ヘルズ・スクエアの子供たち・パートⅠ・エッグ編

ふれあいママ

第1話

1・

 もしも、君がダイヤ百個を掘り出したら、どうする?

 最初から、難しい質問だよね?自分の物にしちゃう?他の人の為に使う?それとも僕達の様に、ただ「いらない」と言って、そのまま立ち去るかな?

 本当に、僕らはそうしたんだよ。

どうしてそんなもったいない事をしたのか、そう聞かれそうだね。頭がおかしいんじゃないって、思われそう。

 後悔してないかって?時にはそういう事もあるけれど、度々じゃない。後悔しないように生きていく、あの日、そう誓ったから。約束を守れるように、頑張っている。

 僕が君達に話したいのは、そんな物語なんだ。

昔・・・と言っても、わずか五年前だけど、僕はまだ十二歳だった。

 その頃、暮らしていたのはホープ島。ある大きな国の一部だったんだけど、あまりにもチッポケな島だったせいか、本土とは全く交流がなかった。

 島の住人のほとんどは、一生、島から出ない。島民以外の人間と会う事もない。

 ちょっと信じられないくらい、ジメジメした所だったな。ホープ島の気候はね、ものすごい暑いとか寒いとか無くて、季節の変化もまるで無し。

 ただもう、一年中、なんだかうすら寒くて、曇りか雨か霧ばっかり。

 その雨もねえ。見えるか見えないかの細かい霧雨が、シトシトシトシト、降ったり止んだり。いっそ、ザアザア、ドドド―ッて、バケツをひっくり返した様に降ってくれれば、キレイな雨水が溜められたのにさ。そんな訳で、年がら年中、水不足に苦しめられた。

 まあ一言でいうと、いつもボヤーンと霞んでる、そんな島なんだ。本土の人達が、ホープ島に関心が無かったのも、よく見えなかったかららしい。

 島は、二つの地区からなっている。

 ヘルズ・スクエアとヘブン・スクエア。僕が生まれ育ったのは、ヘルズ・スクエアだ。暗やみ団地のエッグ。そう呼ばれてた。

 僕と親友のマッシュ(おかゆ)は、ある日、ひょんな事から、ヘブン・スクエアに住む少女と出会った。名前はウィロー(柳)

 ヘブン・スクエアの人と会ったのは初めてだから、とてもびっ

リしたよ。

 ウィローの方だって、ヘルズ・スクエアの人間を見たのは初めて。だから、僕達の事を色々と知りたがり、聞きたがった。

 あの特別な夜、僕とマッシュ、そしてウィローは、ミザリー・リバー(みじめ川)の真ん中に浮かぶ〈ロック〉(岩)にいた。

 不思議だね。ウィローにヘルズ・スクエアの事を話している内に、僕とマッシュは、自分達の事を、より良く理解できるようになった。見つめ直せた。

今でもほら、目を閉じれば、あの時の会話が鮮やかに甦る・・・。



<ウィロー> 

 どうして、エッグなんて呼ばれてるの?


<僕>

 産まれた時、顔が見事に真ん丸でね。いとこのスキッパーが面白がって、卵だ卵だって叫んだんだ。それで、エッグって名前になっちゃったんだよ。

 つまらないって、そりゃひどいな。大丈夫、わかってるよ。君は、ヘルズ・スクエアの事を聞きたいんだよね。

 うーん・・・。一言で言うなら、ドロンコかな。君も驚いていたけど、ヘルズ・スクエアの道は舗装されていない。島は丸ごと湿地帯なのにね。

 一歩でも外に出れば、たちまち、くるぶしまでネチョネチョ、ドロドロの泥に埋まる。

ポヴァティ・レーン(貧乏通り)や、ヘルキャット・ロウ(地獄猫横丁)ではもっとひどくて、汚いヘドロが膝の上にまで上がってくる。泥に浮かぶコケは腐って、ものすごく臭いしね。

 それに虫だらけなんだ。カ、アブ、ハエ、ノミ、シラミにウジ、ヒル。歩く度に、虫がブワッと煙みたいに立ち昇るんだからね。あれには、まいるよ。

 ストランド・アレー(立往生の路地)では、よく駆けっこや鬼ごっこをして遊ぶけど、楽じゃないよ。足をね、グッチャグッチャの泥土から引き抜いて、よろめき走らなきゃならない。転んだりすれば、たちまち泥人形に早変わりだ。

 ヘルズ・スクエアには、六十七人が住んでいるけど、誰も靴を履かないのは、その為なんだろうな。靴下も不要だ。動きやすいように、みんな裸足だよ。

 驚くことはないさ、ウィロー。ようは慣れなんだ。ヘルズ・スクエアではこれが普通で、他の子達だって、みんな平気だよ。

逆に、もっと昔の良き時代・・・そうなんだ、ヘルズ・スクエアにも、なんだかゴージャスだった頃があったらしいけど、その時を憶えている人の方が辛いみたいだね。

 おじいちゃんやおばあちゃん達は、よく昔話をするけど、現実味があんまりないな。

 僕らは今を生きてる。今のホープ島、今のヘルズ・スクエアを。それで満足しているよ。

 ねえ、マッシュ。君も話してくれないかな。僕は話が下手なんだ。疲れたよ。君は、とても話が上手じゃないか。


<マッシュ>

俺か?俺だって、話なんか上手くないぜ。でも、仕方ないか。夜明けまで、あと一、二時間はあるもんな。暇つぶしには丁度いいし、頑張ってみるさ。

 俺の名前はマッシュ。エッグと同じ十二歳だ。

 まだ、俺がうんと小さかった頃、一度だけ、真っ白でアツアツのおかゆを食べさせてもらえた事があってさ。その美味しさが忘れられなくて、しょっちゅう、おかゆの話をしてたんだ。

 そしたらサイクロンの奴に、派手に怒鳴られちまった。もう手に入らない物の話は止めてくれって。

 反省して、サイクロンには謝ったんだけど、それからずっと、このアダ名で呼ばれてる。

 悲しみ団地のチビ達の中には「ボス」なんて呼ぶ連中もいたりしたけど、止めていただいた。ボスなんて、いいもんじゃないからな。

 悲しみ団地には、十七人の子供が住んでるけど、そいつら全員、まとめて面倒みろって事だろ?忙しくてやってらんないぜ。

 食い物集めてくるだけでも一苦労だし、三秒もすれば、全部があいつらの腹の中だ。どうも、ボスってのは、残り物しか食えないらしいな。そもそも、残り物があればの話で、一番あやしいのは、そこなんだから。

 え?話かズレてるって?そう急かすなよ、エッグ。ズレるもなにも、まだ始まってないからさ。これからだよ。

 そうだ、これこれ。この地図を見てくれよ。エッグが自分で描いて、俺にくれたんだ。スゴイだろ。上手く出来てるよ、本当に。ヘルズ・スクエアの事が一目で解る。

 エッグは暗やみ団地、俺は悲しみ団地に住んでるけど、面白い暮らしだぜ。ヘルズ・スクエアの住人は全員、このバカでっかい団地のどちらかに住んでるんだ。にぎやかもいいところさ。


<ウィロー>

 一軒家はないの?


<マッシュ>

 ない。いや、昔はあったらしいけどな。三十年前の巨大台風で、全部コナゴナになって、ブッ飛んだ。

 ヘルズ・スクエアには木が無いし、石もほとんど無い。建て直そうにも材料が無いならお手上げさ。けっきょく諦めて、みんなで団地に移って来たんだ。


<僕>

 悲しみ団地には部屋が二つしか無い。それでも、暗やみ団地よりマシだよね。こっちには、だだっ広い部屋が一つ、あるきりだもの。


<ウィロー>

どういう事?


<マッシュ>

 お前、何の事かわかんないって顔してんな。まあ、ムリはねえよ。

 たくさんの部屋が集合してんのが、普通、団地って呼ばれるもんな。

 だけど、悲しみ団地も暗やみ団地も、建ってるのが不思議なほど、もーう、ボロッボロだからさ。

 床は抜けるし、天井は落ちる。柱は片っ端らから倒れていって、壁は崩れ・・・とまあ、ごく簡単に言えば、中身が全部、壊れちまったワケだ。がれきを外に運び出したら、中は空っぽ。空き箱みたいなものさ。巨大な空間が一つ、それしかない。

 悲しみ団地の方じゃあ、それでも一階の南端に、クレイジー・グランマの小部屋が、崩れずに残った。だから一応、二部屋あるって事だ。


<僕>

 でも、クレイジー・グランマは、自分の部屋を病人専用・・・つまり病室にしちゃったからね。

 どちらの団地でも結局、元気な人は、一つしかないどでかい部屋で、みんな一緒に暮らしてる。家具やら便利な設備やらは全くないけど、住み心地は悪くないよ。毛布が一山あるぐらいで、他には何も無いから、すっきり広々してるんだ。


<ウィロー>

 何も無いなんて、辛くない?


<マッシュ>

 生まれた時からずっとそうだからな。辛いとか思わないな。なければ無いで、何とかなるのさ。ガラーンとしてる方が伸び伸びできるって、そう思えばいいじゃないか。


<僕>

 みんなでガヤガヤ暮らしてるからね。ゴミゴミしてない方がいいんだよ。僕も、辛いとかは考えた事はないな。


<ウィロー>

 ふうん・・・。


<マッシュ>

 俺とエッグは毎朝、起きるとすぐ、ロトン・アレー(腐敗路地)で落ち合う。後ろにはだいたい十二、三人のチビ達が、ピーピー、キャアキャア、うるさくさえずりながら、くっついてくる。

 小さいやつらときたら、どうしても我慢できなくてさ、朝一番のホカホカおしっこや、プンプンのウンチを、ロトン・アレーでやっちゃうんだ。仕方ないけどな。本当はトイレはスワンプ(沼)でするって、そう決まってるんだけど。チビ達がスワンプまで行くのは遠すぎて途中で漏らしちまうし、もし溺れたらえらいことになる。それぐらいなら、まだロトン・アレーでしちまった方がいい。俺は気にしないぜ。どうせ、もともとグチョグチョ、ネトネトで、汚い通りなんだからさ。


<僕>

 危ないよりは汚い方がいいもんね。 だけど、臭いがひどいからなあ・・・。


<マッシュ>

 そうかな。俺、昔から鼻が良くないだろ。あんまり感じないな。

 とにかく、ロトン・アレーでエッグと合流したら〈ウェル〉に行く。

 この呼び名、よく考えたら変じゃないか?だって、ヘルズ・スクエアには井戸

(ウェル)なんてないんだから。

 作ろうとはしたんだぜ。何年か前にな。俺たちも手伝って、深い穴をあっちこっちに掘りまくって。道具といえば、さびたシャベルが四本と、曲がった鉄パイプが六本だけで、後は素手で掘ったんだからな、すごい手間暇かかったんだ。

 それなのに・・・手に入ったのは大きなゼロ。どれだけ井戸を掘っても、出てくるのは海水だけだったんだ。しょっぱくてしょっぱくて、飲めたもんじゃない。

 そいで仕方なく、雨水を溜める、つまり溜め池方式に切り替えたってワケ。それがさ、〈ウェル〉なんだ。

 だけど、なかなか十分な量の水って、溜まんないんだよなあ。水を溜めるにはさ、ある程度、ドカッて雨が降らないとダメなんだ。ヘルズ・スクエアじゃ、水は一番の貴重品かもな。


<僕>

 この島はさ、湿気がひどいじゃない。服も髪も、すぐビショビショになる。それなのに、グイグイ飲めるような、こう、まとまった量の水は手に入らない。なんか納得いかないような・・・空気中の水分を、直接すすれたらいいのにね。


<マッシュ>

 ホント、そう思うよ。

 ヘルズ・スクエアには、コンクリートも石もなくて、地面を固めるってことが出来ないから、〈ウェル〉の水は土が混ざって、すっごく濁ってる。それにやっぱり、少ししょっぱいな。でも、我慢できないほどじゃない。

〈ウェル〉じゃいつも、母さん達やおばさん達が、水をなんとか少しはキレイにして、飲めるぐらいにしてから、ビンやバケツに溜め込んでる。

 破れ網に、貴重な砂利や貴重な炭を詰めてから、〈ウェル〉の小汚い水を、何度も何度も繰り返して注ぐ。すると浄化とやらで、ほんのちょっぴり澄んだ水になるんだよ。

 俺たちはここで「朝の一杯」を飲ましてもらう。それからドライボ―ンズ・アレ―(やせっぽちの路地)に入って行くんだ。


<僕>

ちょっと説明しておくけどね、ウィロー。

おじさんだのおばさんだの、じいちゃんばあちゃんって言ってもね、血がつながってるわけじゃあないんだよ。

ヘルズ・スクエアみたいに、みんなが一緒に暮らしてるとね、住人全員が一つの家族になっちゃう。子供達はみんなの子供。大人は、みんなのおじさん、おばさんさ。

 ものすごい大家族って感じ。ちょっとばかり、にぎやかすぎるけどね。さみしいって事だけはないな。


<マッシュ>

 話がズレてんのはお前だぞ、エッグ。

 俺は、ドライ・ボーンズ・アレ―の事を話すんだ。

 あそこは、ヘルズ・スクエア中で、一番、ヤバい通りだと思うね。


<僕>

 デット・ローチ・アレー(死んだゴキブリ路地)も、かなりひどいけどねえ。


<マッシュ>

 ああ・・・なるほど、あれもかなりマズイ有様だよな。ゴキブリ天国だもんな。ネズミやハエやウジ虫なんかも、もうゴッチャリと住んでんし。怪しいモノが、なんでまた、あの通りに集中すんのか、俺には解らないよ。

 でも、いいんじゃないか、別に。

 サンダー・キッドとエンジェル、それに、えーと、マネーマネーは、あそこのネズミをペットにしてんだぜ。噛みついたりしないし、なついてる。

 サンダー・キッドのさ、ドブネズミのドブリンは、玉乗りすんだ。本当だぜ。すごいだろう?お前にも一匹、プレゼントしようか、ウィロー。可愛いもんだぜ、クサイけど。それに、バイキンが少々・・・。


<ウィロー>

 遠慮しときますわ。ゲーッですわ。


<マッシュ>

 冗談だよ。


<僕>

 アイドルワイル(のらりくらり)とトリッカーと、グリーンタンもね、この間、デット・ローチ・アレーのゴキブリでレースを開催してたよ。

 ガム一個を賭けてたから、それは止めさせた。賭け事はケンカの元になるからね。

 ちなみに、一等になったのは、トリッカーの茶羽ゴキブリだ。


<マッシュ>

 ゴキブリの金メダリストなんて、興味ないよ。それに、あのレースさ、俺は、グリーンタンがズルしやがったと睨んでるんだ。

 あ、そうだ。お前に言っとかなきゃいけない事があったんだ。グーグーがさ、ピーチに石けん半分、貸してやってるんだ。返すように、なんとか伝えとけ。

 グーグーは、パールにデートを申し込む為に、きれいにしときたいんだよ。


<僕>

 わかった。それで?話はお終い?


<マッシュ>

 まだだよ。お前がグズグズ口を出すから、どこまで話したか、わからなくなっちまったじゃないか。一体、どこから石けんなんて話になったんだ?


<ウィロー>

 ドライ・ボーンズ・アレーが、ひどい通りだっていう話だったわ。


<マッシュ>

 そうだったな。

 ヘルズ・スクエアは、どこもかしこもヒドイけどさ、命の危険はさほど無いだろう。だけどな、ドライ・ボーンズ・アレーだけは、ちょっと運が悪けりゃ死んじまう、そんな場所なんだ。


<僕>

 だれも死んでないじゃない。


<マッシュ>

 そりゃあ、ヘルズ・スクエアの人間は日頃の行いがいいからな。今の所は、幸運が守ってくれてるんだろう。

 笑う事ないだろ、エッグ。世の中には、もっとずっとヒドイ所に住んでる奴だっていると思うぜ。俺達は、きっとこれでも運のいい方なんだ。物事はいい面を見なきゃな。


<ウィロー>

 死ぬかもしれない通りなんて、歩かなきゃいいじゃないの。

<マッシュ>

 それが、そうはいかないんだよなあ。

 俺達、ヘルズ・スクエアの子供達はさ、毎日数回は、ヘル・マーケット(地獄の台所)にご出勤しなきゃいけないんだ。それには、ドライ・ボーンズ・アレーを通るしかない。

 スキ二―・ロウ(ガリガリ横丁)やポヴァティ・レーン(貧乏通り)は、どこにも通じてない。名前の付いている通り以外の場所はどこでも、スワンプ同様、時には胸まで沈む湿地だから歩けない。


<ウィロー>

 わかったわよ。だけど、ドライ・ボーンズ・アレーの、どこがそんなに危険なの?


<マッシュ>

 時々、爆発すんだ。


<ウィロー>

 何ですって?


<マッシュ>

 何の前触れもなく、地面の一部がさ、まるで山の噴火みたいにドッカーンって爆発して、はじけ飛ぶんだ。

 大体、十メートルくらいの火柱がドーンって吹き上がる。高さはものスゴイ。雲の上まで突き抜けそうだ。けっこう見物だぜ。


<僕>

 大げさだよ。高さはせいぜい三メートルくらいだと思うよ。


<マッシュ>

 そうかな。俺の目には、ものすごい高さに見えたけどな。

 まあ、そんな訳で、地面のあちこちが、時々、大爆発する。だから、ドライ・ボーンズ・アレーは危ないの。


<ウィロー>

 どうしてそんな事が・・・。地下に火山でもあるワケ?


<マッシュ>

おいおい、赤ちゃんじゃあるまいし、あんまり馬鹿げたこと言うなよ、ウィロー。俺達と同じ年だろ。もう少しマシな推理を聞かせてくれよな。


<僕>

 なんでも、うーんと昔にね。危険な成分のゴミが、地中深く埋められたみたい。


<ウィロー>

 有害廃棄物とかそんな物?誰が埋めたの?


<僕>

 知らないな。ずいぶん前の事みたいだからね。でも、クリップルじいちゃんの言うことじゃ、その廃棄物が、化学反応を起こして爆発するらしいんだ。


<マッシュ>

 ワイルド・キャットは、この前の爆発で死ぬとこだったんだ。立ってる場所が、あと一センチずれてたら、おだぶつだったよ。お下げの髪が全部、燃えちまって・・・。あの時は、大人は泣きわめくし、子供は叫びまくるし、どこもかしこも大騒ぎだった。

ワイルド・キャットは、ヘルズ・スクエアじゃ、一番、キレイな髪をしてんのによ。


<ウィロー>

 そんな危険な物、掘り出して捨てちゃったらどうなの。


<マッシュ>

 掘ってる最中、全部が一気に大爆発したら、どうする?ヘルズ・スクエア全体が吹っ飛ぶかもわかんないぜ。


<僕>

 そんなに心配しなくていいよ、ウィロー。せいぜい、一年に数回しか起こらないんだ。


<ウィロ―>

 それで安心させてるつもり?


<マッシュ>

 雷だって隕石だって、一年に数千回は落ちてるぜ。当たれば死ぬだろうが?それに比べりゃ、ドライ・ボーンズ・アレーで死ぬ確率は、まだ低い。ビクビク怖がってばかりじゃ、やっていけないからな。


<ウィロー>

 なんか納得いかないのよ。あなた達が悪いんじゃないのに、そんな目に遭うなんて。


<僕>

 僕はたいして気にしないな。世の中、そんなものだよ。誰のせいだとか考えたって、仕方ないじゃない。


<マッシュ>

 運が良ければ生き残るし、悪けりゃ死ぬ。でも、それってヘルズ・スクエアだけの事だと思うか?俺達だけの事かよ?

 そんな事はないさ。みんな同じだよ。自分を可哀想がるのは好きじゃないからな。


<ウィロ>ー

 わかったわよ。それでヘル・マーケットに行くって、さっき言ってたけど。そこって、あそこの事?エッグと私が初めて会った、あの場所?

 マーケットなんて、ただのバカでかいゴミ捨て場じゃないの。

 なんで、一日に数回も行くのよ?


<僕>

 それが、僕達こどもの仕事だからね。ゴミ捨て場から、まだ食べられる物や使える物を拾い集める事。

でもね。ゴミ拾いに行く、なんて言ったら恰好悪いじゃない。テンション下がっちゃう。

 だからヘル・マーケットに行くって、そう言ってるんだ。少しは、恰好いい感じになるでしょ。


<マッシュ>

 ヘル・マーケットには、すごいお宝がいっぱい落ちてる。悪くない仕事だぜ。

 親父たちやおじさん連中の仕事、知ってるか?毎日毎日、スワンプ渡って海まで行ってさ、破れ網で魚を取ってる。命懸けなのに、ろくに釣れやしない。

 それでも、俺達に食べさせてやりたいって、一生懸命だ。歯を喰いしばって、一日中ねばる。スワンプには、底無しの場所も珍しくないのに。

 それに比べりゃ、ヘル・マーケットの仕事は遊びみたいなもんさ。


<ウィロー>

 ヘル・マーケットねえ。でも、だったらあそこにゴミを捨てるのは、ヘブン・スクエアの人達だけって事なのかな。私達は、普通にゴミ捨て場って呼んでるけど。


<マッシュ>

そりゃ、そうなるよな。ヘルズ・スクエアじゃ、誰もゴミなんて出さないもんな。

 大体、ゴミって何だよ?ヘル・マーケットには、野菜や肉なんかもけっこう捨ててあるけど、勿体ないぜ。野菜の根っこや芯だって食えるのにさ。トウモロコシの芯なんて、かなり固くてやっかいだけど、それでも俺達は食ってる。空き缶は鍋や皿の代わりになるし、空きビンは水筒として使える。

 着る物だってそう。ヘルズ・スクエアじゃ、誰も捨てたりなんかしない。

 俺の小さくなったシャツは、だいたいブーブーにあげるんだ。ブーブーのはチャンキーにいくし、チャンキーのはピィ―ウィーにやる。

 でも、このズボンはさ、俺が履けなくなったら、暗やみ団地のワイルド・ビーに譲るって、もう半年前からの約束なんだ。破ったりしたら・・・約束もズボンもどちらもだけど、俺は、ワイルド・ビーに生皮はがされちまうよ。

 まだ八歳だけど、ワイルド・ビーは油断ならない奴だからな。女の子はおませだから、怖いんだよ。

 でも、あいつには良い所もあんだぜ。

 俺のズボンをあげる代わりに、ワイルド・ビーは、悲しみ団地のキャンディに帽子をくれるってさ。だから・・・


<僕>

 ちょっと待った。ワイルド・ビーの帽子は、暗やみ団地のクリスタルにいくんじゃなかった?クリスタルのリボンと取り替えっこするって言ってたよ。


<マッシュ>

 あの青いリボンか?もうボロボロのシロモノじゃねえかよ。新品同様の帽子と、取り替えっこはねえだろ。


<僕>

 違うよ。ピンクのリボンだよ。


<マッシュ>

 ピンクのリボン?何の事だ。俺は知らないぞ。


<僕>

 二日前、ヘル・マーケットでトリッカーが見つけて、スノー・ホワイトにやったんだ。スノー・ホワイトは、それをピーチのリングと交換して、ピーチがリボンをエンジェルのビーズと交換した。エンジェルは、それをまたまたワイルド・キャットのペンと交換して、ワイルド・キャットはクリスタルの香水の空き瓶とリボンを取り替えた。ワイルド・ビーがそれを欲しがったから、それでワイルド・ビーの帽子と・・・。


<ウィロー>

 一体全体、何の話なのよ?さっぱり解らないわ。


<マッシュ>

 ちょっと黙ってろよ、ウィロー。これは大事な話なんだ。

してみると、ワイルド・ビーは、何か勘違いしてるに違いないぜ。こりゃ、まいったな。話し合わなきゃ。


<ウィロー>

 ピンクのリボンが大事な話?


<僕>

 僕もクリスタルと話してみることにする。キャンディだって黙ってないだろうからね。


<ウィロー>

もう一度きくけど、一体なんの話なのよ?


<マッシュ>

 何の話って、ピンクのリボンと帽子の話だろうが。こりゃ、簡単には片付かないかもしれないぜ。

 この前も、ワイルド・ビーの奴、赤の折り紙をさ、アイドルワイルにあげるって言っときながら、サンダーキッドにやっちまったんだ。

 わざとじゃないんだぜ。ワイルド・ビーはいい奴なんだ。ただ、記憶力が・・・。


<僕>

 それは、ちょっと違うんじゃないかな。

 あの折り紙は、もともとサンシャインが欲しがってたんだよ。それで、サンシャインの黄色の色鉛筆と交換するはずだったのに、アイドルワイルがしゃしゃり出てきて・・・。


<ウィロー>

 話を元に戻してよ。


<マッシュ>

 わかった、わかった。折り紙の話はまた今度だ。帽子の話に戻ろう。


<ウィロー>

 違うでしょ!ヘル・マーケットの話よ。ゴミの事、話してたんじゃないの。


<マッシュ>

そうだっけ?


<僕>

 そうだよ。その話をしてたんだ。先を続けてよ、マッシュ。


<マッシュ>

 どこまで話したか、またわかんなくなった。


<ウィロー>

 私、気になってたわ。

 ヘブン・スクエアの人達が捨てた物を拾って、あなた達は生活してる。それって嫌じゃない?


<僕>

 どうして?


<ウィロー>

 ごめん。こんな事いうのは、なんなんだけど、でも、でもね・・・。


<マッシュ>

 お前の話し方、イライラすんぜ、ウィロー。友達じゃないか。気なんか使うなよ。ちっとは、スノー・ホワイトを見習いな。


<僕>

 スノー・ホワイト流の話し方じゃ、マズいと思うよ。


<マッシュ>

 もちろん、冗談だよ、冗談。


<ウィロー>

 何?


<僕>

 あのね、一週間前の夜、パンプキンが、二年も付き合っているリリーに、お休みのキスしていいですかって聞こうとしたんだ。

 ところがさ、恥ずかしがってばかりで、モジモジソワソワ、声にならない。

 そしたら、スノー・ホワイトが、どっかから飛び出してきて、いきなり「オシッコしたいの?」なんて聞くんだからね。


<マッシュ>

 可哀想なのはリリーだぜ。ずっとパンプキンに憧れてたからなあ、あいつ。三歳の時からパンプキンにベッタリで、ずうっとキスしてもらいたがってたのに。それが、スノー・ホワイトの一言でポシャッた。パンプキンは、当分、キスどころじゃないぜ。内気だから。


<僕>

 スノー・ホワイトはいつだってそうなんだ。チェリーが、スワンプの底無しに、首まではまりこんで、溺れかけてる時だって・・・。


<マッシュ>

 知ってる!お風呂に入ってるの?なんて聞くんだもんな。

 笑いごとじゃないぜ、ウィロー。チェリーはあやうく死ぬとこだったんだ。

 そいでさ、スノー・ホワイトは石けん取ってくるなんて言って、張り切って行っちまって・・・まあ、まだ五歳半だからな。とんでもないチビすけのせいで、チェリーは・・・。


<僕>

 そこでストップ。ウィローの話を聞いてたんじゃなかった?


<マッシュ>

 そうだった。また、やっちまったな。ごめんよ、ウィロー。

それで・・・と。何だったっけ?


<ウィロー>

 もう、どうでもよくなったわ。


<僕>

 そう言わないで、話してごらんよ。ちゃんと聞くから。


<ウィロー>

 これ、話していい事かわからない。でも、ヘブン・スクエアの人達が、まだ使える洋服とか雑貨を捨てたり、食べ物なんかもすぐにポイポイとゴミ捨て場に持っていくのには、理由があるのよ。多分、だけど。


<マッシュ>

 ヘブン・スクエアの連中は、金持ちだからだろ?〈壁〉の向こう側の事は全然、知らないけど。


<ウィロー>

 それほどお金持ちじゃないのよ、本当は。そりゃ、あなた達とは、全く違う暮らしをしてるけどね。こんなにチッポケで何も無い島で生活してるのは一緒なんだから。

 ヘブン・スクエアの人達は、怖いのよ。


<僕>

 怖いって、何を怖がってるの?僕達の事を?なんでまた?


<ウィロー>

 あなた達・・・ヘルズ・スクエアの人達が、もしも飢え死にしそうに困ったら、ヘブン・スクエアの方にやってくるんじゃないかって、それを怖がってる。〈壁〉を破って、攻め込んでくるかもって、それを恐れてる。

 だから、ゴミ捨て場に色々な物をホイホイ捨てて、あなた達を宥めようとしている。

 全く・・・ヒドイ話よね。ごめんなさい。私ったら、嫌われるわ。こんな事を言ったりして、無神経よね。


<マッシュ>

 ドウピー(居眠り)じいさんがさ、面白い話をしてくれた事があるぜ。

 昔々、ある村で、山からクマが降りてきては人を襲うから、村の人達はほとほと困っていたんだと。

 調べてみたら、クマはただ腹を空かしていただけだった。山に食い物が少なくなってたんだな。

 それで、村の人達は山の中にエサ場を作って、食べ物を置いてやる事にした。

 そしたら、クマはもう、村にやってこなくなったんだとさ。

 それと同じだな。俺達、ヘルズ・スクエアの人間は、そのクマみたいに思われてるってわけだ。こりゃ、傑作。


<ウィロー>

 怒らないの?私達、ヘブン・スクエアの人間を憎まないの?


<僕>

 大丈夫だよ、ウィロー。

 いい物がたくさん手に入るんだから、いいじゃない。

 好意だろうと悪意だろうと、そんな事を気にしてたら身が持たないよ。僕なら、いちいち物事に意味なんかくっつけて考えないな。


<マッシュ>

 ヘブン・スクエアの人間って、本気でそんな事、心配してんのか?俺達が戦争でもおっぱじめるかもしれないって?さもなきゃ革命かよ?面白い奴らだな。


<僕>

 一年ぐらい前にね。ヘル・マーケットに、薬一式がギッシリ詰まった、大きな箱が捨ててあったんだよ。

 抗生物質も入ってたからね。クレイジー・グランマは泣いて喜んだ。

 サイクロンの足が膿んで高熱が出ててさ。一日中、悲しみ団地の病室で唸ってたから。


<マッシュ>

 俺達みんな、一生懸命に看病したんだぜ。

 俺とエッグは、できるだけキレイな食べ物を手に入れようとしたし、ピーウィー

(チビ)は毎日、サイクロンの枕元で歌を歌ってやっていた。音痴だけどさ。あの歌じゃ、頭痛が酷くなる一方だったろうと思うな。

 アイドルワイルは、本を読んだりお話を聞かせに、せっせと病室通いだし、エンジェルは何度も何度も、毛布を洗濯してやった。そりゃあ、大してキレイになんかならなかったけど・・・でも、がんばってた。

 ワイルド・キャットは、自分のスカートを破って包帯を作ってくれたし、ピーチは水を確保してきちゃあ、サイクロンにガブガブ飲ませてたな。まるで、水がバイキンを殺してくれると思ってるみたいだったぜ、あいつ。なんか、ピーチ、可哀想だったな。


<僕>

 ワイルド・ビーは、朝から晩まで病室にいて、タオルを濡らしてはサイクロンの額に当ててやってたよ。ボロボロに腐ったタオルに、コケだらけの汚い、スワンプの水だったけどね。気持ちは本物さ。三日間、眠らずに続けたんだから。


<マッシュ>

 リリーとチェリーは、これがまた、薬の代わりになるだろうとでも思ったのかね。スワンプの泥に生えている虫だらけのコケを煮ては、サイクロンの口に突っ込んでたな。その臭いときたら、もう全く・・・。例え病気が治っても、サイクロンの奴、あの臭いで死んじまうって、俺は本気でそう思ったもんだ。


<僕>

 もう少しで、本当に死ぬ所だった。大人達は、諦めてたと思うよ。大事な物を失うのにも、慣れっこなんだろうしね。

 でも、僕達はサイクロンを諦めたくなかったんだ。


ここが、肝心な所だけどね、ウィロー。

僕達はサイクロンの為に、必死で自分に出来る事をした。でも、大した事は出来なかったんだ。

一生懸命、看病もした。でも、サイクロンは悪くなっていくばかりだった。

 僕達には、真心はあるさ。サイクロンを愛する気持ちもある。でも、それだけじゃあ、ダメなんだ。

 それだけじゃ、人は救えないんだ。


<マッシュ>

 いざとなったら、愛より抗生物質だな。


<僕>

 そういう事。


<ウィロー>

 彼は、助かったの?


<マッシュ>

 奴は助かった。でも、誰でも彼でも、サイクロンみたいに運がいいとは限らない。今までには、死んだ奴だって沢山いたさ。戻ってこなかった奴が。


<ウィロー>

 ごめんなさい。


<僕>

 いいんだよ、ウィロー。マッシュだって、怒ってるわけじゃない。

 でも、これでわかったよね?

 ヘブン・スクエアの誰かがヘル・マーケットに薬を捨てた。その誰かが、どうして、どういう事情で、どういう気持ちで、そんな事をしたのか、僕らにはわからない。

 僕達、ヘルズ・スクエアの人間を可哀想に思って、そうしたのかな?

 それとも、僕らを怖がっていたから?

 単純に薬の使用期限が過ぎてたからかな?

 どうでもいい事だよ。

 薬のお蔭で、サイクロンの命が助かった。大事なのは、その事だけなんだよ。


<ウィロー>

 そう・・・。ヘブン・スクエアの人達、どうでもいい事を心配してたのね。バカみたい。


<マッシュ>

 いいじゃないか。そのお蔭で、俺達は助かってんだ。それにしても、そっちの連中って、相当ヒマ人らしいな。


<ウィロー>

 確かにね。ヘブン・スクエアの人達は、何もしてないから。


<マッシュ>

 仕事してないのか?俺たちは一日中、走り回ってるんだぜ。チビ共の世話はやっかいだし、ヘル・マーケットでせっせと作業して、遊びの時間だって必要だしな。


<僕>

 遊びの時間が、いちばん長いんじゃない?

マッシュ

 うるさいぞ、エッグ。

 俺が、チビ共の世話をしてないなんて、誰にも言わせない。

 この前だって、ピーウィ―の虫歯、治してやったろ?あいつ、可哀想に・・・。歯が痛くて痛くて、泣き叫び続けてたんだ。


<ウィロー>

 あなたが、虫歯を治したの?すごい。


<僕>

 ペンチで抜いたんだ。

 とんでもない光景だったよねえ。

 血はビュービュー吹き出すし、ピーウィーは死人だって飛び起きそうな、ものすごい悲鳴を上げて、オシッコは漏らすし、暴れるし。

ロトン・アレーでの、公開治療だったからね。ヘルズ・スクエア中の子供が、二人を取り囲んで、これまた、声を限りに叫び続けだよ。

 それで、マッシュときたら・・・。


<マッシュ>

そこまで!それ以上は言うな!言うなってば、オイ・・・待て、待ってくれよ・・・。


<僕>

 ペンチが壊れかけで、頼りないやつだったからね。

 まさに死力を尽くして、全身汗だくで、歯を引き抜くのに四十分もかかったんだ。

やっとの事で引き抜いた歯をさ、マッシュはガクガクに震える手で摘みあげてね。取れた・・・って呻いた次の瞬間、バーン!

マッシュは、気絶してブッ倒れたんだよ。


<マッシュ>

 エッグ、お前はまた・・・。後で、それこそブッ倒してやるからな、覚えとけよ。


<僕

君はい>い奴だよ、マッシュ。

あれから、ピーウィーは君にベッタリじゃないか。


<マッシュ>

 いつでもどこでも、俺にピッタリくっついて、まるで影みたいだよ。

 信じられないだろうけどさ。俺、急に立ち止まったり、振り向いたりできないんだ。必ず傍にピーウィーがいて、ぶつかっちまうからな。うるさいったら、ありゃしない。


<僕>

 憧れてるのさ。あの時の君は、本当にかっこよかったよ。


<マッシュ>

 ブッ倒れたのにか?


<僕>

 ロトン・アレーの、ウンチとドロ山のど真ん中にね!

 気絶から醒めるとすぐ、君は胃の中のものを、残らずそっくり、吐き出したっけね。

 それでも、やっぱり、最高にかっこよかったんだよ。


<ウィロー>

 本物のヒーローって、案外、そんなかも。


<マッシュ>

 驚くのは、てんでまだ早いぜ、ウィロー

エッグなんか、もっとずっとたまげる事、平気でやってんだからな。


<僕>

 別に。大した事してないよ。


<マッシュ>

 ホラホラ、ソレソレ。これがいつもの手なのさ。

 エッグはいつだって、自分は何にもしてもせんって顔で、シラッとしてる。

 ウィロー、こういう奴が、一番スゴイんだぜ。


<ウィロー>

 何をやったの?


<僕>

 本当に大した事じゃないんだよ。


<マッシュ>

 ヘルズ・スクエア中が知ってるんだ。すっとぼけようったって、無理があるさ。

 いいか、ウィロー。ドライ・ボーンズ・アレーの事は話しただろう?

 六ヶ月前、あそこで爆発があった時にな、地面深くに埋まってた鉄の棒みたいなのが、爆風に巻き上げられて、吹っ飛んできたんだ。

それが、ねじ曲がって、先が槍みたいに鋭く尖っててさ。

 空高く舞い上がったと思ったら、クルクル回りながら斜めにヒュウッて落ちてきて、その真下にサンシャインがいたんだ。


<ウィロー>

 嘘・・・。ひどい。


<マッシュ>

 サンシャインはすくみ上って動けなかった。

 俺も、その場にいた誰もが、サンシャインはもう死ぬって思った。

 なのになあ・・・動けないんだ。バカみたいにポカーンと突っ立ったままでさ、声も上げられなかった。

 それなのに、こいつときたら・・・エッグだけはさ、違ったんだ。

 まるっきり落ち着き払って、スタスタ歩いていくなり、サンシャインをそっと横に押しのけた。ちっとも慌ててないんだもんな。静かでさ。

 鉄の棒は、サンシャインには当たらなくて、その代わりにこいつの・・・エッグの肩に、ぐさっと深く刺さっちまったんだ。


<ウィロー>

 ヒィー!想像するだけで、背中がチリチリするわ。全く、何なのよ、それ。


<マッシュ>

 それから、やっと大騒ぎが始まった。

 大人達も駆けつけてきたけど、あっちに走ったり、こっちに走ったり、ぶつかりあったりしながら泣き喚くばかりで、何にも出来やしないのさ。

 サンシャインはのびちまうし、他の子達もバカスカ倒れて、ありゃ、何もかもが全部、容量オーバーして、頭がパンクしちまったんだろうな。


<ウィロー>

 エッグは?エッグも倒れたの?


<僕>

 ごめん。よく憶えてないんだ。


<マッシュ>

 俺は、よく憶えてるぜ。あの時の事は絶対に忘れられない。頭に焼きついちまった。

 エッグは・・・エッグは、辺りをちょっと見渡して、フウッて軽くため息をついた。まるで、他の連中が何をパニクッてんのか、まるでわかんないって顔でさ。

 そいで、あっさり自分の肩に片手を回して、鉄の棒をグイって一気に引き抜いた。そいで、横にホイッて捨てた。棒は、ドライ・ボーンズ・アレーの泥道に突っ立って、フルフル揺れてたぜ。それも俺ははっきり憶えてるし、エッグの肩から、ドボドボ血が出てたのも憶えてる。

 それなのに、こいつときたら、まだ慌てないんだ。倒れてるサンシャインの傍らに片膝ついて屈みこんで、彼女が怪我してないか見てやってた。そうだよな、お前。


<ウィロー>

 痛かったでしょう、ものすごく。


<僕>

 最初は痛みを感じなかったんだ。しばらく経って、やっと少し痛くなってきて、それがだんだんひどくなっていって、頭がグルグル回転しだして、目の前が暗くなってきてね。

フラッときた時、マッシュがガシッって抱きかかえてくれて・・・僕は気を失っちゃったんだ。


<ウィロー>

 よく生きてたわね。


<マッシュ>

こいつ、その後でスゴイ熱だして、ぶっ倒れちまった。ひどかったんだぜ、本当に。

 うんうん言ってうなされたり、痙攣したり。ありゃ、悪いバイキンが体に入ったんだな。

 みんな心配して心配して・・・。情けないよな。だって、そうだろ?病室にはヘルズ・スクエア中の人間が集まっていたのに、苦しむエッグに何もしてやれなかった。例の薬も残り少なかったし、見守る事しかできなくて。俺、ずいぶん泣いたよ。苦しかった。


<僕>

 僕も辛かったよ。体中がものすごく痛くて、頭がおかしくなりそうだった。

 でも、いいじゃない。結局、僕は助かったんだから。


<ウィロー>

 どうして?何でそんな事したの?


<僕>

 わからないな。僕は過ぎた事は気にしないんだ。大事なのは今だもんね。


<マッシュ>

 エッグはいつもこうなんだ。昨日もすでに過去、なんだとさ。

 あ、でも、その手は、ワイルド・キャットには使えないぜ。昨日、貸したハンカチ返せって言ってだぜ。洗濯しないで返してくれってさ。


<僕>

 洗濯なんかしたら、かえって汚れるよ。ミザリー・リバーも〈ウェル〉も、水が汚すぎるからねえ。


<マッシュ>

 ブブ―ッ。大外れ。そんな理由じゃない。

 ワイルド・キャットは、お前が触れた物は全部、自分の宝箱にしまい込んでるんだ。

あいつ、お前に夢中だからな。


<僕>

 やめてくれよ。


<マッシュ>

 何でだよ?誰かを好きになるって悪い事じゃないだろ。大事な事だ。


<僕>

 相手がワイルド・キャットじゃね。あの子のオムツ替えてあげたの、憶えてるもの。


<マッシュ>

 あいつのウンチはすごく臭かったからな。その時はまだ、赤ちゃんだったんだから、仕方ないけどさ。

 お前、いつもオムツ洗い、引き受けてたもんなあ。

 でも、そんな事、ワイルド・キャットには言うなよ。彼女、傷つく。


<僕>

 わかってるよ。


<ウィロー>

 あなた達って、なんかいいな。ヘブン・スクエアの人達とは、全然、違うもの。


<マッシュ>

 へえー!こんなトンデモ生活、いいなんて初耳だぜ。お前、自分の言ってる事、わかってんのかよ?


<ウィロー>

 うん。わかってると思う。わかってて言ってるの。


<僕>

 まじめな話なんだね?

ウィロー

 そう。まじめな話だわ、エッグ。ヘブン・スクエアの人達は、何でも持っているように見えて、何も持ってないわ。


<マッシュ>

 はあ?何だそりゃ、訳わかんねえ。

 ウィロー、お前さ、やっぱり少しおかしいんじゃないか?

 初めて会った時から、心配してたんだ。

 ヘブン・スクエアで生まれ育って、あっちはこっちよりマシな地域なんだし、多分、お前は不自由ない生活してるんだろ?なのにガリガリで、まっ白けでさ。半透明人間みたいだからな。

 具合悪くないか?大丈夫かよ?


<ウィロー>

うーん・・・。うまく話せないんだけど。

ヘブン・スクエアの人達は、何もしてないのよ。する事が無いのかな。一日がボーッとしたまま過ぎていく。家に閉じこもったままの事も多いわ。

 七軒しか家がないのに、みんな知らない人みたいで、私、一人も友達がいない。


<マッシュ>

 ウソだろ。信じられない。どうして、そんな事になる?

<ウィロー>

 さあ。どうしてなのかな。まあ、私の事はいいわ。つまらないもの。それより、もっとヘルズ・スクエアの話を聞かせてよ。面白いから。


<マッシュ>

よくねえよ。

 お前、まさか苛められてんじゃないだろうな。仲間外れにされてるとか?もし、そうなら、ズバリ言いな。俺、そういうの我慢ならないんだ。


<ウィロー>

 そうなの?


<僕>

 少し前の話になるけどね。

 キューティとドールが、仲間外しゲームなるものを、勝手にやり始めた事があったんだ。気に食わない子を無視したり、その子が近づいてきたら、わざとらしく逃げたり。クサイから来ないで、なんて悪口を言ったりね。


<マッシュ

 クサイなんて、バカバカしくて聞いてられるかよ。ヘルズ・スクエアじゃ、どこもかしこもクサイんだ。

 キューティとドールだって、人のこと言えた柄か?


<僕>

 あの二人は軽い気持ちだったんだよ。これだけ子供がゴチャゴチャいたら、そりゃ、気に食わない子も出てくるしね。

 二人のした事は、悪い事っていうよりも、間違った事なんだ。誰だって、間違いはするじゃない。


<マッシュ>

 俺は嫌だね。


<僕>

 あのね、ウィロー。ブーブーがイジワルされてる所を、たまたまマッシュが見つけた事があったんだ。

 大した見物だったよ。

 真っ赤になって、右手にキューティ、左手にドールを引っ掴んでゴチン!頭と頭をゴッツンコさ。二人は、たちまち大泣きだ。

 痛さからじゃないよ。

 マッシュに「お前らなんて大嫌いだあ!」って喚かれたのがショックだったんだ。特にドールはマッシュの妹だからさ。尊敬している兄貴にそんな事を言われたんじゃね。

<マッシュ>

 妹だから、何だよ?関係ないね。

 俺はな、ブーブーの顔を見てたんだ。泣いちゃいないし、怒ってもいなかった。なんかこう・・・ボーッと辛そうって感じで、パールがインフルエンザにやられた時みたいだった。可哀想じゃないかよ。


<僕>

 ゴツンとやられたのは、キューティとドールなのに、鼻血を吹き出したのはマッシュなんだからねえ。


<マッシュ>

 頭に血が上ったんだ。


<僕>

 血はすぐに止まったんだけど、量はけっこう多くてさ。

 血だらけのマッシュが、ヘル・キャット・ロウのドロンコ道で、膝までヘドロに埋まりながら怒鳴りまくってんのは・・・いやあ、迫力の眺めだったな。


<ウィロー>

 〈すごい見物〉がずいぶん多いのね。

 私はいじめられっ子じゃないわよ。

 ヘブン・スクエアには、子供が五人か、たぶん六人ぐらいしかいないし、ほとんど会わないから。

 大人達もせいぜい挨拶くらいで、お互い付き合わないんだもの。


<マッシュ>

 それでお前、よく話し方をさ、忘れちまわないよな。みんなで遊べないなんて辛いよ。ワイルド・ビーだったら、気が狂うな。


<僕>

 学校には行かないの?

ウィロー

 学校はないわ。半年に一回、本国というか、本土の方から先生がやってきて、家を一軒ずつ回って教えるの。家庭教師ってこと。

 でも、あなた達だって、学校には行ってないんでしょ?


<マッシュ>

 プロフェッサーが、週に四、五回だけど、ルインズ(廃墟)で学校を開いてくれるんだ。

 崩れかけた、元は倉庫だった建物さ。屋根は二年前に落ちちまった。

 プロフェッサーは、六十になる歯抜けじいさんで、フガフガモゴモゴ、何言ってるのか、解りにくくて仕方ねえ。

 だから、みんな何とか聞き取ろうと必死だ。鼻息すら押さえてさ。

 クリスタルでさえ、一言だってオシャベリしない。普段は、口が五、六個ついてんじゃないかってくらいの、とんでもないオシャベリなのにな。


<僕>

 先月は、野生動物について話してくれた。

 今月は宇宙についての授業なんだ。

 だから、マネーマネーなんかは、きっと毎日、ルインズに通い詰めるよ。這ってでも行くだろうね。マネーマネーは、星が好きなんだ。


<マッシュ>

 読み書きや、簡単な計算は、スパンキーとレインが教えてくれる。

 スパンキーはエンジェルのでかい方の兄貴で、レインはサンシャインの姉ちゃんなんだ.

俺達、けっこう頑張ってるぞ。


<ウィロー>

 いいな。私は恐竜の事とか、すごく興味あるのに、誰も教えてくれないの。昔に、パパが恐竜について話してくれたけど・・・もう忘れちゃったから。


<僕>

 家庭教師の先生に聞いたら?


<ウィロー>

 先生は決められた事しか教えられないみたいよ。算数とか国語とかね。


<僕>

 頼めばいいじゃない。恐竜について話して欲しいって。


<ウィロー>

 頼めないな。だって・・・そんな親しくないしね。


<僕>

 ふーん・・・。


<マッシュ>

 恐竜の事なら、よーく知ってるぜ。俺も大好きだからさ。

 プロフェッサーは特別に、二か月半も恐竜について話してくれたんだ。

 みんなで、地面に恐竜の姿を描いたりしてな。ホラ、ヘルズ・スクエアじゃあ、紙があんまりなくて貴重品だから、地面に棒で描くほうがいいんだよ。

 それに、恐竜ゲームもしたよな。あれは、楽しかったぜ。本当に楽しかった。


<僕。

 恐竜の名前をどんどん言ってくんだけど、進むにつれて、だんだん言うスピードが速くなって、最後の方は早口言葉みたいな、ものすごい速さになっちゃうんだ。

 でも、誰もマッシュには敵わなかったな。ダントツで一位だったもの。


<マッシュ>

 あれは笑えたよな。

 チビどもときたら・・・ダハハハハハ。


<僕>

 ディジョロジョザウルス・・・ゴンプチョウナチョス・・・?ハハハ。


<マッシュ>

 バエニャサウジャ?チャキチャキロサウルス?ギャハハハハハ。


<ウィロー>

 それみんな、恐竜の名前なの?


<マッシュ>

 正確に言えば、ディロフォサウルスにコンプソグナトス。ラエリナサウラ、パキケファロサウルス。

 だけどよ。チビ達にかかれば、プテロダウストロも、フトローストローに早変わりだ。何だそりゃ、ってなもんさ。太ったストローの親戚かよ、え?


<僕

 小さ>い子達も、本当は、教わった恐竜の名前、全部、わかってるんだよ。頭ではね。

 でも、恐竜の名前って発音が難しいじゃない。舌が回らないんだよ。


<マッシュ>

 キャンディときたら、なんとか早く言おうと、一生懸命でさ。

 アパトサウルスと言おうとして、アパートザマースだなんて言うんだもんな。

 お前、不動産屋か?アパートの大家かよ?

 おまけに、舌を思いっきり噛んじまって、口中、血だらけだ。

 他のみんなは、必死も必死。笑いを堪えて顔は真っ赤。真顔でいられたのは、エッグとプロフェッサーくらいだったな。


<僕>

 グリーンタンがいけないんだよ。

 みんな、キャンディに気付かれないように、一生懸命、真面目な顔つくってたのに。

 グリーンタンが、ブッブブブーなんて、派手に吹き出すから。

 それで、チャンキーがつられて、ワイルド・ビーもつられて、サンシャインもピーチも、トリッカーも、みんな一斉に笑い出して、後はもう、手がつけられない。笑いの爆燃現象だよね。


<マッシュ>

 キャンディは泣きだして、スワンプまで駆けて行っちまってさ。俺はすぐ追いかけたけど、連れ戻すのに苦労したんだぜ。

 百二十回は謝ったな。みんなの分も含めて、十分すぎるくらいだろ。

 おまけに、ラムネ二個半と黄色のチョークを一本あげて、やっと許してもらったんだ。

まあ、スワンプで溺れないでくれて、それだけでも良かったよ。


<僕>

 まだ他にも、あげた物があるんじゃないの?


<マッシュ>

 クソッ、何で知ってるんだよ、エッグ。内緒だぜ。キャンディの母さんに知られたら「子供にそんなのまだ早いわ」とか何とか、俺が思いっきりどやされちまう。


<僕>

 ピンクの口紅、あげたよね。三か月前に、ヘル・マーケットで見つけたやつ。だいぶすり減ってたけど・・・。


<マッシュ>

 お前ってやつは、何でも知ってんだな。

 でも、いいだろ。実際、キャンディは可哀想だったぜ。

 他のみんなだって、うまく発音できないのは一緒なのに、笑われたんだ。辛かったんだから、特別なご褒美があってもいい。

 キャンディのやつ、すぐにニコニコ顔になったぜ。


<僕>

 まあね。それはそうだけど。

 レインに気付かれないようにね、ご用心。


<マッシュ> 

 レイン?彼女はもう、口紅なんかにキャアキャアいう年じゃないだろ。俺より年上なんだからさ。

 何言ってるんだよ、エッグ。レインは気にしないよ。

<僕>

 口紅の事は気にしなくてもね。マッシュがあげたって所は、気にするかもしれないよ。

<マッシュ>

 なんでだ?わかんないな。


<ウィロー>

 アパ・・・アジャ・・・アパジャマ・・・

アパジャマザマウス?


<マッシュ>

 パジャマだと?パジャマザマスっていったのか?何だそりゃ、ギャハハハ。

<僕>

 アパトサウルスだよ、アハハハハ。

<ウィロー>

 ちょっと、何、大笑いしてんのよ?笑い飛ばすのは良くない事なんでしょ?私も泣いて、スワンプまで駆けて行くわよ!



 僕は今でも、あの時の事をはっきりと思い出せる。どんなに楽しく笑った事か。目に見えるように、鮮明に残る思い出。

 ミザリー・リバーの真ん中。霞む月明かり。ゴツゴツした〈ロック〉に座る、僕ら三人。

 大好きだった友、マッシュ。本当に好きだった。彼のあの笑顔。

 ウィロー。ほっそりとした、まるで妖精の様に、掴みどころの無い美しさを持った、不思議な少女。

 でも、今はどうしているかな・・・とは、あえて考えない。

 彼等は僕の心の中に、あの時のまま生きている。あの時のままの姿で。それでいいんだ。



2・

 どこで、どうしてウィローと出会ったのか、不思議に思われるだろう。

 なんと言っても、ウィローはヘブン・スクエアの住人で、本来なら、絶対に顔を合わせる事がないはずだったんだ。僕らの間には、入ってはいけない〈壁〉があったから。

 でも、あの日、僕とウィローは出会った。

 暗やみ団地では、ちょうど夕食が済んだ所だった。母さん達、おばさん達が、にぎやかにオシャベリしながら総出でつくる、何というのか、一種のごった煮。

 僕ら子供達が、ヘル・マーケットで調達してきた食材を、何でもかんでもブチ込んだシロモノで、外見は不気味な事、この上もない。

 でもね。お腹が空いてれば、どんな料理も、五つ星のレストランレベルになる。ヘルズ・スクエアでは、一日一食が基本だったからね。いつだってすごく空腹で、それが普通で、だから、夕食がひたすら楽しみだったよ。

 夕食の後はいつも、体を寄せ合ってのお話タイムなんだけど、その日はクリスタルが突然、ワアワア泣き出したんだ。

ヘル・マーケットに、赤いジャケットを忘れたって、この世の終わりがきたみたいに、悲劇的に泣きわめく。

 とてもキレイなジャケットでね。もちろん、お古のお古の、そのまたお古なんだけれど、チューリップを模った銀色のボタンがズラリと付いていて・・・ああ、今でも目に見えるようだよ。クリスタルはとっても大事にしていたんだ。

 大人達は、いかにも大人が言いそうな事を言ってた。明日の朝にしなさい・・・誰も取ったりしませんよ・・・大丈夫だから・・・。

 ちっとも大丈夫じゃない。雨や霧に一晩中うたれたら、ジャケットは痛んじゃう。

女の子って、物も人もなんだかゴッチャにするんだよね。「ジャケットちゃん、泣いてる・・・」「ジャケットちゃん、一人ぼっちで可哀想・・・」それが、クリスタルの考え方なんだ。

 という訳で、僕がジャケットを取りに行くハメになった。

 デット・ローチ・アレーからルインズ・ロウを通って、ドライ・ボーンズ・アレーへ。

 暗くなり始めてたから、小さな女の子を一人で歩かせたりできないよ。心配で心配で、居ても立ってもいられなくなっちゃう。

 もちろん、ヘルズ・スクエアには悪い奴なんか一人だっていないから、本当は怖がる必要なんかないのかもしれない。住人全員、顔見知りなんてレベルじゃない。家族状態なんだからね。大きな町とは違う。

 それでも、やっぱり・・・。クリスタルが夜道をトボトボ歩いていく姿を想像しただけで、僕は嫌だ。かといって、泣かせたままでいるのも嫌だ。

 落ち着かない気分でイライラしてるより、思い切って、トットと行っちゃった方がいいじゃない。

 みんなの体温で温もった部屋を出るのは、ちょっと辛かったけど、そんなに寒い晩じゃなかったし、散歩も悪くはないさ。

 ヘル・マーケットに着いた時には、もう月が昇っていた。

 地理上の位置のせいかな。ホープ島は、夜も真っ暗にはならない。かすかに肌を濡らす霧雨に滲んで、溶けてなくなりそうな丸い月が、薄暗い夜空に霞んで見える。

僕は、ヘル・マーケットを囲む〈壁〉に取り付けられた鉄のドアに向かって、まっすぐ歩いて行った。

サビだらけで、ギーギーどころか、ギャイギャイいうドアを、力任せに押し開ける。あちこちにそびえ立つゴミの山の黒い影。

 ヘル・マーケットを挟んで、右側がヘルズ・スクエア。左側がヘブン・スクエア。

 ヘブン・スクエア側の壁の一か所に、ジャケットが引っ掛けてあった。ゴミの中に落ちたりしないよう、キチンと注意深く掛けられて、風にかすかに揺れている。銀色のボタンが、ほのかな月明かりにキラキラと輝いていた。

 ジャケットを手に取ってハッピー・ベビーの事を考えた。

次に、キレイなジャケットを見つけたら、あの子にやった方がいい。今はキューティのお古の、茶色のジャケットを着てるんだけど、ハッピー・ベビーも、ギュンギュン音を立てんばかりに、背が伸びてるからね。手首が袖から、にょっきり出ちゃってるんだ。それに、あの子が好きな色は茶色じゃない。

 白かブルーの品が落ちてたら、最高なんだ。それにパールの持っている金の星形ボタンを三つ、飾りにつけてあげて・・・。パールにはもう、約束を取り付けてあるから・・・。

 そんな事をボーッと考えていたんで、ずいぶん近くに来るまで、ウィローの姿に気が付かなかった。実際、〈壁〉越しにバッタリ、顔を突き合わせるまで、わからなかったんだ。

 ちょっと説明が必要かな?

 広い長方形の、ヘル・マーケットを、ぐるりと囲む〈壁〉はいわゆる、板壁でも石塀でもなくて、ただの金網なんだ。〈壁〉って呼んでるけど壁じゃない。これまたヘルズ・スクエア用語っていうやつさ。

 だから、ヘル・マーケットに来れば、金網越しに、ヘブン・スクエアの方も、ほぼ見渡せるんだ。小さな島なんだし、ヘブン・スクエアの方が、ヘルズ・スクエアよりはるかに狭いからね。

 もっとも、真の姿はまるで見えていなかった事が、後でわかったけど。

 今では少し不思議に思う。

 ヘブン・スクエアとヘルズ・スクエアは、あんなにも違っていて、その差は明らかだったのに、あの頃の僕らは、どうしてそれを変だと思わなかったんだろう。不満も持ってなかった。

 それは、今でも同じだけどね。僕は腹が立たない。羨ましくも思わない。

 望んでも望まなくても、僕はヘルズ・スクエアに生まれた。そこで育ち、そして今の僕もある。その事に満足してる。昔も今もね。



 ウィローとの出会いは慌ただしかった。僕と顔を突き合わせて、開口一番、彼女が言ったのは「私をかくまって!」だった。

 ヘブン・スクエア側を見てみれば、懐中電灯の光が二つ、あちこち動き回っていて、常識で考えれば、これは彼女を探している連中なんだろう。

 初対面の相手がこんな状況って、普通なら訳がわからないし、どうしていいかもわからない。

 でも、幸いな事に、僕はこうした場合の対処に慣れていた。ヘルズ・スクエアでは、こんな言葉を聞くのは、日常茶飯事なんだ。

 ワイルド・ビーがキャンディとケンカして、腐ったオレンジを投げつけた時も、このセリフがでた。復習に燃えるキャンディから、ワイルド・ビーをかくまってやらなくちゃならなかったんだから。なんと三日間もね。

 サイクロンがサンダー・キッドのビー玉を割っちゃった時も、サイクロンをかくまうハメになった。代わりのビー玉が見つかるまで、こちらは長引いて二週間。

 ヘルズ・スクエアでは「僕(あるいは私)をかくまって!」という大騒ぎがしょっちゅうあって、トラブルの解決は全て、なぜか僕とマッシュに押し付けられる。

だから、手慣れたものだ。まずは、逃亡してる方を素早く隠す。事情を聞き、怒れる相手と話をつけるのは後回し。両者の頭がちゃんと冷えてからだ。これがまた、なかなか冷えないんだけどね。

 ヘブン・スクエアの女の子だって、同じようにすればいい。

 僕は、ヘブン・スクエアに通じるドアを引っ張った。こちら側には当然、いつも鍵が掛かっているんだけど、この時はなぜか外れてたんだ。ウィローを素早く引っ掴み、ヘル・マーケットの中に引きずり込む。

 そして、手近なゴミの山に、かなり強引に押し込んだ。

 この山は、衣類やボロ布を集めてあるやつで、ケガしそうな固い物や、尖った物は入っていないと知ってたからね。

 山を崩さずに彼女を押し込むのは、かなり大変だったけど、これまた以前の経験が役に立ったんだ。

 マネーマネーが、ブーブーの妹のシュガーベビーの背中に、チョークで「ハナタレ」って落書きした時の事さ。

 ブーブーは頭から湯気を立てて、マネーマネーを追いかけ回してね。命からがら、ヘル・マーケットに逃げてきたマネーマネーを、同じゴミ山の中に隠してやった。

 それにしても、マネーマネーは本気で怖がっていたんだか。クスクス笑ってばかりでね。

 でも、ウィローは笑っていなかった。彼女は真剣だった。

 意外だったのは、懐中電灯の持ち主が、三、四分くらい辺りを照らしただけで、あっさり諦めて立ち去った事だ。事情はわからないながら、なんだか変に思えた。

 僕は、ゆっくり百数えてから、やっとウィローを引きずり出した。

 僕は何も質問しなかったけど、文明社会の常識としてなのか、彼女はとりあえず名乗りはした。でも、それ以外は何一つ、話さなかった。ウィローはまだビクビクもので、あたりをチラチラ見まわしてばかり。オシャベリどころじゃないのは明らかだった。その内、座り込んでシクシク泣き出した。

 僕はと言えば、何が起きたのか、どうしたらいいのか、さっぱりわからなかった。でも、それでいいんだ。わからなくて当たり前なんだから、何も出来なくて当たり前さ。

 こういう時、僕は・・・マッシュもなんだけど、黙って傍に座り、泣かせてやることにしている。

 赤ちゃんはもちろん違うけれど、もう少し大きな子の場合、大抵、ただ泣きたいから泣いてるんだ。だから、好きなだけ泣かせてあげる。

 三十分も泣けば、後は十分くらいボーッとなる。そして寝てしまう。嘆くのは結構、体力を使うもんだから、体が休息を求めるんだろう。そして、目が覚めた時は、結構サッパリしてるのさ。

 ワイルド・ビーも、チャンキーも、ピーチもエンジェルも、サンダー・キッドもみんな、そうだった。

 レインやサンシャインみたいに、年かさの子だって同じ。

 だから、ウィローもそうだろうと思ったわけ。

 案の定、彼女はやがて、ゴミの山に寄りかかって、泣き寝入りしてしまったよ。

 ヘブン・スクエア側から発見されない角度なのを確かめて、僕はその場を離れた。

 あんまり長い事、ヘル・マーケットにいるわけにはいかないんだ。何が起こるか、容易に想像がつく。

 まず、母さんが心配してクドクド言い出す。父さんは、大人達みんなを叩き起こす。みんなはみんなで、大張り切りに張り切って捜索隊を組み、貴重な松明に火をつけて、ヘルズスクエア中を引っ掻き回すに決まってる。

 断っておくけど、ヘルズ・スクエアの連中は、ウィローを探していた連中とは違う。しつこい。僕を見つけるまでは、絶対に諦めないだろう。

 僕と一緒にウィローも見つかったら、またまた大騒ぎが勃発する。できれば、避けたい展開だ。

 暗やみ団地に戻ると、幸い、みんなはぐっすりと眠っていた。母さんと父さんとクリスタルだけが、チッポケな灯火を見つめながら起きていて、僕は、まるで土星から生還したみたいに、感激の涙で迎えられた。なかなか、いい両親だよね。

 クリスタルは、ジャケットを抱き締めて、キスしたり頬ずりしたり。その顔を見れば、疲れもフッ飛ぶよ。ジャケットが生き物みたいに、優しく話しかけてて。

 父さんと母さんは、僕の全身をくまなく調べ上げて、ちゃんと息もしてるし、心臓も動いている事を確かめると、やっと安心したんだろう。ストーンと眠ってしまった。

 クリスタルの方は、もうちょっと厄介で、興奮のせいか、なかなか眠ってくれない。背中をトントンしながら、子守唄を繰り返し歌うこと八回、ようやく目を閉じてくれたけれど、寝息を立て始めてからも、僕の服の袖を握りしめて離さないから、困ったよ。

 脱出は大変だったけど、ウィローを置きっ放しにしてきた事を考えると、グズグズしてもいられない。今までの経験上、三、四十分もすれば、目を覚ますだろう。

 僕は、マッシュを呼び出す事にした。彼は、まだ起きているはずだから。

 なにしろ悲しみ団地にはサンダー・キッドという強者がいる。この子ときたら、こっちの気が遠くなりそうなほど寝つきが悪くて、マッシュの頭痛の種なんだ。

 どうしてなのか、さっぱりわからない。

 サンダー・キッドは、一日中、ヘル・マーケットでせっせと働き、赤ちゃん達の行水監督も務めている。それ以外にも、缶ぽっくりの製作助手と、オヤツの分配係と、落し物捜索隊の三番助手の仕事もあるし、学校の宿題もやらなくちゃいけないし、もちろん遊びの時間も忘れちゃいない。

 夜は疲れてぐっすり、のはずだよね?

 ところが、寝ないんだ。

 マッシュは、毎晩毎晩、サンダー・キッドに寄り添って、彼が眠気を催すまでお話を聞かせてやるんだけど、八話か九話も話してあげないと、眠りに落ちない。

 マッシュは、人間童話集じゃないんだよ、いつか頭がおかしくならないかと、心配しちゃうよ。

 マッシュの住む悲しみ団地と、僕の住む暗やみ団地は、ロトン・アレーを挟んで向かい合っている。

 実はね。この通りを渡ってわざわざ悲しみ団地に行かなくても、マッシュを呼び出す方法を生み出しだんだ。ちょっと大変だったけど、ただ自分の足で歩いていくより、ずっと面白いからね。

 僕は、暗やみ団地の玄関ホールに出た。ここに、昔は団地の集合ポストとして使われていた、スチール製の棚がある。ほら、四角い、小さな銀色の箱が、ズラリと並んでいるアレさ。サビだらけになってしまったけど、今でもちゃんと使える。子供達の持ち物を入れる宝物箱として、一人に一つずつ、与えられてるんだ。

 僕の名前の書かれた箱の扉をそっと開ける。

すると、中からシーブス(盗賊)がピョンピョン跳ねながら、僕の手に乗ってきた。小さくてつぶらな瞳で、僕をじっと見上げる。お仕事だってわかってるんだ。

 シーブスはとても賢い、小さな鳥だ。全体に茶色で、クチバシは細くて、ギザギザしてる。

 まだ子供の鳥だった頃、シーブスは、ワイルド・キャットのクッキーを、彼女の手から奪い取ろうと飛び掛かって返り討ちに会い、叩き落された。自分でしたくせに、ワイルドキャットはヘタばった鳥を見てパニックになり、僕の所に持って来たんだ。僕は獣医じゃないんだけどね。

 僕の看病のお陰というよりは自然の力で、シーブスはすぐ良くなったけれど、僕に懐いちゃってね。野生に戻らなくなっちゃった。そんな事情で、今は僕のペットだ。

 シーブスを手に乗せたまま、外に出る。

 一言「マッシュ」と囁くと、シーブスは、さっと飛び立った。迷う事なく、悲しみ団地の窓めがけて一直線。窓ガラスが一枚も残っていないのも、時には逆に便利だ。ぶつかる心配がない。

 そのまま待つこと、約三分。悲しみ団地から、マッシュがアクビをしながら出てきた。シーブスの方は、マッシュにご褒美の砂糖でも貰って、今夜は、マッシュの毛布でおねんねするだろう。

「サンダー・キッドはもう寝たのかい?」

 と聞くと、

「いいや」

 とぶっきらぼうな返事。

「マネーマネーに寝かしつけを頼んできたんだ。おかげで明日は、あいつの当番を代ってやらなくちゃなんない。よりによって、オムツ洗いの日だぜ。マネーマネーのヤツ、ホントにちゃっかりしてやがる」

 僕は、思わず笑った。

「サンダー・キッドはすぐ寝るさ。マネーマネーが、宇宙の成り立ちなんて話を始めれば、誰でもすぐにアクビが出るよ」

 僕が歩き出すと、マッシュは黙ってついてきた。その顔はキリリッと引き締まって、真面目そのもの。月明かりに光って美しかった。

 マッシュの良い所は、数えきれない程あるけれど、その一つがこれだ。緊急時に、あれこれ質問しない所。

 僕もマッシュも、大抵のことは、一人で対処できる。わざわざ呼び出したりする時は、質問に答えたりするヒマの無い時なのさ。

 ホープ島は静かだった。雨は止み、珍しく湿気も少ない。さっぱりした空気。朧ながら次第に明るくなっていく月光。ミザリー・リバーがジャブリジャブリと立てる音。

 僕はマッシュが好きだ。心から。それを、ひときわ強く感じていた。このまま、ずっと歩き続けていたかった。



3・

 丁度いいタイミングでヘル・マーケットについた。ウィローは目が覚めて、しばしボーとし、ようやく頭が回転し始めた所だった。

 彼女は僕とマッシュを見つけると、ふらつきながらも、なかなか優雅に立ち上がり、

「さっきは、ありがとう・・・」

 と、つぶやいた。

 僕には、ウィローの様子が、なんだか不思議なものに思えた。なんて言ったらいいのか、現実に存在する人じゃないみたいな。多分、ヘルズ・スクエアの女の子と、感じが違うからだろう。

 僕達は見つめ合ったまま、動けなかった。

 お互い、どうしたらいいのか、さっぱりわからないんだ。

 彼女はヘブン・スクエアの人。僕たちは、ヘルズ・スクエアの人。別世界に住んでいる。

 君達だって、突然、水星人が目の前に現れたら、何て言ったらいいかわからないだろう?

「君は誰?」

 と聞きたい。向こうもだろう。

「どうして、ここにいるの?」

 と聞きたい。向こうもだろう。

 でも、質問するのは躊躇われた。向こうもなんだろう。

 で、黙ってるってワケ。

 十分ぐらい経ってからかな、向こうが先にしびれを切らした。

 彼女は僕を見て、マッシュを見て、〈壁〉の先に広がるヘブン・スクエアをすかし見て、また僕達を見つめてから、こう言った。

「私、やっぱり行かなくちゃ」

 ちょっと待って欲しい。そう言われて、はいそうですか、と行かせる訳にはいかないじゃないか。誰かに追われてるらしいのに。どこに逃げるのかもわからないのに。

 でも、口火を切ってくれたのは助かった。

「それもいいけど・・・その前に、落ち着いて話そうよ」

 と言えたからね。

 マッシュは、もっと単刀直入だ。


<マッシュ>

 やあ、俺はマッシュ。こっちはエッグ。

 俺達に、なにか出来る事ないか?


<ウィロー>

 助けてくれるの?だったら言うけど、実はね、私・・・。


<僕>

 もう?もう事情、ブチまけちゃうの?ずいぶん早いね。もう少し引き延ばす所じゃないのかな。


<マッシュ>

 もうって、それ何だよ?

ボヤボヤしてたら、人生、終わっちまうぜ。

年とるまでグズグズ悩んでるなんて、つまらねえ。早いとこ相談しちまった方がいいに決まってるだろ。

 そこの・・・お前さ、いい判断してんぜ。     

 まず、簡単な質問だけどよ、何て名前だ?


<ウィロー>

 ウィロー。


<マッシュ>

 じゃ、ウィロー。いいから、さっさと話しちまえ。


<ウィロー>

 私、困ってるの。


<マッシュ>

 そんな事、わかってるさ。

 幸せ一杯、悩みゼロなんて奴が、家出して、夜、こんな所を一人でフラフラしたりしないだろうが。

 煎じ詰めたとこ、ズバリ言っちまいな。


<ウィロー>

 家にいたくない。いられないの。


<僕>

 どうして?


<ウィロー>

 宝を見つけなきゃならないの。それまでは、とても家には帰れないわ。


<マッシュ>

 えっと・・・ちょっと待って、待ってくれ。

 さすがにズバリ言い過ぎだ。わからん。


<僕>

 そら、言わんこっちゃない。もう、話についていけなくなってるじゃない。

ウィロー

 私のせいじゃないわよ。マッシュ・・・それにしても変な名前・・・あなたが、ズバリ言えって言うから、そうしたのに、・・・。


<僕>

 今、気が付いたんだけどね。

 みんな、平静を装って、かなり動転してるよね。取りあえず座ろうよ。

 ほら、ここに丁度いいボロ布の固まりがあるから・・・。


<マッシュ>

 おっと、まあそうだな。座れよ、ウィロー。

 なるほど、エッグ、お前の言う通りだ。

 ゆっくり深呼吸して・・・ふう、落ち着いたぜ。


<僕>

 もう?やっぱり早過ぎだよ。怪しいもんだね。


<マッシュ>

 大丈夫だってば!任せとけ。

 そこで・・・だ。ウィロ―、俺はもう頭がスッキリしたから平気だ。話、続けな。


<僕>

 君は、まだまだ動転してるよ。


<マッシュ>

 うるさいな。冷静になっただけで悩みが解決するなら、誰も苦労しねえよ。

 少しくらい慌ててる方が、勢いついていいのさ。


<僕>

 そうかな。


<ウィロー>

 私ね、ヘブン・スクエアで、おじさんとおばさんと一緒に暮らしてるの。


<僕>

 父さんや母さんは?


<ウィロー>

 死んじゃった。


<マッシュ>

 可哀想にな。

 エッグ、お前、キツイ質問するなよ。


<ウィロー>

 いいのよ。かなり前の事だから。

 それに、両親は問題ある死に方じゃなかった。肺炎だったんだもの、仕方ないわ。

 困った死に方をしたのは、おじいさんの方なの。


<マッシュ>

 じいちゃんも死んじまったのか?


<ウィロ>ー

 年取り過ぎて、それで死んだの。病気とか事故とか殺人とか、そんなことじゃないわ。

 私達、つまり私とおじさんおばさんは、おじいさんが建てた家に、ずっと一緒に住んでたんだけどね。なぜか死ぬ直前に、おじいさんは、私だけを部屋に呼んだの。

それで、宝の話を聞いたのよ。隠しているけど、お前にあげるって・・・。


<僕>

 何で君に?


<ウィロー>

 知らないわよ!だから困ってるんじゃない。

 おじさん達にあげればよかたのよ、大人なんだから。そうしてたら、トラブルはなかったわ。

 それを、私にムチャ振りしたりして、バカみたい。


<マッシュ>

 目上の人に、そんな言い方しちゃ、ダメだろう。じいちゃん、ばあちゃんってのは、頭いいんだぜ。大事にしなくちゃ。


<僕>

 おじいさんは、おじさん達の事が、嫌いだったのかな?


<ウィロー>

 私には、普通のいい人達に見えるけど。両親が死んだ後、私を家に引き取ってくれて、ちゃんと世話もしてくれてるし。


<マッシュ>

 そいで、今、お前は宝を狙う奴に追われてるって訳か。面白えなあ。

 そいつら、誰なんだ?その悪者はよ?


<ウィロー>

 おじさんとおばさん。


<マッシュ>

 はあ?


<僕>

 いい人達だって言ったクセに・・・。


<ウィロー>

 いい人達よ、本当に。

 でも、普通の人なのよ。宝物が欲しくて、頭おかしくなっちゃったらしいわ。

 私に、宝の在りかをしっこく聞くの。

 家のお金がなくなりかけてて、困ってるらしいわ。ヘブン・スクエアに対する本国の援助が打ち切られる・・・とかなんとか、よくわかんない。

 とにかく、宝物がどうしても必要らしいの。

 宝の隠してある場所を教えろ教えろって、私にガミガミ言ってばかり。もう嫌よ、本当に嫌。


<マッシュ>

 ひっぱたかれたりしたのか?


<ウィロー >

 まさか、そんな事はしないわよ。

 でも、毎日毎日「教えてくれ、頼むから、教えてくれ」なんて言われ続けたら、誰だってウンザリするでしょ。

 育ててくれてる人にそんな事ばっかり言われたら、どう?家に居られないわ。

 おばさんはおばさんで「お願い、お願い」なんて、私の顔を見る度に泣いてばかりだし。


<僕<>

 それじゃ、確かに堪らないね。辛いよね。僕だって、家出するだろうな。


<マッシュ>

 秘宝の隠し場所か・・・。

 おじさんとおばさんは、そいつを知りたい。

 お前は教えたくない。

 つまりは、そういう事なんだな?


<ウィロー>

 勝手に決めつけないでよね!

 教えてあげたわよ、もちろん。


<マッシュ>

 ・・・。

 ちょっと待ってくれ。またわからん。


<ウィロー>

 宝の場所を教えずに、独り占め?

 私が、そんなにケチンボだと思う?


<僕>

 そう言われても・・・

 僕には何がなんだか、さっぱり解らないんだけどね。


<マッシュ>

 よかった。解らないのは俺だけかと思ったぜ。自分が間抜けだなんて、思いたくないもんな。


<ウィロー>

 教えたくても、出来ないのよ。

 知らないんだもの、宝の在りかなんて。


<マッシュ>

 はあ?何だよ、どういう事なんだ?この話は、一体、どこに向かってるんだ?俺には、全然みえてこねえよ。


<僕>

 おじいさんから聞いたって、そう言ってたじゃない。そうだよね、確か。

 宝の隠し場所を、君だけに教えたんでしょ。


<ウィロー>

 あなた達ときたら、解りが悪いんだから。

 おじいさんが言ったのは、正確にはこうなの!

 「隠された宝物・・・ダイヤ百個・・・お前にあげよう・・・庭で・・・一時間・・・」

 それでお終い。


<僕>

 続きは?


<ウィロー>

 無いわ。おじいさん、そこまでしか言わなかったの。


<マッシュ>

 暗号になってねえじゃん。それだけで、どうしろってんだよ?


<ウィロー>

 私に言わないでよね。おじいさん、そこで死んじゃったんだもの。仕方ないじゃない。


<マッシュ>

 続きが絶対にあるはずだ。


<ウィロー>

 ほら、やっぱり!そのセリフ出た・・・。

 おじさんとおばさんも、あなたと同じ事を言うのよ。

 まるで、私が続きを内緒にして、わざと教えないみたいに。

 そんな訳、ないでしょうが。本当に、それだけしか聞いてないのよ。


<マッシュ>

 悪い、悪い、俺が悪かったよ。

 辛い思いしてんのにさ。心無いこと言っちまって、ごめんな。

 でも・・・言い訳してんじゃねえけど、普通はそう思うだろ?


<ウィロー>

 おじさんとおばさん、普通の人だって言ったでしょ。


<僕>

 庭で一時間か・・・じゃあ、行こうよ。


<マッシュ>

 は?どこにだよ。


<僕>

 庭って、常識で考えたら、自分の家の庭の事だよね。だから、ウィローの家に行って、庭を見てこようよ。


<マッシュ>

 ナント、正気かよ。いきなりソレ?


<僕>

 だって、何万年ここに座ってたって、謎は解けないじゃない。


<マッシュ>

 それはそうだけど・・・。


<ウィロー>

 私、戻りたくない。


<僕>

 永遠に家出してる訳にはいかないんだよ、ウィロー。おじさん達に見つからないように、今夜、暗やみに紛れてこっそり戻ればいい。


<マッシュ

 一人なら嫌>だろうけど、俺達がいるんだ。大丈夫、怖い思いはさせない。

 三人で考えれば、宝の在りかも解るかもしれないしな。


<ウィロー>

 わかった。そういう事なら早く行きましょ。


<マッシュ>

 え?もう決まった?

どうでもいいけど、お前・・・意外と即断即決タイプだな。



僕達は立ち上がり、〈壁〉に沿って、ヘブン・スクエア側についた鉄のドアを開けた。初めてのヘブン・スクエア。普段、こちら側のドアには鍵が掛かっているらしいんだけど、ウィローが逃げてくる際に外してた。

鍵なんて必要ないのにね。

ヘルズ・スクエアの人間は(僕とマッシュを除いたら)何をどう勘違いした所で、ヘブン・スクエアには入らないよ。あんな・・・とんでもない所には。入ること、出来ないよ。



4・

 僕とマッシュだって、あわや挫ける所だった。引き返す所だった。

 ヘブン・スクエアでの、記念すべき第一歩。そのご感想は?

 痛い。

 本当にその一言だけ。ヘブン・スクエアはどこもかしこも痛かった。

 まず、ヘル・マーケット(ヘブン・スクエア用語で言えばゴミ捨て場)から、ウネウネと曲がりくねって続いていく、夜目にも真っ白な道。ヘルズ・スクエアからはとってもキレイに見えたその道が、実は、ひび割れて穴だらけのコンクリート舗装の上に、キラキラのラメが入った白い小さな石を、ぎっしり敷き詰めて作られていたんだ。その石ときたら、ツルツルしていて、角が一つ残らず尖ってる。

 ウィローは靴を履いてたから、まだ少しは楽なはずなんだけど、それでも、かなり歩きにくそうだった。華奢な黒いエナメル靴が、石ころの上でやたらと滑るもんだから、彼女は、ひっきりなしに足をひっくり返してばかりでね。足首を相当、痛めたに違いないんだ。

 まして、僕とマッシュは裸足だ。どんな情けないハメに陥ったか、想像がつくだろう?  

 第一、なんで山道みたいなクネクネしたデザインにする必要があったんだろう?ホープ島は、どこもかしこもまっ平なのに。

 オシャレに見えるとでも思ったのかな?それとも、その方が広々して感じられると考えたのかもしれない。

 これだけは、断言できる。

 この道は、人か歩くために作られたものじゃない。だって、まともに歩けないんだもの。

だったら、道じゃないんじゃ・・・?


<マッシュ>

 ヘルズ・スクエアのヘドロ道が恋しくなるとは思わなかったぜ。少なくとも、痛くはないからな。


<僕>

 臭くて不潔で、ネチョネチョだけどね!

 痛いとすごく疲れるんだって、わかった。

 ちょっと止まってくれないかな。一息つかなきゃ歩けないよ。ヘルズ・スクエアでは、いつも駆けっこ一等賞の僕なのになあ。


<ウィロー>

 スポーツ出来るの?どんな遊びをするの?


<マッシュ>

『足跡鬼ごっこ』をしたら、エッグに敵う奴なんていないぞ。


<ウィロー>

 何、それ?


<僕>

 まず鬼役の子に、みんなが、こんな風に叫ぶ。「ワイルド・ビーを探せ!」とかね。

 それで、みんな、一目散に逃げ出すんだ。

 鬼は、ヘドロに残った沢山の足跡から、ワイルド・ビーの足跡を見分けて追跡していく。

 ヘルズ・スクエアならではの遊びだよね。


<ウィロー>

 裸足の足跡なんて、みんな一緒じゃない。どうやったら、見分けられるのよ。


<マッシュ>

 みんな一緒じゃないからさ。

 例えば、ワイルド・ビーは小指の横にマメができてるから、足跡はすぐわかる。

 エンジェルは、左足に重心をかけるクセがあるから、片足だけ深い足跡が残るんだ。

 グリーンタンは、右足の親指が少し短いし、ギザギザしてるな。


<僕>

 一歳半の時、ネズミに噛まれたんだ。

 サンダーキッドは、土踏ずが他の子より浅いし、マネーマネーは、左の親指が曲がってる。四歳の時、骨折したからね。

 アイドルワイルは、足の外側に重心を掛けるし、ワイルド・キャットは内側。 

 ピーチは、走る時だけ足を引きずる。

 クリスタルは、どの指も同じ長さで見分けやすいけど、足も速くてね。


<マッシュ>

 ブーブーは、かかとにでっかい古傷がある。あいつ、六歳の時、そこにバイキンが入って、ひどく腫れてさ。エッグがナイフで切って、膿を絞り出したんだ。その痕だよ。

 それから、キャンディはな、右足だけ指が極端に短いんだ。悲しみ団地の柱が折れて、西壁の左端が崩れた時、下敷きになっちまって、そのせいだと思うんだけど。

 それから、ドールときたら・・・。


<ウィロー>

 全員の特徴を憶えてるの?


<僕>

 足だけだよ。


<マッシュ>

 子供達の分だけさ。


<ウィロー>

 信じられない。

<マッシュ>

 一年三百六十五日、朝から晩までくっついてりゃあ嫌でも憶えるさ。家族なんだから。

 ヘルズ・スクエアならではの遊びだって、エッグもさっき言ったろ?

 もうそろそろ行こうぜ。まだ十分くらいしか歩いてないのにヘタばるとはな。我ながら呆れるよ。

 道を進むのは止めて、横の草地を歩こう。そしたら、痛くないはずだ。


<僕>

 いい考えだね。



 痛くないってのは外れだったし、いい考えだっていうのも外れだった。

 白い道の両側は、緑の草原に囲まれていた。何本かの木が大きく枝を広げ、月明かりに黒々とした影を投げかけている。

 草原のあちこちに揺れている、白や赤の点々は、たぶん花だろう。

 帰りには忘れずに摘んでいかなくちゃ、女の子達が喜ぶだろうな、そう思ったのを憶えている。

 ヘルズ・スクエアから覗いていた時は、あんなに美しく、清々しく見えたのにな。

 草は、僕の足に刺さった。ツンツン尖って、とっても固い。冷たくて痛いし。変な臭いもした。

 草原の草は、みんな作り物だったんだ。プラスチックで出来たニセモノ。

 よく考えてみれば、最初からおかしいって、そう思わなきゃいけなかったんだ。ホープ島の気候じゃあ、それにあの地質じゃあ、こんな青々とした草原ができる訳がない。

 ヘルズ・スクエアと何が違ったって、天候だけは同じだもんね。

 でも、まさか人口の草地だったとは・・・。予想外だよ、いくらなんでも。

 もちろん、木も花も本物じゃなかった。

 夜目遠目には美しくても、近くでよくよく見れば、花びらには埃が溜まり、草は乾いた泥がこびりつき、木はグラグラと妙な動きをして危なっかしい。草の隙間からは、ジメジメの地面と水たまりが覗き、臭かった。

 ヘブン・スクエアの自然は自然じゃない。自然な物なんて、何一つなかったんだ。



 僕とマッシュは、しばし呆然として動けなかった。

 足の痛さが最大の原因だったけど、その光景の異様さに度胆を抜かれて、どうしていいのかわからなかったというのもある。

 自分がどの世界に飛んじゃったかわからない。そんな時は、むやみに動き回らない方がいい。

 ウィローは、じっと僕達を見つめていた。三人とも、何も喋らなかった。

 でも、いつまでも石像になって固まってる訳にもいかない。だから、ウィローが、多分かなり無理をして、言わなくてもいいムダな質問をしてくれて助かったよ。


<ウィロー>

 足が痛い?


<マッシュ>

 あ?ああ・・・痛いな。どこもかしこも痛すぎだよ。

 何なんだ、コレ。お前ら、よくこんな所に住んでいられんな。おかしいだろ、コレは!


<ウィロー>

 ヘブン・スクエアの人間は、滅多に外へは出ないもの。一週間に一回、当番がゴミを捨てにくるだけで、ここには誰も来ないわ。


<僕>

 キレイに見せようと、こんなに色々やって、結局、誰も来ないなんて変じゃない?

<マッシュ>

 こんな作り物、なんか気味悪いぜ。逆に汚い感じだし・・・。引っぺがしちまえよな。俺ならそうするぜ。


<ウィロー>

 それはしないと思うわよ。

 あなた達だって、ヘドロだらけの道でも、普通に暮らしてるじゃないの。


<マッシュ>

 意味がよくわかんねえんだけど・・・そうなのかな。ただ受け入れるしかないってのは、もしかしたら似てんのかもな。


<僕>


 そろそろ、行こう。夜が明けたらまずいんだ。

 これから先は、いちいち驚くのも止めた方がいいよ。ビックリする事だらけなのは、もうちゃんと解ったんだからね。ムダな労力だもの。


<ウィロー>


 私は、あなた達の世界にびっくり。あなた達は、私の世界にびっくりで、お互い様ね。

 でも、それでいいんじゃない?退屈しないもの。普通じゃ、却って何だか損した気分。


<マッシュ>

 お前ら、ちょっとばかし似てるな。ピント外れなコメントする所がさ。

 俺は常識人として、ムダな労力使いながら、これからもびっくりし続けるつもりだぜ。損をしない様にな。




5・

 僕達は細くて浅い、流れの早い川に行き当たった。ウネウネと長く、道を横切っているけど、見渡す限りどこにも橋はない。なんでだろう・・・と考えるのは、もう止めたけど。

 やけに美しい川だった。嫌になるくらい澄んだ透明の水が、月の明かりにキラキラと輝く。水底には、道と同じ白い石が敷き詰められ、サラサラと妙に規則正しいせせらぎの音。

 だから、すぐわかった。この川も本物ではないんだ。


<ウィロー>

 この水は循環式なの。


<マッシュ>

 ポンプで流してるのか?


<ウィロー>

 この川は、ヘブン・スクエアをぐるりと囲んでて、細いドーナツみたいな形をしてるの。

 電力でポンプを動かして、水を巡らせてるのよ。電気は自家発電で貴重なのに・・・家でも電灯じゃなくロウソクを灯してるってのに・・・なんで、わざわざこんな事に使うのか、意味わかんない。

 途中に、ろ過装置もあるのよ。地下に埋め込んでるから目にはつかないけど。だから、水がいつもキレイなの。


<僕>

 落ち葉が落ちる事もないしね。魚も虫もいない、消毒済の水?


<ウィロー>

 そういう事。


<僕>

 ヘルズ・スクエアのミザリー・リバーとはえらい違いだよね。

あの川の水はミルクコーヒーみたいなもんさ。透明度ゼロ。


<マッシュ>

 甘い甘い。ミルクコーヒーなんてもんじゃないだろ。

 ありゃ、溶岩だぜ。どす黒い、茶色の溶岩。マグマがドロリドロリと流れて行く写真を、プロフェッサーが見せてくれた事があったけど、そっくりだもんな。


<僕>

 それにあの臭い・。ひどいよね、本当に。ダイナマイト級だよ。嗅ぐ度に、頭が噴火する。


<マッシュ>

 俺達、汚した憶えないのになあ。誰も、あそこで用を足したりはしないぜ。なんで、あんなになったんだろう?


<僕>

 オールド・ドウピーマザーから聞いたんだけどね。彼女が小さかった頃は、ミザリー・リバーで泳いだり、釣りが出来たんだって。そんな時代もあったんだね。いつ汚れたんだろう。


<マッシュ>

 ドウピーマザーは、あと一か月で百四歳になるんだぜ。百年あれば、何もかも変わるさ。

 ところで、ドウピーマザーの誕生日プレゼント、準備は順調にいってんのか?

 責任者はクリスタルだけどさ。あいつは、手より口ばっかり動かすからな。

<僕>

 あとちょっとで編み上がるよ。

 今週の当番はマネーマネー。次がレイン。それからハッピー・ベビーの番だけど、あの子には、誰かが手を貸してやらなきゃいけないな。サンシャインがしてくれる予定だけど、念の為にもう一度、確認しておくよ。

 仕上げの房飾りは、ブーブーがつける。それで、ステキな指編みマフラーが出来上がり。


<マッシュ>

 毛糸を集めるのは、ホント、苦労したぜ。

 ヘル・マーケットで、一年半もねばったのにさ。長さも色もマチマチなのしか落ちてねえし、ヨレヨレだったりほつれてたり、毛玉が出来てたり、もつれててたりさ・・・ま、もともと捨ててあるヤツなんだから、当たり前だけど。

 奇跡的にキレイなのを見つけたら見つけたで、ワイルド・ビーがベタベタの手で触って、毛糸もベタベタにしちまうし・・・。


<僕>

 まだ小さいんだからね、仕方ないよ。

 それに、色も太さもマチマチの、そんな毛糸で作るから味が出るんだよ。虹みたいに色彩が混ざり合って、とてもキレイだもの。

オールド・ドウピーマザーは、きっと大喜びしてくれるさ。


<マッシュ>

 お前、幸せなヤツだよな、エッグ。何でもいい方に考えられるんだから。


<ウィロー>

 それでも、やっぱり悩んだりとかする?

<僕>

 そりゃ、悩む事もあるよ。誰だってある。

 そういう時は、みんなミザリー・リバーに出かけるんだ。あそこに行くと、気が楽になるから。


<ウィロー>

 ヘドロの川なのに?とんでもない臭いがするのに?


<僕>

 変だって思う?


<ウィロー>

 正直、思うわ。

 ここみたいにキレイな川なら、見てて心が安らぐはずよね。でも、誰も訪れない。

 なのに、あなた達は、汚いドロドロ川に出かけると気が楽になるって?

 わかんないな、全然。


<マッシュ>

 ミザリー・リバーの真ん中に、大きくて平らな岩がある。みんな〈ロック〉って呼んでる。


<ウィロー>

 ウフフフフ・・・。そのまんまね。


<僕>

 確かにそのまんまだけどね。

 でも、〈ロック〉はただの岩じゃない。特別な場所なんだ。


<ウィロー>

 魔法がかかってるとか?妖精が住んでるとか?奇跡を起こすとか?


<僕>

 違うよ。そんなんじゃない。


<マッシュ>

 一人でいられるんだ。〈ロック〉では一人っきりになれる。みんなが認めた、そんな場所なんだ。


<ウィロー>

 どういう事よ?説明してくれる?


<僕>

 いつもじゃないけどね。時々、どうしようもなく、一人になりたい時ってあるでしょ。

 静かにじっと、自分と自分で向き合って。一人だけで、静かに物思いにふけりたい時があるよね。


<ウィロー>

 そうかな・・・。

 おじさんやおばさんがウルサイ時には、もう一人にしてって思った。

 でも、それとはちょっと違う感じね。


<マッシュ>

 お前は静かな生活をしてるからな。わかんないのかもしれないな。

 だけど、ヘルズ・スクエアの人間なら、誰でも頷くさ。

 俺もそういう時がある。

 夕日が真っ赤に燃えてんのに、あの忌々しい霧が出てきてさ。ボワーッと空が滲んでく、そんな夕暮れ時に・・・。


<僕>

 一人で考えたり、何かに想いをはせたり、夢を追ったり・・・自分自身と向き合いたい時、ヘルズ・スクエアの人間は〈ロック〉に行く。ミザリー・リバーを渡ってね。橋は崩れてもうないし、水深も結構あるから、危険といえば危険だけど、それでも行くんだ。

 そして、ここが肝心なんだけどね。誰かが〈ロック〉にいたら、絶対絶対、邪魔してはいけない。声を掛けたり、見ていてもいけない。

どんな小さい子だって心得ている。それが、ヘルズ・スクエアのルール。〈ロック〉のルールなんだ。


<マッシュ>

 うるさく尋ねたり、詮索するのも厳禁だ。ただ、そっとしとくんだ。


<ウィロー>

 心配でも?どうしたの?とか、聞いちゃダメなのね。


<僕>

 どれだけ心配でも。その事に触れちゃいけないんだ。


<ウィロー>

 どうして?


<マッシュ>

 触れられたくないからさ。


<ウィロー>

 あなた達も〈ロック〉に行くの?


<マッシュ>

 そう何回もじゃないけどな。行くよ。少し泣く事もある。

 で、しばらくすると元気になるんだ。そしたらまた、悲しみ団地に戻って行く。


<ウィロー>

 あなたも泣くの、エッグ?


<僕>

 僕も泣くよ。泣きたい時には泣かなくちゃ。

 自分に正直になれる場所が〈ロック〉なんだ。だからこそ、とっても大切な場所なんだよ。



僕達は、月光の中、小さなせせらぎを渡った。底の小石はコンクリートで固められていて、足裏がひどく痛む。水が冷たいのには驚いた。薬臭かった。

 そこで突然、草原や木々が目の前からすっぱり消えた。作り物なんだから、当たり前と言えば当たり前なんだけど、川を渡って二十歩のところで、キッチリと。まるで線を引いたみたいに、キレイさっぱりなくなった。

 そこから先は・・・。うーん。驚くなと自分で言っといてなんなんだけど、やっぱり驚いたよ。

 信じられない事だけど、なんとも微妙な色合いのリノリウムが、隙間なく、その先の地面を覆っていたんだ。肌色と茶色の中間みたいな色。

 リノリウムっていうのは、ホラ、よく学校の廊下や階段をカバーしてる、あれさ。ツルツルした、固いビニールみたいなやつ。

 ヘルズ・スクエアの学校も、崩れる前はリノリウムが敷いてあった。

 今の学校には・・・つまりルインズだけど、そんな物はない。ドロンコの地面に直に座るのは何だから、たいてい立ったまま授業を受ける。小さい子達だけは、貴重な石に座る。

 でも、まあ、昔にリノリウムを見たことはあるんだ。だから、すぐにわかったんだけど、町の地面全体にリノリウムを敷き詰めるなんて、聞いた事もない。

 歩いてみたら、正直、ヘルズ・スクエアのネチョネチョ道より、もっと気持ち悪かった。

 ホープ島としては、湿気が少なめな夜だったけど、リノリウムはじっとりとしめって、ビショビショ、ヌルヌル。痛くはないけれど、その代り、裸足の足でピタピタ歩いていると、なんていうのか・・・ジワジワ変な気持ちになってくるんだ。

 非現実感なのかな。まあ、自然じゃない感じだよ、やっぱり。

 可哀想に、ウィローは足を滑らせてばかりいた。三回も転んだんだ。

 ヘルズ・スクエアじゃ、ハッピー・ベビーやスノー・ホワイトだって、あんなに転ばないよ。ウィローのように大きい女の子がコケるなんてね。どれ程、歩きづらいか、それでわかるってなもんだよ。


<マッシュ>

 言いたかねえけど、やっぱり言わしてもらうぜ。

 こりゃ・・・一体、何なんだ?

説明してくれよな、ウィロー


<ウィロー>

 ヘブン・スクエアの町に入ったのよ。家は全部で七軒。狭い町なの。


<マッシュ>

 そんな事、聞いてんじゃねえよ。

 地面はどこいっちまったんだよ?どの通りにもリノリウムを敷いてるのか?おかしいだろ、フツーに。


<ウィロー>

 通りらしい通りって作られてないの。名前もついてない。


<マッシュ>

 それはどうでもいいんだよ。俺が聞いてるのは・・・。


<ウィロー>

 何、怒ってんの?

マッシュ

 怒ってんじゃねえよ。冷静さを失ってるだけ!ここまできて、遂に脳みその回路が吹っ飛んだぜ。

 お前の町、変だぞ。思いっきり・・・。


<ウィロー>

 何よ?


<マッシュ>

 いや。悪かったな。言い過ぎたよ。


<ウィロー>

 そこまで言ったんだから、全部ブチまけちゃいなさいよね。


<マッシュ>

 口に出すべきじゃなかったんだ。自分の町の悪口を言われたら嫌だよな。傷ついただろ。


<ウィロー>

 別に。大丈夫よ。私も、こんなの好きじゃないもの。


<マッシュ>

 ナント、お前もかよ。

 そうだよな、なんか暮らしにくいもんな。もっとも、ヘルズ・スクエアだって暮らしやすいとは、絶対に言えないけどさ。


<ウィロー>

 変でも何でも、仕方ないわ。

 これ、全部を作ったのは私のおじいさんだもの。おじいさんも変な人だったから、きっと町も変なのよ。


<僕>

 ちょっと待った。君のおじいさんって、あのおじいさん?ダイヤ百個の?


<ウィロー>

 私、好きじゃなかったわ。イジワルとかそんなのじゃなかったけど、いつも近づかないでくれオーラ出してる感じで。岩に向き合ってるみたい。話をしても、壁と話してるみたいな風?聞いてくれないとかじゃないんだけどな・・・多分、私の事も誰の事も、興味がなかったんじゃないの。妙な人だったわ。 


<僕>

 そのおじいさんが、町を作ったんだね?


<ウィロー>

作ったっていうより、色々、整えたのね。


<マッシュ>

 作り物の木や草で?リノリウムの道も?

 言葉が悪いけどさ、お前のじいちゃん、バカだったんじゃね?


<ウィロー>

 そうだったのかもねえ。


<僕>

 ヘブン・スクエアの他の住人は、反対しなかったの?


<ウィロー>

 よくわかんない。


<マッシュ>

 えらく簡単に片づけんな。気にならないのかよ?


<ウィロー>

 ほとんど誰とも会わないもの。

 多分、町がどうなろうと誰も気にしなかったのよ。


<マッシュ>

 へえ・・・。


<僕>

 ねえ、ウィロー。

 さっきの川も、おじいさんが作ったの?


<ウィロー>

 どうでもいいじゃない。

 私、おじいさんの事、あんまり知らないんだもの。


<マッシュ>

 ずっと一緒に暮らしてたのに?


<僕>

 思い出してよ。


<ウィロー>

 うーん・・・。

 おじいさんの家、まあ今はおじさんおばさんの家になってるわけだけど、庭のど真ん中を、あの川が横切ってるの。

 おじさんが、よくブツクサ文句言ってるわ。じいさんが川やら池やら作るから、狭苦しいし寒々しいって。

 暑い国なら、よかったんでしょうけどね。


<僕>

 庭に池もあるんだね。川の水が流れ込んでるの?


<ウィロー>

 流れ込んで、また出て行ってる。

 おじいさんの遺言で、庭の模様替えとかしたり、川や池を壊したりしちゃいけないの。庭に宝が隠してあるからなんでしょ。

 嫌味な人よね。おじさん達が、頭に来るのも当たり前だわ。


<僕

よくわか>った。ありがとう、ウィロー。


<マッシュ>

 もうわかったのか、エッグ?


<僕>

 まだだよ、マッシュ。

 でもいいヒントにはなったよね。


<マッシュ>

 お前には負けるよ。

さあ、行こう、ウィロー

 庭で一時間・・・だったよな。この謎、解いてやろうぜ。



6・

 思っていたのより、小さな家だった。オモチャの人形の家を思い起こさせる。

 ウィローの家は、他の六軒に囲まれた、そのど真ん中に位置していた。どの家も、ヘブン・スクエア流デザインだ。

 遠目にはステキに見えたよ。

 美しい白板の壁。丸みを帯びた四角の窓。花柄のカーテンから漏れる、いかにも暖かさそうなオレンジ色の光。丸いアーチを描くドア。

 庭は狭いけど、青々とした一面の芝生で、あちこちにチューリップやバラが咲いている。

 でも。ここから先は、言わなくてもわかるよね。

 全部、見せかけだけなんだ。ニセモノ。

 近寄って、よくよく見ると初めて解る。

 壁は、荒っぽくペンキを塗ったアルミ羽目板で、そこここが歪んで隙間だらけ。サビも浮いてた。

 ウィローから聞いた時は絶句したけど、窓なんか存在してさえいなかったんだ。壁に描かれた絵だったんだから。

 こうなると、ほとんどジョークだよね。

 当然の事ながら、芝生も木も花も、プラスチックかゴム製だった。妙な臭いが、ほとんど動かない空気の中で淀んでた。

 僕達は島に住んでるから、風は吹きまくるものだと思ってる。ヘブン・スクエアはヘルズ・スクエアよりずっと狭くて、家を密集して建ててるから、真ん中のウィローの家は風通しがひどく悪いんだ。

 ヘブン・スクエアの人間は、頭がおかしいのか、それとも、無駄に努力家なのか、どうにも判断しかねる。

 僕達は、丸木で作られたように見せかけて、実はボロボロのコンクリート製の低い柵を乗り越え、庭に入った。ダイヤ百個の庭に。出来るだけ静かに。

 ウィローのおじさん達は、家出した彼女を心配して、まだ起きてるはずなんだ。すくなくとも、そう信じたいところだ。

 でも、窓は存在しないから、僕達が侵入しても見つかることはない。ニセモノにも、いいところはあるってことかな。

 庭のほぼ中央。斜めに傾いだ白樺の木(もちろん、ゴム製)の下に、小さな池があった。庭を突っ切る細い川が、その池に流れ込み、また流れ出て行ってる。

 僕は池を覗き込んだ。マッシュは木の根元に座り込み、ウィローはキョロキョロと周囲の様子を見ている。

 池には、溶けたバターのようにぼやけた月が写っていた。その下に、チラリチラリと何かが見える。赤や黄色や白の、小さな物。ヒラヒラしたものが付いている。

 金魚だ。プラスチック製の。色はところどころ剥げ、白目を剝いているように見える。斜めに傾いでたり、逆さまに浮いてたり、池の底に横腹を見せて沈んでいるのも、何体かある。体の部分が割れて、水が入り込んだ為なんだろうけど、まるで喰われたみたいに見えて怖い。作り物だと解っていても、気持ち悪いよ。

 これなら、サイクロンのペットのナメクジ(名前はスロー)の方が、ずっとマシだ。

 キューティが飼っているミミズ(名前はスカーレット)や、グリーンタンが大事にしているノミ(名前はジャンプのチャンプ)も、今まではあんまり好きとは言えなかったんだけど・・・。この金魚達を見た後じゃあ、素直に可愛いって思えるな。

 少なくとも、彼等は生きてるんだからね。

 池は、ミント味のガムをイメージさせる、白くて細長いタイルを、隙間なく敷き詰めて作られていた。

 微かにモーターの音がして、目には見えなくても、わずかに水流があるようだ。時折、沈んだ金魚達がクルリと回転する。お腹に開いたギザギザの穴が見えて、不気味だ。

 池は浅くて、見たところ膝上くらいまでの水しかない。よく澄んで薬臭く、中心部では、ごく小さな泡がポコポコとたっていた。

 僕は、ニセモノ草の上に片膝をついて、水の中をじっくりと観察した。

 マッシュを見る。彼はニコッとした。ウィローはため息をついた。


<ウィロー>

 池の中には、何もないわよ。おじさんが、水底をすっかり浚ったし、金魚も割って調べたし、濾過装置の中も徹底的に見たもの。


<マッシュ>

 濾過装置?


<ウィロー>

 前に話したでしょ。ゴミや汚れを取り除いて、水をキレイにする機械よ。


<マッシュ>

 それぐらい知ってるさ。

 どこにあるんだ、それ?


<ウィロー>

池の下。地下よ。パイプで水を吸い込んで、キレイにして、また戻すの。


<マッシュ>

 人工の物って、色々と大変だな。手間暇かけて作って、それを保つのにまた手間暇か。

 さあ、どうする、エッグ?

 俺はてっきり、お前がシャベルやカナヅチや爆弾なんて使ってさ、この庭の隅から隅までブッ壊して調べると・・・そう思っていたけどなあ、ハハハ。

 手始めに、この木を引っこ抜いて、細切れにしちまうか?ダイヤが転がり出てくるかもしれないぞ。


<僕>

 僕はそんな事はしないな、マッシュ。ムダな努力はしない主義でね。

 庭は、おじさん達が、全部ひっかき回したはずだよ。

 そうだよね、ウィロー。


<マッシュ>

 じいちゃんの遺言を無視してか?庭をいじるなって、そう言いつけたと思うけど?


<僕>

よしんば、神様の言いつけだったとしても、やっぱり掘り返しただろうね。

 暗号の意味がわからないなら、下手な鉄砲、数打ちゃ当たる式で、運まかせにやるしかないからね。


<ウィロー>

 おじさん達ときたら、まるでゴーファみたいに、穴を掘りまくっていたわ。

 芝生は引っ剥がして一本一本調べるし、木は真っ二つに割って中を見る。地面だって、ジワジワ海水が染み出してくるまで深く掘り起こしたのよ。

 でも、何もなかった。

 散々、とっ散らかしたあげく、遂に諦めてね。

 芝生を敷き直して、木は接着剤で元通りにくっつけたの。

 直すの、簡単だったわ。自然の物はいったん壊したら、そう簡単に元には戻らないけど、人工の物は楽ね。


<僕>

 ペン持ってるかい、マッシュ?


<マッシュ>

 持ってる。いつだって持ってるさ。役に立つからな。


<僕>

 ここに印をつけてっと・・・。これでいいはずだ。


<マッシュ>

 たぶんな。あとは一時間・・・。


<僕>

 さすがだね、マッシュ。その通り。待つだけだ。



 滅多にない、暖かな晩になった。天候までが、いつもと違う特別な夜を演出してくれた様に。僕らはニセ白樺の木の根元に、三人揃って座っていた。雨が止み、雲が消え、空が晴れた。月光が美しく輝き、昼間の様に明るい。瞬きすら忘れた。

 ホープ島では、今までこんな事、一度もなかった。

 湿気もなく、霧もなく、月や星までもが、くっきりと見えるなんて。 

 満月か。そう思った。

 まるで、秘宝が呼んでいるみたいだと、そう思った。

 ダイヤモンドの輝きはどんなだろうか。僕はそれを見て、何を感じるだろう。そう考えたら、そこでフッと笑いが漏れた。

 なぜか、その笑いは苦かった。



7・

「一時間、待つ」と言っても、僕達は誰も、時計を持っていなかった。

 だから、僕はたびたび池の水面を見に立った。これは、と思った時にマッシュに声を掛ける。「マッシュ」と。それで十分。

 マッシュはペンを持ってきて、ある場所を確認して印をつけ、僕に笑いかけては戻

っていく。そしてまた座り、待つ。


<ウィロー>

 さっきから、何やってんの?

 まさかとは思うけど・・・。あなた達、謎を解いたんじゃないでしょうね? 


<僕>

 たぶん、わかったと思うよ。


<ウィロー>

 そんなにあっさり、何よソレ。 マッシュもわかってるわけ?


<マッシュ>

 最初はてんでチンプンカンプンだったけど、エッグがヒントをくれたからな。すぐピンときたよ。


<ウィロー>

 そりゃ、よかったわね。私にはちっともピンとこないんですけど。


<僕>

 驚かないでいいよ、ウィロー。大丈夫。とってもシンプルな話なんだ。


<ウィロー>

 だったら、シンプルに説明してよ


<マッシュ>

 お前さ「庭で一時間・・・」なんて、時間のこと聞くと、すぐに時計を思い浮かべるんじゃないか?チクタクいう、機械仕掛けのアレさ。


<ウィロー>

 そうね。おじさんとおばさんも、そうだったみたい。

 家中の時計を、バラバラに分解してたもの。万が一の事を考えてね。

 でも、何も見つからなかった。


<僕>

 さぞ、見物だったろうね。


<ウィロー>

 傍で見ているかぎりはね。面白かったわ。 

 でも、笑っちゃ可哀想よ。

 おじさん達は大真面目なんだから。髪振り乱して、必死なのよ。


<マッシュ>

 お前達ヘブン・スクエアの人間にとっちゃ、時計と言えば、その時計しかない。 

 でも、ヘルズ・スクエアじゃ、訳が違う。だから、わかったのさ。


<ウィロー>

 どういう事?


<僕>

 時を計る方法はたくさんあるって事だよ。


<マッシュ>

 ヘルズ・スクエアの人間は、チクタクいう時計なんて、誰も持ってないからな。だから、別の方法を使う。


<僕>

 いいかい、ウィロー。

 時計にも色々あるんだ。

 一定の時が過ぎる・・・その間に決まった変化を繰り返す物だったら、何だって時計にできるんだよ。


<マッシュ>

 太陽の位置、月の高度、砂時計に日時計。それに・・・水時計もな。


<ウィロー>

まさか・・・。


<僕>

 おいで、ウィロー。

 もういい頃だよ。こっちに来て、見てごらん。自分の目で確かめてみるんだ。



 僕は、ウィローを池の縁に連れて行った。マッシュは木に寄りかかったまま、一見ウトウトして見えたけど、実は周囲に油断なく目を配っていた。

 こんな所を誰かに見られでもしたら、控え目に言ってもややこしい事になる。今は邪魔されたくない。だから、見張り役を務めてる。

 本当に頼りになる。それがマッシュだ。


<ウィロー>

 池の中には無いったら!

<僕>

 この池はタイル張りだ。

 僕達がここに着いた時、水はここ・・・ほら、ペンの印がついてるよね。水はここに来ていた。上から五段目のタイル。その中ほどかな。

 座って待っている間に水はジワジワと上がってきて、四段目のタイルに接した。そしてすぐまた水位が下がっていき、五段目の下端までいったかと思ったら、また上がり始める。

つまり、この池の水面はいつも同じ高さではなく、上下してるんだ。五段目のタイルの下から上、上から下と行ったり来たり。ゆっくりと、でも規則正しくね。

庭の中にあって、まだ捜索されてなくて、一時間ごとに決まった変化を繰り返すもの。怪しいよね?


<ウィロー>

 このタイルの下にあるっていうの? 五段目のタイルの、どれかの下に?


<僕>

 自信があるわけじゃないよ。だから、やってみるしかないんだ。

 間違ったっていいじゃない。何度だって、やり直しはできるんだから。

 この段のタイルを、一つ一つ剥がしてみようよ。


<マッシュ>

 セメントでくっつけてあるんだろ?

 時間、かかりそうか?

 あと数時間で日が昇るんじゃないかなあ。


<僕>

 池は小さいんだし、そんなに枚数はないから大丈夫だと思うよ。八枚だけ剥がせばいいんだ。

 五段目の、どのタイルから始めようか。ウィロー、おじいさんなら、どのタイルの下に隠すだろう。真ん中のタイルかな?


<ウィロー>

 わかんないわよ、そんなこと。知るわけないでしょ!


<僕>

 うーん・・・ちょっと待ってよ・・・。


<マッシュ>

 待たねえよ。

 謎なんてさ、隅から隅までキッチリ解けなくたっていいだろう? ある程度メドがついたら、適当にやってりゃいい。

 目についたやつから、バンバン剥がしちまえ。五段目って所だけ間違えなきゃ、なんとかなるさ。

 ウィロー、なんか道具はねえか?


<ウィロー>

 シャベルが一本と熊手があるわ。小さいやつだけどね。


<マッシュ>

 プラスチックの庭で、シャベルなんていらないだろうが?


<ウィロー>

 飾りよ。


<マッシュ>

 ヘブン・スクエアの連中って、やっぱり理解不能だな。

 どこにある?


<ウィロー>

 私が取ってくるから、あなたは引き続き見張ってて。おじさん達、起きてくるかもわかんないし。

 それに、もっとコソコソ声で話してよね!

 あなた、この状況がわかってんの?

 いよいよ、宝が出てくるかもしれないってのに、そんな大声出して、誰に聞かれるかわかんないわ!


<マッシュ>

 はあ?別に俺は大声なんて・・・。


<僕>

 二人とも、もう少し静かにね。興奮しすぎだよ。


<マッシュ>

 だって、面白いんだもんな。

でも、いい。わかったよ。俺はここにジーッと座って、うーんと大人しくしてるさ。いい子だろ?


<僕>

 タイル剥がしの作業は、僕にやらせる気だね?



 予想はしてたけど、予想よりはるかに簡単だった。

 カチン、カチン、カチン。タイルの周りのセメントに、軽くシャベルを入れただけで、すぐにピシッとひびが入って、タイルがポロリと落ちた。その下には、面白いほどもろいボロボロのセメント。

 一つ目のタイルの下には・・・何も無い。

 二つ目のタイル、そして次のタイル。いずれも、楽に剥がれ落ちていく。

 運も良かった。三枚目のタイルの下に、もう当たりが出たんだ。

 タイルの下のセメントに、二十センチ四方くらいの四角い穴が掘られていて、中に何かある。小さい革の巾着袋。口はきっちりと結ばれていて、正直、タイルより、濡れて固くなった結び目にてこずってしまった。妙にズレた所に苦労する。よくある話だけどね。

 散々、手間取ったたあげく、ようやく袋の口が開いた。小さな粒がいっぱい入っている。

 ダイヤ百個っていうと、ものすごいお宝に聞こえるけど、サイズがとっても小さかったから、あんまり感激しなかったなあ。

 袋は片方の手の平にポンと載ってしまうし、しかも軽い。中を覗いても影が多くて、よく見えない。

 なんかこう・・・拍子抜けした気分だった。

 マッシュとウィローも、小首を傾げていた。あんなに大騒ぎしたのは、この為?こんな、ちょっとした物の為に?そんな感じだったよ。

 僕らは顔を寄せ合って、もっと袋の中身をよく見ようとした。

 けれど、当然ながら、そうやってくっけばくっつく程、見えにくくなる。


<マッシュ>

 ここでじっくり観察するのは無理だ。まだ暗くて、何にも見えやしない。

 それに、夜明けも近いはずだ。

 朝の光の中、ここで三人、間抜け面で突っ立ってるなんて、どう考えたってヤバいだろ。


<僕>

 落ち着いて隠れられる場所はないのかな。

 ウィロー、どう思う?


<ウィロー>

 ええ、あるわよ、エッグ。

 最高の場所、ピッタリの場所が。


<マッシュ>

 どこだよ?


<ウィロー>

〈ロック〉よ。


<マッシュ>

〈ロック〉だあ?


<僕>

 よく考えてね、ウィロー。〈ロック〉は、ヘルズ・スクエアにあるんだよ。本当に行きたいの?


<ウィロー>

 ええ、本気よ。


<マッシュ>

 なんで?


<ウィロー>

 うまく言えないけど、行くべきだと思うの。

〈ロック〉でなら、本当のあなた達が見える気がする。

 それに・・・私、なんか少し泣きたい気もするから。

 とにかく行ってみたいのよ。理由なんてどうでもいいでしょう?


<僕>

 わかったよ、ウィロー。それ以上、もう何も言わなくていい。


<マッシュ>

 質問はもう無しだな。

 そうだよ、お前の言う通りだ。

 俺達は〈ロック〉に行くべきなんだ。



僕らはこうして、ヘルズ・スクエアへと戻っていった。作り物のイタイ町から、去っていく。もう二度と、ヘブン・スクエアに行くことはないと、僕にはわかっていた。

 ヘルズ・スクエアの、腐ったヘドロ道に足を踏み入れた時、あの時ほどホッとしたことはない。

 僕が暮らすのは、ヘルズ・スクエア。僕の全てがここにある。色々マズイ所はあるものの・・・僕はそこで生きていくことを望んでいる。



 8・

 夜明けまで、まだ一時間はありそうだ。

 僕、マッシュ、ウィローは〈ロック〉の上に座っている。

 ミザリー・リバーの、どうしよもなく汚れた、ドロンドロンのヘドロ水を渡るのは、慣れてないウィローには無理なんじゃないかと、そう思っていたんだけど。

 彼女はまるで気にする様子もなく、さっさと渡った。強烈な悪臭にも全く動じない。

 どうしても〈ロック〉に行きたかったんだろうな。

 僕達は朝日が昇るのを待ちながら、色々な話をした。ホープ島の事。ヘルズ・スクエアでの生活のこと。

 ウィローは、自分の事はあまり話したがらなかったし、僕もマッシュも無理には聞かなかった。

 空が変わっていく。黒灰色から紺へ。海の色も、黒から紺、そして柔らかな灰緑色になっていった。

 奇跡だ。霧も雨も雲もない、晴れた空気。

 誰も捉えられない瞬間、あたりがパアッと明るくなって、眩しい光が周囲に満ち溢れた。

 夜明けだ・・・。

 この日だけだったんだ。特別な、いつまでもきっと忘れる事のない、輝く太陽を見た。

 傍らのマッシュ。顔を上げ、眩しそうに眼を細めて。キリリッと口を引き結び、静かに、でも堂々と〈ロック〉に立つマッシュ。

 座ったままのウィロー。もはや、見る影もなく汚れた白いワンピース姿で、眠そうに、満足そうに、ゆったりと微笑んで。

 ウィロー。別の世界に住む少女。



 僕は〈ロック〉の真ん中に片ヒザをついた。ゴツゴツした岩に、小さな皮袋の中身をぶちまける。

 その内、ヒザや腰が痛み出したけど、僕はダイヤを見つめたまま、動かなかった。

 米粒の様に小さな宝石は、コロコロと転がり出てキラキラと輝いた。

 やがて百個が集まり小さな山となって、凍りついたような、また同時に燃え上がる様な、不思議はきらめきの固まりとなる。

 あっちこっちに光を反射して、マッシュの顔にもウィローの顔にも、虹色の光りの点が舞い踊り、美しかった。

 今までに見たこともない、現実感のない輝き。

 生き物の持つ美しさではない、そう思った。冷たく固く、どこか人を寄せ付けない、奇妙な魅力なんだ。

 マッシュはチラリとダイヤを見ただけで、また海に向き直った。両手をズボンの小さなポケットに無理に突っ込んだまま、何も言わなかった。

 ウィローはそっと手を伸ばして、ダイヤの小さな山を崩した。ほっそりとした白い指先を動かしてダイヤをかき混ぜ、じっと見つめて、ホッとため息をつく。


<ウィロー>

 これは、あなた達が貰うべきよ。


<僕>

 どうして?君の物だよ。おじいさんが、君に遺したんだからね。


<ウィロー>

 見つけたのは、あなたとマッシュよ。あなた達は、これを必要としてもいる。

 持って行っていいのよ。半分こすれば?それが、一番よ。


<マッシュ>

 断る。俺はいらない。


<ウィロー>

 何でよ?貰う権利あるわ。これがあれば、色々な事が出来る。


<マッシュ>

 そうか?何が出来るっていうんだ?


<ウィロー>

 ヘルズ・スクエアをより良くできるわ。役に立つわよ、きっと。全てを変えられるの。もっとマシな生活が出来るのよ。



マッシュは〈ロック〉にしゃがみ込んで、ウィローと目を合わせた。

 そして、微笑んだ。とても優しく。まるでウィローのお兄ちゃんになったみたいに。いたわり深く彼女を見つめる。

「もう一度だけ言うぞ。これが最後だ。俺はいらない。欲しくない。必要もしない」

 ウィローは、目を逸らした。

「どうしてなの、マッシュ。どうして?理由ぐらいちゃんと聞かせてよ」

マッシュはいきなり立ち上がり、クルリと彼女に背を向けた。

 日差しに何かがきらりと光った。マッシュの涙だったのかもしれない。

「理由は、俺にもはっきりとは言えない。ただ・・・多分、変えたくないんだ。俺が生まれ育った町を。ヘルズ・スクエアをな。俺にとって大切な人達と、これからも暮らしていく。きっと素晴らしい生き方が出来る。ああ、きっと出来る。幸せになれる。変えたくないんだ。ダイヤ百個の力でなんて、絶対に変えたくない」

ウィローは、泣きそうな顔でマッシュを見、続いて僕を見た。

 彼女が何を言おうとしているかわかった。

 真剣に答えるべきだと思ったよ。ウィローの為だけではなく、僕自身の為に。

 僕は立ち上がり、マッシュと並んで立った。

 マッシュはこっちを見なかった。二人で海を見続けた。どこまでも広大な海を。

 太陽の光が眩しかった。ダイヤの光とは全く違う、暖かで激しい光なんだ。

 背後から、ウィローの声が聞こえてきた。

 すぐには応えなかった。僕には解り始めていた。ウィローに対して答えるのではないって。僕が真実、心からの答えを告げたいのは、マッシュに対してなんだ。


<ウィロー>

 エッグは?エッグは貰ってくれるの?


<僕>

 僕は・・・ホープ島を出ていく。ヘルズ・スクエアを去る。

 いや、今すぐにじゃないよ。今じゃない。

 もっと大きくなってから・・・僕が決心したその時に。でも必ずそうなるんだ。

 一人でここを出て、別な場所で、自分の力だけで生きていく。理由なんか無い。僕は、そうしなきゃいけない。やってみたいんだ。


<ウィロー>

 じゃあ、なおさらダイヤがいるでしょう?役に立つわよ。


<僕>

 その通りだろうね、ウィロー。役には立つだろう。

 でも、僕はいらない。


<ウィロー>

 どういう事よ?

 一人で生きてみるなんて、あなたは何にも持ってないのに、苦労するわよ。ダイヤがあれば、楽にスタートできる。


<僕>

 楽にスタートしたくないんだよ、ウィロー。自分の力だけで、やりたいんだ。


<ウィロー>

 後悔するわよ。


<僕>

 そうだね、君の言う通りだろう。

 ああ、ダイヤ貰っておけばよかった・・・と思う事もあると思うよ。

 でも、そう度々じゃないはずだ。そんな風に思わない生き方をするつもりだからね。


<ウィロー>

 なら、ヘルズ・スクエアの他の人達にあげればいいじゃない。そうすれば、あなたが島を出た後も安心でしょう?


<僕>

 いや、ちっとも安心じゃないよ。

 ダイヤ百個ってすごく見えるけど、でも、何にも変えられやしないよ。

 ヘルズ・スクエアを変えたいなら、そこに住む人一人一人が、自分の力で変えなくちゃ。

 例え、どんなに時間がかかっても。少しずつでも。

 苦労しても報われないかもしれないよ。それでもいいじゃない。


<ウィロー>

 お金がなきゃ、何も出来ないでしょう?


<僕>

 出来ないなら、変えなきゃいいよ。ありのままを受け入れる手もあるんだ。

 ダイヤ百個があればヘルズ・スクエアが救えて、無ければ何もできない?

 僕はそんな風になって欲しくないんだ。

 ワイルド・ビーにもマネーマネーにも。クリスタル、サンシャイン、ピーチにも。ワイルド・キャット、エンジェル、キャンディ、ピーウィー、グリーンタン、サンダーキッド、パンプキンにスノー・ホワイト・・・全員だとキリないね。

 僕の大切なあの子たち・・・。

 どの子にも、そんな風になって欲しくない。

 


 ウィローはワッと泣き出した。

 でも、僕やマッシュのせいで泣いたんじゃないと思う。ダイヤが原因なのでもない。

 何年も何年も、ずっと我慢していた涙が一気に溢れた、そんな感じだった。

 だから、僕とマッシュは、無言でそのまま立ち続けた。

〈ロック〉では、彼女も好きなだけ泣いていい。時にはそれも必要なんだ。



 海も空も太陽も輝いている。何もかも美しくみえた。

 僕は、ただただ一つの思いを繰り返す。

 ああ、マッシュ。大好きなマッシュ。

 君は、解ってくれるだろうか。受け入れてくれるだろうか。怒らないかい?泣かないよね。許してくれるだろうか。僕がいつか出ていく事を。君と別れて。

 マッシュ・・・。僕はそうしなきゃいけないんだ。どうしても。どうか解って・・・。

 口には出せなかった。声にならなかった。

 でも、マッシュには聞こえたんだ。

 彼は僕を見て、優しく静かに笑った。

 僕は決して忘れない。全てを理解して受け止めてくれた、あの暖かい微笑を。僕は一生、忘れる事はないだろう。

 


 背後で、ウィローが立ち上がった気配に、僕達は振り返った。

 ウィローは、ダイヤを拾い集めて、元の皮袋に戻していた。僕とマッシュを見て、少し恥ずかしそうに笑った。目の縁が赤く腫れていたけれど、さっぱりした顔だった。


<ウィロー>

 あなた達は二人とも、ダイヤはいらない。そういうわけよね。

 ところが、実は、私もいらないの。


<僕>

 どうして?


<ウィロー>

 欲しくないのよ。


<マッシュ>

 なんで?


<ウィロー>

 多分、呆れられるでしょうけど・・・。

 私は、まだ、子供だからよ。

 ダイヤ百個をどう使ったらいいかなんて、そんな事わからない。考えられない。

 自分の為に使う?人の為?地球の為とか?

 そんな重い事、決めたり責任取ったりなんか出来ない。

 私は、もう少し、普通の子供でいたいの。バカみたいだと思う?


<マッシュ>

 思わない。それでいいのさ。


<僕>

 その気持ち、よく解るよ、ウィロー。

 僕もそれでいいと思う。


<マッシュ>

 それで?そこの、それ。ダイヤはどうするんだ?


<ウィロー>

 おじさんとおばさんに、あげちゃおうかな。


<僕>

 それがいいんじゃない。


<マッシュ>

 お前にイジワルしたヤツにあげるのか?


<ウィロー>

 ダイヤ欲しさでオカシクなってただけだものね。本当はまずまずで、悪くはない人達なのよ。


<僕>

 なんか変な気分だよ。

 最初にダイヤの事を聞いた時は、すごい事が起こる気がした。

 でも、今は違うんだ。

 ダイヤ百個っていっても、たいした事じゃないんだね。


<マッシュ>

 宝探しは面白かったぜ。ワクワクした。見つけちまったらもう、つまんないもんな。

 ヘブン・スクエアを見れたのも、よかった。色々、大事な事がわかった気がする。


<ウィロー>

 私は帰るわ。元の場所へね。


<僕>

 ヘブン・スクエアへ?

<ウィロー>

 ええ、そう。好きでも好きじゃなくても、私はそこの住人なの。

 私は、本当にまだ子供。だから、オウチに帰るのよ。


<マッシュ>

 送っていくよ。



 僕達は別れた。

 出会った場所と同じヘル・マーケットで。

 今後、もう二度と会う事はないだろう。そうお互いに解っていた。

 さっぱりした別れだったな。泣いたりとか、そんな事は誰もしない。

 ウィローはヘブン・スクエアで暮らし、僕達はヘルズ・スクエアで暮らす。どっちが良い悪いじゃない。それが自然で当たり前だと思っていたし、素直に受け止められたんだ。

「さようなら」

 そう言い会って手を振り、そしてお終い。


9・

 あの日から三年後、十五歳の時、僕は島を出た。

 一人で。無一文。ゼロからのスタートだった。最初は本土で暮らし、仕事を選ばず働いて、その後、別の国に移った。

 今は働きながら学校にも通い、それはそれは忙しい。驚いた事に、ヘルズ・スクエアのルインズで、プロフェッサーに習った授業が、けっこう役に立っている。

 とはいえ、時には気が滅入る。学校のお金やアパートの家賃は、支払いを催促されてばかりだし、そっちを払うと食べ物を買うお金が足りなくなる。なんだかいつも空腹で、へたばってしまう事も多い。

 なにより淋しいな。家族が傍にいるのといないのとでは、本当に違うよ。ホープ島では、ヘルズ・スクエア全体が、僕の家族だったのに、ここではそうじゃない。一人で泣く事も随分と増えた。

 でも、いいんだ。自棄になったりはしない。自分で選んだ道だ。僕は満足している。

 今までも、これからも、ありのままの現実を受け入れて生きていくよ。

 そして・・・。いつも、どんな時も、常に変わらず影の様に僕に寄り添い、支えてくれる、ある人への思いが、僕に力を与えている。

 普段はそんな事はしないけど、今日だけは、ちゃんと声に出して言おう。


「かけがえの無い友、マッシュへ。僕はいつも君を想っている。また会う日まで、僕を見守っていてくれ。君に恥じない生き方をするから。大好きだよ。

                                  エッグ」




           パートⅡへ続く






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

ヘルズ・スクエアの子供たち・パートⅠ・エッグ編 ふれあいママ @Fureaimamamasami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ