Down to earth

西野ゆう

幸せな負け

「ぷよ先生はイケメンが好きでしょ?」

結愛ゆあちゃん、文代ふみよ先生ね」

「うん。ぷよ先生はイケメンが好きでしょ?」

 呼び名を訂正しても直らない。それは分かっているが、私は一日に一度は必ず間違いを指摘している。もちろん、本人がわざと間違えているのを承知の上で。

「そうだね。イケメンは好きかな。結愛ちゃんも好きでしょ?」

 特別支援学校の寄宿舎。教員の私は週に一度のペースで寄宿舎でも勤務している。今の時間は食事を終えて入浴の時間までの間、こうして高校一年生の結愛ちゃんとテーブルサッカーゲームをやりながら他愛もない会話を楽しんでいる。

 寄宿舎のテーブルサッカーはなかなかの大きさだ。支援者の方が寄付してくれたものだが、テーブルに置くボードではなく、それ自体に脚が付いていて、高さは私の腰、結愛ちゃんの胸の位置ほどもある。

 選手を動かすためのバーも、結愛ちゃんでは両手を思い切り広げなければ両端には届かない。そのため結愛ちゃんは、私のように中央にどっしりと立つわけではなく、左右にちょこちょこと可愛らしく動いて選手たちを動かしている。

 当然彼女には不利なゲームであるが、私も器用な方ではない。毎回本気で戦って、勝ったり負けたりを繰り返している。

 特に舌戦が混じると私は不利だ。結愛ちゃんの愛らしさに、この時間を過ごせていることに心動かされてしまう。

 結愛ちゃんはダウン症だ。「ダウン」という言葉はネガティブな印象を受けるが、ダウン症のそれは最初に症例を報告した人物の名によるものだ。

 ダウン症の人たち、特に子供たちが「エンジェル」と時に呼ばれることを、私は快く思っていなかった。顔つきが穏やかでにこやかに見えるからという理由らしいが、もっと一人一人に目を向けるべきだと。

 だが、特別支援学校の教員となり、確かにダウン症の子供たちが、穏やかで素直で優しく笑顔が愛らしい子供たちばかりであることに、私自体癒されているし、それを求めるようになっていた。

 こと体型を揶揄されて「ぷよちゃん」などと呼ばれたとしても。

「イケメンはね、翔吾くん。翔吾くが好き」

 結愛ちゃんが左右にステップしながら満面の笑みで、今夢中で見ている若手役者の役名を口にした。

「翔吾くん、カッコイイよね。結愛ちゃん、デートしてみたいんじゃない?」

 高校生になって、結愛ちゃんも異性に随分と興味が出てきていた。私は姑息にも、心理戦でサッカーゲームを優位にしようとした。

「してみたい! あ、でもね、街にお出掛けするなら、ぷよ先生の方がいい!」

 返り討ちだ。みごとなカウンター攻撃で、私のゴールに小さなボールが転がり込んだ。

「いえーい! 勝ったよ!」

 私の負けだ。負けだが、こんな幸な負けはこの場所のこの時しか味わえないかもしれない。

 英語で "Down to earth" という言葉がある。

「地球に降りる」という意味ではない。地に足のついた、落ち着きのある、分別のある、素朴な人。そういう意味だ。

 私にとって結愛ちゃんや、もちろん他の生徒たちもだが、生徒たちは皆地上に降りた天使のようだ。そんな生徒らに対して私は地に足をつけ、彼女、彼らを自立に導く大人でありたいと、笑顔をプレゼントされる度に心に誓うのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Down to earth 西野ゆう @ukizm

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ