-3- 冷たいコーヒー
「……というわけなんです」
ロフェルさんの淹れたコーヒーをいただきながら、あの夜に起きたことについて話していた。
「そうか。なんだか、青い話だねえ。昔を思い出すよ」
「店長にもそんな時期が」
「そりゃあね。今の妻に会うまでは、いろいろあったもんだよ」
ロフェルさんは自身の整った白髪をそっと触る。
「まあでも、私からすれば大したことではないよ。当事者じゃないからかもしれないけど」
「そうですか」
「うむ。君も、そしてアリスも。ちょっと考えすぎかな。簡単にいうとね」
考えすぎ。その一言にまとめられるのは、なんとなく
「はあ、しかし、アリスが君のような若者に悩まされているとはね」
「アリスが? それはないですよ、あのアリスですよ」
「そうかい。まあ君ならそう思うだろうね。私からすれば、アリスはどうにかこうにか言いたいことを自分の自然さでコーティングしているような気がするよ。君に対する態度はどうなんだって?」
「前と、変わらないです」
「私にとっては、変わらないことが返って不自然な気がするんだ」
私は女性の心理まではわからないけどね、とロフェルさんは付け足した。彼が指摘した違和感については、なんとなくわかる。アリスはまだ何か隠している気がする。それが何なのかはわからないが、俺に関係することであるのは間違いない。多分。
「話は変わるんだけど、アリスの前夫の……えっと、名前は何だったかな」
「ヴィルセンさんです。ヴィルセン・フランシェリア」
「そう。アリスは彼と生き別れてから長いこと経つでしょ。それでね、一緒に働いてる時、よく話してくれるんだよ。彼のこととか、その後に家に泊めていた人の話とかね」
俺は相槌を打ちながら話を聞き、コーヒーを一口ずつ飲んでいる。マスターは豆の入った瓶詰めを上下に揺らしながら話している。
「男性を泊めたこともあるって聞きましたけど」
「そうらしいね。でもすぐ出て行ったみたいだよ」
「なぜ」
「さあね。それにほら、雨の街にやって来る人間は皆何かしら抱えてるでしょ。じゃなきゃこんな辺境の街にわざわざやって来ないよね。君もそうだったように」
ロフェルさんはピアノスの話を知っている。きっとそのことを言っているんだろう。
「その彼もきっと、何か理由があって出て行ったんだと思うよ」
肩をすくめるロフェルさんを見て、思い当たる節があることに気付いた。きっとアリスの秘密――フレアのことを知って、怖くなって逃げ出したんだろう。
「ロフェルさんは知ってるんですか」
「何を」
「アリスのこと」
「え、何かあるのかい。ヴィルセンさんのことじゃなくて?」
ま、流石に知らないみたいだ。フレアのことはアリスが一番知られたくない秘密だろうから。俺は黙ってコーヒーに口をつけた。
「まあ、話を戻そうか。君と彼女の今後についてだったね」
「はい。どうしたらいいですかね」
「決まってるよ。ちゃんと話し合いなさい」
「……わかってますよ、それは」
アリスの微笑が頭に浮かぶ。
「もし、話し合うことで今までの関係が崩れるとしたら」
「そんなことは考えることじゃないよ。今の状況を改善したいなら、腹を割った方がいい」
「それは、そうなんですけど」
「あのねえ」
ロフェルさんは眉をひそめ、少し強い口調で言う。
「男ならもっと自信を持ちなさい。アリスは君のことを嫌っていないんでしょう。話し合いの場くらい設けられるって。問題は、君が奥手すぎることだよ」
「……奥手、ですか」
「そう。積極的にならないと。もちろん後先考えないのは良くないけどね、私に言わせれば君は慎重すぎ。まあ、この件に関してはアリスも同じかな」
「はあ」
はっきりと自分の弱いところを突かれると、流石にうろたえる。そして彼の発言に対して何も言えない自分にも腹が立つ。俺は俯いて、カップに入った黒い液体を見つめることしかできなかった。その様子を見兼ねたのか、ロフェルさんは僕の肩を叩いた。
「ま、どうするかは君が決めることだ。でもね、あの子のことが本当に大事なら、君自身が自分の気持ちについて考えるのも彼女のためだと思うんだよ、おじさんはね」
おじいさんでしょ、とは言えなかった。
「僕の気持ちを知ったように言うんですね」
「だって、好きなんでしょ。アリスのこと」
好き。
好き、か。
「好きって、何ですかね。俺が感じてるのって、もっとこう、何というか。上手く言えないですけど」
「ほら、また考えてる。もっと感覚的でいいんじゃないのかい?」
「ですかね」
ロフェルさんは笑ったので、俺も空笑いをした。冷めきったコーヒーを飲み干して大きく伸びをしたところで、店の扉が開く。話し込んでいたら、やっとこさお客さんだ。俺とロフェルさんは背筋を伸ばした。
雨の街のアリス【1000PV大感謝】 柏葉和海(カシワバワウ) @WawKashiwaba
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