エピローグ

「坊ちゃま、そろそろ休まれたほうが……」

「大丈夫!」


 坊ちゃんと呼ばれた少年は意識して声を張り上げ、痺れた手を叱咤して素振りを続けた。


「いまのうちに、鍛えて、立派な戦士になるんだ……っ!!」


 顔を赤くして汗を流し、息を乱す少年とは裏腹に、執事は困ったような顔をした。


「……《四印の聖女》さまは、鍛えるべきと仰ったかもしれませんが、無理をしてはいけないとも仰りませんでしたか?」

「そんなの、言ってないよ!!」


 少年は手を止めず声を張り上げ、だがふいに怒りを覚えたように眉をつりあげた。


「敵国の王太子なんかに、《四印の聖女》さまをとられるなんて……っ!!」


 模造の剣が、振り下ろされるたびに風を切る音が響く。

 執事は慌てて、邸の中庭であるというのに周囲をはばかるように見回した。


「坊ちゃま、そのようなことを口にされてはいけません……! 聖女さまは、両国の同盟と和平のために嫁いで行かれたのですよ……!」

「なら、なんで! 聖女さまが嫁いだ後にテンペスタ側からあんなに物が贈られてきてるんだ!? まるで我が国が、聖女様を売ったみたいじゃないか……っ!」


 大人は汚い、と少年は憤慨した。怒るべきなのに、誰も怒らない。


「だいたい、聖女さまには婚約者がいたんだろう!? そいつは何をやっていたんだ!!」

「……相手が相手でございます、国益のため、身を引かれたのではないでしょうか。別の相手と結婚されたと聞いていますし……」

「なんだと!? そいつはとんだ軟弱者じゃないか!」

「いいえ、理性ある判断でございますよ」


 純粋な怒りを露わにする少年に、執事は穏やかに諭す。


「それに、なんといっても《四印の聖女》さまですから、向こうでも丁重に扱われているというお話です。なんといってもあの――黒の王太子の妃ですから。むしろ聖女さまでなければ妃など務まりますまい」

「……爺、もしやテンペスタの王太子の味方なのか?」

「めっそうもございません! ただ、格は釣り合っているということでございます。聖女さまのおかげで、我が国に有利な交渉もできるようになるはずですし……」


 なだめるように、執事は言った。


 ふん、と少年は荒い鼻息を吐き出す。

 癪にさわるが、確かに《四印の聖女》の伴侶は、並の相手では釣り合わない。

 ――なんといっても《力の刻印》を四つも使いこなすリジデスの英雄なのだ。


 かといって心が納得できるかというとまた別の話だ。


 鬱憤ごと晴らすように、少年はいっそうの力を込めて剣を振り下ろすのだった。



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聖女ですが、婚約者には真に愛する人がいるらしく 永野水貴 @blue-gold-blue

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