第03話 悪の決意

「覚悟はしていたけど、酷いものね」


 馬上で、この2年に起きたことを語られ、エリーナはため息をついた。

 

「つまり、フィルヴィーユ派の官僚たちは一人残らず解任。流刑者や処刑者も出て壊滅した、という事ね……」

「後任人事は大貴族の子弟たちが独占し、今や貴族派が帝国の政治を動かしています」


 その結果、都市部では臨時徴税が乱発され、農民たちの年貢も上がる一方だという。


「錬金工房は? あそこの錬金術師たちはどうなったの?」

「工房は閉鎖されました」

「は?」

「残念ですが、錬金術師たちは散り散りに……」


 思いがけない答えだった。


「錬金術は、古の時代の勇者たちが使ったとされる『魔法』の復活を目指す学問よ。だからこそ、貴族たちはそれを独占してきた」


 伝承によれば、この大陸はかつて悪しき竜が支配していた。その竜を打ち倒した勇者や仲間たちの末裔が、現在の各国の皇族や大貴族たちなのだ。


「彼らが支配権を確立するためにも、工房は重要なはず。なのに、なぜ閉鎖なんて……」

「私にもそのあたりはわかりません」

「閉鎖後の施設はどうなったの? 職人街には工房の本部があった。あそこには多くの文献と資料が保管されていたはずだけど」

「それは……ご自分の目でご確認いただくのが良いかと」


 マルムゼは言葉を濁した。


「私の目? どういうこと?」


 もうすぐ帝都の市門だ。その奥に、職人街は広がる。帝都の産業を支える街区であり、エリーナの生まれ育った場所でもあった。


 壮麗な彫刻の施された市門をくぐり抜けると、エリーナは絶句した。


「何……これ?」


 帝都職人街はさびれているどころか、廃墟同然だった。屋根や壁が崩れた家々。失業者と思しき人々が、うずくまる路上。


「どうしてこんなに事に?」

「この辺りは、まだマシな地区です。ここから先は……」


 道を曲がれば職人街の中心地区だ。所狭しと工房が立ち並び、その中央には錬金工房があったのだが――

 

「嘘でしょ」

 

 全て消滅していた。

 文字通り、あるはずの建物が消え去り、だだっ広い更地になっている。

 馬鹿な。この通りには石工や鍛冶屋が数十軒あった。狭いが活気のある通りで、日中は一日中金槌を叩く音が聞こえていた。


「フィルヴィーユ夫人!」


 たまらず馬から飛び降りると、マルムゼが止めるのも聞かずに走り出す。


「ここは彫像工カブラさんの工房。こっちはゲルマじいさんの時計工房」


 わずかに残る崩れた壁や、街路の跡から、あったはずの建物を思い浮かべる。


「マルナおばさんの定食屋。お昼時にはみんなここに集まった。あそこのガラス工房は幼なじみのケントが継いだ!」


 だが、彼らの存在を示す跡はどこにもない。


「それにここは……ここは……」


 エリーナは足を止めた。


「私の家だ!」


  父を含めて4代続いたという、錬金術師御用達の金属工房も、跡形もなく消えていた。


「1年前に大火があり、全て焼け落ちました」


 馬を引いて付いてきたマルムゼが語る。


「火元は不明。恐らく放火でしょう。ここには貴族専用の劇場が建つそうです」


 マルムゼは指差す先には、丸太や石灰袋などの資材が積まれ、作業用と思われる小屋が建っている。ちょうど、錬金工房があった場所だ。


「……職人たちは?」

「官僚や錬金術師と同じです。みな散り散りに」

「どうして?」


 職人街の歴史は初代皇帝の時代から続く。数百年、帝都の人々を支え続けてきた街だ。


「帝都の原動力というべき街を再建もせず、劇場を建てる? ありえない!」

「……申し上げにくき事ですが、あなた様の育った街だからです。フィルヴィーユ公爵夫人」

「私が……?」

「"流血寵姫"。これが今のあなたの呼び名であり、世間の評価です。あなたは皇帝を惑わし、横領で私腹を肥やし、さらに錬金工房でおぞましい人体実験を行った大悪人として記録されています」

「はあ? 人体実験ですって?」


 物資横領の濡れ衣くらいなら我慢できる。けど、そんな冤罪までかけられていたなんて。

 改めて貴族派の陰湿さとなりふり構わなさを実感した。


「横領や殺人の中には、貴族たちが犯した罪もあります。ですがフィルヴィーユ夫人の陰謀と説明すれば、全部あなたのせいにできる。それが今の帝国の司法です」

「なんてこと……」


 寵姫という立場でありながら政治に首を突っ込んだ。その時点で、敵は無数に現れることは覚悟していた。

 けれど、流血寵姫とは……流石に身にこたえる。


 エリーナはめまいを覚え、かつて実家の塀だった石材に腰を下ろした。


「……まって」

 

 そこで最悪の可能性に思い至る。


「私の父は? ここにいた金属職人のタフトはどうなりました」


 父は、エリーナが宮廷に入った後もここに残り、槌を振るっていた。数年前に再婚し、慎ましくも賑やかな家庭を築いていた。

 エリーナも錬金工房の視察に訪れた際には、必ず立ち寄って共に食事をしていた。


「申し訳ありません。お父君も行方不明です。フィルヴィーユ派の官僚が帝都から逃したという噂もありますが……その……」

「かまいません。どんなことでもいいから話して!」

「貴族の手で殺されたとも……流血寵姫を憎む民衆になぶり殺しにされたという話も」

「そう……ですか」


 願わくば1つ目の噂にすがりたい。けど状況的に難しいだろう。

 ならば2番目か? それならまだマシかもしれない。

 3つ目の可能性だけは信じたくない。民衆によるなぶり殺し。街のみんなに愛された父が、私のせいでそんな最期を遂げたのだとしたら……。


「お前ら、今フィルヴィーユの魔女の名を口にしていたなぁ?」


 背後から声。

 振り返ると、数人の男たちがエリーナとマルムゼを遠巻きに囲んでいた。


「見ない顔が来たから様子を窺っていたんだ。あの魔女の関係者か?」


 別の男が言う。その顔に見覚えがあった。ここに住んでいた大工の一人だ。

 その格好は二年前と比べ物にならぬほど見すぼらしい。着る物や住む場所に困っている事が、穴だらけの上着から想像できた。


「あなた方は……?」

「あの魔女のせいで仕事も人生も何もかも失った元職人さ」

「この街が焼けた後、仕事を変えることも地方に移ることもできなかった負け犬よ」

「魔女の関係者というなら承知はしねえ」

「そうじゃなくても、ここは俺たちの街だ。見物料は置いてってもらうぜ」


 敵意をあらわに、男たちは距離を詰めてきた。手には、かつて彼らの商売道具であっただろう金槌や刃物が握られている。


「よしなさい。その道具はあなた方の誇りだったはず。そんな事に使ってはなりません!」

「うるせえ!」


 気丈に彼らと相対するエリーナ。が、男たちがその言葉に耳を貸す様子はない。


「お下がりください」


 マルムゼは剣の束に手をかけてエリーナの前に立った。


「あなたは、私が守ります」

「マルムゼ、殺さないで」

「は?」

「お願いです」


 エリーナは少し強めの口調で念を押す。


「何ごちゃごちゃ話している!」


 ほぼ同時に、男たちが一気に飛びかかってきた。


  * * *


「くそ!逃げろ、相手が悪い!!」


 ほとんど時間はかからなかった。

 彼はエリーナの命令に従い、剣は抜かず、体術のみで男たちを追い払ってしまった。


「ありがとう。私の願いを聞いてくれて」


 マルムゼは無傷だったが、戦いのあとは流石に額に汗が滲んでいた。エリーナはハンカチを取り出し、それを拭った。


「なぜ、殺すなと?」

「知ってる顔がいました。二年前までは善良な大工でした」

「そうでしたか。しかし……」

「情が湧いたわけではありません。けど彼らは被害者です」

「それで、見逃したと?」


 エリーナはうなずく。


「マルムゼ、私は復讐します」


 あの日、ウィダスに毒をもられた直後に生まれた感情は、今や揺るぎないものになった。

 彼らが奪ったのは私の命だけではない。

 私が育んできたもの、私の名誉、私の故郷、そして私の家族まで奪い取った。


「私は彼らを絶対に許さない」


 若いホムンクルスの肉体から出たのは、その姿に似つかわしくないほど暗く冷たい声音だった。


「この若い身体に、エリーナとしての知識と経験がそっくりそのまま備わっている。考えようによってはこれは最高の武器となるわ」


 すでにエリーナの頭の中には「復讐」と題された絵画の下絵が描かれ始めていた。


「私は宮廷に戻ります。そして、今度は容赦しない……!」

「ふたたび権力闘争を始めるということですか?」

「そうね。エリーナだった頃は、あんなものに気を使いたくない、それよりも改革を進めたいと思っていた……でもその結果が、今の有様」


 フィルヴィーユ派は壊滅し、国は悪い方向へと向かい続けている。


「だから今度は徹底的に潰す。あらゆる手段で叩き、追い込み、陥れ、そして破滅させる。貴族も……皇帝もね」

「皇帝も? ではあなたがこの国の支配者になる、と……?」

「そもそも長年の貴族支配によりこの国は疲弊し切っています。彼にこの国の頂点に立つ資格などないわ……」


 エリーナは、アルディス3世には帝国を建て直す意志があると信じていた。しかし彼はエリーナを殺し、民を裏切り、貴族の暴走を止めようともしない。


「これから私がやる事はとても後ろ暗いものとなるでしょう。流血寵姫。魔女。そんな呼び名が相応しい罪を重ねるはず」


 マルムゼは何も言わない。


「ですが……いや、だからこそ必要のない罪は避けたい。たとえ世界が私を悪女と罵ろうとも、私にとっての正義は貫きたいのです!」

「それで、あの暴漢たちは見逃した、と?」


 エリーナは黙ってうなずいた。


「一歩間違えれば、私の行動が帝国そのものを滅ぼしてしまうかもしれない。それを避けるためにも、これは必要な一線よ」

「わかりました」


 マルムゼはエリーナの前に跪いた。そして彼女の右手を手に取る。


「あなたのお覚悟に、お供します」

「共に悪の道を歩んでくれますか?」

「それがあなたにとっての正義であるならば」


 黒髪の青年は、ホムンクルスの手にそっと口づけした。

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