不穏

 ラーサはドームの薄暗い通路の途中でうずくまっていた。そうしていればお前は人間じゃない、と告げられた悲しみも動揺もおさまるような気がした。けれど募るのは行き場のない孤独感ばかりだった。


 抱えた膝に顔を埋めていると足音が聞こえてきた。スキップとまではいかないが高揚を隠しきれていない足取りだった。足音は長老がいる方角から聞こえてきた。顔を向ければちょうどクロウもラーサを見つけたところだった。


「ラーサ!」


 今まで聞いてきた中で一番陽気に聞こえる『ラーサ』だった。少なくとも彼女にはそう感じられて、口を尖らせた。


「ずいぶんとご機嫌だね」


「え? そんなことないって」


「そのセリフ、自分の顔を見てきてからもう一度言ってみてよ。言えるものならね!」


「悪かった悪かった。でもあんたを心配してたのも本当だよ」クロウは肩をすくめるとラーサの横にしゃがみ込んだ。「大丈夫か?」


「大丈夫に見える?」


「……見えないな」クロウはラーサの肩に手を置くと励ましの声をかける。「まあ……人間じゃないって言われたからってそう気にしなくてもいいんじゃないか? おれにとっちゃ――」


「他人事だからそんなことが言えるんだよ」ラーサはクロウの言葉を遮って言った。「きみはどう思う? あたしは人間だよね?」


 訴えるようなラーサの視線に、クロウは気まずそうに口篭った。泳ぐ黒色の瞳が言葉などなくとも雄弁に答えを伝えてきて、彼女は歯噛みした。


 クロウは顔を伏せると「ごめん」と漏らした。言い訳も弁明もない肯定の言葉だった。


「……長老が『人間じゃない』って言ったんだ。たぶん……間違いなくあんたは人間じゃなくてアンドロイドなんだと思う」


「っ」ラーサは顔を歪める。今にも泣き出しそうなのに、頬を涙が伝わることはなかった。「あたしは……人間だよ」


 クロウは短く息を吐く。立ち上がるとラーサに手を差し伸ばした。


「その話はひとまず後でしよう。広場にほかのみんなを待たせたままだからな。あんまり戻るのが遅くなっても悪い」


「……うん」


 ラーサはクロウの手を取って立ち上がった。



 * * *



 ドームの外に出ると日はすっかり沈み、空には夜の帷が降りていた。均された道には等間隔に篝火が置かれて足元を照らしていた。


 広場に戻ると、篝火の数が一段と増して辺りを煌々と照らし出していた。宴に参加していた面々は変わらずそこに揃っているようだった。それでもラーサが参加していたときよりかは幾分祭りのテンションもダウンしているようで落ち着いた空気が流れていた。


 彼らの視線が一斉にラーサを向いた。射抜くような視線だった。軽蔑の視線だった。憤りの視線だった。嫌悪の視線だった。それらの眼差しに晒されてラーサはたじろいだ。隣にいるクロウを見やれば、彼も仲間の豹変ぶりに驚いているようだった。


「クロウ。から離れろ」


 年配の男が言った。ラーサは宴に参加していた人々の中でもとくに人の輪の中心にいた彼に挨拶されたときのことを思い出す。一日の大半を眠って過ごしているという長老の代わりに、〈グローリア〉の細々とした実務を取り仕切っている副長だった。


「話は聞いているぞ。長老を侮辱するような奴をこの〈グローリア〉においておくことはできない」


 侮辱? なんの話? ラーサには話が見えなかった。けれど、クロウには副長の男が言わんとしていることがわかったようで、小さく呻いて天を仰いだ。


「ちょ、エルさんちょっと待ってくれって。みんなも落ち着いて」クロウはその場を宥めるように言った。「みんながなにに怒ってるのかはなんとなくわかるけど、いきなり追い出すってそれはいくらなんでもあんまりじゃないか? あの場にはおれもいたからわかるけど、あれはちょっとした行き違いで――」


「だが事実なんだろう?」


「っ。それは……そうだけどさ」


「ならそれで十分じゃないか」


「いや、でも長老は全然怒ってなかったし……それに長老は彼女の滞在を許してるんだぞ。なのに、みんなが勝手に長老の判断を無視して彼女を追い出すのか?」この反論には、副長の男を始めとして広場にいた者たち全員が言葉に詰まった。クロウは副長の男を見やる。「長老にはなにか深い考えがあるはずだろ? なのに勝手に彼女を追い出したりして……もしものときはエルさんが責任を取るのか?」


 副長の男にこの追求は相当に堪えたようで、歯をギリギリと食いしばる。


「……なら勝手にしろっ! その代わりお前が面倒を見ろ! わしらは一切それとは関わらんからな!」


 副長の男は吐き捨てるように言うと、背中を向けてズンズンと怒りを隠すこともなく立ち去っていった。彼がその場を折れたことで、広場にいた面々もそれぞれ不平や不満を口にしながらも散り散りに解散していく。最後に残ったのはラーサとクロウの二人だけだった。


 ラーサは呆然としてその場から動けなかった。ショックを受けていた。けれどそれは副長に投げつけられた言葉のせいではなかった。散り散りになっていく人々が横を通り過ぎるときの、まるで路傍の石ころを避けるようなその様が、副長の言葉の何倍もの重さの鈍器となって、彼女を傷つけたのだ。


「……ラーサ」クロウが躊躇いがちに声をかけた。「大丈夫……じゃないよな。ひとまずおれのうちにこいよ。ここよりは落ち着けるだろ」


「でも……」


 そしたらきみに迷惑がかかるんじゃない? ラーサはそう言いたかったが言葉がうまく出なかった。


 クロウは肩をすくめて微笑む。


「気にするな。長老はあんたの滞在を認めてるんだ。気兼ねすることはなんもない」


 ラーサはクロウに手を引かれて歩き出した。


 いつの間にか空は分厚い雲に覆われていて、すぐに冷たい雨が降り出した。乾季の影響で雨が不足していたこの地域に訪れた久しぶりの雨は、生ぬるい不快感でラーサを包み込んだ。

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2024年12月12日 20:00
2024年12月13日 20:00
2024年12月14日 12:00

新世界のラーサ 〜ヒューマノイドは人間を夢見ない〜 金魚姫 @kingyohime1998

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