最終話 ~陽光の中で~

「一人で行かせただと!? お前等いつものクソみたいな言い草でコイツを焚き付けたな!」

『事実を告げたまで。 おかげで犠牲は最小限で済んだ。 消費されるはずだった戦力も、間に合わず手慰みに殺されるはずだった者もな』

「ふざけやがって……。 なぁ先生! こいつは治せるんだよな? 死んだりしないよな!?」

「何とも言えない。 ともかく今は、一生涯分消費し尽くした魔力を少しずつ補充していくことしか出来ないだろう。 植物が少しずつ水分を取り込むように、辛抱強く治療を進めていく他はない」


 ぼんやりとした意識の中で、大勢の人々が口論しているのを感じ取る。 あるものは壁に拳を叩き付けて怒り、あるものは画面に顔を映し出して何事も無しに語り、またあるものは椅子に腰掛け考え込みながら話している。


 話していることの意味は全く分からないが。


 そもそも自分が何者であるかすらも分からない。 分かっていることはただ疲れ果てていることだけ。


 何故ここにいて、何故横たわっていて、何故周りをこれほどの人に囲まれているのかなど、当然分からない。


 ともかく今は少しでも体力を回復するため、僅かな間目を瞑って深呼吸をすると、今度はまた別の話し声が聞こえてくる。 ついさっき盗み聞きしていたものとは打って変わって穏やかな声色が。


「私達に何か協力出来ないか? 彼が私達を助けてくれたのだろう? 恩一つ返せず死なせてしまっては末代までの恥だ」

「ありがたい、ならば貴方達にはドナーになって貰いましょう。 彼一人のためだけに、保管しておいた全ての魔力を放出するワケにもいきませんからな」


 自分が助けた? 誰を? 彼らが何を言っているのかさっぱり分からない。 様々な姿かたちをした人々が、こちらへ穏やかな眼差しを向けてくるが、ピクリとも動かないこの身体で誰を助けたのかと、そう考えているうちにまた少し眠ってしまう。


 次に意識が深淵より浮かんだ時に見えたのは、車椅子に座った冷たい眼差しの女。 彼女は俺の顔を睨みながらため息をつくと、理解できないとばかりに首を振る。


「本当に馬鹿な男ね貴方。 罪人に特攻させる為の薬をワザワザ自分に打つなんて。 そこまでしてあの子を助けたかったの? ……貴方にとってあの子は何なのかしら?」


 呆れと侮蔑に彩られ、ほんの少しの称賛が込められた問い掛けが、今まで覚束なかった意識をほんの僅かに鮮明にする。


「あのこ……?」


 朦朧とする意識の中でか細く呟いた言葉は誰にも聞かれることなく、自分の意識と共に虚空に消える。


 ……どれくらい間を置いただろうか、再び目覚めた時に最初に感じたのはドアの開閉の瞬間に入り込んだ冷たい風。 それに背を押されるように部屋に入り込んできた微かに歳を感じさせる淑女は、持ってきた花を窓際に添えられた花瓶に生けると、ふと微笑みかけてくる。


「ありがとうねぇ鷹見君、貴方に二度も助けられたおかげで無事に孫の顔を見ることも出来た。 私は貴方に何もしてあげられないけど、せめていつもお見舞いに来てる可愛い彼女の為に、元気になってあげて頂戴ねぇ……」


 鷹見? それが自分の名前?

 彼女? そんな存在がいたのか?


 疑問が増えていく都度に、朧気だった意識と身体の感覚が微かだが鮮明になるのを感じる。


 自分は……、いや俺は一体何者なのだと。 長い時間をかけて思案を続ける中、何度も耳にしてきた気がする複数の声色が、不確かだった俺の中に確固たる一本の支柱を投げ落とす。


「れーちゃん……」

「先生から聞いたぞ、まさかお前が誰かを助ける為に身体を張るなんてな」

「レイジ……、お願いだから死なないで」

「お前は家族だ、私達の掛け替えのない家族なんだ」


 散発的に断絶する意識を縫い合わせるように伸びていく記憶の灯火。 それは己を定義する短い言葉を虚空より暴き出した。


 俺自身の指す言葉、鷹見怜二という名前を。


「そうだ……俺は……」


 リーリアをふざけた連中から逃すために命を捧げたはず。 あれからどうなった? 何故俺は生きているのか? 助け出された異界人達は皆健在なのか? モコモコとアルケニーは皆を納得させたのか?


 今まで停滞していた思考が目まぐるしく回転を始め、ピクリとも動かなかった身体に僅かながらの力が入る。


「誰か……」


 時間の感覚が曖昧となった虚無と理性と間で、俺は今出せるだけの力を込めて手を無意識伸ばした。


 ――刹那、誰かがその手を離すまいとばかりに力強く掴む。


 何者かも分からぬそれは、混濁していた意識を完全に明瞭なものへと変え、俺を現実へと引き戻した。


「うう……!」


 眩むほどに視界が明るくなり、俺は反射的に片手で顔を覆う。 植物に侵蝕されていない正真正銘、俺自身の手で。


「馬鹿な……あの時俺は……」


 身体を奪われかけていたはずだと自問するが、やがて落ち着いた視界に映り込んだものがその思考を無理矢理片隅へと追いやった。


 泣き腫らしたように真っ赤な目を見開き、驚くリーリアの姿が。


「リーリア……無事で……」

「レイジ君! レイジ君!」

「っ!?」


 振り絞るようにして声を出した瞬間、リーリアは俺に思い切り抱きつき、累々と涙を流して泣き出した。


「1年以上貴方はずっと眠っていたの。 いつ頓死してもおかしくない状態だって先生が……」

「そうか……心配かけたな……」


 胸元に顔を埋めるリーリアをこちらからも抱き返しながら、俺は顔を寄せて深々と詫びる。 ずっとずっとそばにいてくれた彼女に示す謝罪と感謝の証としては軽すぎるが、今はこれが精一杯。


 一分、二分と黙って抱擁し合う時間が続き、互いに昂ぶっていた気持ちが落ち着いてくると、頭の隅に追いやっていた疑問が再度噴出する。


「なぁ、俺の身体は今どうなってる? あんな無茶をやったんだ、ただで済むはずがない」

「……そうよ、今の貴方の身体は完全に植物との混ぜ物になってるって先生が言ってた。 ある一カ所を除いて」

「ある一カ所?」


 どこか匂わせるような発言をする彼女を訝しく感じ思わず考え込むが、一年経っても未だ自分の意識が残っている事実が、自然に俺を答えへ導く。


「まさか……」

「そう、貴方の身体を乗っ取ろうとしていた植物は貴方の身体の生命維持だけに執着し続け、脳の支配を完全に放棄した。 何でそんなことをしたかなんて知らないわ」


 邪悪な植物の考えることは未来永劫分かろうとも思わないと、リーリアはムスッとした顔で一言付け加え、気分転換のためか再び俺の胸に顔を埋める。


 そんな彼女の素っ気ない態度に俺はただ苦笑して返すに留めるが、心の中では全く違う考えに至っていた。


「お前も、他の異界人の皆と同じ道に準じたのか……?」


 昏々と眠り続けた俺に代わり、1年間外の世界を見続けていた肉体の同居人の選択。 そこに情があったのか、それとも本体の生存に適していたからやったのかは永遠に分からない。


 分かっているのは、命の主導権を託されたことだけ。


「せいぜい長生きするさ……」


 ふと窓の外を見ると青々とした葉が木々の間に生い茂り、そよ風に靡いて揺れている。


 その隙間からは明るい陽の光が差し込み、病室を優しく照らし出した。


 深淵から生きて這い出した俺を、祝福するように。

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朝日の差し込む窓から君と 〜異世界に生きるあなたと何気ない日常を楽しみます〜 南蛮蜥蜴 @Tokage0141

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