第02話 ホムンクルス

「お目覚めになられたのですね!」

「はいっ!?」


 鏡の中の見知らぬ顔を覗き込んでいると、不意に扉が開いた。エリーナは思わず肩を震わせながら後ずさる。


「失礼。驚かせてしまいましたか」


 入ってきたのは見知らぬ黒髪の青年だった。黒地に金刺繍の軍服は見慣れた近衛兵のものだけど、知らない顔だ。


「マルムゼと申します。以後お見知り置きを」


 青年は、膝を折り深々と頭を下げた。貴婦人に対する完璧な作法。美しい所作に見惚れそうになる。


「その声。もしかして、あなたが解毒剤を?」


 声だけは記憶に残っていた。薄れゆく意識の中、エリーナに話しかけてきたウィダスの部下だ。直後に口に流し込まれた液体。私の生命があそこで終焉を迎えなかったのは、多分あの液体のおかげだ。


「あれは解毒剤などではありません」

「違うの? けれど私はこの通り……」

「エリクサーを飲ませました」

「何ですって!?」


 錬金術に関わっていれば知らぬ者はいない、不老不死の霊薬。

 

「そんなものどうやって……まさか、あなたが?」


 エリーナはテーブルの上のフラスコと若者の顔を交互に見る。こんな若者が、錬金工房でも完成させていないエリクサーを作った? ありえない。


「エリクサーを生み出したのは我が主人です。そこの道具もこの館も、主人のもの」


 誰のこと? 錬金術師に違いないだろうが。


「さらに申せば、あのエリクサーは未完成品。魂と肉体を分離させるという、薬効の第一段階を達成したに過ぎません」

「え? なら私はどうやって……?」

「その肉体はホムンクルスです」

「ホム……!」


 二度目の驚愕。

 ホムンクルス。つまり人造生命体もまた、究極の錬金術のひとつとされている。


「こちらの研究もやはり未完成。形作ることが出来たのは肉体のみで、魂の創造には至ってません。それゆえ、エリクサーで分離した魂を移し替える器として用いたのです」


 エリーナは鏡に映る自分の姿をあらためて見返す。ほっそりとした四肢と白い肌。白に近い金髪にルビーのような赤い瞳。外見年齢は17歳ほどか。実年齢より10歳は下だ。


「ならこれが、今の私の身体……?」


 かつて鏡に映っていた、豊かなブルネットの髪と緑の瞳を思い出した。亡き母親と同じ色の髪と瞳。

 アルディス陛下もどちらも好きな色だと言ってくれた。それはもう私のものではない……。


 感傷に浸りかけたところで、はっと我に帰る。


 違う。なにが陛下だ。


 皇帝の愛はまやかしだった。あの男とウィダスは、ブルネットの髪と緑の瞳を持つ女を葬った殺人者ではないか。


「……あれからどのくらいの時が経ったのですか?」


 エリーナは尋ねた。


「人並み以上には錬金術というものを知っています。一度分離した魂を別の肉体に移し替えるのが一晩や二晩で終わるとは思えません」

「2年。あの夜より2年が過ぎました」

「そんなに……」

「現在の錬金術では魂を馴染ませるため、それだけの時間が」


 その2年で出来たであろうことを思い浮かべる。けどすぐに首を振った。過ぎたものを惜しむ余裕はない。


「マルムゼ殿」

「呼び捨てで結構です」


 黒髪の青年はそう応えた。マルムゼとはおとぎ話に出てくる小鬼のことだ。有能な王に従い様々な仕事をこなしたという。おそらくは偽名だろう。


「ではマルムゼ。何故、私を助けたのですか?」

「主人からの命で。あなた様を守り、手助けせよと」

「ご主人はどこに?」

「彼はもう、この国にはおりません」


 近衛兵の軍装だが、皇帝や近衛隊に忠誠を誓っているわけではなさそうだ。

 かといって、無条件に信用するのも危険だ。この国にいないということは、諸外国の密偵かもしれない。


 でも、今はどうでもいい。


「マルムゼ。帝都に戻ります。案内をお願い」

「お目覚めになったばかりです。まずはこの館で、新しいお身体にお慣れください」

「身体は動かさなければ馴染みません。それに、この2年に何が起きたか知っておきたいの」


 エリーナはまっすぐマルムゼの眼を見据えた。束の間、視線が重なる。


「わかりました。馬を出します」


  * * *


 エリーナは館の衣装室に案内され、身支度を整えた。

 白いフリルをあしらったオレンジ色のワンピース。袖にはやはりオレンジのリボンが飾られている。

 宮廷で着ていたシルクのドレスには比べるべくもないが、なかなか丁寧な仕立てだ。人目には、お洒落好きな中流階級の令嬢と見えるかもしれない。

 帝都を見て回るにはちょうどいい格好だろう。


「どうぞ後ろに」


 外に出ると、マルムゼはすでに馬にまたがり、準備を整えていた。

 彼の手を掴むと、力強く引き上げられる。エリーナは滑り込むように、鞍に腰掛けた。


「しっかりとお掴まりください」

「ええ」


 エリーナは体重の一部をマルムゼの背中に預ける。こうして殿方の馬に乗せてもらうのはいつぶりだろう?

 寵姫として出仕して間もなく、皇帝自ら乗馬を教えてくれた。そして共に狩りへ、時には国内や戦場の視察にも二人で馬首を並べて赴いた。


 そんな皇帝は、私を殺した。そして私はホムンクルスの肉体を得て第二の生を歩もうとしている。

 エリーナはすでに、この新たな人生を平穏に過ごせるなどとは思っていなかった。

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