<28・反逆の牙。>
正義の味方とは、一体何なのだろう。
公園のベンチに一人座り、秋津島世羅は考える。手元のスマホの中には、悪鬼の形相で姉の仇を睨みつける姫騎士のイラストがあった。“華麗なる牙”。アニメが大ヒットして劇場版も放映され、現在大人気的漫画である。絵柄が独特でお洒落、かっこいい女騎士が主人公ということもあって男女共わず知名度の高い作品だ。一応ジャンルとしては少年漫画に属しているが、今や若い子から大人までまったく読んだことのないという人は極めて少ないことに違いない。
まあ、物語の展開は良く言えば王道、悪く言えばありきたりではあるのだが。こういう時に、時間を潰すために電子書籍で読むなら妥当なチョイスであるとは思っている。少年漫画はいい。気楽な気持ちで、さくさく読むことができるのだから。
――そういえば、このマンガ。……あの直後に、雑誌で連載始まったんだっけね。
あの直後。五年前、世羅が大切な人を失ったあの日。まだこのマンガは世間に発表されていなかった。落ち目だった雑誌を牽引するほどの作品が新人から生み出されることになるなんて、当時の編集者たちもまったく予想だにしていなかったことだろう。
世羅はもう、大人と呼んで差支えない年になった。一人で暮らして、苦手だった料理もそれなりにできるようになるくらいには、一応。
それが正しい成長であるのかはともかくとして。
『お前だけは絶対許さないわ!』
剣を掲げ、魔族の男と対峙する姫騎士は言う。
『姉さんの仇……今ここで討たせて貰う!』
長年追い求めてきた、自分の姉を殺した魔族。その敵を見つけて、ついに決戦の時!という非常に盛り上がるシーンである。ネタバレを見てしまっているので、世羅はこの後の展開をおおまかには知っている。この姫騎士は、魔族の幹部であったこの男を討ち倒し、見事に復讐を成し遂げるのだ。男の尊厳を踏み潰すような罵詈雑言を繰り返し告げ、最後は男の亡骸を踏みつけて嘲笑する女。かつて、“聖女のよう”と呼ばれたヒロインの姿は、そこには欠片もない。
彼女は“姉を殺された”ということにばかり囚われて、肝心なことを見失っているのである。
それは、彼女の姉もまた姫騎士であり、魔族と戦う立場であったこと。しかも、姫騎士の最上位、“ファーストクラス”と呼ばれる歴戦の猛者。殺された理由は単純明快、その幹部の男を殺しにいったからに他ならない。つまり、姉は幹部の男を殺そうとした結果返り討ちにあったのであって、まったく姉に非がなかったわけではないのである。
そして、魔族の男にはもう一つの一面があった。それは、魔族でありながら人も魔族も問わず貧しい人を救済する慈善事業を行っていたこと。魔族であるはずの彼に、救われた人間がたくさんいたという事実。――それを、男の亡骸を踏みつけて高笑いした後で、ヒロインは気づかされることになるのである。その亡骸を見て泣き叫ぶ、男の恋人と息子が現れたがゆえに。恋人の女性とその子供は、どちらも人間だった。男は影で、血のつながらない子と人間の恋人を大事に守っていたのである。ヒロインは、彼等に突き飛ばされて罵倒されてから初めて現実を知るのだ――自分が仇と憎んだ男にもまた、心から愛するものがあったのだという事実に。
――復讐って、そういうもの。人の眼をどこまでも盲目にしてしまう。
はらり、とスマホの上に一枚の紅葉の葉が落ちた。
――人は結局、自分にとって都合の良い真実しか見ない、見えない。……己が殺したいほど憎む相手は、他の誰かから見ても同じだと信じたくなる。己の憎しみを正当して、罵倒して、踏みつけにしても許されるものだと思いたくなる。……どんな人間であっても、誰かの子供であり、ひょっとしたら誰かの妻や夫かもしれない事実も忘れて。
愛がなければ、見えない。
愛がない存在の、都合の悪い真実など見えない。このヒロインが、まさにそうであったように。姉の仇の男は、誰からも嫌われて、殺されても文句がない存在だと思い込みたかったように。
――そして、復讐しても、愛したものは戻ってこない。……わかってる、私も、そんなことは。
わかっていても、やめられない時はある。復讐することでしか、生きる意味を見いだせない憐れな人間も。
この五年間。どれほど普通の人として生きようとしても駄目だった。あの日失った者達の最期の顔が、愛した人の姿がちらついて離れない。己の心はいつまでも、高校生の少女のままから動けずにいる。
――私は愚かな人間。これから、私の都合のためだけに……誰かの大切なものを奪うのだから。
それでも自分は、この姫騎士のヒロインとは違うものでありたいと願うのだ。己が盲目であることを、愛がないから見えない真実があることを認めて。やがて、己が逆に復讐される立場になるかもしれないことも、きちんと受け止めた上で戦う者でありたいと。
結局傷つけるのならばそれは同じで、エゴでしかないと言われてしまえばそれまでなのだけれど。
「来たか」
丁度、夜の十時。待ち合わせ、ぴったりの時間。人気がない公園に、新たな登場人物が増える。
「もう少し早く来たら?そっちが呼び出したんだから」
冷たく言い放つと、その相手は“申し訳ありません”と頭を下げてきた。
「遅れてすみません。秋津島世羅さん。いえ、今は……“ザ・ミスト”のリーダーとお呼びするべきでしょうか」
その男性は。赤いローブを着て、にこやかに微笑んだ。
***
自分達をデスゲームに巻き込んだ組織を突き止めるべく。世羅はレジスタンス組織、“ザ・ミスト”を作り上げた。実は、あのデスゲームは自分達が映像で見せられていた回以外にも複数回開催されていたのである。かろうじて生き残った者達と、それから亡くなった者達の遺族。それらを集めて敵を突き止め、復讐するのが目的というわけだ。
親には、狭霧を忘れて幸せに生きる道もある、と言われた。でも、世羅にはどうしてもできなかったのである。同時に、警察組織に任せておくことも。それほどまでに怒りは、憎悪は世羅の中に渦巻いて、到底飼殺せるものではなくなっていたのだから。
デスゲームを事前に阻止したり、主催組織の尻尾を掴んだり。同時に、世羅自身の戦闘訓練も欠かさず行って――約五年。リーダーである世羅に接触してきたのが、とある新興宗教団体“アルマの城”だった。赤いローブを着た衣装が特徴的な宗教法人であり、なんでもザ・ミストの活動に興味があるという。
何故ならば。
「貴女にご連絡を入れてから、再度私達の方でも調べてみたのですが」
赤いローブの痩せた男、
「やはり、間違いないですね。……貴方がたをデスゲームに巻き込んだ団体は、“チェスタール”。遠い宇宙からやってきたという邪神を崇拝する宗教団体で……青いローブが特徴的です。確か、赤い目に六枚羽を持つ天使の刺繍があった、と貴女は言っていましたね?」
「ああ」
「それは、このチェスタールのエンブレムです。貴女が映像で見たという女は金色の仮面をつけていたということですし……十中八九、リーダーの“
この男が自分に声をかけてきた理由。それは、彼の所属するアルマの城と、チェスタールが敵対関係にあるかららしかった。アルマの城のメンバーは、チェスタールに“悪魔信仰だ”と疑われ、迫害され、ほぼ抗争状態にあるというのである。このままでは、アルマの城の存続に関わる。なんとしてでも、チェスタールを壊滅させ、組織を守らなければいけない。
だから、チェスタールを憎むであろう世羅たち“ザ・ミスト”に協力したいと申し出て来たのである。
「貴女たちのことはよく知っています。デスゲームだなんて……本当に恐ろしい。その心痛、想像するに余りあります」
井垣は心底気の毒そうに、世羅に告げた。
「どうでしょう?ここは、我々と共闘しませんか?ザ・ミストは精鋭部隊ですが、まだまだ規模は小さい。我々の資金と情報が、きっと皆さんのお役に立てるはずです」
「私達の目的、わかってるの?綺麗事なんか一切言わないよ。あのデスゲームを動かしてきた連中は、全員皆殺しにするつもりなんだけど、それでもいいわけ?」
「むしろ、歓迎いたします。我々にとっても、チェスタールの存在は害悪でしかない。共に、悪の組織を打ち倒しましょう。さながら、正義のヒーローのように」
「……そっか」
ああ、なんという。
なんということか。
なんという。
「じゃあ、お前も死ね」
なんという、茶番だ。
「え?」
その瞬間、笑っていた井垣の顔が凍りついた。それもそうだろう――協力を申し込もうとしていたその相手に、突然銃を向けられることになっているのだから。
「……お前達は、私をナメすぎている」
世羅は銃を構えたまま、男に告げた。
「何で、あのデスゲームが行われたのか。狭霧君はずっと考えていた……ゲームの開催中、命の危険に晒されながらも。私も考えていたけれど、あの時は見つけられなかった。……狭霧君のメモを見て、そして今この状況になって確信したよ。全ては、あんたらの敵……チェスタールをぶっ飛ばすための茶番だったということ」
「な、何を言って」
「恍けないで。大体、おかしいと思ってたんだ。あんなデスゲームに巻き込まれて、命賭けさせられて、目の前で親しくなった人が死んでいって……それで、主催側を憎まないわけがある?いくら、あいつらの言う“リーダーの素質を持った人間”を見出すことができても、その刃が自分達に向くのではまったく意味がない。ましてや、私は脱出後、狭霧君と一緒に病院に担ぎ込まれて、それ以降主催側からなんのアクションもなかった。怪我が治った後も、何も。せっかく見出したリーダーを、何でみすみす逃がすの?おかしくない?」
それに、もう一つ気になったことがある。それはどうして、安全圏からとはいえゲーム運営組織のリーダーらしき女が自分達の前に姿を見せたのかということ。それも、あんな目立つ金の仮面とローブまで身に着けて。
だが、それも一つの仮説で全て筋が通るのである。それは。
「お前達は私達に印象づけたかった……デスゲームの主催が、青のローブに金の仮面の組織であること。リーダーが女であること。そして、あの天使の紋章。……お前達が、コミュニケーション能力とリーダーシップを持つ人材をスカウトしたがっていたのは事実だろうけど、ここにはもう一つ大事な要素がある。お前達は、相手を絶対に許さない……どんな手段をもってしてでも復讐を遂げようとする人材を見出そうとしたんだ。自分達にとって邪魔な組織である、チェスタールを消すために」
そう。あのゲームは全て、参加者が主催側に限りなくヘイトをため込むように仕組まれたもの。
リーダーシップと強いメンタルを兼ね備えた人間ならば、生き残ってもただ元の生活に戻ろうとはしない。必ず、主催側を憎んで復讐を果たそうとする。その強い復讐心は必ずその人間を強くする――なるほど、それは正しくもあるだろう。実際世羅はこの五年間で、見違えるほど強くなったはずなのだから。
「私がザ・ミストという組織を作ってある程度強くした。お前らは、今こそ私達を引き込む最大の好機だと思ったんだろう。……同じ敵を持つ同士。そういう名目で私達に声をかければ、喜んで手を貸してくれるはずだと踏んでね。実際は、デスゲームを行ったのもチェスタールの仕業であるように見せかけたのも全部、お前ら“アルマの城”の自作自演。……そうでしょ?狭霧君は全部見抜いてたよ」
「ち、違います!私達は本当に、チェスタールを倒すために皆さんに協力しようと……!」
「じゃあ二つ教えてやる。……私達の前に現れた女は、確かにチェスタールのリーダーを名乗っていたが」
『大切なのは、見知らぬ兵士達を前にしても億さぬ度胸とコミュニケーション能力、カリスマ性!そして……仲間のために怒り、悲しみ、その感情を原動力に戦うことができる素質!貴方がた二人は本当に素晴らしい。まさに、我々のメシア足りうる存在と言えましょう!なんせ第四の試練までクリアされたのですからね。私もこの教団のリーダーとして、本当に嬉しく思いますよ』
「本物のチェスタールはね。リーダーと幹部と平信者で、纏ってる紋章が違う。リーダーだけは、ローブに二枚しか羽根がない天使をつけている。幹部は四枚羽根。……六枚羽根の天使のローブを身に着けた人間がリーダー名乗ってる時点でおかしいんだよ」
「!?」
「初歩的なミスをしたな」
それから、と世羅は続ける。
「本当に、デスゲームを悪だと思い、人の死に寄り添える人間が……へらへら笑ってるはずないだろうが。ナメてんのか」
今更、怯えた顔などしてももう遅い。世羅は引き金にかけた指に、力を込めた。刹那。
ぐごきっ!
井垣の首が、あらぬ方向に捻じ曲がった。ふらつくようにして倒れていく彼に後ろに立っていたのは、屈強な肉体を持つ男性。
「……私がやろうとしてたんだけど?」
「ああ、悪いな。つい、イラついて手が出ちまった」
彼は首をぽりぽりと掻きながら、今まさに自分が首をへし折った死体を派手に蹴り飛ばした。
顔に、腕に、いくつも派手な傷跡が残るその男は――伊賀信吾。
そう。信吾はあの日重傷を負いながらも生き延びていたのだ。一人でキメラと立ち向かい、打ち勝った姿がどうやらアルマの城の連中に高く評価されていたということらしい。匿名で通報があり、半死半生の状態で道に倒れていたところを病院に担ぎ込まれていたという。
残念ながら。彼も世羅同様、元の彼のままではいられなかったけれど。
もうあの時のように、明るく大らかなフットボーラ―の姿はどこにもないけれど。
「本当に、狭霧が予言してた通りになるなんてな。……五年間音沙汰なかったから、外れてんのかと思ってたぜ。ザ・ミストが復讐心によって力をつけるのを待ってたわけか」
人を殺しても平然とし、さらには死体を笑いながら蹴り飛ばせる人間になってしまった、信吾。
きっと自分も今、すぐ傍にいたら同じ事をしているのだろうけれど。
「これではっきりした。俺らの本当の敵の名前も、正体も」
「そうだね。もう、迷う必要もない」
世羅はそっと立ち上がる。ポケットの中で握りしめるのは、こっそりとお守りにしている――狭霧の生徒手帳だった。
きっと彼は自分に、普通の女の子として幸せに生きて欲しいと願っていただろうけれど。でも、自分は。
「始めようか」
今こそ、反逆の時。
悪夢は悪夢でしか、終わりにはできないのだから。
セイギノミカタゲーム はじめアキラ @last_eden
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