「1」の美しさに息を呑みました。その美しさというのは「絢爛」であるとか「耽美」であるとか、そういう美しさではなく、「古さ」「時の流れ」に裏打ちされた美しさ。
装身具、布、造花にそれそのものの上質な美しさはありながら、読んだ印象としては何故か色褪せ、古びている。そして色褪せ、古びているからこそ、今、一種の美の極致にある。その書きようが、そのままカーマフアレレの在り方を象徴しているように感じました。
この話、「また別の話」の末尾の解釈によって捉え方が変わる話だという気がしています。
私は彼らの少年期には(それが過ぎ去ったものであるが故に)葬送という非常に特別な手続きを踏もうともどうしても手が届かなかった話、それ故カーマフアレレは薄れることなく特別であり続ける話として読みました。
クアイヴァーミンとカーマフアレレの意図が何の齟齬もなく一致をするのなら、良くも悪くもカーマフアレレはあそこまで特別にはなりえなかったのではないでしょうか。クアイヴァーミンの想いの成就は、既に構造的に不可能なように思われます。
妄想のような解釈ではありますが、私はこの作品が非常に好きです。