おやすみ
白柳めゐと影柘が向かった先は病院であった。
封令師御用達の総合病院には、負傷した封令師の他にも、戒濁によって呪われた人間も入院されている。
「ここかい」
白柳めゐが確認を取る様に、影柘に聞くと、黒子の男はそうだと頷く。
「はい、被害者は全員、眠っております」
病室の前に立つ白柳めゐ、影柘が扉を開くと、彼女の目の前に異様な空気が漂った。
それは、戒濁が発する力であり、それを真面に受けると危険だと、経験がそう告げていた。
「煙…香かい」
常人ならば目に見えない香。
それを、彼女は即座に看破すると共に着物の袖で口元を覆う。
「はい、被害者の口元から発せられる煙、深く吸い込む事で夢へと落ちるとされています」
一つの病室に纏めて置いた理由に納得がいった。
煙を吸い込む事で夢へと誘われてしまう、被害者が別々の場所に居たとして、其処で煙を吸ったものが居たら強制的に夢の中へと落ちてしまう。
まるで病原菌だ、感染者から感染者へと二次被害を巻き散らかす、早々に対処して一か所に隔離出来た事は奇跡に近いだろう。
封令師には、状態異常関連の能力に耐性がある。
長年生きていれば生きている程に、耐性と言うものは上がるものだ。
免疫システムの様なものである。
「そうかい…おや、こいつは…」
そして病室に入ると共に、一人の人間を見た。
それは、封令師であり、補足をする様に、影柘が答える。
「はい、既に封令師が夢へと辿り、現在も目覚めておりません」
知り合いであるらしく、その相手を一瞥した後に、すぐに視線を切った。
「一等級の封令師が、相手は余程の存在だね」
相手の事を高く評価している。
それ程に、相手が強いと言う証拠なのだろう。
「そうなります」
影柘も相槌を打つと、そのまま部屋の中へと入っていく。
白柳めゐの為に空けているかの様に、ベッドが一つ空いていた。
其処に、白柳めゐが腰を下ろして靴を脱ぐ。
ベッドの上に横たわると共に、近くに居た影柘が彼女の手首に注射針を突き刺した。
戒濁の術中に落ちると言う事は、つまる話は、昏睡すると言う事である。
そうなると、眠り続けてしまい、例え催しても腹を空かせても、起き上がる事は無い。
だから、眠っている間に被害者たちの世話をする者が必要だった。
先程、白柳めゐに突き刺したのは点滴である。
深く呼吸をする、免疫システムを解除しようとしている。
「影柘、このままあたしが眠りから覚めなかったら…そうさね、一週間、それで目覚めなかったら、あたしを含めた全員を殺す様に」
と、影柘にその様な命令をした。
特例封令師である彼女ですら、長く戒濁に取り込まれ続けられたのならば、それは他の封令師が相手になっても無駄と言う事だ。
だから、期限を設け、その時間内に目覚めなければ、全員が助かる見込みも無いと踏んだのだろう。
その言葉に、影柘も了承をして軽く頭を下げた。
「畏まりました」
準備が整うと、影柘が病室の外へと出ていった。
残された白柳めゐは、深く呼吸をし続ける。
室内に充満された煙を吸い込み、夢の中へと戻る為だ。
「さあて、来るが良い、かっこうの餌が此処に居るよ、戒濁よ、あたしを飲み込んでみな」
挑発的な言葉を口にする、それを戒濁が聞いているかどうかは分からないが、それは自分を鼓舞する為に言ったのかも知れない。
眼を瞑り、眠りが訪れるのを待つ。
数秒後、早々と肉体に症状が現れ始めた。
「(痺れ、眠気、肉体の感覚が消えていく、暴れる事は無駄と言うわけかい…意識が薄らぐ、さて、…夢の先は一体、何が待っているのかね)」
脳内で、今後どうなるのかと思いながら、意識を保ち続ける白柳めゐだったが。
一瞬の暗転。
彼女の頭の中は思考が停止され、景色も音も無い空間が広がる。
そして、彼女が再び、自分と言う存在を知覚した瞬間。
「…!」
鼻の奥から、自然の匂いを感じた。
眼を開き、周囲を見回す、大きな樹木が沢山生えていた傾斜だ。
地面は柔らかく土と草が生えている、記憶の奥底から感じる郷愁。
即座に彼女は、此処が何処であるのかを口にした。
「此処は…六道山」
自らの口から発せられた言葉は、生娘の様に澄んでいた。
それに気が付く事無く、白柳めゐは現状を理解する為に頭を巡らせる。
「(昔の稽古場に、どうして…いや、此処は、記憶か、記憶の中、なのか)」
そう悟ったと共に、彼女は気配に気が付いた。
上空に目を向ける、彼女の背丈よりも何十倍もある樹木、その木の幹に立つ人の姿を見る。
「
名前を呼ばれた。
黒柩、それは彼女の旧姓であった。
名前が旧姓で呼ばれた事よりも、白柳めゐは驚いた。
口を開き、目を開き、叫んでしまう。
「
その男は、筋肉質な肉体だった。
柔道用の稽古服に身を包み、無精髭と茶色の髪が目立つ黒色の目を持つ男。
男の名前は、八城道信、嘗て、白柳めゐが師匠と呼んだ男であった。
彼女の言葉に、八城道信は首を傾げている。
「まだ俺は死んでおらんが…それよりも、お喋りがしたいのか?それとも死にたいのか?」
小指を立てると共に、自らの耳の奥へと突っ込み内部を引っ掻く八城信道。
耳奥を掻く際に、必ず片目を瞑る癖がある事を、白柳めゐは覚えていた。
そして、八城道信の言葉に、白柳めゐは記憶を巡らせた。
昔、こうして彼と話した事がある、そして、その時は夜の日であり、そうなると、此処で何をしているのか、自然と察せた。
「戒濁ッ」
樹木の隙間を這う様に、複数の戒濁が彼女に向けて牙を剥く。
獣の様な姿をした戒濁に、一瞬気圧された彼女は地面を蹴ると共に戒濁の牙から逃れる。
「ッ!(戒濁ッ、六道山は、多くの戒濁を結界で封じ込めた山、封令師は此処で封印を行う)」
自らの手には、長年使用していた薙刀が握られている、いや、その薙刀は、新品同様の封具だった。
まだ、戒濁が封じられていない道具、そこで彼女は完全に理解した。
「(昔だ、これは、最終試験、戒濁を封印し、封令師となる為の選別ッ)」
そして、彼女は薙刀の刃を見据える。
月の光によって映える刃は鏡の様に綺麗だった。
其処に映る白髪の女性、しかし、髪には艶があり、其処に映る目元には一切の皺が刻まれていない。
「(昔の体に戻っている、昔の白柳めゐ…いや、黒柩めゐにッ)」
彼女の体も若返っていた。
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