給食のおじさんが笑った日
神宅真言(カミヤ マコト)
給食のおじさんが笑った日
*
──その給食のおじさんは怖い人と思われていた。
何、給食のおばさんの間違いじゃないのかって? いやいや、それは偏見だ。給食の調理師さんの中には男の人もちゃんと居るんだ。
いやむしろ現場は男の人をもっと欲しがっているくらいだ。何百人分もの料理をこのさほど大きくはない部屋の中で数人で作っている。あの大きな抱えきれないサイズの鍋、あれを持ち運ぶには凄く力が必要だろう?
それに加えて、夏場はクーラーなんて効かない程の熱気、汗でずぶ濡れになったパンツがまた乾く程の温度の中での作業を毎日続けている。給食調理は想像以上の重労働なのだ。
──さて話を戻そう。そう、給食のおじさんの話だ。
そのおじさんは、怖い人だと思われていた。
おじさんの務める中学校は少し治安が悪い学校だった。いわゆる不良っぽい、やんちゃな生徒がいたんだ。授業に平気で遅刻したり、暴れたり、窓を割ったり。授業をサボったり、おかしな髪型をしたり、制服を改造したり。──そんな生徒が結構いる学校だった。
このご時世、公立学校では教師は生徒を強く怒れない。せめて強めの口調で注意するぐらいが関の山、昔のようにスリッパで殴るなんてもってのほかだ。場合によっては親が学校に怒鳴り込んで来るなんて事もしばしばで、だから教師はすっかり萎縮しきっているのが通常だ。
つまり不良達は何をしようと強く怒られるなんて事は無く、殆ど野放しに近い状態だったのだ。
そんなある日、不良達は連れ立って授業をサボり、校舎の端のベランダから手摺りを乗り越えて屋根の上に降り立った。そこはコンクリート製の平らな屋根で見晴らしも良く、生徒達は面白がってそこで走ったり飛び跳ねたりを繰り返した。
その屋根の下が、何の部屋かも知らずに。
不良達がはしゃいでいると、突然その屋根の下の扉がガラッと開いた。そして大きな大きな、雷の轟くような声が響いたのだ。
「お前らドタドタドンドン屋根の上で何しとるんだコラ! そんなとこ走ったら危ないだろ! 授業中に何サボってふざけとるんだ!! はよ授業に戻らんか!!」
不良達は皆、呆気に取られて声の主を見た。それは大きな身体に白い布の帽子と白い服を着込んで、鬼瓦のような怖い顔をした給食のおじさんだった。そう、その部屋は給食室だったのだ。
予想外の事に驚き、また普段怒られ慣れていない不良達は、その場に立ち尽くして皆おじさんを見詰めていた。そんな彼らをおじさんはじろりと見回し、再び口を開く。
「何突っ立っとるんだ! はよ教室に戻らんか! 二度とここで遊ぶな!!」
再度轟いた雷に、不良達は弾かれたように逃げ出した。「すいませーん!」「ごめんなさい!」と口々に叫びながらベランダを乗り越えて校舎の中へと戻って行く。
その様子を見送った給食のおじさんは、フンと鼻を鳴らすとマスクを付け直しながら給食室に戻っていったのだ。
*
この給食のおじさんの話は瞬く間に学校中に広まった。
教師達は「よくぞやってくれた!」と言わんばかりに給食のおじさんを褒めたたえ、一目置くようになった。生徒達、とりわけ不良達はおじさんを怖がり、二度と給食室には近付かなかった。
そして生徒達は改めて、給食を作ってくれる人達がいる事を再認識したのだ。
今までは頭では分かっていても、時間になれば料理が勝手に出来上がっている、そんな風にどこか感じていた。どこかの誰かが作っている、でも誰が作っているかなんて気にも留めなかった。
それが「給食のおじさん」という具体的な人物像を目にした、話に聞いた事で、「給食を作ってくれている人がいる、この校舎に一緒にいるんだ」という親近感のようなものが湧いてきたのだ。
それは生徒達の給食に対する意識を良い方向へと変えていった。
昔は「給食は残すな」と無理矢理に食べさせられ、酷い時には居残りしてまで完食を強いられたものだが、今ではそんな事は無い。むしろ残しても何も言われず、人気の無いおかずは大量に残る事もしばしばだった。
それが、残飯の量が目に見えて減ったのだ。これは良い影響だ、と調理師達だけでなく、教師も校長も皆が喜んだ。
校内の雰囲気も何となく明るくなり、不良達も暴れる事はめっきり減った。
そんな、穏やかな日々が学校に訪れた。
*
その日のお昼時間、給食のおじさんはトイレに行こうと給食室を出た。
給食の調理を終え、給食がそれぞれのクラス委員によって運ばれるのを見送り、一息ついて調理師の皆で給食を食べる。その後、戻って来た食器を洗う仕事を始めるまでに、少しばかりの休憩の時間があるのだ。
おじさんが廊下に足を踏み出した、その時。
一人の生徒が走って来て、おじさんを見て足を止めた。
「あの、あの、給食のおじさん!」
おじさんが生徒を見る。どこか見覚えのある顔だと思ったら、確か前に屋根で騒いでいた不良の中の一人だと思い出す。さてはお礼参りか、とおじさんが身構えた瞬間、その生徒がぐっと拳を握った。
「あの! 今日の給食のナポリタン、メッチャおいしかった!! チョーおいしかった! カンドーした!!」
生徒が拳を振るわせて叫んだ。おじさんは一瞬ぽかんとしてから、口を開く。
「わざわざ、それを言いに?」
「うん! マジおいしかったから! なんか居ても立ってもいられなくて言いに来た!」
不良っぽいその生徒は満面の笑顔で言った。不良っぽいと言っても所詮は中学生、その笑顔はあどけなく、おじさんの頬も緩む。
「そうか。おいしいと言ってくれるのが何より嬉しいよ。ありがとう」
おじさんの笑顔に、生徒は何度か瞬きをする。あの鬼瓦みたいに怖い顔で怒るおじさんが、笑っていた。
キーンコーン、とその時チャイムが鳴った。昼休み終了の五分前を告げる予鈴だ。生徒は「それだけだから、じゃ!」とぺこりと頭を下げると、慌てて元来た廊下を走り出す。
「おーい、廊下は走るなよー!」
おじさんが声を張り上げると、生徒は律儀にも走るのをやめ、早歩きで去って行った。おじさんはその背中を見送ると、再び歩き出した。
ふふ、とおじさんが笑いを漏らす。そんなおじさんの口から、ぽろり言葉が零れた。
「給食作ってて良かったなあ」
これはそんなありふれた、小さな小さな、取るに足らない、──それだけの話。
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後書きというか蛇足的なものです。以下は興味のある方だけお読み下されば。
お読み頂きありがとうございました。
この話は、実話を元に製作しております。
給食のシステムなどは自治体によって大きく違います。各市区町村によって異なりますが、中央の給食センターで一括で全て作るパターン、米やパンなどの主食はセンターで作りおかず等は各学校で作るパターン、全てを各学校で作るパターンなど、様々です。
また民間企業に調理を委託しているパターンや、民間企業にお弁当を発注するなんてパターンもあります。
本作で登場する中学校は、主食は中央のセンターから届けられ、おかず等を各学校で調理する方式のところです。
給食室はセンターからの輸送トラックが直接扉のすぐ前まで乗り入れられるように、校舎の一番端に突き出した形状となっています。
給食室には一応スポットクーラーなどの冷房機器はあるのですが、送風口から埃などが混入するのを防ぐ為に、送風口には目の細かいフィルターが被せられていてあまり効きません。当然、窓を開けて風を通すなんて事も出来ません。
そんな中で大鍋で揚げ物や煮炊きなどの調理を行うと、室内温度はぐんぐん上がります。熱中症との闘いです。
作中にも書きましたが、汗でパンツがずぶ濡れになり、また熱でそれが乾くという、地獄のような暑さ、いや熱さです。
また当然ながら何百人分もの調理を行う鍋はとても大きく、とても重いです。材料を運ぶだけでも一苦労です。
色々な意味で給食調理は重労働なのです。
ですので「おばちゃん」のイメージが強い給食調理、実は男性の調理師も意外といますし、現場では男性がもっと増える事も望んでいます。
作中の自治体では給食調理は市の職員という扱いです。
ちなみに教師は県の職員ですが、事務員さんなどはやっぱり市の職員です。
そして献立は栄養バランスや味、ボリューム、そして原材料価格などを考慮して、センターで決められています。
新しいメニューを採用するかどうかは必ず試食会などが行われ、おいしいかどうか、調理の手順が煩雑すぎないかなど、様々な側面から検討されて初めて採用されます。
原材料も出来るだけ地産地消の精神に基づき、安全で美味しいものを最優先にと考えられています。
これだけ手の掛かった、しかも毎日バラエティに富んだ献立の料理を出してくれる給食、とてもありがたいものだと痛感します。
ちなみに教師や、調理師などの職員もちゃんと給食の費用を払っています。
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と、長々書いてきましたが、これはこの自治体での方式、ほんの一礼です。
しかしながら「ああ、給食の調理師さんてこんな大変なんだ」と何となく思いを馳せてくれればそれだけでも充分なのです。
給食のおじさんおばちゃんにとって、一番嬉しいのは、おいしいと言ってくれる事と、全部食べてくれる事だそうです。
それだけでも伝わればいいな、と。
そんなお話なのでした。
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給食のおじさんが笑った日 神宅真言(カミヤ マコト) @rebellion-diadem
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