かつてのヒロインは老いさらばえず

三流木青二斎無一門

はじまり


隠の山には祀られた祭典がある。

洞窟の外側には人除けが張られ、奥に進めば侵入が困難な結界が敷かれていた。

更に祭典には、精鋭の封令師ふうれいしが四人体制で警護していて、全てはその封具を悪漢から守る為に用意されていた。

つい数時間前、洞窟に人が入り込み、結界を破壊し、四名の封令師が殺害された。

そして、その祭典に祀られた封具フーグ封令禁書ふうれいきんしょ』を開封してしまった。


妖怪や悪霊、この世の理から外れた混沌渦中の魔物、『戒濁かいだく』。

その戒濁を封緘した禁書であり、その封印が解かれた事で、災厄を振り撒く悪性が全国へと散らばってしまった。


首謀者は一等級封令師、八城道輝。

結界が破壊された時点で通報が届き、外部からの封令師が八城道輝の討伐を行う。

報せを受け、誰よりも速く駆けたのが一人。


「随分と間の抜けた真似をしているじゃないか、道輝」


悪路をゆったりとした歩みで老獪が進む。

その手には一振りの薙刀が握られている。

紫色の着物を着込んだ、毛先まで真っ白な白髪を揺らす。


白柳しらやぎさん…酷い事を言うな」


老婆の名前を、白柳めゐメイ

特例封令師である彼女は、若い青年に目を向けた。

歳の差は、六十以上、と言った所だろうか。


「封具を開封するなんて馬鹿な真似だよ…頭が回らなかったかい?」


人差し指を立て、こめかみに当ててぐるぐると指を回す。

抜けた歯を見せる様に笑みを浮かべるが、白柳めゐの目は、決して笑っていない。

八城道輝に、負の感情を浮かんでいた。


「禁書を破却した大罪人は、他でも無いこのあたしに討伐される、本当に、命知らずな真似をしたもんだ」


彼女の言葉に、覚悟を決めた眼を向ける八城道輝は動機を語る。


「俺は、腐ったこの世を変える、これは始まりの狼煙だ、…真の世を作る為ならば…師匠、貴方すらも殺してみせる」


彼女が誰よりも速く馳せ参じた理由が開示された。

いわばこの二人は師弟関係に当たるのだ。

だから、誰よりも速く、この場に登場した。

自らの手で始末をする為だろう。


「ふ、ははッ、デカい口を叩くじゃないか、馬鹿弟子、貴様に、あたしの気持ちが分かるかい?」


からからと風に晒されたしゃれこうべの様に笑う白柳めゐ。

言葉を受けて唇を噛み締める八城道輝は対照的に悲愴と憤怒の表情を浮かべた。


「あなたこそ、俺の心中など分からないだろう、…言葉は不要だ、この世は、力が制す世界となる、弱者は淘汰され、真の大和魂が復活する」


理想を語る。

意識が記憶の隅を駆け巡る。

その瞬間を、白柳めゐは逃さなかった。


「お喋りが過ぎるよ、馬鹿めが」


八城道輝の背後に気配が生まれる。

黒い外套を羽織る、犬の骨を仮面として付けた戒濁が出現。

即座に、八城道輝の背中から心臓に向けて刃物と化した爪で身を貫いた。


「ッ!?ぐふッ」


異物が体に入る、そして抜き取られたと同時に、八城道輝は後ろを見た。

戒濁の存在を確認した八城道輝は奇襲を仕掛けられたのだと察した。


「あたしが攻撃せずに会話を選択した時から、お前は戦闘態勢に入るべきだった


薙刀から手を離す。

白柳めゐは片手を上げる。

その掌には、一刺しの簪が握られていた。


「…常に言っていただろうに、女の変化には過敏でいろとね」


普段から、白柳めゐは簪で髪の毛を纏めている。

その簪を外した時から、八城道輝は気づくべきだったのだ。

そうすれば、封具である簪を、白柳めゐが手に持っている可能性を見つけ出せた。

既に、白柳めゐが封具から戒濁を開封し、背後から攻撃している可能性を。


「…っ、あ、こ、此処で、俺は、こんな、所、で」


膝から崩れ落ちる八城道輝。

彼女の変化に気が付かない程に、切羽詰まっていたのだろう。

いや、思い詰めていた、それに気が付かなかったのは、他でも無い、白柳めゐだった。

ゆっくりと歩きながら白髪を結う白柳めゐ。


「死ぬんだよ、馬鹿弟子、此処で、お前は、他の誰でも無い、師匠であるこのあたしが始末する…」


物悲しい視線を、老獪に向ける八城道輝。

このまま死ぬ、其処に悔しさが残っている。

純朴な青年だった、何が彼を復讐の道化に変えたのか。


「く…ァ」


筋肉が弛緩する。

体の制御がままならず、前のめりに倒れていく八城道輝。

その体を、白柳めゐが優しく抱き留めた。


「まったく、本当にバカな真似をしたね、お前は…自ら悪になるだなんて、そんな教育は施したつもりは無いよ」


紫色の着物が赤色に染まる。

暖かで綺麗で、決して慣れぬ、生命の水が零れ落ちる。


「大方、唆した奴が居たんだろう、この世を変えるなど、大層な事を言って、それを信じまったんだね、本当にバカだよ、お前は」


口から血が洩れる。

八城道輝は、どうにか、師匠の顔を見ようとした。

眼を開き、霞んでいく視界の最中、愛師匠の姿を視認する。


「し、ししょ、…」


頬に、熱いものが落ちる。

涙だった、白柳めゐは、大罪人である八城道輝を、未だに弟子と思っている。

その弟子を自らの手で殺めたのだ、その気持ちが、涙となって現れた。


「…あたしの気持ちも汲んでおくれよ、愛しい弟子を、この手で殺さなければならないなんて…なあ、道輝」


声は聞こえない。

口から溢れる血が彼の言葉を邪魔した。


「…」


だが、同じ様に、八城道輝も涙を流していた。

それが答えだったのだろう、白柳めゐの枯れた指先が、八城道輝の首に触れる。

脈の鼓動が消えている、瞳には生気の宿らない、ガラス細工のビー玉の様だった。


「弟子としての情けだよ、…これ以上、苦しい思いはさせない、さあ、眠りな」


眼を瞑らす。

八城道輝は死んだ。

その表情は大罪人にしては、安らかな表情をしていた。

鼻の奥がつんと響く、涙を流す白柳めゐは、息を零す。


「…ふう」


哀しみは此処で塞き止めた。

師匠としての感情を押し殺し、封令師としての格を前に出す。

既に事態は最悪である、封令禁書には殺戮を尽くした戒濁たちが眠っていた。

それが解放された以上は、全国から被害が出るだろう。

最早、泣いている暇は無かった。


「さて、弟子の尻は師匠が拭くと相場が決まってるもんだ…封令禁書、解かれた戒濁、あたしがなんとかしないとね」


立ち上がり、白柳めゐは八城道輝を残し洞窟から立ち去る。

遺体は洞窟内部で殺害された封令師と共に処分されるだろう。

彼女は、封令師としての矜持を全うする為に、ただ前へと歩き出した。


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