日誌006

時はヒバナ両断直後に遡る。


「さて、と。当座の飢えは……凌げてないね。さすがにだけじゃ足りないな〜」


イルミナの髪が燃えるように変色する。

ヒバナと同じ、鮮烈に目に残る朱色ヴァーミリオンへと。


ここの罪人には特徴がある。

一人につき一つ、大罪を背負っていること。

元囚人番号0187号のヒバナ。

彼女が司る罪は、その蠱惑的こわくてき風采ふうさいの通り『色欲』


「次は……ミナミにしよう。ここから1番近い図書室にいる」


図書室ではミナミが椅子に座り、机に突っ伏して寝息を立てていた。


「おはよう、ミナミ」

「んぅ、あなたは〜」

「早速で悪いんだけど」


イルミナは乱雑にミナミの髪を掴み、机の天板に叩き付ける。出し抜けな凶行に、ミナミは一切の抵抗叶わず顔面を打撲した。


「がっ!?」

「気にしないで、ただの私怨だから」


その後も手を緩める事無く何度も、幾度も叩き付け続けた。感情の介在する余地の無い機械的な作業。薄金色の細い髪が、舞い散っては血に塗り潰される。


「もしくは聖戦かな……ボクの女神様を傷付けた罪をあがなわせる為のね」


ミナミへと砂を噛むように無機質な一瞥いちべつを遣るイルミナ。それは奇しくもかつてレーナが看守に向けられていた視線と同質。ミナミは既視感の正体に気付く。


彼女イルミナわたしミナミを人として認識していない。つまり、わたしは妹を殺した者レーナと同一視されている。


ミナミはただ、その一点に激昂した。


「その眼をやめろぉぉぉぉっ!」


怒りに任せて髪を掴む手を振りほどき、真面まおもてから対峙する。視界の左半分を塞ぐ腫れ上がった瞼。右眼は額の切創から血が流入し、視野を赤く興奮の色へと染め変えている。


「君は力が強いんだ、デタラメにね」

「許さない許さない許さない……!」

「ただ、だ」


目で追うことすら出来ない超高速度の投擲とうてき。重厚な鉄の手枷が飛来した。見えていないそれを、ミナミは両手を交叉して防御。骨の折れる鈍い音が静かな図書室に響く。


「ぐうっ……!」


投擲は陽動。イルミナはミナミへ急接近して頭蓋を掴み、その侭力任せに床に叩き付けた。


「さようなら、『憤怒』のミナミ。暴力を誇るだけの、つまらない肉塊ヒト


地にしたたか打擲した頭蓋が割れて鮮血が書棚を染める様は、彼岸花が拡げた花弁に似ていた。イルミナは等しく罪を喰らい糧とする。色欲のヒバナは子宮、憤怒のミナミは暴力の出力装置たる両腕を喰らった。


イルミナの目がミナミと同じ紅蓮に変わる。瞼から血が流入したミナミの双眸はかつての澄んだ翠緑ではなく、妖しげな真紅を呈していた。


一連の騒擾そうじょうみ、げきとした空寂くうじゃくが図書室に戻った頃、イルミナはぼそりと口を開く。


「次は看守詰所のハナ……いや、現下逃走中のヨナハにしよっか。彼女を奔放に動き回らせると後に差し支えるからね、色々と……」

「ワタシに何か用かな?大罪人さん」


するりと突如空間を裂いて、生えてきたかのように問い掛けが投げられる。言葉の主はハナ、かつてレーナの前でをしていた囚人。


「……ボクには君が1番怖いよ。生きるためならどんなことにも手を染める『強欲』な君がね」

「そっかそっか、もっと怖がってくれてもいいよ?」


彼女には余裕がある、今まさに殺戮へ及んだ者と接触する態度にしては甚だ不自然。生まれ出づる疑念の芽は警戒の茎を伸ばし、やがて恐怖に開花する。だが、怯懦きょうだを認識した上で、振り払う策は幾らでもある。


「でもね、不用意に、無防備に、ボクの前に身を晒した君を恐れる理由は無いよ」


ゆっくりと、大仰に一つ一つの言葉を並べた。自身に噛んで含めるように。


「ふふっ……不用意、ね」


ハナの容貌が不興に歪み、数瞬後には感情の読めない笑みに戻る。


「じゃあ逆に訊こうか。死角、高所、気取られる前、ワタシが最高の奇襲の好機を手放してまでキミの前に飛び出した理由は何だと思う?本当に、無策だと思うかな?」


何かを察知して一跳びでハナに肉薄するイルミナ。

手には先程投げ飛ばした鉄枷の鎖が握られている。


「捨て鉢っ……!」

「な訳ないでしょ?」


この時のイルミナは、二者諸共の広範囲攻撃ーーたとえば自爆のようなーーを恐れてハナが起爆する前に制圧しようとしていた。しかし、その読みは外れている。


ざくりと、白刃ナイフがイルミナの背を深々と貫いた。背後からの打突の衝撃によって本来の狙いを大きく逸れた鉄枷は、緩い放物線を描きながらハナの頭上を通過する。攻撃したのは書棚の影から飛び出したミナコ。死角からの不可避な一撃、イルミナは心臓を刺されて倒れ臥す。


「正解は虚を突く為の囮、でした〜」

「お姉ちゃんの仇……まだ、足りない……」


涙を流しながらイルミナに近付くミナコ。纏う風気は復讐の檻に囚われた幽鬼。赤く泣き腫らした目許が悲愴に輪をかけて、まさしく修羅がかっている。


「意趣返し、ねぇ。否定はしないけど……他人のために人生を浪費して楽しいんだか」


自分の人生は全秒残さず余さず自分のもの、それがハナの価値観だった。如何なる悪逆無道であろうと己の為なら躊躇無く実行できる非情さ。


「楽しくなんてない!悲しいよ!けど、大事なものを失った悲しみを埋めるためには、誰かを傷付けるんだってあの子が」


「ずいぶんとおっかない代償行為だね。それじゃあまるきり八つ、当た……」


不自然な位置で言葉に詰まる、それは理解のできない事象を前にしたが故。馘首かくしゅされた話の穂をいだのは、心臓を貫通されて死んだはずのイルミナだった。


「『嫉妬』のミナコ。自分の幸せより、他人の不幸を願う……哀れな子」

「なんで、まだ、生きて……」

「君はボクの女神様じゃない。だからボクは終わらない。君では、君ごときでは

「だったら……何度でも終わらせてやる!」

「左」


テレフォンパンチ並の大振りで白刃が横薙ぎに振るわれる。イルミナは至近距離とは言えこれを屈むことであっさりと回避。


「下」


ミナコは反撃を避けるため咄嗟に地を蹴って、空中で背骨のバネを最大限に使い直上から白刃を振り下ろす。イルミナはこれも回避。


「前」


ミナコは着地と同時に突進し、イルミナは半身をかわして回避したのち白刃を握るミナコの右手首を掴む。


「知ってる?強い恐怖や緊張に晒されると、肉は不味くなるの」


ゴキリ、と手首の関節を外して白刃を奪う。苦痛に呻くミナコの口を反対の手で塞ぎ、押し倒しながら重力を利用して喉元に白刃を深く突き立てた。


彼岸花の二輪挿し。


ミナコの身体から熱と赤が零れていく。頸から喉にかけて止め処なく、出放題に湧き出ている。


「さようなら、ミナコ。『嫉妬』に狂った、うら若き美少女」


既にハナはこの場から脱出したようだ。

イルミナはゆっくりとミナコの顔を、嫉妬の根源たる頬の傷ごと喰らった。


「待っててね、ボクの女神様……」


イルミナは血の滴る口許を歪めて笑って見せた、酷く歪な笑みで。


朱い髪、紅い眼、赤い目許、緋い腕。喰らった者の「赤」を奪いながら煉獄イルミナは突進していく。全ての罪を浄め、焼き祓うために。


次回1637の3

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