第3章 最初の復讐対象者

第08話 裏切り者

 10日後、リアン大公から手紙が届いた。

 アンナを養子に迎えたいという貴族が見つかったとのことだ。


「思った以上に早かったですね。心当たりがあるとは仰っていましたが」


 ふう、アンナはため息をつき、便箋を机に置いた。


「まさか、それがグレアン伯爵とは……」


 手紙に記されたその名は、アンナと因縁深き人物だった。

 グレアン伯爵リュモン。2年前、エリーナの破滅のきっかけを作った男。高等法院に、フィルヴィーユ派を告発した裏切り者だ。


「伯には一人娘がいたのではないの?」

「1年ほど前に亡くなったそうです。ご病気だったとか」

「病気、ね」


 帝国貴族の病死には2種類ある。本当に病魔に冒されていた場合と、毒殺だ。そして前者も、医師が懸命の治療をしたがその甲斐なく死に至る場合と、何者かの指図で医師が意図的に「誤診」する場合に別れる。

 グレアン伯のご令嬢はどうだったのか、アンナは意地の悪い想像をせずにはいられなかった。


「ご縁談は? そのご令嬢にはいい人がいたのではなくて?」

「はい。クロイス公爵の甥にあたる方との縁談が進んでいたはずです」

「ふふっ、やっぱりクロイス公か」


 クロイス公爵は皇帝直轄地を除いた帝国領土の実に5分の1を支配する、帝国最大の権門だ。これ以上の面積の私有地を持つのは、皇弟リアンのマルフィア大公家しかいない。

 そして彼はかつて、フィルヴィーユ派に対抗する守旧派貴族たちの盟主でもあった。


「伯爵もお気の毒ね。せっかく私を売ってクロイス家と繋がりを持つことができたのに、すぐにそれが断たれてしまうなんて」


 2年前、エリーナに高等法院からの出頭命令があった。その時のことを思い出す。


  * * *


「すでにこの屋敷は、貴族の私兵に囲まれております。すみやかに出頭せよとのこと」

「馬鹿な、何を根拠に出頭せよというのだ!」

「おそらくは内部告発。裏切りでしょう」

「今日はグレアン伯がご欠席のようだが……まさか彼が?」


 動揺する官僚たちをエリーナは黙って見つめていた。

 エリーナがこの私邸で開いたサロン。ここがフィルヴィーユ派の本拠地だ。いつもならグレアン伯もこの部屋に集っていたのだが、その日に限って現れなかった。


「おのれグレアンめ! 改革派に共感するなどと言っていたが、所詮は民の苦しみを理解せぬ貴族であったか」


 平民出身の若手官僚が悔し涙と一緒に声を絞り出した。


「貴族社会に馴染めぬ一匹狼と思ってましたが、どうやら我々は誤解をしていたようですな」

「仕方あるまい。一匹狼と言えば聞こえはいいが、要するに貴族たちから爪弾きにされただけの者。奴らの輪に入れるなら、平民なんか喜んで切り捨てるさ!」


 みな口々に不在の裏切り者を罵る。皆の動揺がある程度落ち着いたところで、エリーナは口を開いた。


「……出頭しましょう。こうなった以上、それしか方法はありません」


 言った瞬間に再び場がざわめく。

 

「馬鹿な!危険です」

「高等法院は貴族派の根城と言っていい。行けば奴らの思う壺です!」

「工房に機械馬車を手配させました。それで一度、ご領地へ落ち延びてください」


 この屋敷と錬金工房は地下通路で繋がっている。あそこで開発中の新式馬車なら、確かに貴族たちを振り切ることができるかもしれない。

 しかし高等法院が発行した正式な出頭命令なのだ。背けば自分の立場を悪くするだけである。


「この命令者に記された、出頭の事由ですが」


 最高判事の署名が入った紙を取り上げる。


「確かに内部の者しか知らない事が書かれています。告発者はグレアン伯で間違いないでしょう」


 エリーナはいつもグレアン伯が座っていた椅子を見やった。


「ですが、物資の横領や、錬金術の私物化など、言いがかりもはなはだしい。私たちには何ら後ろ暗いところはない! 違いますか?」


 そうだ、その通りだ。皆が口々に言う。


「この際、我々の主張を全て法院の公式文書に残すのです。その上で皇帝陛下にご判断いただきましょう!」

「そ、そうだ。我々の志は、フィルヴィーユ夫人を通じて陛下にもご理解いただいている」

「これまではそのご理解も非公式なものだった。だが高等法院での審理となれば……」

「公の場で、陛下をお味方につけることも可能、ということか!」


 官僚たちは色めき立つ。そうだ、これはピンチではない。むしろチャンスだ! 貴族派との決戦だ!


「今朝、前線より連絡がありました。"獅子の王国"との会戦で、陛下率いる帝国軍は大勝利とのこと」

「おおっ!では!?」

「残務整理を行なったのちに、帰還するそうです。来月には陛下も帝都に凱旋されるでしょう」

「では、それまで持ち堪えれば良いということですな!」

「はい。1ヶ月です! 1ヶ月間、私は審理を長引かせます。その間に皆さんは我々の潔白を示す揺るぎなき証拠を揃えてください。そうすれは、我々の勝利です!」


 一同、席を立ち上がりおおっ、と声を上げる。

 それは官僚というよりも前線の兵士たちのような、戦意と覇気に満ちた雄叫びだった。


 だが、エリーナの目論見は外れた。その日が彼ら改革者たちと過ごす最後の一日となった。

 数日後、フィルヴィーユ公爵夫人エリーナは、高等法院の貴人用独房において、近衛隊長ウィダスの手によって謀殺される。


  * * *


「きっとその時点で、クロイス家との縁談は進んでいたのでしょう。しかし実現する前に一人娘は亡くなってしまいました」

「だからこそもう一人、娘が欲しい。一度白紙に戻った縁談を復活させるために、養女を迎えたい。グレアン伯の考えはそんなところかしら?」

「それで、どうなさるのです?」

「もちろんお受けします」

「アンナ様にとっては仇敵ということになりますが、宜しいのですか?」

「マルムゼ、何も私は伯爵と仲睦まじい親子の関係になりたいわけじゃないわ。復讐のために利用する、それだけよ」


 言った後にアンナは思い立つ。


「いや、この養子縁組自体、私の復讐と言えるかもしれないわね」


 アンナの目的は、伯爵家の乗っ取りだ。養女として有力貴族の家に入り、その家名と財産を奪う。そして、宮廷へ戻る足がかりとする。

 家の存続をかけて、エリーナを裏切ったグレアン伯にとって、それは最悪の意趣返しとなるだろう。


  * * *


 さらに一週間後、アンナは春の朝日を思わせるライトイエローのドレスを身にまとい、4頭立ての豪華な馬車に乗っていた。

 どちらもリアン大公が用意したものだ。向かう先はグレアン伯爵邸。今日アンナは、リアン大公にお供する形でグレアン家を初訪問する。

 

「さすが王国第二の富豪が用意したドレスね」


 アンナは、ドレスの袖や肩にあしらわれたレース飾りがキラキラと輝いているのに気がついた。

 レースに織り交ぜた銀糸が馬車の窓から入る陽光に反射しているのだ。

 銀糸だけではない、ドレス全体の布地も東洋から取り寄せた一級品のシルクで織られており、陽光を直接浴びない部分も、自ら光り輝いているように見えた。

 帝都の古着屋にあったものとは、素材の質も職人の腕も、比べ物にならない。名門グレアン家のご令嬢にふさわしき美を演出する、と言うわけだ。


「なにぶん急ぎの話ゆえ、簡素な仕立てになってしまったが、いずれより豪華なドレスを贈って差し上げよう」

 

 ドレスを贈った際、リアン大公はそう付け加えた。

 彼は、アンナたちの馬車に先行するマルフィア大公家の紋章がついた金の馬車に乗っている。さらに2両の前後には敬語の騎兵がそれぞれ1小隊ずつ、馬車の横にも数騎の警護がつく。

 そんな大行列で送り届けられたアンナは、そのまま屋敷に残り、グレアン伯のご令嬢として新たな生活を始める手筈となっていた。


「これでしばらく、あなたとはお別れですね、マルムゼ」


 馬車にはマルムゼも乗り込んでいる。伯爵家までの護衛として、王弟殿下が旧知の近衛兵に私的に護衛を頼んだ、という名目で新令嬢に随行しているのだ。

 しかし、伯爵家に入ってからも彼が付き添うのは難しいだろう。

 マルムゼには一旦、近衛隊に復帰してもらう。そして、来るべき時に備えて宮廷工作を任せる。アンナはそのつもりでいた。


「いえ、私も同行しますよ」

「気持ちは嬉しいですが、けれど……」

「私はあなたの護衛を主人より命じられています。おそばを離れるつもりはありません」


 マルムゼの黒い瞳はまっすぐ、アンナの顔を見つめた。黒髪の近衛兵の表情は真剣そのものだ。


「あなたは近衛兵でしょう? ここまで私につきっきりだったので、ある程度は自由が許される立場なのはわかります。けど伯爵家の屋敷に留まるとなると、話は別よ」

「"認識迷彩"」


 マルムゼは聞きなれない言葉を口にした。


「私が持つ異能について、お話ししておきましょう」

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