最終日
時はミナコ殺害直後。ハナは危険地帯と化した図書室を早々に脱出した。
「何なのよあの化け物!心臓を貫かれて生きてるとか、ゾンビじゃないんだから!」
ハナから見れば眼前で体験した不死、打倒は不可能と思うのも仕方ない。
「うろたえるな、0087号」
「その声は……ヨナハ?」
「我には1637号を止める手立てがある」
「手立て……?あんなのを止めるっての?」
ヨナハは確たる自信を持って、イルミナを打倒する策を考案する。
「抹殺すること能わず、ならば無力化すればいい。永遠の停止を喰らわせてやろうじゃないか」
「無力化?心臓を一撃で貫通しても再生する能力があるなら、多少拘束しても切り離しちゃうと思うけどな。それよりさ、一緒に脱獄しない?」
「悪いが我とアレは不倶戴天でな。1637号がのうのうと息をしている世界で生きるつもりはない」
「はぁ〜、この牢獄は皆そう。皆何かに縛られてる。皆そんな人生で楽しいかなぁ!」
「楽しい楽しくないの問題ではない!」
「はいはい……それで、勝算はいくら?」
「多く見積って、3割」
第1637房へと到る長い廊下の端、二人は懸命に準備に勤しんだ。そして
「まさか、二人と同時に会えるなんてね?」
長い廊下の端と端を隔ててイルミナと対峙する。
「こ、こないでよ!不死のバケモノっ!」
目の前にある扉へと駆け込んだハナ。
明らかに錯乱した様子。
取り残された、ヨナハと
「バケモノ……そうね、私はなってしまったのでしょうね。バケモノと呼ぶべきものに」
彼女と対峙した侭のヨナハは気付く。眼の色が違うこと、髪の色が違うこと、腕の色が違うこと、そして口調が違うこと。
この色っぽい話し方は……
「……ヒバナ?」
「けれど、すこぶる気分がいいわ」
倒れ込むような低姿勢から一気に駆けて距離を詰めるイルミナ。ヨナハはヒバナの面影を見た動揺から回避が遅れ、足首を掴まれる。
「つかまえた♪」
「っ!?」
法外な握力、これは恐らくミナミのもの。
「この、バケモノめぇ!」
懐からメスを取り出して、斬り付けようとした……瞬間。
ヨナハの右手を蹴り払うイルミナ。靴の先にはミナミの
「ボクを傷付けていいのは、彼女だけだ」
全ての情緒が剥落した酷薄な一撃。今までのお遊びとは比較にならない、本気の蹴りだった。皮膚を裂き、肉を斬り、骨を砕き、ヨナハの右手首を、握っていたメスごと斬り飛ばした。ボチャリと湿った音を立てて地に転がる。
「〜〜〜!?!」
声にならない呻きが漏れる。ヨナハの呼吸は荒く、恐れからまともにイルミナを見ることさえできない。地に伏して頭を抱えるように丸まっている。一歩、また一歩と両者の間隔は狭まる。イルミナの足許にヨナハの首が届きかけた。断頭台へと首が載る、その刹那。
「今だ!!0087号!」
「いっけー!」
ハナが逃げ込んだ先の扉が開き、絶対零度に似た純白の
「何っ!?」
瞬間彼女の手足は凍り付き、死灰のように動作を止める。
「はぁ……何とか、成功、したか……」
「大丈夫なの?その手。間違いなく治らないけど」
「必要、経費だ……」
「まさか無力化の手段が『凍らせること』だなんてね。成功確率は30%、でも当たれば一撃必殺って訳だ」
「必殺ではない。現に奴は動きを止めただけだ。何らかの手段でこれを破壊すれば、また肉片から再生する」
「ひぇ〜。本格的に人間やめてるね、そりゃ」
「そうだ、だからこそここで、確実に仕留めなければいけない。違える法理は無い」
「……倒したの?」
廊下の向こうから歩いてきたのは。
「おや、0007号か」
「あ、レーナだ」
何処で手に入れたのか、血と錆で刃が鋸のようになった刀を携えたレーナだった。
「まぁそんな所だな。正確には未だ倒しきれていないが、当面の脅威は去ったと考えていいはず、だ……」
「そう……」
「ねぇレーナ。脅威とやらも去ったこの良き日に、ワタシとここから逃げない?」
「そうだね。ここに居ても毎日殺風景だし、外に出てみるのもいいかもしれないね」
「でもそれは、コイツに明確にトドメを刺してから」
元々の性格なのか、過去の体験に由来する希死念慮の大きさ故なのか、感情が希薄だったレーナが初めて衆目の前で見せた怒り。その鋭い視線は鞘すら切り捨ててしまう、納めどころの無い刀のよう。
「何を、そんなに……怒ってるの?」
どんな状況でも笑みを崩さなかったハナが怯みながら問う。
「ヒバナ、ミナミ、ミナコ、皆こいつに殺された……」
「何っ!?」
「そう、だね……」
ヨナハは対策を講じるため最下層に篭っていたため、この事実を知らなかった。
ハナは自在闊達に動き回っていたため、3名全員の死亡を知っていた。
好対照な2人は、全く同じ顔をレーナに向ける。
恐怖。
眼前に立つのは今までの朴念仁な看守ではない。もっと異質な精神性の何かに変質している!
「いい加減目覚めなよ。死んだフリなんかして」
「ははっ……ははははっ!」
高笑いと共にイルミナの氷像が砕け、破片が飛ぶ。ハナとヨナハを狙った氷の刃を叩き落とすレーナ。自身に襲い来る些末な破片は意にも介さない。
「まだ、殺し足りない?」
「足りないなぁ、キミがボクの神と為るまであと2人……」
言わずもがなその2人とはハナとヨナハのことだ。蒸気を上げながら元の形に戻っていくイルミナ。明らかに人間とは組成が違う。レーナは一体この生物にどうやってトドメを刺そうと言うのか。
「いいよ、とことん付き合ってあげる」
室内に強風が吹いた。法外な膂力を以て振るわれた一刀がイルミナの欠片を薙ぎ払う。
彼女は欠片一つ一つをさらに細切れに裁断していく。その剣捌きは、いち看守のレーナには持ち得なかったもの。
「生きてる、生きてる、死んでる、生きてる、生きてる、死んでる、死んでる、死んでる」
肉片の生死を一瞥で峻別し、最適な殺害を実行している。
彼女の名は1007号、イルミナの出現以来、「凶悪性の高い」囚人にしか付けられることの無い一千番台、千と零と七。通称は月の女神の名を冠し、セレナと呼ばれている。従える罪は「狂気」
しかし、未だセレナは完成していない。
「やっと逢えたね……ボクを終わらせてくれる、ボクだけの女神様……でも、まだ不完全で未完成だ」
肉塊から腸が鞭のように伸びてヨナハの首を絞めた。
「ぐがっ!?」
「ヨナハっ!!」
「痴れ者が!前を向け!お前の敵は何処に居る!」
「うるさいバカ!自分が死ぬ事ばかり考えて!このバカ!」
泣きながら、セレナはヨナハに絡み付く数百の蠢動する肉鞭を切り落としていく。自らが傷つく事は厭わず、構わず、ひたすらに、ひたむきに。
やがて攻撃は熄み、肌に痛いほどの沈黙。ヨナハはあまりの惨状に口を開けずに居る。腥い血飛沫の最中に立つセレナ、鬼と呼ぶ事さえ毫も躊躇わぬその恐るべき姿に。
そしてヒトとしての形を取り戻したイルミナと対峙する。刻み放題に斬り裂かれた肉塊の分で少し小さくなってはいるが、それはただの体積の問題。幼さを残す容姿へと変わったのは、ほんの児戯の内だろう。
「はぁ……はぁ……」
「めーがみーさまっ?」
イルミナの声は高く、幼く、上機嫌で、楽しそうで、それがセレナには酷く不愉快だった。
彼女は後ろ手に持っていたそれを自慢げにセレナに見せる。
『ねぇレーナ、私のことは守ってくれなかったね?』
「ぇ……」
ハナの首。胴体から力ずくで乱雑に千切り取られた首を彼女は玩弄していた。人形遊びのように口をパクパクと動かして、まだ温かい断面からは赤の雫が垂れ、生気を失いくぐもった目は、既に絶命した事を何より雄弁に物語っている。イルミナが喰らった部位は欲を司る、ハナの心臓。
「イルミナぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「貴様ぁぁぁぁぁぁぁ!」
「きゃははははははは!」
慟哭と怒号と哄笑が混ざり合う。理性の制御を外れた狂気の
「教えてあげる、女神様」
イルミナの形をした肉塊に、ザクリと刃が斬り込んだ。それは先程までと何も変わらない、殺意と敵意と害意とを満載せしめた渾身の一刀だった。
けれど、何かが違う。全身に泥を浴びたような不快な違和感を伴っている。
「怒りでは何も護れない、ってことをね?」
たった今、セレナが両断したのはイルミナの肉片によって擬装されたイルミナの姿を模したヨナハだった。
「ヨナ、ハ……?嘘……」
「嘘?女神様が手ずから斬ったんだよ?」
「ウソ……うそ……嘘……」
こんな事になるなら、いっそ何もしなければよかった……私が無駄な義侠心なんかで動くから、ヨナハもハナもイルミナから逃げられずに死んでしまった……
そうだ、全ては無駄だ。最初から最期まで私は何の役にも、誰の役にも立っていない。
役に立たないならせめて邪魔にならぬよう、何もしなければいい……
「これが……私の、罪」
怠惰と狂気の人格統合。それこそが、イルミナが「ボクの女神様」と言って尊崇したセレナの完成体であり、彼女を機能停止まで追い込める唯一の存在。
「お誕生日おめでとうセレナ、我が麗しの女神様」
横薙ぎ一閃、首が飛ぶ。脱力を以て振るわれた一刀は、更なる速度を手にしていた。
「物憂い……気怠い……」
セレナは鋸刃の刀を地を転がる首に突き立てて床に縫い留めた。
「そこで反省……刀が朽ちるまで」
「な、なんだって!?」
「怒りを維持するの、疲れる。だからこれで手打ち。お終い」
「なっ……」
背を向けて歩み去ろうとするセレナに肉鞭が飛来する。その手に既に得物は無く、当たり前のように回避することも出来ず肩を貫かれた。しかし彼女は止まらない。それらの敵意を意に介さない。血染めの彼女の身に、さらに少しばかり赤の領域を増やしただけの徒労。
「さようなら」
「待って!行かないで!ボクを殺めるのは、弑せるのは、屠れるのは、女神様しか……」
去る親の背を見て泣くが如く、イルミナの姿は哀れに極まる。無限に近しい生を享けながら、死ぬ事を
「ボクは、この施設に造られたんだ……」
肉鞭が両足を絡め取り、セレナに縋り付く。懶げにそれを見遣りながらも、振り払わずに緩慢な歩を進めるセレナ。
「この建物は刑務所なんかじゃないし、キミは看守でも何でもない……実験体だ」
「実験……?」
倦怠と諦観の渦中に居るセレナの心に去来した、ほんの少しの揺らぎ。彼女は初めて、足を止めた。
「わたしにこの施設での勤務前の記憶が無いのは……まさか」
「そう、そんな記憶、あるわけがないんだ」
イルミナの述懐は続く。
「元々、ここは人間を人工的に培養して教育するための施設だった。けれど、途中で方針が変わったの。
「それで、生まれたのが……」
「初の1000番台、1637号イルミナ。そう、ボクだよ」
啜り泣きを堪えながら話を続ける。
「でも、彼らはボクにそれを隠していた。ただケガの治りが人より早いだけの、皆とは少し違うだけの子だって」
「みんな?」
「ボクになれなかったボク未満の
イルミナの涙は最早留まる所を知らずに流れ続けている。
「ある日、事件が起きたんだ。あの頃の施設は学校に偽装してて……ボクは同級生の
嗚咽と吐き気を抑えながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。永遠の生命とは、かくも脆いものか。肉体に精神が追随しきれていない。
「殺したんだね、その子を」
気怠さも、敵意も、怒りも何も無い、どこまでも優しい言葉だった。無知故の凶行を咎め立てることは無い。彼女はまだ赤子だから。自分は殴られてケガをしてもすぐに治る。だから力の加減を知らなかった。
「それで、施設の人が来て、先生がボクを教育するって言って……」
長年の研究により永遠の生命を作り出したは良いものの、その力を御し切れぬ彼らは何をしたか……尊敬されている教師という立場を使って教育という名の虐待を行った。何せ幾ら折檻したところで死なない、死ねない、死ぬはずもない。0865号を殺めたとは言えまだまだ子供の身、幾ら不死とて小童の力自慢如きで大の大人数名を抹殺し遂せるはずも無いと高を括っていた、油断していた、甘く見ていた。痛みと裏切りの無限がイルミナの心を確かに蹂躙していることにも気付かずに。
「だから……ボクは皆、壊して回った。目に映る全ての物を、全ての者を、全てのモノを」
「そこで施設の研究を知った、と」
「うん。それでキミを作ったんだよ、
かのフォン・ノイマンは、コンピュータの発明と同時にコンピュータウイルスも作っていたと言われている。永遠の生命に終止符を打つための存在。それがセレナだと言う。
「何度も失敗して、培養槽を復元した。何度も試行して、失敗作を
恋人に囁くように、母に語りかけるように、どこまでも慈愛の情を持って、イルミナは告げる。
「だから……ボクを、
……どうすればいい?
セレナには言われずとも、判り切っていた。
罪には罰、相応の痛みは自分に巡るもの。
永遠を終わらせる者もまた、その無限の輪廻から弾き出される。
「……おいで」
泣く子をその御胸に抱き留めて
同一直線上にあるふたつの心臓を
一刀の下、刺し貫いた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ついにやったぞ!完成だ!」
「我々の50年は無駄ではなかった!」
「これで移植に困っている患者達全員に臓器が行き渡る!」
「
「わっかりましたー!」
水槽の外で生者達が騒いでいる。ボクをだき抱える優しくて細い腕は、しなやかな強さをもまた兼ね備えていた。
「はじめまして!」
「ボク、は……だれ?」
「君はイルミナ、この世界を
「いるみ、な……」
「そして私はセレナ!君の血縁上の母親……になるのかな」
「おかあ……さん?」
「と言っても、腹を痛めて産んだわが子じゃないからね。その呼び方は少しむず痒いや。そうだね……君が陽光なら私は月。月の女神様なんてどうだろう!はははっ!尚更恥ずかしい!」
「めがみ、さま……」
にこやかに笑う記憶の中の母は、目の前の彼女に似ていた。
暴く光と鎖す月 秋錆 融雪 @Qrulogy_who_ring
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