独身は既婚者に比べて不幸なのか?

エテルナ(旧おむすびころりん丸)

独身は既婚者に比べて不幸なのか?

さてさて、突然ですが筆者は未婚です。

周りはぼちぼち結婚しはじめてます。

ですが筆者は結婚するつもりが皆無です。自分の時間が最も大事だという価値観だからです。しかしこれを他人に伝えると――


「ああそう、ふーん」(・∀・)ニヤニヤ


あれ? これ、負け惜しみと思われてない!?

気にしなければいいだけなんだけど、なんか悔しい。


ということで今回は、独身でいることは不幸なのかを述べてみます。

幸不幸については『成功している著名人が自殺を選ぶのはなぜだろう?』という記事と重複するところがありますので、興味のある方は是非ご覧ください。


結婚すると幸せで、独身でいると不幸せ。そのような偏見はアンケートを見るに、だいぶ減ってきているように見えるものの、実は未だ根強く残っているように思えます。

エビデンスが無くて申し訳ないですが、これは理性で考えるものではなく、深層心理に関わることであり、独身=不幸という価値観が、世の中で自然と刷り込まれているからです。

その刷り込みとはステレオタイプという、強烈な心理効果を指します。


ステレオタイプとは、社会的カテゴリーが持つ共通の特徴を単純化した固定観念です。

例えばあなたが物語を描くとして、頭の良いキャラを作るとしましょう。となると、あなたはきっとそのキャラに、眼鏡を掛けてしまうはずです。

やんちゃなキャラには八重歯を生やさせ、大人しめのキャラは黒髪にし、不良キャラは金髪に染めさせます。

しかし現実は馬鹿でも眼鏡を掛けますし、八重歯は生来のものです。黒髪の不良もいれば、金髪でも大人しい子はいるでしょう。


差別や偏見を減らそうという努力の見える世の中ですが、しかし同時にアニメや漫画やゲームは更に隆盛し、上記のステレオタイプは強固に脳に刷り込まれます。

まったく内容を知らない漫画やアニメのキャラクターでも、眼鏡を掛けていれば、「あ、こいつは知的タイプだな」などと、考えるまでもなく頭に浮かびます。

この、思考の余地すら許さない無意識の解釈を打ち崩すのは困難です。


漫画やアニメはステレオタイプが必須のコンテンツです。登場キャラクターをいち早く理解できるよう、すぐに個性を連想できるステレオタイプの型に嵌める必要があります。

リアルでの交友関係のように、一年も二年もかけて何者かを理解させるようでは成り立ちません。


では次に、あなたは不幸な身の上のキャラクターを作るとします。

壮絶な過去を歩む主役級でなく、惨めなモブキャラを登場させる場面を想像してください。

その設定資料にはニート、貧乏、醜いなどのワードが浮かぶかもしれませんが、同時に『独身』というワードが浮かんできませんか?

『40歳、ニート』と紹介するよりも、『40歳、ニート独身』として登場させた方が、どうしても悲壮感が増してしまいませんか?

幸不幸もなく、ただ社会的な状態を表すというのなら、『40歳、ニート東京住み』だとか、『40歳、ニート普通免許持ち』だとかと変わらないはずなのに。


独身であることは『不幸』とは関係ないと公言していても、思考の埒外で、独身を不幸の出汁に使ってしまう。

これは今までの歴史の積み重ね、そして今なお創作物の不幸の象徴として、『独身』が使われ続けている以上、覆し難いステレオタイプです。


そしてこれこそが、独身が不幸であるたった一つの要因です。

独身は何も不幸などではないが、不幸であるというステレオタイプが不幸にする。

独身→不幸なのではなく、独身は不幸であるという考えがあなた自身を不幸に導いてしまう。

血液型と性格の間には何の根拠もないのに、A型と知ったことで几帳面なところばかり見てしまい、余計にA型っぽく見えてしまう確証バイアスという心理効果があります。その流れで考えると――


一人でご飯を食べる→独身=不幸

帰っても迎えがいない→独身=不幸

頼れる人がいない→独身=不幸


何をしたって頭に不幸が過ります。

言われたような行動を取ってしまう、予言の自己実現のように、世間に言われているような思考に陥って、独身=不幸を実現させてしまう訳ですね。

しかし本来これらの事柄は、結婚か独身かで左右される幸不幸ではありません。


そもそも結婚という社会のシステムは生物学的なものに由来するものでなく、人間が後付けで生み出したものであり、我々の遺伝子に、『結婚は最高の幸せ遺伝子』というものは存在しません。

大昔から特定の雄雌で繋がることはあったでしょうが、結婚というシステムならではで発する幸福の物質というものは存在しません。

幸せだと思えという強制のもと生まれた、想像上の神話に過ぎないのです。

仮にそんな遺伝子があるのなら、何度も何度も結婚し、三つ四つの家族に囲まれた方が、より多くの幸せを感じる仕組みになっているはずですから。


つまり結婚の幸せは、遺伝子に刻まれた人生最大の喜びではないですし、同様に子供の生まれた幸せは、唯一無二ではありません。

家族に囲まれる幸福だって、かけがえのないものではないってことです。


こんなことを言えば既婚者に怒られてしまいそうですが、役者に選ばれた喜び、ミリオンセラーを出した喜び、大会で優勝した喜び、人気のゲームが出た喜び、アイドルと握手した喜びでさえも、結婚から生じる喜びと同等になり得る場合があります。

なぜなら幸福かどうかの直接的な要因は、セロトニン等、脳内の快楽物質の放出量が決めるからです。


仮に事象=幸福ならば、好きでもない人との結婚も幸福になりますし、アイドルとの握手なら誰でも関わらず幸福ということになります。

しかし事実は愛する人との結婚だから、推しのアイドルだから、応援するチームだから、セロトニンが多く放出され、幸福な気持ちになるのです。


結婚から生じる事柄に幸福を感じる機会が多いことに間違いはありません。

しかしその幸せの度合いが、独身には決して感じることのできない幸せの類と思うなら大間違いです。

もっと言ってしまえば、世間が最上の幸せと定義している結婚自体に、幸福のブレが存在します。

あなたの結婚と隣人の結婚は、同程度の幸せとは限らないということです。例えあなたも隣人も、配偶者を心の底から愛していたとしてもです。


あなたの生体上のセロトニン放出上限が10ならば、結婚に10の幸せを感じるかもしれませんが、隣人の生体上のセロトニン放出上限が9ならば、結婚に感じる幸せは9が限界だということになります。

そしてどこかの誰か、セロトニン放出上限が15の人間が、応援チームの優勝に際して15のセロトニンを発したならば、あなたと隣人の幸福度を生物学的に超越したことになります。


感性の違いから、独身でいる幸せが結婚する幸せより幸福の序列が高いという、主観的な見方がありますし、更にセロトニンの放出量という客観的立場で見ても、独身が既婚者由来の幸福を上回る可能性は大いにあります。

それでも結婚が至上の幸せだと言い張る人は、神を信じることが幸せだという、無根拠な宗教的思考となんら変わりはありません。


人体の幸福の感じ方を理解すれば、結婚は史上の幸せではなく、人体に備わる特別な幸福器官でもないことが分かります。

ただしはじめの通り、独身=不幸のステレオタイプにかかることで、あらゆる行動に不幸のデバフがかかってしまいますから、そこだけは思い込みすぎず、自分の感じる幸せに自信をもって、最上の評価を付けてやりましょう。


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