第06話 皇弟のサロン

 使用人が立ち止まった。重厚な木の扉を開け、二人に入室を促す。


 懐かしい。皇弟リアンのサロン。国内外の知識人や芸術家が集まる、この国で最も文化的な空間だ。

 開かれた扉に気づき、そんな知識人、文化人たちの視線が二人の入室者に集中する。その目には、不信の色が浮かんでいた。


「彼女は誰だ?」

「なんだ昼間からあの服は……しかも近衛兵のご同伴とは……」

「いささかサロンに似つかわしくない組み合わせですな」


 そんな会話が聞こえてくる。


 ここまでは思った通り。アンナは心の中でほくそ笑んだ。


 マルムゼには申し訳ないが、彼の軍服で拒否感を煽ることには成功した。

 マイナスの第一印象を一気にプラスに覆せば、ただこの部屋を訪れるよりも、感情の振り幅は大きく、このサロンも盛り上がる。

 そしてその盛り上がりに気がつけば、必ず上の階からリアン大公が降りてくるはずだ。


「お嬢さん、どうやってこの部屋にいらしたのかな?」

 

 遠巻きに眺めていた文人たちの中から一人、初老の男が歩み寄ってきた。


「大公殿下のご友人、とは思えないが?」

「もちろん、皆様と同じように。”藤色”の合言葉を使って、ですわ」


 アンナはワンピースの裾をつまみ、うやうやしくお辞儀する。初老の男は目をいぶかしげな目を向ける。


「ほう。合言葉をどこでお知りに?」

「ある御方から伺ったのです。ベルシュワン先生」

「む……? どこかでお会いしましたかな?」

 

 名前を当てられ、男の目の色が変わった。


「いいえ。けど以前拝見した新聞の版画にお髭が似ていらしたので、きっとペルシュワン先生だと思いましたの」

「ははは、それはお見事です」


 帝都で最も人気のある作家の一人だ。新作の発表があるたびに貴族や富裕層の間で話題になる。帝国を代表する作家と言っていいだろう。


「お初にお目にかかる。いかにも私が作家のペルシュワンです」


 小説家は握手を求めてきた。アンナはにこやかにその手を握り返す。

 彼の顔を新聞で知ったというのは大嘘だ。この作家とは何度も会ったことがある。他ならぬこのサロンで……。


「先生の作品は色々拝見しましたが、"黒獅子と女神"が一番好きですわ」

「それは驚きましたな。あれは少し難しいと、ご婦人方には不評だったのですが」

「とんでもありません! マルディア2世陛下の治世を丹念にお調べになっていて、読書中あの時代に迷い込んだ気持ちになりました」

「なんと。そう仰っていただけると、史跡を調べ歩いた甲斐があります」

「ペルシュワン君、盛り上がっているじゃないか」


 不審な二人組と作家が盛り上がっているのを見て、別の文化人が近寄ってきた。


「ああ、リンダー君。このお嬢さんは……」

「リンダー? もしかして、組曲"朝の泉"の?」

「ほう。私の名前が上がるときはいつも交響曲とセットなのですが。あの小品がお好きですか?」

「ええ。あの軽やかな響きの虜になりました。きっと先生ご自身もあれが一番お好きなんじゃないですか?」

「わかりますか? 実は交響曲よりも、ああいうものの方が得意なのです」


 それも知っている。エリーナが本人から直接聞いたことだ。

 さらに、一人、二人と話の輪の中に入ってくる。詩人、劇作家、画家、演奏家……。その多くが、エリーナとは旧知の仲だった。もちろん彼らは目の前にエリーナがいる事を知らない。突然現れ、彼らの作品を一通り抑えている謎の少女に、皆が興味をいだいている。

 文化人の輪から少し離れた所から見守るマルムゼと目が合う。アンナは、パチリとウィンクをしてやった。それで近衛兵の青年も、自分の軍服が彼らの感情を上げ下げする仕込みに使われたと気がついたようだ。

 近衛兵は苦笑しながら、肩をすくめた。


「今日はいつにも増して賑やかだな」


 文人たちが、可憐な新参者を取り囲み談笑していると、廊下とは反対側のドアが開いた。全員の視線がそちらに集まる。

 そこには、長いプラチナブロンドの髪を後ろでしばり、上等なシルクベロアのジャケットを身に着けた青年が立っていた。


「これは、皇弟殿下!」


 文化人たちは一斉に深々と頭を下げた。アンナはスカートをつまんで膝を折り、マルムゼは右拳を胸の前に掲げる帝国軍式の敬礼を取る。

 各人が最大級の礼儀を持って迎えた彼こそが、マルフィア大公リアン。皇帝アルディス3世の実弟にして、帝国第2の権威を持つ人物。そして、このベルーサ宮の主だ。


「楽にしてくれたまえ諸君」


 リアンは軽く右手をあげ、皆の挨拶に答えた。

 優雅な所作と涼やかな表情。相変わらずの美青年ぶりと完璧な身のこなし方だと、アンナは感心した。


「面白い客人がいると聞いて来てみれば……、まさかこんな可憐なお嬢さんだったとは」


 皇弟は輪の中心にいるアンナを見つめ、近づいてきた。改めてアンナは深々とお辞儀をする。

 

「お初にお目にかかります大公殿下。私のことはどうぞアンナとお呼び下さい」

「なんと愛らしい。濃い青の装いがよく似合う。まるで月光に照らされて咲き誇る白百合の花のようだ」


 この美青年ぶりで、こういう歯が浮くようなセリフを平然と吐くから、リアンには恋の噂が常に付きまとう。

 放蕩王子と陰で囁かれていた彼の性分は、2年経っても相変わらずのようである。


「まあ、お褒めに預かり光栄です」


 しかし、これはただの口説き文句ではない。アンナはそれを理解していた。


「ですが白百合は、帝国の国花であり、帝室の象徴ともいうべき花。安易に私なんかを例えるのに用いてよろしいのですか?」

「国の権威など、女性を賛美する心に比べれば瑣末なもの。少なくとも俺にとってはね」

 

 リアンの顔は満足げだった。アンナの返しは、どうやら合格だったようだ。


「骨董の短剣について話があると聞いた。別室でゆっくり伺いたいが、構わないか?」

「はい。よろしくお願いします」

「では、付いてきたまえ」


 リアン大公は踵を返し、彼が入ってきた扉へと戻っていく。その後にアンナが、さらにマルムゼが続く。


「君も来いとは言っていないが?」

「!?」


 リアンは強めの語気で、隣室に足を踏み入れようとしたマルムゼを制した。


「彼は私の護衛です。それに、刀剣についての知識もあるため商談に臨席させたいのですが?」

「アンナ嬢、見くびってもらっては困る。このリアンが密室で、ご婦人に対し不埒なことをするとでもお思いか?」


 そういう噂は結構あるんだけどね、とアンナは心の中で苦笑する。


「それに、刀剣の知識なら私にも多少ある。いや、むしろその短剣については、俺の方がより多くのことを知っているんじゃないかな?」


 一瞬、どうすべきか悩んだ。もしリアンが腕ずくでリュディスの短剣を奪おうとするならば、女性、それも新しい身体に慣れきってないアンナでは対抗できない。

 けど、ここで無理を言って彼の機嫌損ねるのも得策ではなかった。

 アンナはこの皇帝の弟をよく知っている。確かにこういう状況で強盗まがいのことをするとは考えにくい。

 決断する。今回は彼の言葉を信じよう。


「あなたはこの部屋に。私だけで大丈夫です」

「……かしこまりました」


 渋々ながら、マルムゼは敬礼の姿勢をとってアンナを見送った。

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