-2- 雨に踊る紅葉

 私は、書斎の窓の向こうに見える紅葉林を頬杖をつきながら眺めている。ぼんやり見つめていると、不意にあの日のことを思い出す。ラオレが私を大事だと言って、抱きしめたあの夜のこと。彼の心臓の音、温もり、言葉の数々。


 あれからラオレとは今まで通り暮らしている。急に態度を変えたら彼も驚くだろうし、できるだけ私の気持ちが露呈しないように、あくまで自然に、自然に、と。でも、それがもどかしいと感じてしまっている自分もいる。


 私の心が彼を求めているからなのか、彼に対する不満なのか、わからない。だから今もこうやって黄昏たそがれながら、彼の言動について考えている。


 これからもし、彼との距離が縮まっていくとしたら。そんなことを考えることが多くなった。私は彼のこと、もうただのルームメイトと思えなくなってきてる。秘密をさらけ出して、受け止められて、挙げ句の果てに抱擁までされちゃった。弱い部分を見せても動じなかった彼の姿は、私の胸の奥をざわめかせている。


「……様…嬢様……」


 ヴィルセンが亡くなる時、彼が言い残したことがある。それは、「もし仮に新しいパートナーと呼べる存在が現れたときは、私のことは気にしないで、心置きなくそのパートナーと幸せになって欲しい」というもの。もし彼がその新しいパートナーだとしたら……いやいや、落ち着こう。まだ決まったわけじゃない。それに、ただハグされただけだし。思春期みたいな考えは捨てないとダメね。


「……嬢様……お嬢様……」


 ぼんやりしていたら紅茶が冷めてしまった。これでは香りも楽しめない。私は立ちあがろうと腰を上げた。


「お嬢様!」

「は、はい!」


 ハッとして顔を上げ木椅子に腰をすとんと落とすと、マリーが腰に両手を当てながら立っていた。いつも通りエプロンのない黒いメイド服を着ている。彼女は私のことを不安そうにじっと見つめていた。


「もう、何度呼んでもお返事されないんですから」

「ごめんなさいね、ちょっと、考え事」

「そうですか」


 マリエッタは書斎の木椅子に腰を下ろし、私とテーブルを挟んで向き直った。


「それで、何を考えていたんですか」

「その、別に」

「なんですか? 教えてくださいよ」


 微笑みながらテーブルに両肘をつくマリー。そんなに興味津々にされると恥ずかしいんだけど。私は首をかいた。



***



「えっ! 抱きしめられたんですか!?」


 マリーは驚いて立ち上がった。がたりと木椅子が音を立てて床に転がる。ちょっと、小さい家具も貴重なものなんだから大事に扱ってほしいんだけど。


「驚きすぎよ。ほんと耐性ないんだから」

「え、だって、ラオレ様ってそんな」

「そんなイメージ、ないわよね」

「ないです」


 マリーは転がった木椅子を持ち上げて立て直し、再び腰掛けた。


「それで、彼はなんと」

「私のことが大事だって」

「それだけですか?」

「あなたはどうですか、とも」

「何と返答されたのですか」

「……私も、って」


 マリーが目を丸くして口をあんぐりと開けると、書斎の空気の振動が止まったような感じがした。


「は、は、それは」


 息を漏らしながらうろたえているマリー。私は得意の澄まし顔を披露しながら、ティーカップに手をつけた。


「勘違いしないでね。お互い恋愛対象とかそういうのじゃないの。尊敬とか敬愛とか、そういう気持ち」

「……そう、なんですか?」

「そう」

「でも、抱きつかれたんですよね」

「まあ、ね」

「お嬢様も嫌じゃなかったと」

「……そうだけど」

「それって、その、意識しちゃいませんか」


 雨が書斎の窓に打ちつけている。紅葉が雨粒に揺らされて踊る様子を、開いたハードカバーの本のページを指でこすりながら見つめてみる。なんだか今は、マリーの顔を見て話せない。


「そう思う?」

「お嬢様はどうなんですか」

「うん……」


 私の本当の気持ちってなんだろう。彼のこと、私は気に入ってると思うし、ずっと一緒にいられたらって思ってる。それはつまり、彼に恋をしているってことになるのかしら。あの夜は、お互いのことが大事だって感情だけは共有できたけど。


 本当にそうなんだろうか。


 私は彼と、もっと近づきたいと思っているんじゃないか。


 もっと、近くに。


 その気持ちこそが、今みたいな気を遣い合う浮ついた関係性を作ってしまっているんじゃないかって。私はもっと、素直になるべきなのかな。というかそもそも、素直ってなんだ。今の私にとって、って一体何だろう。


「……はあ」


 私は本に栞を挟んで閉じる。今日は本を読める気分じゃない。


「お嬢様?」

「マリー、ちょっと出てくるんだけど」

「あら、そうですか」

「あなたも来てくれない? 行きたいところがあるの」


 マリーは少しだけ微笑んで、「はい、お嬢様」と小さく頷いた。

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