異世界契約 引きこもりの少年が三年間異世界に送られた結果
非常口。
第1話
カタカタ、とパソコンのキーボードを打つ音だけが小さな空間に響き渡る。
太陽の光すら通さない漆黒のカーテンとコンクリートの壁に包まれた薄暗いこの部屋をパソコンの画面から漏れ出る光だけがそっと照らす。
「……ああ、ゲームのレアドロ、中々出ねぇな。」
眠い。
俺はただあくびをしながらただ無心でパソコンのキーボードのキーを打つ。
もう何時間もゲームを周回しているのに中々レアドロップが手に入らない。
「……喉乾いたな。」
俺は左に置いてあったゼリー飲料を手につかむと、手に力を入れ中身のゼリーを口にする。
マスカットの味がするそれは枯れた俺の喉を一時的に潤す。
ただ一度枯れた喉の渇きはゼリー飲料だけで癒されるものではない。少しすると忘れていた喉の渇きが俺の喉を再び襲う。
「確か水置いてあったよな。」
そんな独り言を口にしながら机に置いてあるはずのペットボトルを手探りで探す。
机の上は物が散乱しすぎていて暗闇の視界では簡単にペットボトルを見つけらない。
「あ、あった。」
手探りでペットボトルを見つけた俺は、ペットボトルの蓋を開けその中身を口に向ける。
けれど、その中身が出ることはなく俺の喉の渇きも癒やされることはなかった。
「あれ、中身無くなってたんだっけ?」
ペットボトルを何度か振るが、出てくるのはペットボトルにこびりついたニ、三滴の水滴のみ。
これ以上振っても無駄なんだと悟った俺はペットボトルを近くにあるゴミ箱へ捨てる。
「今って朝だっけ?」
朝じゃなきゃいいけど、そんなことを思いながら椅子から立ち上がり、机から離れた俺はカーテンの裾を少し上げる。
すると、裾から漏れ出した光が俺の視界の中に入る。
「畜生、朝かよ。」
できれば夜が良かった。
夜なら水があるリビングに行っても絶対に誰とも会わないですむ。みんな寝ているからな。
ウチの家族寝つきいいから一度寝たら絶対起きないし。
時刻が気になった俺はパソコンの画面へ目を凝らし今の時間を見る。午前九時か。
……まぁ、この時間なら母さんも父さんも仕事に行ってて、弟も学校だろうし下に降りても大丈夫か。
そんな判断をした俺は一日ほど開けていなかった自室の扉をゆっくり開ける。
家からは俺以外の人がいる物音はしない。ひとまずは安心だ。
部屋から出た俺はゆっくり一段一段音を立てずに階段を降りていく。
誰もいないと分かっていてもどうしても音を立てずに動いてしまう、何故だろうか?
「フッ。」
そんな自分の問いかけに思わず笑いを口にする。
なぜ?そんなの分かりきってるだろう。
ゆっくりとリビングの扉を開けた俺はキッチンへと近づく。すると、キッチンまでの通り道にあるテーブルの上にある大きな皿と一つの紙が視界に入った。
皿にはサンドイッチが盛られており、近くの紙には『サイドイッチを作りました。良ければ食べてください。』という文字が記されている。
紙を一瞥した俺は静かにその紙をゴミ箱捨て、冷蔵庫からペットボトルを取り出し机の上の皿を持って二階へと上がろうとした。
その時だった。
開くはずのない玄関の扉が開いたのは。
え………?
そこからの時間はどこかスローモーションのようだった。
ゆっくり開いた玄関の扉がガチャリと閉まり、確かに聞こえる足音が少しずつリビングへと近づいてくる。
リビングの扉を開けこちらへやってきたのは一人の少年だった。
俺と同じ黒い髪、黒い瞳をその身に宿した、その少年は間違いなく俺の弟だった。
弟も俺がいるのを想定していなかったのか少し目を見開く。
しかし、すぐに持ち前の冷静さで真顔に戻った弟は俺から離れたソファーに目を向け、そこにあった一つのファイルを見つけて俺の方を一瞥しながら逃げるようにその場を出ていく。
足音や靴を履く音が聞こえた後にガチャリ、と玄関の扉が閉まる音が聞こえる。
「ふぅぅ。」
玄関の扉が閉まる音が聞こえた瞬間、思わずそんなため息が俺の口から漏れ出る。
今の一瞬ともいえる時間を俺は無限に思えるくらいの感覚で感じていた。
よほど緊張していたのか、いつのまにか張っていた筋肉が次第に少しほぐれていく。
俺はいつから弟にこんな緊張感を抱くようになったのだろうか。昔はよく冗談を言い合える関係だったというのに。
いや、答えは簡単か。あいつのせいじゃない。
原因は、全部俺にある。
階段を登り、部屋に戻ってきた俺は部屋の隅にあるとあるカバンを見つめる。
それは俺が高校へ通学する時にいつも使っているカバンだった。
いつからこのカバンを使わなくなってしまったんだっけ。正直もう覚えていない。数ヶ月は使ってないことは確かだが。
高校二年生にもなって引きこもりか。
自分のだらしなさに思わず笑いが込み上げてくる。
「……学校か。」
何で行かなくなったんだっけ?
確かきっかけは本当にくだらないことだったはずだ。
学力が向上しないことへの悩み。部活でのストレス。人間関係、家族関係からの疲れ、それらの全てを抱え込んで生きていた俺はふとある日思ってしまったのだ。
学校行きたくねぇな、と。
その日、俺は体調が悪くなかったのにも関わらず体調不良として授業を欠席した。
そこからは一瞬だった。一ヶ月に一回の休みが、一週間に一回の休みになり、三日に一回になったりと学校へ行く日数は少しずつ減り、気づいたら学校へ行かず自分の部屋に引きこもるようになっていた。
それからはずっと学校にも行かずゲーム三昧で勉強もしない日々が続いている。
このままではダメだという自覚はある。でも、だからと言って学校に行く気力も湧かない。
もう何ヶ月も学校に行っていないのだ。今学校に行ったってもうクラスに馴染むことはできない。昔喋っていた友達とも距離感を掴めずクラスの中でただ一人、孤立するだけだ。
一度折れた人間に世界が優しくしてくれるとは、とてもじゃないが思えない。
そうあの日、心が折れてこの部屋に引きこもってしまった時点で俺の人生は詰んだようなものなのだ。
将来を考えれば考えるほど未来についての展望が不穏なものへ変わっていく。
「……もう、やめよう。それについて考えるのは。」
そう小さく呟いた俺は頭を振り、自分の頭から不安な思いを吹き飛ばす。
「さて、ゲームでもやるか。」
ゲームをしようと机に近づく。
「ダメですよ。これから貴方には異世界に行ってもらうんですから。ゲームをしている時間なんてありません。」
右手と左手で持っていたものを机に置き、椅子に座ろうとした瞬間にその声は俺の耳に聞こえてきた。
「は?」
その声が聞こえてきた方向に振り返るとそこには一人の少女がいた。容姿端麗という言葉はこの少女のためにあるのではないかとそう思えた。
見ただけで目が奪われてしまうな水色の髪、宝石のように透き通っていて綺麗な髪と同じ色をした瞳。そして、どこか人形のような端正な容姿は、この少女は神が作った芸術作品ではないかと思えたほどだ。
それにしても異世界?何言ってんだ、そんなのあるわけない。ファンタジーの話だろ。
「……君は?」
「あ、すいません。名前も名乗らず失礼しました。私の名前はE。貴方のお父上に雇われたしがない女です。」
「……父さんに?」
「ええ、あなたを更生させるようにと。」
「更生?」
更生って俺のために雇った家庭教師か何かか?いや、もしそうだとしても何で俺の部屋に。
俺が単に気づかなかっただけか?全く気配を感じなかった。
「私の仕事は貴方を更生させること。そのための手段として三年間もの間貴方を異世界へと送らせていただきます。ご安心ください。しっかりと安全な場所に送り届けますので。」
「は?あんた何言ってんだ!急に現れて異世界に送るだとか訳わかんねえこと言うなよ!」
「ああ、そうですね。すいません、私としたことが功を焦り過ぎてしまいました。手順をおって説明します。まず、貴方のお父上が息子をどうにかして更生させたいと私に連絡をされたのです。」
「父さんが。」
「ええ、相当切羽詰まっていたご様子でしたね。というか、私たちの番号に電話をかけられている時点で息子の現状を相当心配されていたのがわかります。」
は。
あの人が俺のことを心配。
「な訳ねえだろ!!あの人、毎日毎日俺の悪口しか言ってねえんだぞ!俺が引きこもったのだって元はと言えば……!すまん、あなたみたいな人に話す内容じゃなかった。」
「ふーん、何となく想像はしていましたが、相当拗れているようですね。」
「ん?なんか言いました?」
「いえ、何も。」
しまった、久々に熱くなってしまった。引きこもってからすぐにキレやすくなってる気がする。ちょっと外を散歩でもした方がいいだろうか。
「それで貴方を更生するために私たちが用意したプランというのが異世界転送なわけです。」
「は?」
異世界で更生?何言ってんだ。訳わかんねえよ。ていうか、真面目に話を聞いてたけど本当かどうかも定かじゃないし気にするだけ無駄か。
「はい、説明終わり。正直もう時間がないので早く異世界へ送らせていただきます。準備をしてください。」
「はぁ!?準備って……、急に言われても……。」
俺が戸惑いを隠せないなか急に俺の足元から光が少しずつだが確実に溢れ出し始める。
「それでは、次に会うときは三年間の異世界生活が終わってるときです。」
「三年間!?」
「あ、言ってませんでしたっけ。あっちの世界で三年経ったらこっちに戻ってくることになってるんですよ。だからあっち行ってもう二度と戻ってこられないということはないので安心してください。それでは、いってらっしゃい。」
「え、ちょっと待っ………!」
俺が言葉を発する途中で光が俺を包み込み、俺の意識は流れ出る光の奔流に飲み込まれていくのであった。
男がいなくなった部屋の中でEと名乗った一人の少女はスマホのようなものを取り出し、電話を始める。
「もしもし、Eですが。遠橋光一様ですか。ご契約通りお宅の息子さんは異世界へと送らせていただきました。え?息子は大丈夫なのかって?ご安心ください。私たちの会社が健一様が死なないよう異世界でしっかりとサポートさせていただきます。もちろん、彼がダメになるような過剰なサポートは致しません。彼が一人前となって一人の力で歩きだせるようになる、そんなサポートをしっかりとさせていただきます。それでは……。」
電話が終わった彼女は電話を持った手を下ろすと周りを見渡す。
「それにしても汚い部屋ですね。部屋の主の心の荒れようが手に取るように分かります。本当ならその心は家族が癒すべきなのでしょうが。」
彼女は口元に笑みを浮かへながら言葉を続ける。
「まぁ、頼まれちゃいましたからね。息子を一人前にしてくれって。契約もしちゃいましたしね、仕事はしっかりしないと。さて、お客様のために息子さん、遠橋健一様を更生させるとしますか。頼れる人が誰もいない、動かないと生きられない、何の能力もない引きこもりにはとても厳しい異世界で彼がどう生きるのか見せてもらいます。」
そんな言葉を呟きながら彼女は音も立てずにその場から一瞬で消え去るのだった。
異世界契約 引きこもりの少年が三年間異世界に送られた結果 非常口。 @kokopochipochi1940
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