03_月

 このまま、あの研究者の思い通りになってたまるものか。


 僕は、研究者の思いどおりになるまいと、ただひたすらに抗った。焼き爛れていく肉体を軋ませて、溢れ出る怒りと憎しみを糧に白い部屋の壁を内から破壊しにかかる。


 狂気じみた僕の叫び声で、白い部屋は鳴動し、壁は僕の肉体による負荷で、ギィギィと音を立てている。


「抵抗しても無駄だよ。その部屋の壁は、特殊な加工がされている。多くの被験体が君のような姿になり抵抗したが、壊れるようなことはなかった」


 何処からか、余裕に満ちた研究者の声が響き渡る。姿は現さず、声だけが聞こえてきた。この白い部屋の外部で、彼はのうのうと僕の苦しみ命が枯れ果てる様子を観察しているに違いない。それを考えるだけで虫酸が走った。


 死にものぐるいで抵抗している内に、身体にある変化が現れた。焼き爛れて破壊されていた肉体の細胞が、凄まじい速さで再生し始めたのだ。膨れ上がる怒りと憎しみの気持ちと呼応するかのように、再生速度が上がっていく。


 焼き爛れ破壊される速度より、細胞が再生する速度の方が早いため、見る見るうちに肉体を構成する細胞が増殖する。


 巨大化していく肉体を、僕は強靭な意思によって自由自在に変形させた。


「なんだ。細胞が急激に増殖している……こんなのは、初めてだ。なにが……何が起ころうとしているのだ!」

 

 予想外の変貌を遂げる僕の姿を見て、初めて慌てふためく医者の声がした。


 細胞分裂と身体変形を繰り返すことで、ただの肉の塊だった身体は形を成していく。手足ができ、頭ができる。見た目は、まるで巨人だ。まだ、細胞の速度は衰えずむしろ加速しているため、どんどん巨大化していった。


 そして、白い部屋は、僕の肉体で埋め尽くされた。許容量を超えた白い部屋は、内側からの圧力に耐えることができず、激しい破裂音を響かせて崩壊する。


 白い部屋が崩壊して僕の身体が解き放たれると、僕の足元の近く小さな人間が興味深そうにこちらを見つめていた。


 白衣を来て、メガネをかけた白髪のおじさんだ。メガネを輝かせ、薄気味悪い笑みを浮かべている。この人物こそ僕をこんな姿にしたあの研究者に間違いない。


 周りは、研究設備と思われる機械が何台も置かれており、煙がいくつかの機械からしゅぽーと勢いよく出ている。どうやら、白い部屋は、巨大な研究施設の一部だったようだ。


 興奮がおさまらない研究者は、両手を上げて喜びをあらわにする。


「素晴らしぃー!!巨大化するのは、予想外だが、細胞が再生し、形をなしている。期待以上だよ。これで、人類はすくわ……」


 研究者の男が、言い終わる前に、僕は怒りの感情のままに巨大な足底でぺしゃりと男を踏み潰した。自分の都合で、非人道的な実験を繰り返してきたこの男に対する怒りはすでに沸点を超えていた。慈悲の心など到底持てるはずがない。


 僕の肉体は、憎しみの対象を踏み潰してもなお、成長をやめなかった。指数関数的に細胞が増殖し、巨大な研究施設でさえ、収まりきらなくなる。


 激しい音を立てて、研究施設の天井を突破り、僕の上半身が、施設の外に出る。


 この時、初めて建物の中ではなく、建物の外側の世界を見ることができた。視界に広がる外側の風景を見て、僕ははっと息を呑んだ。

 

 ここは、どこだ。


 僕の視界には、岩だらけの見慣れない星の光景が広がっていた。


 地球ではない……。


 真上に広がる真っ暗な宇宙にぽつんと地球と思われる惑星は浮いている。だけど、その地球の色は、僕の知る地球の純粋な青色ではなかった。黒雲に包まれ、薄汚れた色をしている。


 一体、どういうことだ。


 薄汚れた地球の様子を見て、忘れていた記憶が鮮明になっていく。


 そうだ、人類は、地球で住むことを諦めたのだ。著しく変わり果ててしまった地球ではもはや住むことは困難と考え、ごく一部の恵まれた人たちがこの星に移住し暮らしていた。


 この惑星は、人類の使える資源が殆どない。地球から持ってきた限られた資源の中、生活しなくてはならなかった。 


 資源が底をつきかけた頃、開発が進められたのが、不老不死の薬だった。細胞分裂に関係する構造テロメアに、薬剤で刺激を与えることで異常に活性化させようとした。この薬が完成すれば、資源がなくても、生きて行ける。そのための犠牲が僕だった。


 胸に広がるやるせない気持ちを紛らわすように僕の身体はどんどん大きくなっていった。果てしない時を経て、巨大化し続けた僕の身体は、星そのものをいつの間にか覆い尽くしていた。


 星を完全に覆い尽くした時、僕はふと、真っ暗な宇宙に浮かんでいた地球を見た。


 地球は黒雲が晴れて、再び美しい青の星に戻っている。


 僕がこの星を覆っている間に、地球は元の姿へと再生したらしい。まさに奇跡だ。


 目を輝かせながら青色の地球を見つめると、僕は安堵して、糸がぷつんと切れるように息絶えた。僕が息絶えた後、星を覆っていた身体は、次第に色を失っていき、真っ白に染まる。


 地球からも、真っ白に染まったこの星が見えた。真っ白になった星は、太陽の光をよく反射し、視認することができるようになっていた。


 突如、現れた真っ白な星を地球で生き残っていた人類は、太陽のに明るい星であることからこう呼んだ。


 つきと。

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東雲一 @sharpen12

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