ある男の本⑥

「おかえりなさい。今日は生姜焼きね」


 自宅へ帰ると妻が夕飯の準備をしていた。いつもと変わらない景色に「本当に『修正』出来たのだろうか」と不安が過ぎる。俺の体の具合が変わらないところを見ると事故が起きたのには変わりがないようだが……。


(そうだ)


 手元のスマホで事件について検索をするといくつか記事が出て来た。


『高齢車ドライバーの事故相次ぐ。○○市で発生した交通事故で、○○県警は○日、信号無視をして歩行者をはね怪我をさせたとして○○歳の男性を逮捕した。男性は当初「歩行者がいきなり飛び出してきた」と主張していたが現場付近に設置されていた防犯カメラに信号無視をして横断歩道に侵入する容疑者の車が映っており――』


「変わってる……」


 ごくりと唾を飲みこむ。確かに過去が「修正」されていた。


(本当に、本当にこんなことが……)


 信じられないことだが確かに変わっている。その事実を目の当たりにして妙に興奮してしまい、スマホを持つ手が微かに震えた。


「どうしたの?」


 俺の様子がおかしいことに気づいた妻が心配そうに顔を覗き込む。


「い、いや。何でもないよ」


 「人生図書館」のことをいう訳にも行かず言葉を濁す。言っても信じて貰えないだろう。……いや、もしかしたら妻にも「利用者カード」が届いているかもしれない。妻も「人生図書館」に通っているかも。でもそれを知ったところで「良い方向」へは転ばないと何となく分かる。

 自分を轢いた爺さんへのつまらない復讐心を妻に知られるのは恥ずかしいし、そんなことに一生に一度の権利を使ったと知られるのはもっと恥ずかしい。

 それと同じように、妻だって「何を修正したか」聞かれるのは嫌だろうし勘ぐられるのだって不快だろう。互いに懐を探り合わない為には「人生図書館」という物の存在を「無い物」として扱うのが一番なのだ。


(きっとこれが「人生図書館」というフレーズを聞かない一因なんだろうな)


 人生の中で一度たりとも他人の口から「人生図書館」という言葉を聞かない理由。心の薄暗い所や他人に見せたくない陰の部分を探られたくない。「人生図書館」なんて知らない。そうしているのが一番良いのだと……。


「さ、ご飯にしましょう!」


 机に並べられた好物の生姜焼きを頬張りながら思う。


(『利用者カード』はくだらないことに使うのが一番なのかもしれない)


 ……と。もう二度と「人生図書館」に通うことは無い。本を読んで本に救われることも無い。寂しいけれど少しだけホッとしたような、そんな気持ちになった。


(終)

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人生図書館 スズシロ @hatopoppo

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