第2章 離宮の皇弟

第04話 リュディスの短剣

 その夜、エリーナは帝都の一角にある邸宅に案内された。比較的裕福な地区にある無人の家だ。

 こういう隠れ家を、マルムゼの主人は他にも何箇所か所有しているらしい。


「あなた様のお覚悟を知った上で、私からもうひとつお話しすべきことがあります」


 大通りの店で買ったパンと野菜の煮込み料理で簡単な食事を済ませた後、マルムゼはそう切り出した。


「どうしたのです、改まって?」

「おそらく、あなたが復讐を成し遂げるための最短ルートとなるかと思います」

「最短?」

「これをご覧ください」


 マルムゼは懐から何かを取り出すと、食器を下げたばかりのテーブルに無造作に置いた。

 子供の肘から下くらいの長さの、細長い物体。全体に細かい銀細工が施されている、古びた骨董品のように見えた。


「これは……」


 その装飾の中央部に、帝国の国章である百合の花が彫られているのに気がつく。実物を見るのは初めてだが、この特徴に合致するものを、エリーナは知っている。


「まさか、リュディスの短剣!?」


 マルムゼは黙ってうなづいた。


「魔法時代の遺物がなぜこんなところに?」

「我が主人から託されたものです」

「なんですって!?」


 リュディスの短剣。それは邪竜討伐の勇者にして、"百合の帝国"初代皇帝たるリュディス1世の遺物だ。

 刃渡りは果物ナイフほどの、護身用にもならなそうな剣だ。しかしこの短剣は魔法による祝福を受けており、その力は悪しき竜を滅ぼすのに貢献した伝えられる。

 その後、この剣を所有するものが帝国の軍権を司るとされた。歴代皇帝は最も信頼する騎士にこれを授け、帝国大元帥の称号を与えてきた。


「……まさか、本物なのですか?」

「そう聞いてますが、確かめる手立てはございません」

「それは、そうよね……」


 今では地上からほとんど消えてしまった魔法の力だが、この短剣にはそれが残されている。勇者リュディスの血を引く皇族の血を、この紋章に垂らすと魔法の力が発動すると、伝承は語る。

 つまり、皇族でなければこの剣が本物が確かめようがないのだ。


「アルディスは大元帥を任命せず、自ら軍を率いてました。ですからこの剣はアルディス自身が持っていたはず」


 仮に本物だとして、それがどういった経緯で、マルムゼの主人の手に渡ったのか? 当然、アルディスも手元に剣がなければすぐに気がつくはずだ。宮廷も軍部も大混乱に陥るはず……。


「いや、皇帝が紛失に気付いたとしても、公表なんてできるわけない。だから本物である可能性は捨てきれないわ……」

「本物か否かは、この際問題ではありません。重要なのは、これが我々の手元にあるということ」

「どういうことです?」

「フィルヴィーユ派の壊滅により、帝国の実権は貴族派が握りました。ですが、全ての者が彼らに忠誠を誓った訳ではない。特に軍には貴族の横暴をよく思わない者が数多くいます」

「なるほど」


 マルムゼが言わんとしていることを、エリーナは即座に理解した。


「たとえ偽物でも、現状を変えたい軍人はついてくる、というのですね?」

「聡明なあなた様がこれを手にすれば、軍を掌握するのは容易いでしょう」


 そこまで話すと、マルムゼは口元に不敵な笑みを浮かべる。


「復讐の最短ルートか……確かにね」


 けど、これは駄目だ。


「マルムゼ、あなた近衛兵の軍服を着ていますが、今も部隊に所属しているの?」

「は?」


 突然の質問に、マルムゼは虚をつかれた様子だった。


「はい。身分を偽り、近衛隊に身をおいています」

「だからかしら? いかにも軍人らしい短絡的な発想」


 エリーナは手厳しく言い放つ。


「た、短絡的……?」

「仮に帝国正規軍を掌握したとしても、大貴族は領地に私兵を抱えています」


  貴族には、自分達の領地を守る権利がある。有事の際に、中央の正規軍が到着するまで耐えられるよう、独自に兵を持つことが認められているのだ。


「いかに帝国軍が精強だとしても、貴族軍との内乱になります。改革が頓挫し、民が疲弊している今、戦いが始まれば長期化は避けられません」

「それは……確かに」

「内乱が起きれば、周辺諸国は絶好のチャンスと見るでしょう。長年戦闘が続く"獅子の王国"どころか、同盟関係である"鷲の帝国"も必ず介入してくる。賭けてもいい。3年後、この国は滅んでいます」

「……ご賢察、お見それしました」


 若き近衛兵は、子犬のようにしゅんと哀しげな目をしてうつむいた。その様子を見て、エリーナは思わずくすりと頬をほころばせる。


「けど、この短剣には別の使い道があります。ありがとう、これを見せてくれて」

「あ、あなた様のお力になれるのであれば光栄です! 」


 マルムゼの顔が一転して明るくなる。が、すぐにその表情も疑問符で上書きされた。


「しかし、どうやって? 軍を掌握する以外に、この剣に使い方があるとは……」

「私にとっては使いづらいおもちゃでも、これに物欲を刺激される人間は他にいるわ」

「は?」

「明日はまず古着屋へ参りましょう。その後、ベルーサ宮へ」


  * * *


 べルーサ宮は、帝都の中心部にある宮殿だ。

 かつては皇帝が住む皇宮だったが、先先代の皇帝、"百合の帝国"の最盛期を築き上げた黄金帝ことリュディス5世は帝都郊外にヴィスタネージュ大宮殿を建設し、そちらに移り住んだ。

 以来、帝国の中枢部はヴィスタネージュとなり、べルーサ宮は有力な皇族の住まいとなる。

 現在は、皇帝アルディス3世の弟でマルフィア大公の称号を持つ皇弟リアンがその宮殿の主だった。


「まさか、皇弟殿下に短剣を渡すというのですか? それはあまりに危険です! お考え直しを」


 古着屋で、リアン大公好みの服を物色している最中、マルムゼはやや焦った面持ちだった。


 マルフィア大公リアンは、皇帝の潜在的な政敵とされている。

 宮廷のどの派閥にも所属せず、ヴィスタネージュ大宮殿への参内もせず、べルーサ宮で独立勢力となっているためだ。

 マルムゼの話では、最近では反帝国を掲げる危険分子を保護し、べルーサ宮はさながら革命派のアジトと化しているらしい。


「あなたも選ぶの手伝ってくださる? このオレンジのワンピースも悪くないけど、リアン大公の趣味ではないの。彼はもっと胸元が開いた……」

「フィルヴィーユ夫人!」

「もう! その名前は辞めてくださる? アンナ。これからは私のことをアンナとお呼びなさい」

「はっ! し、失礼しました」


 マルムゼはまたも子犬のように頭を下げた。

 不名誉な汚名が残された以上、今後エリーナ・ディ・フィルヴィーユの名前を使うのは危険だ。そうでなくとも、故人とされてる者の名を使うのは、色々なところで不都合が出てくる。だから、名を改めた。


 アンナ。


 かつてアルディスとの間に娘ができた時に名付けようと思っていた名だ。この名を、彼女は復讐のための武器にしようと決めた。


「大丈夫。リアンに短剣は渡しません。これは彼を釣り上げるための餌と思ってください」

「餌ですか、フィルヴィ……ア、アンナ……さま」


 注意されたそばから前の名を呼びそうになり、マルムゼはぎこちなくそれを訂正した。おかしな、そして不器用な青年だと思った。


「あの……アンナ、さま」

「どうしたの?」

「その、名字はどうしましょう? 目上の方をファーストネームで呼ぶのはどうにも……」


 マルムゼは本気で困っている様子だ。


「とりあえず今は名字はいらない。というより、これからねだりに行くのよ」

「ねだりに行く?」

「そう、リアン大公にね」

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