6.偽物


 蛇口をひねり、洗面台に栓をする。鞄から剃刀の刃を取り出して、保護シートを剥がして安全カミソリに嵌めこむ。諸々の道具をお湯に浸してから、シェービングクリームを顔につけて、剃る。一通り身だしなみを整えると、ぼくは食堂に降りていった。


 食堂は相変わらず真っ暗だった。


「やあ、お早う。二人とも。食事に手をつける前に、少しいいかい?」


 地の底で蠢くような「ああ」と低い声が聞こえる。こうしてみれば、セヒスムンドより、少しざらついた声をしている、と感じた。


「セヒスムンド、きみ、本物じゃないんだろう」


「地下室に行ったよ。死体があった。セヒスムンドのものだった」


「きみは、誰なんだい?」


 懐中電灯のスイッチを押す。部屋に仄かな明かりが灯った。


 ──ああ。


「やっぱり、きみは、セヒスムンドじゃないね。警察には後で通報するよ。先にわけを聞かせて──」


 そこまで言い掛けたところで、頬を何かが掠めた。多分、何か物を投げられたのだろう。彼の手にはナイフが握られている。次はそれか。咄嗟にテーブルの下に隠れようとして、


 叫び声が聞こえた。


 まだ声変わり前の、少年の声だった。何か鈍い物で殴るような音が聞こえる。


「セヒスムンドっ!」今度はイシャリアナの悲鳴が部屋を裂く。「嫌。嫌。どうして、死なないで……!」彼女は頭に赤い筋ののぞく彼の体に縋りついて、泣いていた。僕は彼女に歩み寄って、尋ねる。


「あの手帳を置いていたのは、君が、助けを求めていたんじゃないのか」


「違う。わたし知らない。こんなこと」


 ──朝焼けが窓を隠す木板の隙間から差しているのに気づいたのはそのときになって、ようやくだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る