前日譚


 こつ、こつ、と足音が聞こえる。


 ──セヒスムンド?


 青白い月の光が射し込む部屋の中、少女はあえかな声を零した。

 突如訪れた暗闇に彼の姿が見えていないのだ。


「セヒスムンドなの?」


 肩に温かな手が触れるのを感じた。すり切れてかさかさになった、硬い掌。膿や黴のような、仄暗い匂いがする。彼の声は闇に溶け込んでなお、吹き荒れる風のようにざらついていた。


「ああ、おれだ。セヒスムンドだ」


「よかった」少女は花のようなかんばせを綻ばせる。「わたし、てっきりあなたがいなくなっちゃったのかと」


「なに、いなくなるものか。おれはずっとおまえの側にいるよ」

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セヒスムンドは夜の底で 藤田桜 @24ta-sakura

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