が俺の頬をかすめた。秋が深まっている。そろそろ人肌が恋しくなる季節だった。彼女いない歴は、既に最長の一か月が経とうとしていた。


 公園のベンチにうずくまり、コンビニで買ったホットココアを飲みながら、身体を温める。でも、心は冷え切ったまま。そんなことは当然だ。俺の心の寂しさは誰かがそばにいても、埋めることなんてできやしなかったのだから。



「あれ? ヨシタケじゃん」



 誰だ。俺の下の名前を呼んでくれる女性の声を、久々に聞いた気がした。顔を上げると、図太い眼鏡をかけた女性が立っていた。中学校の頃、人生で初めて付き合ったヒロコだった。約八年ぶりの再会だと言うのに、すぐにわかった。何故なら、当時付き合っていた頃と何も変わっていなかったから。地味で、普通。文字通り、眼鏡みたいにパッとしない女性だった。高校が違ったから自然消滅的な感じで別れたけど、本音を言えば、地味な女性は苦手だった。そばにいても、気付かないような存在。


 せっかく久しぶりに会ったのだから、とヒロコに誘われ、近くのカフェで一緒に食事をした。中学校の想い出話は、止まらなかった。昔話って、こんなに楽しいものだったんだな。俺の心はなぜだか落ち着いた。



 なんとなくヒロコと再び付き合うようになった。ヒロコは献身的だった。通い妻みたいに俺の部屋を訪れては、朝、俺が仕事へ行くのを見送るようになった。彼女の作る料理はおいしいし、部屋の掃除も行き届いていて、洗濯したワイシャツにはアイロンもかけてくれる。何よりも「行ってらっしゃい」の挨拶が、いつしか働く原動力になった。初めてだった。長く一緒にいてもいいと思った女性は。



 けれど、冬の足音が近づくにつれ、俺の心は更に温かさを求めるようになった。冬は眼鏡が曇る。だから余計に色とりどりのコートを羽織った女性が、俺の目には魅力的に映った。やっぱり、俺は刺激を求めている。一緒にいたいと思う女性がそばにいても、何かに満たされないまま、誰かをとっかえひっかえして、生きていくしかない。最低な人間。俺に釣り合う女性がいないのではなく、俺という存在が女性に釣り合わないのかもしれない。



 そんなことを思っていたある日、突然部屋にやって来たヒロコの姿を見て、俺は度肝を抜かれた。



「眼鏡、やめたの。ハードのコンタクトにしてみたけど、似合うかな?」


 

 眼鏡を取り、優しい微笑みをたたえたヒロコは、まさに別人だった。伸ばしっぱなしでボサボサだった黒髪も、美容室でバッサリと切り、艶めいて美しく見えた。俺にはもったいないくらいの美女だった。どうして、今まで気づかなかったのだろう。いや、違う。


 俺はこれまでに付き合った彼女も、出会った時の姿でしか見ていなかった。そばにいてくれる人をもっと大切にしたいという気持ち。そんな当たり前の感情をわずかな時間で使い捨てていた。綺麗になりたい、カッコよくなりたいという欲求は、誰もが持っている。その欲望を渇望させてしまっては、目が乾いて、何も見たくなることと一緒なんだ。内面も含めて、「好き」を手入れしなければならないことに、ようやく気が付いた。その役目は他の誰でもない。



「俺と、一緒になってくれないか?」気づいたら、プロポーズの言葉が自然と転がり落ちていた。



「私は使い捨てにできないけど、大丈夫?」



「大丈夫。一生、目に入れても痛くない」



「ようやく、あなたのお眼鏡に敵ったわけですね」突然の敬語を交えながら、ヒロコは丁寧に頭を下げる。「ふつつか者ですが、これからもよろしくお願いします」


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