02_瞳
へその出来物はまだまだ成長し足りないようだ。成長速度は全く落ちない。むしろ、徐々に速くなっているようにさえ思える。
へその出来物が大きくなるにつれ、出来物に顔のようなものが浮かび上がってきた。目と鼻と口があるが、表情はなかった。何だか薄気味悪い。
とはいえ、今となっては、へその出来物をどうにかすることができない。出来物は、自分の身長より遥かに大きくなっていた。
もはや、どちらが出来物なのか分からない。
大きさだけを言えば、僕が出来物に見えるだろう。
へその出来物が著しく成長していく過程で、僕は出来物の下敷きになり、ぺしゃんこになっていた。柔らかい身体は、平らになり、人間の体を成していない。
次第に、僕は出来物の中に吸収されていった。
出来物はもう出来物ではない。得体のしれない巨大な生命体へと変貌している。
巨大な生命体へと吸収されていき、僕は意識が朦朧になっていく。
次、目を覚ませば、どうなっているんだろう。
この得体の知れない巨大な何かに、取り込まれて僕という存在はなくなってしまうかもしれない。
何も見えない暗闇の深淵へと静かに誘われていく。
自分という存在がなくなってしまう。
もはやどうでもいい。
白い世界に閉じ込められてから、ずっと一人で、寂しかった。ぬくもりが欲しかった。
僕は、これで白い世界からようやく解放される予感がした。
ちょっとした安堵感を抱いたその時だった。
突如、首を思いっきり締め付けられたような息苦しさが襲われ、急に息ができなくなった。
おかしい。この世界では、痛みという概念が存在しなかったのではないか。だけど、違うのか。痛みは白い世界でも存在する。
意識が暗闇にどっぷりと飲み込まれるにつれて、死の時が近づいてくる感じがした。
やばい、どうしたらいい。
苦しいのは嫌だ。誰か助けてくれ。
僕は生きたい。
久しぶりに味わった苦痛を通じて強烈な生への渇望を思い出す。生きたいという一心で、僕はひたすら迫りくる死の苦しみに抗った。
すると、ある瞬間から息苦しさが消えて、逆に心地の良い気持ちが充満した。
暗闇が晴れていき、眩い光に包まれていく。ようやく、長い悪夢から逃れられるかもしれないと希望を抱きながら、目を覚ました。
何度も、何度も頭がおかしくなるくらい見た白い世界。
目を覚ませば、いつも必ずそこにいた。
だけど……今回は違った。
白い部屋にいた。やけに狭苦しく感じる。
どこまでも広がる世界とは対照的だ。
血だ。血がついている。誰の……。
白い壁に血液のようなものが付着している。僕の周囲の壁に、へばりついている。それも、年数が経っているようには見えない。固まっておらず、新鮮な真っ赤な血液が壁を伝って流れ落ちている。
僕は動揺し、動こうと思っても、身体がずしりと重く感じてうまく動くことができない。自分の身体に、違和感を感じて確認してみると、視界に入った自分の姿に驚愕した。
もはや、僕の身体ではなかった。
その姿は、へそから出てきた得体の知れない巨大な生命体そのものだった。まるまると肥大化した肉体をずるずると引きずりながら、進むしかない。
僕は、白い世界で巨大な何かに、吸収されて意識が、途絶えた。完全に吸収されたことで僕は巨大な何かそのものになってしまったということらしい。
周りの血液は、もしかして僕の血液なのか。状況がつかめない。理解したくもなかった。
僕はふと視線を感じて、白い部屋の壁の一面に、虚ろな片目が現れて、こちらを静観していた。この不気味な瞳には、見覚えがあった。
この瞳は、いつも夢で見てきた研究者の瞳だ。
夢の中で研究者は薬を飲む僕の様子を見て薄気味悪い笑みをいつも浮かべていた。その時の研究者の笑みが印象に強く残っているから間違いない。
壁に突如現れた瞳は、僕の変わり果てた姿を見てへの字型になって、あざ笑い言った。
「どうやら、君も失敗のようだ。しばらく薬に耐えていたから、もしかしたら、成功すると思ったのだが……。いや、残念だ」
研究者の声だ。薬の話をしている。夢と思っていた出来事は夢ではなく現実だったのか。
「私の念願だった不老不死の薬を作る夢を君は、見事にぶち壊してくれたね。人類にとって、不老不死の薬はなくてもならないものだ。住む環境が、目まぐるしく変わり果ててしまった今となっては、特にね」
不老不死の薬だって。研究者が僕に飲ませていたのは、それか。僕は薬の開発の実験台にされていた訳だ。
「今、とても不愉快な気持ちだ。君が、被験者になることを名乗り出てきた時はとても嬉しかった。君は、病気になった両親や恋人を救うため多額のお金が、必要だった。被験者になったら多額のお金をもらえるという私の言葉を信じて、自ら被験者となってくれた」
研究者の言葉を聞いて、奥底に眠っていた様々な記憶が、蘇ってきた。もやがかかっていた大切な人たちの顔が今、鮮明な記憶となって頭に浮かぶ。
「君の両親や恋人は、病気が深刻化して死んだよ。だけど……心配することはない。君もじきに会える」
研究者は平然と残酷な現実を告げる。研究者の言葉は、僕の心を酷く揺さぶった。
僕の両親も、恋人も死んだ。
そんなのあんまりだ。
許せない。こいつだけは絶対に。
ただでは済まさない。
「くびぐちゃぐちよくぐぐぐくぐぐぐぐぐ」
僕は怒りの感情が心底から溢れ出て、甲高い奇声を発した。白く狭苦しい部屋に、声が轟きこだまする。
「君も他の被験者と同じように、人間の形を保つことができなかった。肉の塊という失敗作だ。ああ、とても心苦しいが、君も蒸発してもらうとしよう」
僕の叫び声は、研究者には響かなかった。それどころか、彼は僕を肉の塊としか認識していない。この世から存在を消し去ろうとしている。
研究者の瞳は、目を閉じると白い壁に同化して、消えてなくなった。その直後、白い部屋の床がブオーンという音を立てて回転し始める。
回転し始めると同時に、猛烈な熱さに襲われる。肥大化した身体が、煙を出してぐちゃぐちゃと黒く焼き焦げていく。どうやら、白い部屋の壁からマイクロ波が出ているらしい。大きな電子レンジの中で加熱されているようなものなのだろう。
白い部屋で、巨大な肉の塊となった僕は、回転させられている。じわじわと強烈な痛みが全身を這っていく。意識が飛びそうになる中でも、僕をこんな姿にした研究者に対する怒りの感情は静まることはなかった。
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