第31話 婚約、あの人

 ロッシュ殿下の居室で、私と殿下はソファーに並んで腰掛け、新聞を見ていた。メルナとコレッタも席を外していて、部屋には2人きりだ。


「本当に載ってる。凄いなぁ」


「ああ。予定通りたが当事者としては少し恥ずかしいな」


 ローテーブルに置かれた日刊紙『ネイミスタ・アルバ』にはロッシュ殿下と私の婚約した旨がデカデカと書かれていた。


 母と両陛下との会談は恙無つつがなく終わり、婚約が正式発表されたのだ。


「幸せです。でもフレジェス貴族の反応が怖いですね。夜会で実質的な情報が出ていたとはいえ、今回は公式発表ですから」


 私は中堅国の公爵家、フレジェス王国王太子とは格が釣り合わない。色々と言われるのは覚悟しなくてはなるまい。

 あと、令嬢達の嫉妬も怖い。コレッタが設置した謎の御守群のお陰か、今のところ生き霊は現れていないけれど。


「大丈夫さ。外国から娶ることに否定的な貴族もいるが、少数派だ。基本的にルディーナの評判は良いぞ」


 殿下の言葉に私は小首を傾げる。評判が良いのか?

 新聞に載ったダリアの政略結婚を潰したエピソードは平民の女性から大ウケと聞いている。だが、他の記事も含め新聞記事が貴族に受けたとは聞かない。


「評判が良くなるようなことありましたっけ?」


「自覚がないか……夜会での会話をそつなくこなしていただろう。各領地の特徴を全部覚えて、何の話題を振られても平然と返していた。外国から来て日が浅いはずなのによく勉強していると関心されてたぞ」


「えっと、全身全霊で無難な会話を心掛けてただけですが」


「俺達はもう慣れてしまって驚かないが、普通に驚異的だ。有力貴族は親族関係まで含めて把握、領地の特徴については中堅どころまで把握していたからな。凄まじい努力家だと噂になっている」


「そんなに頑張ってもないので、なんか騙した気分です」


 確かに有力貴族の親族関係は頑張って暗記したけど、領地の特徴は読書と仕事で大体把握していた。


 殿下が「変なことを気にするなぁ」と笑う。


「国内貴族はともかくグラバルトの方は心配ではあるが……安心してくれ。何にしたって、俺がちゃんと守る」


 殿下の手が肩に回り、ぎゅっと抱き寄せられる。「ふぇ」と変な声を漏らしてしまった。


「で、殿下」


「ここまで話が進めばベタベタしても許されるだろう。嫌なら止めるが」


 腕の中は暖かい。私は額を殿下の胸にトンと預ける。彼の心臓の音が聞こえた。力強くて優しい音だ。


「いえ、とても嬉しいです。止めないです」


 私も殿下の体に腕を回し、力を込める。頭を上げて、殿下の黒い瞳をじっと見つめる。


 夜空のような瞳がキラキラしていた。


 導かれるように、自然に体が動いた。顔を近づけ、少し上に向けて目を閉じた。

 どちらからともなく、唇を重ねる。


 自分の心臓がバクバクと、痛いぐらいに脈を打っている。


 そのまま、長く、キスを続ける。


 どのぐらいそうしていたか、鼓動が落ち着いた頃そっと唇を離す。

 殿下の頬が赤い。


「殿下、大好きです」


 そういうと殿下は小さく笑った。


「そろそろ2人のときはロッシュと呼んでくれ」


 私は微笑み返す。


「はい。大好きです、ロッシュ」


「大好きだ、ルディーナ」


 交わす言葉がこそばゆい。


 私はこの人の妻になるんだと、ようやく実感が湧いてきた気がする。

 王太子妃となれば執務に社交にと苦労も多い筈だ。

 差し当たってはレスコー侯爵令嬢メリザンドさんから誘われたお茶会が、今から怖い。グラバルトとウルティカ統合派も消えた訳ではない。


 でも、頑張ろう。


 私は本当に幸せ者だ。



◇◇ ◆ ◇◇



 鉄格子の嵌った小さな窓から外を見ていた。

 青空を雲が流れていく、もうとっくに飽きた眺めだ。

 だが、それでも完全に見飽きた室内よりはずっと良い。雲の形はいつも少しづつ違うのだから。


「あの雲は少しシロツメクサの花に似てるわ」


 独り言を呟く。花の実物も随分と見ていなかった。


 コッコッとノックの音が聞こえた。ドアの方を振り向く。

 目に入るのは、ベッドが一つに小テーブルが一つあるだけの、飾り気のない狭い部屋だ。


 鍵を外す音がして、金属補強された木の扉がギィと開いた。


「はいはい、食事です。今日は丸パンとラズベリージャム、茹で野菜ですよー」


 お盆を手にした茶色い髪の若い女性が入ってきた。そしてテーブルの上にお盆をポンと置くと、そのまま去ろうとする。


「あっ、あのっ!」


 エミリー・ブランダ子爵令嬢は食事を運んでくれた女性を呼び止める。

 この女性は彼女が接する人の中では会話をしてくれる方だ。


「どうしました? ラズベリージャムよりバターの方が好きとかですか? そのぐらいなら便宜も」


 エミリーは「いえ、ラズベリーは嫌いではありません」と早口で言う。


 お盆に乗せられた食事は質素ではあっても不味い訳ではない。最初は不満もあったが、そこはもういい。


「私はどうなるのですかっ!? もう長いことこの牢に居ます、裁判とかかけられるのですか」


 女性は露骨に困った顔をする。


「そんなこと聞かれても、知りませんよ何も。前にも言いましたけど、私は囚人の世話を命じられているだけですから」


「でも、何か、何か動きとか知りませんか」


 エミリーは食い下がる。最初は裁判にかけられるかもと怯えていた。法律や政治なんて全然知らないから、どうなるのかさっぱり分からなくて不安で泣いていた。

 だが、今はせめて裁判が始まって欲しい。


「んー貴方には別命あるまで牢に入れろって命令が出てるとは、仕事仲間に聞いたけど、その別命がいつか何て分からないですよ」


「だって、今日で何日目ですか」


「さぁ、私が関わってからは60日ぐらい? まぁ、元気出してください。そうだ食材が余ったから厨房の人がクッキー焼いてくれたんですよ。食器の回収のときに持ってきてあげます」


「……ありがとうございます」


 別に欲しいのはクッキーではないが、しかし退屈な日々の慰めにはなる。エミリーは素直にお礼を言った。


 女性は「じゃ、また」と言って部屋から出て行く。

 ガチャリと鍵の閉まる音が大きく響いた。


 足音が遠ざかると、部屋は静寂に沈む。エミリーの目に涙が滲んだ。


 食事は健康的だし、布と桶の水で汗も落とせる。囚人としては配慮された環境だが、何の展望もないまま過ぎる日々は辛い。


「何よぉ……私ちょっと色仕掛け頑張っただけなのに……お父様とお母様もどうなったか分からないし」


 ポロポロと涙が落ちる。


 王城がベルミカ公達に制圧された日、エミリーはザルティオの私室で拘束された。女性貴族ということで最低限配慮された環境での虜囚生活となったが、処罰も何も下されないまま放置されていた。


 ベルミカ公爵は忙しく、完全に彼女の存在を忘れていた。彼女の両親も国王派貴族として窮地に立たされ、娘は死んだのだろうと勝手に思っていた。ザルティオすら、たまに肉体を恋しがれど、身を案じたりはしなかった。


 ふと、彼女のことを思い出したルディーナによって救出されるのは、まだずっと先の話。



◇◇ ◆ ◇◇



あとがき


読んでいただきありがとうございました。ここで一旦区切りにさせていただきます。


続きを書く場合は、ロッシュとルディーナが自分達の結婚式に向けて頑張る話になると思います。

「何で私達の結婚式なのに、グラバルト皇帝とトグナ皇帝の直接会談実現が目標になっているんだろう?」と嘆きながら調整に明け暮れるルディーナさん。

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隣国に引き渡された公爵令嬢はのびのびと働く @GianForest

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